人材紹介会社MAPが実施しているIT人材育成事業。新入社員がITに関する講義を受けている。
撮影:横山耕太郎
宿泊業や飲食業など求人が減った業界から、IT業界など人手不足の業界へ人材の移動を進め、雇用の安定化を図ることははできるのか。コロナ禍の重大課題になっている。
厚生労働省の労働力調査によると、コロナによって仕事がなくなった人が増えている。企業などに勤め、賃金や休業手当をもらっているものの、仕事をしていない「休業者」は2020年の年平均で過去最高の256万人だった。
政府はこれまで休業手当の一定額を国が支援する雇用調整助成金について、上限引き上げや期間延長を続けてきた。ところが、コロナ渦の影響は長期化。休業期間の保障にとどまらない、新たな職につなげる支援が必要になりつつある。
国はこれまでの職業訓練に加え、他の企業への出向支援を打ち出している。だが、コロナ禍で増えた休業者の転職や新たな就職は進んでいないのが現実だ。
そんな中、民間企業でも未経験からIT人材を育成する事業を続けている企業もある。
29歳まで小売業の女性が転身
藤井薫さんは、30歳を前にIT業界に転職した。
撮影:横山耕太郎
「文系だから『エンジニア職は難しい』という人もいるけれど、全然関係ないと感じます。そこで苦手意識を持つのはもったいない」
人材紹介会社・MAPの社員で、現在、新入社員にITエンジニアの基本知識を教えている藤井薫さん(31)はそう話す。
藤井さんは29歳の時、全く未経験だったエンジニアの世界に飛び込み、企業の情報システム部門で約2年間働いた経験を持つ。
「すぐに第一線で働くようなエンジニアになるのは無理ですが、企業がデジタル化をどんどん進める中で、開発だけでなくサポート業務に就くIT人材の需要は高い」
藤井さんは20歳の時から輸入食品を扱う小売店で勤務。アルバイトから契約社員になったが、27歳の時に持病が悪化した。
売り場に立てないこともあり、エンジニア業界に興味を持った。
「30歳まではまったく違う業界でも転職ができると思っていたので、将来性のありそうなエンジニアを目指しました。パソコンを触るのが好きで、苦手意識がなかったことも影響しています」
エンジニアと非ITの間に立つ人材
藤井さんはMAPが運営する人材育成事業WORX(ワークス)に参加。MAPの正社員となり、約2カ月、情報処理についての国家資格「ITパスポート試験」取得やサーバー・ネットワークについての知識など、エンジニア業務の基礎を学んだ後、医療機器メーカーに派遣された。
「情報システムの部署に駐在したのですが、最初は分からないことだらけで、電話やメールで問い合わせを受けるのが怖かったですね。でも現場で学びながら仕事をしていくうちに、企業からも評価してもらえるようになりました。
一言でエンジニアといっても、技術開発だけではありません。エンジニアと、エンジニアでない社員の間に立ってコミュニケーションを助ける業務の人材は求められています」
藤井さんは2021年1月、出向を終えてMAP本社に戻り、現在は研修担当として後輩の指導に当たっている。
「同じように未経験からチャレンジする人をサポートしたいと思っています。私は1年目の時に、相談できる先輩がいなかったので。
私のように29歳でIT業界に飛び込む場合、新卒でばりばり働くエンジニアのレベルに追いつくのは簡単ではありません。でも、WORX 出身者でも上位資格をどんどん取得し、スキルアップしている人もいます。人材不足が続いている業界なので、挑戦する価値はあると思います」
育成人材の派遣先、コロナで減少
IT人材事業の育成事業を統括する池田氏。
撮影:横山耕太郎
人材紹介会社MAP が、未経験からのIT人材育成を事業化したのは2019年1月。これまでに約100人の社員を採用し、IT人材として派遣してきた。
WORX事業部・統括リーダーの池田直之氏は「他の業界から、IT業界に転職したい人を支える仕組みは手薄なのが現状です。民間企業がビジネスとしてその領域をサポートするのは社会的にも意義がある」と話す。
ただ、派遣先の確保はコロナで大きな影響を受け、研修を終えても受け入れ企業が見つからず待機する社員が増加した時期も。
「システムを設計するIT人材の需要は高い現状が続いていましたが、コロナで事業を止めてしまった企業もあり、未経験の求人をストップさせたケースも多かった」(池田氏)。
池田氏は「公的な職業訓練では受講の期間や条件が厳しく敬遠する人もいる。民間の事業として、IT人材を継続的に育成できるようなに、もっと実績を作っていかないといけないと思っています」と話した。
国として「スキル獲得」支援を
撮影:今村拓馬
なぜ日本では、業界をまたいだ転職が進まないのか。
第一生命経済研究所・首席エコノミストの永濱利廣氏は、「新卒一括採用と終身雇用という日本の雇用慣習により、同じ会社で長く働いたほうが多く恩恵を受けられることが背景にある。ただ差し迫った問題として、職業訓練などスキルを身に着ける施策の必要性が高まっている」と指摘する。
「例えばスウェーデンは職業訓練が充実しており、短期間のプログラムから、数年間フルタイムで教育を受けるプログラムもある。たとえリストラされた場合でも、手厚い教育を受け、訓練後によりいい条件で就職できるような環境がある」
コロナの影響は、アルバイトなど非正規雇用への影響も大きい。野村総合研究所の推計によると、 パート・アルバイトのうち、シフトが5割以上減少し、かつ、休業手当を受け取っていない「実質的失業者」は、女性で103万人、男性で43万人にのぼるとしている。
「非正規雇用の女性は、事務職を希望する人が多い。だが、より専門的なスキルの習得を国として後押しする必要がある。職業訓練や労働移動について、国や省庁で様々な施策を打ってはいるものの、十分に周知や活用がされていないことが一つの課題と言える」(永濱氏)
(文・横山耕太郎)