スウェーデンのスタートアップであるクラーナは、「BNPL(Buy Now Pay Later:今買って、後で支払う)」と呼ばれる分割払いのサービスを提供するフィンテック企業。同社は2021年3月初めに10億ドル(約1000億円)を調達し、企業価値は310億ドル(約3兆1000億円)に達した。
フォーブスによれば、これにより共同創業者のうちCEOのセバスチャン・シーミアトコウスキー(Sebastian Siemiatkowski)と元CFOのビクター・ヤコブソン(Victor Jacobsson)の2人の資産は、それぞれ20億ドル(約2000億円)を超えた。
クラーナの共同創業者ニクラス・アーダルベットは、なぜ億万長者になるチャンスを棒に振ったのか?
Courtesy of Norrsken Foundation
3人目の創業者であるニクラス・アーダルベット(Niklas Adalberth)は2015年にクラーナを去っているが、当時保有していた8%の株の価値は現在であれば25億ドル(約2500億円)に迫っており、今頃同じように億万長者になれたはずだった。
しかし、アーダルベットは持っていた株を数年間で売却し、その資金を慈善事業やインパクト投資に向けている。現在も0.75%の株式を保有しているが、その価値は2億3000万ドル(約230億円)ほどだ。
39歳のアーダルベットは、今回の大規模な資金調達について聞いたとき、昔の同僚にとってはいいことだが、自分ももっと長く株を保有していればいま取り組んでいる非営利事業にもっと資金を回せたかもしれないと、複雑な気持ちになったという。2005年創業のクラーナの企業価値は、当時副CEOだったアーダルベットが退職して以降、1300%近く上がっている。
しかし、アーダルベットは自分の選択を後悔してはいない。2016年には、1億4000万ユーロ(約182億円)で非営利団体であるノルフェン財団(Norrsken Foundation)を立ち上げた。ヨーロッパの起業家たちに、まだ生きている間に自分の財産を他の誰かに使おうという気持ちになってもらいたい、気候変動やメンタルヘルスなど社会課題に取り組む企業に投資してほしい、という想いからだという。
ストックホルムの自宅で取材に応じてくれたアーダルベットは、こう話す。
「複利は世界七不思議に次ぐ謎だ、と言われますが、インパクト投資も同様です。社会を良くしようとする活動が早ければ早いほど、将来へのインパクトは雪だるま式に増える。
クラーナに残って自分の資産を増やすべきか、それとも世界がこのお金を一番必要としているいま使うべきか。答えは明白でした」
「トータルで見ればいいことができた」と感じたい
シーミアトコウスキーとヤコブソンという友人2人とクラーナを創業した時、アーダルベットは24歳だった。
「クラーナを始めたとき、お金は幸せに相関する、と信じていました。そういう意味ではかなり傲慢なところがありましたね」
2012年、3人は初めての投資ラウンドでクラーナの株式を売却した。その夜、アーダルベットの口座には1000万ドル(約10億円)が振り込まれた。
会議のためにストックホルムからサンフランシスコへ向かう途中、ラスベガスに寄ってお祝いをすることにした。贅沢をしてビジネスクラスに乗り、ラスベガスの目抜き通りを見下ろすスイートルームに泊まり、豪華な食事をしたり高級ブランド店でショッピングしたりした。
「でもそんな夢みたいな体験をしたのに、嫌な気持ちになってきたんです。『この高級ワインと家で飲む安物ワインの違いがわかるわけじゃない。絶景のスイートルームでも、自宅のイケアのベッドよりよく眠れるわけじゃない』と。
ホテルの部屋に置かれたショッピングバッグに目をやると、何かを訴えかけてくるような気がしました。『情けない人間だな、こんなふうに散財すれば幸福や生きることの意味がわかるとでも思ったの?』って」
その出張の後、アーダルベットはセラピーやリトリートを始めた。自分の人生で何が大切なのかを見つめ直すためだ。そして2015年、クラーナを去る決断をする。
「クラーナも素晴らしい事業をたくさんしています。でも消費者に分割払いを提供することが、本当にこの世界が必要としていることなのか。必要ないかもしれないものを、利子を将来払わせることで買わせてあげることが?
私は運よくここまでやってこられた。でも、それでまたさらにお金が欲しいというのは違うと思ったんです。鏡に映る自分を見て、トータルで見ればいいことができたな、と思えるようになりたいんです」
「本物の課題」を解決する優秀な人材を求めて
アーダルベットはクラーナを退職してから1年後、持っていた株の一部を売却して得た2000万ドル(約20億円)の資金で「社会貢献のためのテクノロジー」に特化した非営利団体を立ち上げた。それがノルフェン財団だ。
財団にはアーリーステージのベンチャーに特化したベンチャーキャピタルもある。クラーナ時代の同僚であるエリック・エンゲラウ=ニルソン(Erik Engellau-Nilsso)を財団のCEOとし、「ためになることをやる!」をモットーに活動している。
ノルフェンの本社には当初、ストックホルムの中心地にある2400平米のおしゃれなオフィスを選んだが、これは財団の従業員には広すぎると気づき、インパクト事業を行う企業で働く人たちが安く使えるワークスペースとして「ノルフェン・ハウス」を活用することにした。
最先端のスタートアップが集まるこの場所には、瞑想用の部屋やイベントスペース、撮影スタジオもあり、社会起業のブランディングに役立つかもしれないとアーダルベットは考えた。現在このオフィスでは450名が働いている。
「スウェーデンでは今、ユニコーン企業の創業者になることを狙う人がとても多く、大成功を収めている起業家が、Instagramの有名人やスポーツ選手のように取り上げられています。
この財団でやりたいのは、インパクト事業の起業家を次のロールモデルにすること。やめられなくなるコンピューターゲームやオンラインカジノを作るのではなく、本当の課題を解決しようとしている優秀な人材とつながりたいんです」
財団の資金源はすべてアーダルベットが賄っている。リターンの可能性が低いが社会貢献度が大きい取り組みに投資して、時間をかけて収益を出せるようにすることを支えるのが狙いだ。
社外の投資家もいるノルフェンのベンチャーキャピタル部門で、アーダルベットはインパクト投資でも社会貢献と利益を両立できることを示したい、という。ノルフェンは他の人への刺激になればと、タームシートのテンプレートやポートフォリオ戦略の基準など、その「青写真」をウェブサイトで公開している。
ポートフォリオを構成する21の企業のほとんどがスウェーデンを拠点としており、環境問題に取り組んでいる。例えば、モバイルアプリのKarmaは、食材が売れ残りそうな小売業者とユーザーをつなぐことで、フードロスを減らし、400万食の廃棄を回避している。
2021年3月にノルフェンは社会問題の解決に貢献するアーリーステージのスタートアップ向けに1億2500万ユーロ(163億円)を調達しており、その活動はこれからさらに活発になっていくだろう。
仮にこれらの投資案件が利益を出すことに成功しても、アーダルベットがその利益を受け取るわけではない。ファンドの条件によると、アーダルベットの成功報酬(将来投資先企業が上場したり買収された際の利益の分配)はノルフェンに還元される。
クラーナの株を手放し、成功報酬も受け取らずと、アーダルベットは多額の財産を手に入れるチャンスを逃した。だが、本当の意味で何かをあきらめなければならなかった唯一の経験はベジタリアンになったこと、とアーダルベットは言う。
「自分の人生で本当に何かを犠牲にした、と言ったらそれくらいですね。肉が大好きだったので。それ以外は、いま理想の人生を生きられていますよ」
(翻訳・田原真梨子、編集・常盤亜由子)