今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても、平易に読み通せます。
日本の婚姻件数は1972年(109万9984組)をピークに減少傾向。コロナ禍の影響もあって2020年は戦後最悪レベルになると言われていますが、「原因はそれだけではない」と入山先生。他にいったいどんな要因が考えられるのでしょうか?
こんにちは、入山章栄です。
コロナワクチンの接種が徐々に始まり、世界的にはようやく終息の気配が少しだけ見えてきました。しかし今回のコロナ禍は、思いがけないところでも社会に影響を及ぼしているようです。
BIJ編集部・常盤
コロナ禍以降、「産み控え」という言葉を耳にします。コロナの流行中に子どもを産むのは不安だという人たちが出産を先延ばしにすることだそうですが、それ以前に婚姻件数そのものが減っているのだとか。
そもそも外出をしないので、パートナーと出会いにくいのかもしれませんね。入山先生はどのようにお考えですか?
実は、早稲田大学院ビジネススクール(社会人大学院)で僕のゼミ生だった男性も2020年に結婚式を挙げる予定でしたが、「密」を避けるために挙式を延期しました。残念ですよね……。ただ今回常盤さんが挙げてくれたデータは、結婚式というよりも、婚姻数そのものが減っているということですよね。
この背景には、まずはコロナによって新たな出会いや交際を深める機会が減っていることがあるのかもしれません。もちろんカジュアルな出会いはオンライン上でもできるでしょうが、結婚となると、普通は対面で何度も会って、共感と信頼を深めないといけませんからね。
しかし、僕はいま結婚が減っている原因はそれだけではないかもしれない、と考えています。それは、この連載の第36回でも別の角度から触れましたが、日本は離婚のハードルが高すぎることではないでしょうか。「離婚しづらいので、結婚もしづらい」ということです。
そこで今回はこれを、経営理論を思考の軸として解説してみましょう。
挑戦を妨げる「撤退コスト」
経営学には、「リアルオプション理論」というものがあります。詳しくは『世界標準の経営理論』をお読みいただきたいのですが、直感的に言えば「不確実性の高い事業環境下では、柔軟な投資戦略をとれる仕組みがあることが、潜在的な事業価値を高める」というものです。
と言っても何のことか分かりにくいので、もう少し具体的に説明します。オプションにはいくつか種類があるのですが、今回のテーマで重要なのは「撤退オプション」と呼ばれるものです。
これは、「不確実性の高い投資の意思決定をするときは、その後でもしうまくいかない時に撤退がしやすい仕組みになっているほど『損切り』のコストが安くなるので、結局は全体の価値を高める。結果、投資をしやすくなる」というものです。
例えば、この論理を「起業をするか、しないか」の意思決定に当てはめたのが、ジェイ・バーニーという世界的な経営学者です。言うまでもなく起業は不確実性が高いですよね。だから普通は、起業は誰もが尻込みします。もし事業が大成功すれば大金持ちになるかもしれませんが、失敗したら会社は倒産し、もしかしたら借金取りに追われるかもしれない。
撮影:今村拓馬
ここでバーニーは、この「倒産」に注目しました。ポイントは、倒産にも起業家の負担の大きい倒産もあれば、負担の小さい倒産もある、ということです。
例えばある国では、起業家が会社を倒産させてしまったら、借りていたお金や出資金などをその人がかなりの部分、個人保証などで返さないといけないとします。いわゆる「身ぐるみ剥がされる」というやつです。だとすると「撤退コスト」は大きくなりますから、その国では、人は倒産を恐れて起業をしなくなるはずです。
他方で別の国では、起業家が会社を倒産させても「身ぐるみ剥がされない」、すなわち返さなければいけないお金は少なくていいというルールになっているとしましょう。この場合、「倒産のコスト」が小さくなりますので、結果、人は起業を積極的にするはずです。なぜなら失敗したときのコストが小さく、他方で成功したときに得られるリターンは非常に大きいからです。
このロジックから、バーニーは「ある国で起業が活性化するかどうかは、その国の倒産法に影響される」と主張しました。すなわち、倒産コストが高い仕組みになっている倒産法を持つ国では起業が起きにくく、逆に倒産コストが低い倒産法だと、誰もが簡単に「撤退」できるので、積極的に起業するわけです。
そしてバーニーは別の論文でこの仮説を統計検証し、仮説を支持する結果を得ました。ちなみに日本の倒産法も実は、それほど起業家に厳しくありません。最近日本で起業が活性化してきた背景にも、そういった影響があるのかもしれません。
結婚に慎重になる一因は、離婚できないから
さて、長くなりましたが、このロジックを「結婚」に当てはめてみましょう。もうお分かりですよね。
結婚は不確実性の高い意思決定です。うまくいけば幸せな家庭が生涯築けるかもしれない。でも、結婚は常にそうとは限りません。人には相性があるし、相性は必ずしも事前に分かるものではない。しかも、人生は得てして何があるか分からないものです。
そのような時に、もし「離婚がしやすい国」にいたらどうでしょうか。例えば、離婚をしても裁判コストが低いとか、母子家庭になっても経済負担が小さくて済むとか、何よりも「社会の目」が離婚をした方に優しい国です。そのような国なら、離婚という「撤退」をしてもコストが低くて済むので、逆に言えば人は積極的に結婚にトライするはずです。
そう考えると、現在の日本は離婚の「撤退コスト」がとても高い国なのではないでしょうか。母子家庭になって経済的負担が大きくなった方の話はよく聞きますし、何より「社会の目」が離婚に寛容でない地域もまだある印象です。
結果、日本では「失敗(=離婚)した時のコストがあまりにも大きい」ということで、結婚に尻込みする方が多く、またその数が増えているのではないか、と僕は考えています。これは、リアルオプション理論で説明できるのです。
「結婚する・しない」ではなく、グレーゾーンの幅を広げよう
BIJ編集部・常盤
確かにこれまでは、日本では離婚のハードルが高いところがありました。でも少しずつ自由度が高まっている感じはありますね。
はい。とはいえ、まだまだ自由度を高める必要があると思いますよ。母子家庭への経済サポートなどはもっとあっていいはずですし、何より社会的に、もっと離婚に寛容にするべきではないでしょうか。まだまだ「離婚=人生の失敗」のような目で見る人は、特に地方に行くほど少なからずいらっしゃる印象です。
加えて僕が提案したいのは、法律的に、あるいは社会的に「結婚、離婚にいくつかのグレードを作る」というものです。繰り返しですが、リアルオプション理論は、「不確実性の高い意思決定の時は、柔軟な仕組みがあった方がいい」というものです。グレード化は柔軟性を持たせることですから。
例えば結婚制度には、もっと柔軟性があっていいかもしれません。結婚といっても事実婚や同性婚など、現実には既にいろいろなパターンがありますよね。他方で、日本の結婚の「制度」の方は、「結婚するか・しないか」の二択しかない。これはもはや現状に即していない。
ジャストアイディアですが、例えば「ちょい婚」「中婚」「ディープ婚」のような制度を作るのはどうでしょうか。
「実は私、『ちょい婚』したんです」
「この前までは『ちょい婚』だったけど、『中婚』ぐらいになってきました」
「いよいよ私も、『ディープ婚』になりました」
みたいな感じですね。
離婚も同様です。「離婚するか、しないか」の二択ではなく、
「奥さんとの仲がイマイチなので、『ちょい離婚』してます」
というようなものがあると、かなり状況や心理的負担も違うはずです。
例えば「ちょい婚」は戸籍に記録が残らないけれど、税制上は家族と同様に扱うとか、相続の権利は認めるというように、白か黒かではなくグレーゾーンを広めにとってみる。
ちなみに、こんなとき大事なのが、「ちょい婚」「ちょい離婚」のような新しい言葉をつくることです。新しい概念は、わかりやすくてキャッチーな言葉をつくることで広まっていくもの。Business Insider Japanでも特集を組んでみはどうでしょう(笑)。
そうすることで結婚も離婚もハードルが低くなり、もっと生きやすい世の中になるはずです。それが、結婚者数の拡大にもつながるかもしれませんよ。
(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。