自分たちの夢を実現している夫婦にパートナーシップを10の質問で探る「だから、夫婦やってます」。4回目の後編は、企業に勤めながら新興国へのNPOに派遣する「留職」を手がけるNPO法人、クロスフィールズの代表理事を務める小沼大地さん。
ランサーズの執行役員でCFO(最高財務責任者)である妻を支える大地さんが直面した夫婦の転機や危機、そして日本人夫婦たちへのメッセージとは。
—— 出会いのきっかけと結婚の経緯は?
大学1年生のとき、同じラクロス部に所属していたことがきっかけでした。部活は男女で組織が分かれていたので、一緒に活動する機会はほとんどなかったのですが、何度か話すうちに僕のほうから惚れてアプローチをしました。なぜ惚れたかというと、彼女は自分の意見をしっかりと持っていて、刺激と発見をもらえる相手だと思えたからです。
僕は学生時代から海外にバックパッカーの旅に出かけたり、部活でもキャプテンを務めたりと、比較的アクティブで目立つ活動をするタイプだったからか、同世代から「すごいね」とチヤホヤされることもあったんです。その中で、彼女だけは「ふーん、私はこう思うけれど、どうなの?」と淡々と議論をぶつけてくる。時に僕よりずっと根性が据わっているなと尊敬できることも多々あって、惹かれていきました。
お互いに尖っていたけれど、尖る方向性はまったく違って、この2つの尖りが混ざり合っていく将来へと進むのは面白そうだと感じていました。
一方で、彼女とは結婚できないかもしれないなとも思っていました。出会った頃の志緒は超キャリア志向で、「私はとにかく仕事で成果を出したいから、結婚はしない。子どもも産まない」と言い切っていたんです。
僕はというと、子煩悩な父親に育てられた経験から、「家庭を持って、家族を大事にする人生を歩みたい」という価値観を持っていました。かといってパートナーに専業主婦であることを求めていなかったのは、僕の母が仕事も家庭も大切にする女性だったことも影響しているかもしれません。僕の妹が中学校に入るまでは専業主婦でしたが、その後にパートから仕事を始め、高齢者施設の施設長に。仕事に妥協なく向き合ってきた母の姿勢は、どこか志緒にも通じる気がしますね。
4年、5年と付き合ううちに、「誰かと一緒にいることの温かみ」みたいなものを感じてもらえる時間を重ねられたのはよかったです。僕が海外から戻って彼女の部屋にパラサイトしていた時期には、投資銀行でハードに働く彼女を支えるために、せっせと皿洗いをしたりと、ささやかな貢献に努めていました。結果、非婚派だった彼女と夫婦になることができました。
ちなみにプロポーズをしたのは、僕の人生の中で最も収入も社会的信用も高かったと自覚しているマッキンゼー在籍中です。「今なら志緒のご両親にも納得いただけるだろう」と機を逃しませんでした(笑)。
—— なぜ「この人」と結婚しようと思ったのですか?
彼女は決して派手なタイプではないのですが、決めた目標には一心に突き進み、成長意欲も高い。彼女と一緒なら、お互いに刺激し合って高め合い、何度でも惚れ直し続けられるような気がしたんですよね。
それに、僕が重要な意思決定をするときに、彼女はその意思を固めるための問いをいつも投げかけてくれる存在でした。
結婚後にNPOを立ち上げる決断をしたときも、彼女は「本当に覚悟をもってやる気があるのか?」と問い詰めて、僕の本気を試してくれました。止めるでもなく、ただ受け入れるでもなく、厳しさをもって接してくれるのは、ありがたかったですね。好奇心が旺盛でいろいろなことにチャレンジしたくなる僕にとっては、必要な存在だと強く感じました。
シリアに送られてきた大量のビジネス書
—— 夫婦にとって最もハードだった体験は? それをどう乗り越えましたか?
僕が大学院修了前に青年海外協力隊に参加することを決めたとき、彼女は投資銀行への就職が決まっていました。「生き方が違い過ぎるから、一緒にいないほうがいいかもしれない」と思った僕は別れ話を切り出したのですが……、「なぜあの時あんなことを言ったのか」といまだに怒られます(苦笑)。
そのときに彼女から言われた“別れない選択をする根拠”の一つが、「私はこれからしばらく仕事に没頭するのだから、あなた以外の恋愛対象を新たに見つける気もないし、あなたがどこにいようと結果は変わらない」というもので、合理的な彼女らしいなと惚れ直したのを覚えています。
その後、僕はシリアで2年間、環境教育系のプロジェクトに従事。志緒も宣言どおり、仕事に没頭し、たまにSkype通話をする以外はほとんど連絡を取らない時期が続きました。
あるとき、シリアで就いた上司が非常に尊敬できる素晴らしい人であることを志緒に伝え、「(ドイツを本拠地とする、大手戦略コンサルタント会社の)ローランド・ベルガーという会社の人なんだけれど、その会社、知っている?」と聞くと、「当然知っている。知らなかったの?」と返されました。ちょっとムッとしましたが、じわじわと無性に嬉しくなりました。
僕が進もうとしていたソーシャルの世界と、志緒が進んでいるビジネスの世界が交差する一点をつかめた気がしたからです。
思わず前のめりになって、「その世界についてもっと知りたい。僕に教えてくれないか」と志緒に頼んでいました。すると1週間もしないうちに、ドサッとビジネス書が送られてきて、僕は初めて課題解決や事業の組み立てについて興味を持ったのです。
志緒を通じて知った世界の延長で、帰国後にマッキンゼーに就職するという選択もできた。そして、企業の若手人材を国内外の社会課題の現場に送るという「留職」プログラムを主軸としたNPOを立ち上げるという道も選んだ。一貫して、ビジネスとソーシャルの融合を目指してきました。2人にとって危機にもなり得た2年間が、今の僕をつくったと言っても過言ではありません。
—— パートナーから言われて、一番嬉しかった言葉は?
絶対にサプライズ演出などするタイプではない志緒が、結婚式の2次会で、僕にサプライズをしてくれた時は、感激のあまり記憶を失ってしまいました(単に飲み過ぎていたという説もありますが)。
受け取ったフォトブックには、「あなたは私にとって夫でもあり、親友でもあり、子どもでもあり……」とメッセージが。それを志緒が読み上げてくれたのですが、僕は途中から何を言われているのか分からなくなるほど号泣。参列してくれていたマッキンゼーの上司もドン引きしていました。志緒が僕のために、普段はしないことまでやってくれたことが嬉しかったですね。
あえて非効率で面倒なことをする
—— 日頃の家事や育児の分担ルールは?
我が家では、育児は夫婦共通のプロジェクトと捉え、ウィークリーチェックイン、半期ごとの目標設定を取り入れています。1週間に一度はGoogleカレンダーを突き合わせながら予定を確認し、「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」の時間を共有するのですが、さすがに味気ないので、「スピナッチ(英語で「ほうれん草」の意味)」と呼んでいます(笑)。
半期に一度の目標設定では、家族として大事にしたいスローガンを子どもたち含めて4人で話し合います。コロナ禍では休校休園などで子育ての状況も厳しかったので、とにかく日常の幸福感を大事にしようと「Be happy」というスローガンに。
幸福感を高めるために何が大事かと突き詰めたときに、僕は「人とのつながり」だと考えました。これまでは学校や保育園という公助システムに頼ってきたけれど、そのシステムが回らなくなったときに頼れるのはやっぱり人。親や友人、ご近所さんなど、できるだけ手を借りる。
クロスフィールズの職員の奥さんが突如休業になったと聞き、「うちの子育てを助けてくれませんか」と頼んで来てもらったりもしました。心から感謝していますし、誰か身近な人に支えてもらう幸せを実感しました。もちろん誰かに頭を下げて頼るのは、非効率で面倒も増えるけれど、その分つながりは深まるなぁと感じています。
—— 子育てで大事にしている方針は?
一番は自己肯定感を育てること。そのために、いろいろな経験ができる機会を提供すること。
半年ほど前にもこんなことがありました。4歳の息子が空手教室に通っているのですが、伸び悩み、側から見てもモチベーションが下がっていたんです。僕はもうやめさせてもいいんじゃないかと思ったのですが、「やるならやらねば」タイプの志緒は継続を主張。議論が平行線になり、結論を急がずに空手の先生に相談に行ってみることに。
すると、先生から「1カ月間、毎日通わせてみて決めては」という驚きの提案をされたんです。一瞬ひるみましたが、リモートワーク環境の今ならできるかもと思い切ってやってみたら、みるみる息子の向き合い方が変わり、劇的な成長が見られたんです。
本人のやる気を後押しして、自信をつける支援ができたことが嬉しかったですし、しかも、これは夫婦2人で真剣に議論したから実現したこと。僕の独断ならやめさせただろうし、志緒だけで決めていたらあのまま漫然と続けていた。夫婦で積極的に関わり、お互いの考えをぶつけ合うことで、子育ての“第3の道”が開けるのだと気づけた出来事でした。
「産みたいときが産みどき」
—— お互いの自己実現を支援するために、大切にしてきたことは?
志緒の人生に僕が影響を与えられたかもしれないと思える出来事は3つあります。
1つは、学生時代に1カ月間のインド旅行に強引に誘って一緒に行ったこと。もともと合理主義で目的を達成する最短距離を考える彼女にとって、そこで見たさまざまな風景は未知の塊だったと思います。未知なる世界と戯れる面白さを体感した経験は、彼女がベンチャーの世界に飛び込む決断をしたことと無関係ではないような気がしています(※志緒さんは大手企業2社を経て、現在はランサーズCFO)。
2つ目は、子育てへのチャレンジ。先述のとおり、キャリア志向の彼女にとって「いつ産むか」は大問題で、ずっと悩んでいることを知っていました。僕自身ができることは限られていますが、僕の強みは日頃から築いている人的ネットワークを志緒に紹介できること。
この時は、著名なキャリアコンサルタントで、当時は団体の理事も務めてくださっていた杉浦元さんに時間をもらい、2人で相談に行きました。「産みたいときが産みどきだ」という言葉を受け、志緒は僕の隣で泣いていました。彼女のミッションが、「CFOとして圧倒的な成果を出す」から、「家族を大切に生きながら、CFOとして圧倒的な成果を出す」へと書き変わった瞬間に立ち会えました。
3つ目は、僕が定期的に参加しているリーダー向けサミット「G1」のコミュニティに家族枠として彼女を誘い、同世代のベンチャー経営者やソーシャルセクターのリーダーの生き方と触れる機会をつくれたことです。志緒は自分の成果を積極的にアピールする性格ではないので、大企業の中で埋もれて悔しい思いを何度かしていました。ベンチャーでキャリアを積むという選択肢に気づき、彼女の視野が広がるきっかけをプレゼントすることはできたかなと。
こうやって振り返ってみると、僕がクロスフィールズで目指してきた「異なる人たちをつなげて新しい価値をつくる」ことと、結婚生活のパートナシップで目指してきたことはほとんど同じですね。僕たちの場合は、お互いに「この人と結婚しなければ歩まなかった道」を今歩めているのが嬉しい。お互いの世界を広げてこその、結婚だと思います。
—— これからの夫婦の夢は?
コロナ前は「海外移住できたらいいね」と話していましたが、今は健康で日々の生活を楽しむことが何より大事だと考えるようになりました。
特に30代になって強く感じるようになったのは、「いたわり合える2人でありたい」という気持ちです。僕たちは2人ともストイックに仕事に打ち込むタイプで、時に頑張り過ぎてしまうことがあります。
特に2年前、彼女はIPOの準備、僕は社会人大学院に入学して、互いに心身共にハードでした。途中、志緒がほとんど眠れない状態にまで自分を追い詰めていることを知って、僕がストップをかけました。リングにタオルを投げた状態です。また、僕が学業と本業の両立で心身のバランスを崩していると、志緒の方から「今日はゆっくり寝たら」と声をかけてくれたりもしました。
成長を加速させるだけが応援じゃない。時にブレーキ役になることも必要だと、「応援」の意味を複層的に考えられるようになりました。
夫婦は貸し借りが完結しない関係
—— あなたにとって「夫婦」とは?
(2分ほど黙考した上で)「究極の共助関係」という言葉が浮かびました。時には応援したり、刺激したり、労ったり。これから「共助」がより重視されるといわれる世の中で、夫婦はその最小かつ最も重要な基盤になるのではないでしょうか。
もともとは他人の関係から家族になるという、最も難しく、美しい関係。過剰に自立を求めず、一番の安心安全の「お互い様」な支え合いの場をつくっていく。僕たちもそうありたいです。
—— 日本の夫婦関係がよりよくなるための提言を。
夫婦間に限らず、もっと“なあなあ”を楽しむコミュニケーションを心がけていけたらいいと思っています。国土が広く、人種や文化も多様なアメリカでは、「感謝をその場で精算する」という意味合いでチップ文化が発達したのだと見聞きしました。
一方で、村社会の文化が根付いている日本では、「ありがとう。この御礼はまた今度ね」「お互い様だから、いつでもいいよ」と貸し借りをつくり続けることが許されているのだそうです。
あまりスマートではないかもしれませんが、僕はこの“なあなあ”の関係にこそ本当の豊かさがある気がしています。相手に対して最低限の感謝やリスペクトがあることは前提ですが、たくさんの人と貸し借りが完結しない関係が続いていくほうが幸福度は増すのではないでしょうか。そして、その出発点として、夫婦の共助関係を育てていけたらいいなと思います。
(妻の小沼志緒さん編はこちら▼)