今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても、平易に読み通せます。
先月、全長400メートルにも及ぶ巨大コンテナ船「エバーギブン号」がスエズ運河で座礁するという事故が発生しました。このニュースに最初に接した時、入山先生の脳内にはとっさにある経営理論が浮かんだそうです。さて、経営理論でこのニュースをどう読み解くのでしょうか。
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世界の物流が、たった1隻の船でせき止められた
こんにちは、入山章栄です。
さて、Business Insider Japan編集部の常盤亜由子さんは今回、どんな話題を持ってきてくれたのでしょうか。
BIJ編集部・常盤
先日、スエズ運河でコンテナ船「エバーギブン号」の座礁事故が起きました。復旧までの6日間、他の船が通れなかったので、国際的な物流がかなり滞ったことになります。経済のグローバル化が進むと、こういう事故が与える影響も局地的なものでは済まなくなるんですね。
座礁したエバーギブン号の泥を掻き出そうとショベルカーが奮闘するが、これではあまりにも心もとない(2021年3月25日撮影)。
REUTERS
はい、この事故は日本ではそれほど大きく扱われませんでしたが、世界的には非常に大きなニュースでした。スエズ運河は世界で最も交通量が多い運河ですから、ここが通行止めになれば、いわば世界の経済が止まるに等しいのです。影響の大きさを考えれば、日本でもトップで扱ってもおかしくないニュースでした。
そういえば、ちょうどBusiness Insider Japanに事故現場の写真が載っている記事がありましたね。船の先端がめり込んだ河岸の土を、たった1台のショベルカーで掘っている。現地のやむをえない事情があったのでしょうが、写真を見ただけだと、巨大なコンテナ船に対してショベルカーがあまりにも小さすぎて、「世界経済の復旧をこの1台に任せていいのか」と僕は思ってしまいました(苦笑)。
編集部作成
地図を見てください。スエズ運河は、地中海と紅海を結ぶ海路です。アジア⇔ヨーロッパの間はここを通るのが最も近道です。例えばヨーロッパの輸出品を船でアジアに送るには、ここが通れなければ、アフリカ大陸の最南端である喜望峰まわりで行くしかない。それはかなり遠回りなので、物流コストがはね上がります。
このようにスエズ運河は世界の物流において非常に重要なのです。今回の事件は、いま世界で経済が一番伸びているアジアとヨーロッパを結ぶ物流の最短距離が、たった1隻の船によっていきなり塞がれてしまった、ということなのです。
今回は最終的に大事というほどには至りませんでしたが、もし座礁が長期化していたら、世界経済にも大きなマイナス影響を与えた可能性があるのです。
首を絞められたらおしまい…「チョークポイント」とは
世界的に見ると、経済のグローバリゼーションにともない、このような「ここが塞がると世界の経済が止まってしまう」という海運のポイント地点は、実はスエズ運河の他にもいくつもあります。その代表はホルムズ海峡、マラッカ海峡、パナマ運河でしょう。このような場所を国際政治の世界では「チョークポイント」と呼びます。「首を絞められたらおしまい」という意味ですね。
例えばご存知のように、世界のかなりの石油の原産地は中東です。そして産油国であるクウェートやサウジアラビアが西側諸国やアジアに石油を輸出するときは、アラビア海を通ってインド洋へと抜けるルートであるホルムズ海峡を経由します。このホルムズ海峡も非常に幅は狭く、もしホルムズ海峡が封鎖されれば、世界の石油が供給を絶たれてしまうと言ってもいい。そうなれば石油価格が暴騰する可能性もあります。
実際、中東情勢は不安定ですし、特に現在はイランとアメリカの関係がよくないので、ここを封鎖されないようにするのが、国際政治や経済を考えるうえで非常に重要なのです。
また、マレー半島とスマトラ島のすき間にあるチョークポイントがマラッカ海峡です。ここを抜けるのが、中東やヨーロッパから日本や中国などの東アジアにモノを運ぶときの最短ルートです。ここを通らないなら、オーストラリアの北側を通っていくしかないので、非常に遠回りになる。
そして現在このマラッカ海峡に触手を伸ばしたがっているのが中国です。中国が南の海の方に軍事勢力を伸ばしている背景の一つには、このマラッカ海峡を押さえたいという意図があるはずです。
編集部作成
もうひとつの世界的に重要なチョークポイントが、大西洋と太平洋をつなぐパナマ運河です。実は僕はパナマに行ってこの運河を見たことがあるのですが、パナマ運河は本当に狭い! そして驚くほど浅いのです。したがって大型の船は通れないので、「パナマックス」と言って、パナマ運河をぎりぎり通れる船の大きさが決められているくらいです。
パナマ運河を通過する貨物船。
Joe Raedle/Getty Images
BIJ編集部・常盤
世界地図を見ると、どのチョークポイントも本当に狭いですね! それなのにここが詰まってしまうと、世界の物流に与える影響がものすごく大きい。地下鉄副都心線で言えば、埼玉県の和光市駅で人身事故が起きると横浜に行けなくなる、みたいな感じですね(笑)。
はい、まさにそんな感じなんですよ。この場合、今の首都圏なら、池袋駅や渋谷駅がある意味でチョークポイントと言えるかもしれませんね。副都心線ができて埼玉から神奈川の横浜まで1本で行けるようになったのはいいけれど、例えば何かの事情で渋谷駅の階段の1つが封鎖されたら、人の流れが大混乱してしまう。これはグローバリゼーションが進んだ世界経済における海運も同じで、そういう危うさを含んだ時代だということです。
一見損しているように見える人が、最も得している
このチョークポイントと似た視点は、経営理論でも提示できます。それはストラクチャル・ホールというものです。
例えば下図のように、いろいろな人がつながっているネットワークがあると考えてみてください。左側にはいろいろな人たちが濃密につながっている、Aというクラスターがあります。右側にも同じようなBというクラスターがある。AとBをつなぐ結節点には1人しかいない。
(出所)入山章栄『世界標準の経営理論』(p.485)をもとに編集部作成。
このような場合、皆さんはこの中でいちばん得をするのは誰だと思いますか?
正解は、2つのネットワークの間をつなぐ、上図で言うと赤い人になります。この人はあくまでもAというクラスターと、Bというクラスターと同時につながっているだけで、それ以外には大勢の人とはつながっていません。つまりこの人の周りにはネットワークの「隙間」がある。
この隙間を「ストラクチャル・ホール(構造的な穴)」と呼びます。ネットワーク上この人は周囲にストラクチャル・ホールがあるからこそ、逆にその理由でクラスター間の結節点になり、結果としてネットワーク全体のさまざまな情報が集中するのです。まさに、「他に通れるところがないから、スエズ運河に船が集中する」のと同じですね。
例えばクラスターA内の情報を、クラスターBの人が取りたいとなれば、絶対に結節点の赤い人を経由する必要がある。クラスターBの情報をクラスターAの人が取りたい場合も同様です。結節点にいる人は大勢の人とつながっていないため、一見損をしているように見えますが、実は逆で、いちばん得をしているのです。
ストラクチャル・ホール理論を提唱したのは、シカゴ大学教授のロナルド・バートというソーシャルネットワーク分野の研究で世界的に知られる研究者です。もしこの世に「ノーベル経営学賞」があったら、彼は絶対に受賞すると僕は思います。そのくらい説明力のある理論で、実際、さまざまな統計解析でこの理論を裏づける結果が出ています。
例えば、起業家の中でも人脈ネットワークの中でストラクチャル・ホールが豊かなほど「事業機会」を見つけやすい、などの傾向が示されているのです。他にも、総合商社などはまさにこの結節点にいるから強いわけです。
逆に言うと、いま一部の商社の競争力が落ちているとすれば、インターネットなどによって、クラスターAとクラスターBが直接つながり始めているからでしょう。
商社に限らずすべてのビジネスにおいて、このストラクチャル・ホールの位置にいることは重要です。ストラクチャル・ホールは情報の話ですから、今後さらにITが発達すればクラスターAとクラスターBを直接つなぐルートが他にもできる可能性は高い。だとしたらその結節点にいる企業は優位性を失うので、別のストラクチャル・ホールを作りにいく必要があるでしょう。
しかし、このようなストラクチャル・ホールの変化はIT分野だからこそ起こり得ます。今回の話題であるチョークポイントの方は、リアルな地形で決まっているものであり、新しい海運ルートを見つけるのが非常に難しいのは言うまでもありません。
すなわち、スエズ運河やホルムズ海峡などのチョークポイントはおそらく今後も数十年以上、もしかしたら100年を超えてチョークポイントのままなのです。
だからこそ国際経済にも、国際政治にも、地理的な結節点であるチョークポイントを押さえておくことは今後もものすごく重要だということなのです。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。