コンビニの棚から商品を手にとると、その商品は自動的に認識され、レジに立ったときにはもう購入した商品と金額が表示されている。商品の認識は想像以上にスムーズだ。
利用者はクレジットカードや電子マネー、現金などで決済し、あとは店を出るだけ。実際に経験すると、これがなかなか楽しい。
JRの高輪ゲートウェイ駅にある日本初の無人コンビニ。仕掛けるのは、「TOUCH TO GO(以下、TTG)」。コンビニや売店で使用できる無人決済システムを開発している。
高輪ゲートウェイ駅構内に無人決済店舗として2020年3月にオープンしたTTG。実際に体験すると、あまりのスムーズさに病みつきになる。
TGG社長の阿久津智紀(39)は、JRの新規事業としてこのプロジェクトを立ち上げ、JRに在籍のまま、この新会社TTGの社長に就任した。
2021年3月31日には、ファミリーマートと業務提携。ファミマ導入1号店となる丸の内の無人レジ店舗のプレオープンには、50社のマスコミが集まった。記者会見の質疑応答では30分間も質問が続き、この事業への関心の高さがうかがえる。
ファミリーマートへの無人レジ導入では、1年前にスタートした高輪ゲートウェイ駅では実現できなかった、「もともとの陳列棚と、ほぼ同様の商品の並び」が実装された。
そのおかげか、レジが無人である以外には、既存店舗との違いをほとんど感じない。オープン直後の売り上げは好調。想像以上に会計がスムーズで驚いたなど、利用者の評価も高い。
大企業の新規事業加速させるカーブアウト
品出しやトラブル対応のため、常時店員がバックヤードに1名いるものの、TTGの店内は無人。天井に設置された50台ものセンサーカメラが商品の動きを追う仕組みだ。
TTGは、JRグループからの初のカーブアウト企業である。カーブアウトとは、新規事業などを親会社から切り分け、親会社から出資を受けつつ別企業として独立させること。3億円の資本金は、JR東日本スタートアップと、無人決済システムを開発したベンチャー企業、サインポストが50%ずつ出資した。
アスクル、エムスリー、モノタロウ、マクアケなど、近年、市場で存在感を示すベンチャー企業は、こういったカーブアウト組が多い。大企業内で新規事業を進めるよりスピード感を持てるし、完全独立よりもリスクは少ない。
ファミリーマートとの提携発表に際し、阿久津は、「ファミリーマートの澤田副会長とお話しをさせていただいてから、約半年。ここまでスピード感をもってご一緒させていただいていたファミリーマートの皆様には本当に感謝しています」と、語っている。
一見、社交辞令的なごく普通の挨拶に聞こえるが、大企業における新規事業開発の難しさを知るものにとって、この言葉は重い。
これがJRグループとファミリーマートとの提携だったら、もっと時間がかかっただろう。親会社と切り分けたからこその、このスピード感。これこそ阿久津が狙ったものだった。
「もう一度新しいことに挑戦するためにも大企業のなかに、ベンチャーをつくらなくてはというのは、どこの企業でも言われることです。JRも同様で、だからこそ、ベンチャー企業と共創できるプログラムや、そこに出資できる子会社を立ち上げてきました。
でも鉄道会社って、もともと10年、20年かけて事業をつくってきたんですよね。ベンチャー企業とは文化が違う。今の時代のスピードで事業を成長させるためには、新会社をつくるのが一番早かった」
4年以内に100店舗導入を目指す
3月31日にオープンした「ファミマ!!サピアタワー/S店」は陳列棚こそ従来通りだが、店舗は無人。天井には48個のセンサーカメラが並ぶ。
撮影:小林優多郎
圧倒的なスピード。
それ以外にも、阿久津がカーブアウトに目をつけたのには、もうひとつ理由がある。マーケットの広がりだ。もし、この無人決済システムをJRグループだけで使用するとなると、駅ナカのコンビニや売店に利用がとどまってしまうと考えた。
TTGをつくったことで提携先は一気に広がった。ファミリーマート以外にも紀伊國屋、カフェ運営のノースリンクなどとの提携が続々と決まっている。
コンビニだけではなく、コロナ禍で人員確保が難しい病院内の売店や、過疎化が進む町の公民館、道の駅や高速道路の休憩所などにも導入したいと、引き合いは後を立たない。もちろん、全国のJRの駅ナカ施設への導入も待たれている。
TTGは今後4年以内に、最低でも100店舗で無人決済システム導入を予定している。この流れが全国に広がっていくと、人手不足や働き方改革、過疎化問題など、さまざまな日本の課題にアプローチできるようになるだろう。
モチベーション保てない大企業の30~40代
カーブアウトは、大企業発の新規事業を孵化させるために有効なだけでなく、大企業の人材がモチベーション高く働き続けるための切り札となるかもしれない。
「大企業の30代、40代の多くがモチベーションを保てないのは、働けば働くほど報われる制度がないこと。でもだからといって、会社を辞めて起業するのは、一般的にリスクが高い。
会社を辞めずとも新しい事業にトライできるのは魅力的だし、『ミドルリスク・ミドルリターン』ともいえる働き方は、今後の新しい選択肢になりえるかもしれない」
と、阿久津は言う。
リターンは、必ずしも金銭的なリターンでなくても良い。良い環境や働きがい。それも、やはりリターンになる。
新会社設立までには、社内の反対も強かったという。
「絶対にうまくいくはずがない」
「Amazon Goの特許は踏んでいないのか?」
「既存企業に、こんな会社がある。二番煎じだ」
などなど。
阿久津は辛抱強く、社内の反対意見を持つ人たちと交渉を続けた。反論をもらうたびにエビデンスを用意して説明する。当初3枚だった事業計画資料は、最後には50枚にもなっていた。精緻な事業計画と、タフなネゴシエーション。どちらが欠けても、この新会社と新ビジネスは実現できなかっただろう。
エリートたちが集まる大企業で、ひとり野武士のように道を拓く阿久津智紀。
その、前例のない戦い方を聞いていく。
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(文・佐藤友美、写真・伊藤圭、デザイン・星野美緒)
佐藤友美: 書籍ライター。コラムニスト。年間10冊ほど担当する書籍ライターとして活動。ビジネス書から実用書、自己啓発書からノンフィクションまで、幅広いジャンルの著者の著書の執筆を行う。また、書評・ライフスタイル分野のコラムも多数執筆。 自著に『女の運命は髪で変わる』のほか、ビジネスノンフィクション『道を継ぐ』など。