JRという大企業に在籍しながら、TOUCH TO GO(以下、TTG)の社長として、無人決済システムを全国に拡大しようとしている阿久津智紀(39)。
彼は自分自身のことを、
「栃木のド田舎出身なので、ものを知らないんです」「バカがバレないようにカッコよく書いてください」
と、茶目っけたっぷりに話す。
インタビューに答える阿久津の言葉には、ときどき栃木なまりがまじる。そのせいか、どことなく憎めない雰囲気、できすぎない雰囲気、つっこみどころのある優しさを感じる。
阿久津いわく、東大京大出身のエリートがひしめくJRの中で、早慶でもない私立大学出身の自分は最初から出世コースから外れた人間だったという。
彼の強さは、このえらぶらない、かっこつけない、「バカな自分」をさらけだすところと直結している。失うものがないから、怖くない。
「みんな多分、怒られるのが怖いんですよね。でも、怒られて減るものなんて、ないですよね」(阿久津)
ため息さえも「おいしい」
サッカー部時代の阿久津(写真中央・左)。小中高とプレーし続け、高校時代は栃木県で2位まで上り詰めた。ポジションはフォワードやセンターバックなど、チームの要だ。
提供:阿久津智紀
学生時代は、サッカー部。絵に描いたような体育会系で、ミスをすれば怒られ、失敗すればランニング。そんな環境で育ったから、怒られることはデフォルト、負けることは日常なのだという。
「大企業って、エリートが出世することが決まっている、“公家”の世界のようなもの。そういう先の見えるゲームに乗っても、僕に勝ち目はない。だったら、彼らの人智の及ばないところで仕事をしないと、勝てないですよね。いわば、野武士の戦いです(笑)」
話を聞いていると、阿久津の仕事ぶりは、他の人とルールが違うことが分かる。
すでにある仕事をそつなくこなすのではなく、前例がない事業を次々提案する。「うまくいくはずがない」と言われたら、事業計画書を何度でも練り直す。抵抗勢力の自説を、データを見せながら一つずつ潰していく。
減点方式の中で汲々として生きるのではなく、加点方式の世界で、「また、あいつがやったのか」と言われる世界を作る。
「『あいつはちょっとおかしいから』って言われるようになったら、もう怖いものなしですよ。誰の目も気にせず、なんでもできるでしょう?」
社内では「また、阿久津か」と、ため息をつかれるたび、阿久津は「おいしいな」と思うようになった。新しく何か提案したときに「阿久津だからしようがないな。一度やらせてみるか」という空気が生まれるからだ。
投資先をその気にさせるプレゼン
阿久津がマネージャーを務めるJR東日本スタートアップは、輸送や観光を含む事業を行うベンチャー企業に出資している。阿久津は、それらの企業のプレゼンを聞くことで投資家の目線を養っていった。
自分を過信しないからこそ、阿久津の戦い方にはいくつかのセオリーがある。
まずひとつは、「センスのいい人を真似ること」。
例えば、事業計画や数字のチェック。時代を読む力。プレゼン資料のデザインセンス。こういった、「センスのいい人」たちがやっていることを、阿久津はすぐに真似をする。
JR東日本スタートアップで、阿久津はJRに投資してもらいたいベンチャー企業のプレゼンを何度も聞いてきた。そのうちに投資先をその気にさせるプレゼンは、資料3枚、たったの3分で完結できると知った。
「よく見るのは、自分の事業について長々と語っているプレゼンです。でもそれだと、投資する側はどんなメリットがあるのか想像できません。いいプレゼン資料は、1枚目に誰が何をするのかといった事業プラン、2枚目には協業や投資した時の売り上げや効果といったメリット面、3枚目にはスケジュール感がバシっと明記されている。これが揃ったプレゼンは、説得力が違うんです」
さらに、そういう「センスのいい人」に出会ったら、その人たちの直感を信用する。
「センスがいいと思っている人に自分の事業について相談して、3人即答で『それは、いける』といった時は、GOのサインです。カーブアウトの発想も、TTGの事業プランも、そういった信頼できる人との会話で生まれ、育ててきました」
そしてもうひとつ大事にしているのは、阿久津が「外国人選手方式」と呼ぶ、ネゴシエーション戦略。社内で力まかせにこじあけようとしても開かなかった扉が、外からの力があれば、するりと開いたりする。綺麗なプレゼン資料よりも、日経新聞に載って話題になることが、それにあたる。
「無人決済システムは、事前に大宮と赤羽で実証実験をしたのが大きかったんです。そこにマスコミがたくさんきてくれて好意的な記事を書いてくれたことで、社内の空気も変わりました。僕はこれを『外国人選手方式』と呼んでいます。外で評価されれば、中でも評価されやすくなる」(阿久津)
タイプ異なる2人の“師匠”
阿久津には、師匠と言える上司が2人いる。2人とも、JR内での実績だけではなく部下にも非常に厳しいことで有名だった。
入社早々、阿久津にイチから仕事を叩きこんだ新井良亮。同じ栃木出身で、足利の石炭くべから夜学に通って、JRの役員にまでのぼりつけたスーパー叩き上げだ。1日3時間しか寝ないという噂があった。彼からは、「上とは躊躇なく戦い、仲間は何があっても守る」という、人としてのあり方を学んだ。
もう一人は、エキュートという駅ナカ商業施設を成功に導いた鎌田由美子。地方開発事業では、チョコレート工場を作ろうか、シードルもいいね、と軽やかに言い、阿久津を青森に送り込んだ上司である。のちに、カルビーの役員にヘッドハンティングされた鎌田は、商品やサービスに対する感覚が鋭かった。「自分が客だったら、わくわくするか? ほしいと思うか?」という、生活者としての感覚を大事にした。「阿久津、お前みたいに身長の高い人間は少ないんだよ。お客さんが使いやすいかどうか、もっとよく考えなさい」とも、よく言われた。
上司に忖度しモノ言わぬ社員が多い中、なんでもストレートに質問し、意見もまっすぐ伝える阿久津は、上司世代からずいぶん可愛がられた。
そして、もう一つ。
「メインストリートじゃないところに勝ち筋はある。小さな現場にこそ、社会の縮図がある」
これは、阿久津の信条である。
阿久津が30代でJR初のカーブアウトを成せたのも、その新会社の社長になれたのも、出世コースから外れた武者修行のような異動の連続が起因している。
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(文・佐藤友美、写真・伊藤圭、デザイン・星野美緒)
佐藤友美: 書籍ライター。コラムニスト。年間10冊ほど担当する書籍ライターとして活動。ビジネス書から実用書、自己啓発書からノンフィクションまで、幅広いジャンルの著者の著書の執筆を行う。また、書評・ライフスタイル分野のコラムも多数執筆。 自著に『女の運命は髪で変わる』のほか、ビジネスノンフィクション『道を継ぐ』など。