話題の無人決済システムを開発するベンチャー企業、TOUCH TO GO(以下、TTG)は、現在もJRに籍を置く阿久津智紀(39)の執念から生まれている。
その歩みは、入社1年目からすでにスタートしていた。
阿久津のJR人生は、コンビニの副店長から始まる。NEWDAYSに配属され、半年後には店長を任され、約20人のアルバイトを束ねるようになった。ここで阿久津は小規模ながらも、小売業の川上から川下までを見ることになる。この経験が、のちのち会社を立ち上げるときに役に立つ。
その後、異動になったJR東日本ウォータービジネスという子会社では、東日本管内で約440億円規模になる飲料自動販売機の仕入れを任された。右も左もわからないうちから、40代、50代の取引先の人たちと、値入れの交渉をする。
「20代の若造が、『20万ケース仕入れるから、いくらで売ってくれますか?』とか、そんな交渉ですよ。人間はかまさないと、ナメられるということを知りました(笑)」(阿久津)
この時の経験も、のちに無人レジの事業への結びついていく。
青森移住で酒造り。1年で数100種類試作
次は青森に連れて行かれた。2010年の新幹線新青森延伸にあわせて地域の活性化になる事業を興せと言われる。JRでエキュートなどの駅ナカ事業を牽引した鎌田由美子が責任者だった。
何もない土地を見せられ、「ここで何かやって」と言われたときは、さすがに驚いたが、すぐに面白そうだと思った。
結婚したばかりの妻を連れて青森に移住し、どっぷり5年間、シードル(リンゴ酒)作りに専念する。なぜシードルかというと、阿久津を青森に引っ張った鎌田が、「フランスに行ってシードルを飲んできたら、すごく美味しかったから」という理由だった。
シードル研究に励む阿久津たち。青森のりんご生産量は年間40万トンで日本一。シードル造りにはもってこいだ。
提供:阿久津智紀
「いや、俺、酒なんか作ったことないし、って思ったんですけれどね。でも本当にありがたいことに、青森に行ってそういう話をすると、県庁の職員さんがいろんな地産品を教えてくれて。昔、蓮舫さんが事業仕分けで切った独立行政法人があって、そこでリンゴ酒の研究をしている先生がいると教えてくれたりして」
阿久津は「なぜか、人の巡り合わせがいい」と言う。地元の酒造メーカーの社長に会いに行ったら「お前、面白いな。うちの若手ひとり、つけてやるよ」と、酒造りのアシスタントまで世話してもらった。酒造免許は設備を作ってから申請をしないと下りない。工場のラインは、小規模の醸造機器メーカーの人がイチから計画を手伝ってくれた。
「りんごの品種と酵母とアルコールの発酵時間の組み合わせだけでも数百種。最初に作った試作品は、まずくて飲めたもんじゃなかったです。1年くらい試作を繰り返して、やっと飲めるものができたと思ったら、今度はビーカーの中で作るのとタンクで作るのでは、全然味が違った」
結局、建物がオープンした時には、シードルは間に合わず、りんごジュースに炭酸を入れた商品を売った。「これなら売り出せる」というシードルができたのは、その3カ月後だった。
現在も販売されている「アオモリシードル スパークリング」は、ふじとジョナゴールドを厳選して使用した1本。高輪ゲートウェイ駅構内のTOUCH TO GOでも販売されている。
「もう1回戻って同じことをやれと言われたら、絶対にできる気がしない(笑)。それくらいキツかった」
それでも続けることができたのは、「巻き込んだ人たちに、不幸になってほしくない」。その1点に尽きる。自分を信頼して巻き込まれてくれた人たち。彼らと絶対成功したい。だから、やり切る。
当時の仲間たちとは、今でも1年に1回は集まる。いつ戻っても、みんなは、阿久津を温かく迎えてくれるのは、本気の時間を共有した仲間同士だからだろう。
鶏口となるも、牛後となるなかれ
シードル事業の責任者となった阿久津は、現地で工房メンバーとしてスタッフたちを採用していった。この経験は現在の社長業にも通じるものがあるという。
提供:阿久津智紀
シードル事業がスタートしたのが2010年。10年目となる2020年、ここで育ったシードルは本場イギリスのシードルの大会で金賞を獲るまでに成長した。
「どうせやるなら、本場で評価されたいね」
事業を始めるとき、みんなで話し合った夢がひとつ、かなった。
この青森の事業で、阿久津は「給料を払う側」の気持ちが分かるようになったという。
物づくりは、ただ商品を売るだけではない。売ったあとにどんな後処理をしなくてはいけないか。税金はどういう仕組みなのか、給与体系や福利厚生をどう考えるか。つまり小さいながらも経営ということを学んだのだ。従業員に支払いをするのも、自分の役割だ。振り込みが遅れてしまった日は茶封筒で現金を渡した。
阿久津の口からは「鶏口となるも、牛後となるなかれ」という言葉が出た。大きな組織の一部となるよりも、小規模で良いからトップに立ち全体を把握した方が良いという意味だ。
30代前半で、小規模ながらも事業の責任者となった経験は、その後、ベンチャー企業との共創を考える新規事業や、その出資を行うCVCの設立、そしてTTGへとつながっていく。
点と点がつながった瞬間
本社に戻った阿久津は、JRグループのポイント統合事業を経て、ベンチャー企業との共創プログラムを立ちあげた。無人決済システムの新規事業に関わることになったきっかけは、阿久津が立ち上げたベンチャー企業との共創プログラムに、のちのパートナーとなるサインポストが応募してきたことだった。
「JRさんで、うちのシステムを使ってもらえませんか?」
サインポストの営業の、波川敏也が動画を見せてくれたとき、そのシステムは棚から商品を1個取ったらその商品を認識しますといった程度の基礎実験段階だった。
2016年にサインポストが投稿した無人決済システムのデモ動画には、現在のTTGにつながる技術の萌芽が見て取れる。
YouTubeチャンネル:サインポスト株式会社イノベーション事業部 より
実用化にはほど遠いレベルだったにもかかわらず、阿久津は瞬間的に「おもしろい」と感じた。
「コンビニで働いていたときに、アルバイトさんがいないと店長がトイレに行けないとか、駅の売り場は繁閑の差が激しくて、途中から人がこんなにいなくてもいいと思う時間帯があるとか。自販機は1日で2000円くらい売れれば全然良い方なんですけど、でも食品って全く売れないこととか……。これまで感じていた課題が、この無人決済システムを導入したら解決するんじゃないかって思ったんです」
点と点がつながった瞬間だった。
おりしも阿久津は有望なベンチャー企業に出資するCVC、JR東日本スタートアップを立ち上げたところだった。
「ここから出資すれば、サインポストの無人決済システムを実用化まで応援できるかもしれない」
海外ではAmazon Goの運用がスタートしたとのニュースも入ってきた。阿久津はすぐに大宮に仮設の売店を作り、実証実験をすることにした。この実験が好評だったのを受け、10カ月後には赤羽に場所をうつし、実際の店舗にシステムを導入して実用化の検証を行った。
今とは比べものにならないほど、システムとしては発展途上だったが、この2つのテストケースが大きな話題となる。阿久津と波川は、実証実験だけではなく、このシステムを大きく展開したいと考えた。
JR初カーブアウトで社長就任
「ベンチャーとのオープンイノベーションって、だいたいここで終わってしまうんですよね。『成功して良かったね』『サポートするから頑張ってね』って。でも、この無人決済システムはリスクも大きい事業ですし、このままやったら資金が尽きて終わっちゃうなと思って。真剣にやるのなら、やっぱり会社をつくってやらないと、と思ったんです」
本格的に事業化するには、JRとサインポスト2社の協業体勢では限界があった。JRでは、単年度での黒字化を前提に事業計画を立てなくてはならない。逆にサインポストからするとスケールを考えるためのノウハウが足りない。
ここで、カーブアウトして合弁会社をつくるのが一番良いのではないかという結論にいたった。
新会社までの紆余曲折は、第1回でも触れた。阿久津が「奥の院」と呼ぶ社内の組織は、ふすまを開けても開けても、まだ続きがあって、意思決定者に到達するまでが果てしない。
しかし、阿久津は反対意見が出るたびに、資料を揃え、話を重ねた。最初は反対された話も役員まで到達したら、一瞬で承認された。
「逆に、『どうして、そんなにもたもたしているの。会社を一つつくるなんて、夢を買うと思えば安いものだよ。早く進めなさい』と言われました」
こうして、2019年、JR東日本スタートアップとサインポストは合弁会社を設立。阿久津はJRに籍を置いたまま、TOUCH TO GOの代表取締役社長に就任した。
「経営企画部や広報のような、学歴がモノを言う本社の出世コースでは、僕が勝負できる場所はない。人が行きたくない場所、やりたくない仕事、人数が少ないところ。メインストリート以外に勝機がある」
数々の「現場」を渡り歩いてきた阿久津が言うからこそ、説得力がある。
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(文・佐藤友美、写真・伊藤圭、デザイン・星野美緒)
佐藤友美: 書籍ライター。コラムニスト。年間10冊ほど担当する書籍ライターとして活動。ビジネス書から実用書、自己啓発書からノンフィクションまで、幅広いジャンルの著者の著書の執筆を行う。また、書評・ライフスタイル分野のコラムも多数執筆。 自著に『女の運命は髪で変わる』のほか、ビジネスノンフィクション『道を継ぐ』など。