無人決済システムを開発するTOUCH TO GO(以下、TTG)社長の阿久津智紀(39)は、いま、若い人たちに「どんなプロジェクトを進めるときも、会社の予算を取ると思わずに、株主に出資してもらうと考えるのがいい」とアドバイスする。
これからは、大企業にいて一生安泰という時代ではなくなる。いつ荒野に放たれても、生き残れる人材になるためには、小さくてもいいから「自分で」事業を回してみること。その経験が大事だという。
会社の成り立ちを知り、自分の給料がどういう仕組みで払われているのかを知る。税金はどの段階で払われ、福利厚生はどのように運用されているのかに興味を持つ。それができるようになると、「予算を取る」ではなく「出資してもらう」といった発想ができるようになる。
「もしいま、自分がいる部署が、会社の本流や花形部署であるならば、危機感を持ったほうがいいと思います。本流ほど、流れ作業になりやすいし、替えがきいてしまうものだから。逆に、つらい仕事には替えがきかない。人が行きたくないところ、人手が足りないところは、チャンス。できるだけ若いうちに経験したほうがいい」(阿久津)
「してもらわなかった」から力がついた
TTGのメンバーたち。同社はバリューの一つとして、「大企業並みの待遇とスタートアップの裁量」を掲げる。
提供:阿久津智紀
現在、TTGの社員は20人。少ないからこそ、昔、阿久津がしたようなビジネスの川上から川下までを見ることができる。
スピード感も、やはり違う。現場で何か課題が発生したら、次の日には解決できるようにプログラムを書き換える。常時Slackを使って問題点を洗い出しては、即日その対処に当たる。
出向配属になった人も、新規に採用した人たちも、このスピード感で働くなか、めきめきと力をつけていく。技術と経営の両方を身に着け起業したいと奮闘している若手もいる。
今後、阿久津の仕事は、このビジネスを軌道にのせ、TTGのような新規事業を興せる人間を育て、頑張った人たちが報われる仕組みを作っていくことだと思っている。そのためにも、阿久津は部下たちに指示を与えない。「本当にヤバくなりそうだと思ったら相談して。でもそれまでは、自分でやってみなよ」と、任せている。
そういう時の阿久津は、若い頃、尊敬する上司にしてもらったことを思い出している。いや、「してもらったこと」というよりは、「してもらわなかったこと」のほうだろうか。
何十人ものバイトのマネジメントを任されたこと。
一人で大手飲料メーカーに値段交渉に行かされたこと。
突然、地方に送りこまれたこと。
「やっぱり、自分でやるにこしたことはないんですよね。それをどんと任せてくれた上司にはすごく感謝している。TTGのメンバーにも、どんどん自分でチャレンジしていく環境を用意したいと思っています」
「人って簡単に死ぬ」と悟った父の突然死
幼児期の阿久津(写真・下)と弟、そして父。阿久津がパワフルに戦う理由には、父の死の影響もあった。
提供:阿久津智紀
阿久津は、26歳のときに、父親を突然死で亡くしている。55歳、くも膜下出血だった。前日までは、元気だった。そして、1週間後は阿久津の結婚式だった。
「人って、わりと簡単に死ぬんだなって思ってから、人生観が変わったんですよね」
人生は思っているほど、長くない。だとしたら、何を躊躇する必要があろうか。父の死は阿久津に大きな影響を与えた。
「父の口癖は、『一生懸命やっても1時間。怠けても1時間。だったら、一生懸命やったほうがいい』でした。大企業は、死ぬほど働いてもサボっても、そんなに給料が変わらない。
だから、一生懸命働くのは、働き損みたいに思う人もいる。でもどうせだったら、一生懸命やったほうがいい。だって人生は短いんだからって思うようになったんですよね」
阿久津の人生は、「こうなろう」と目標を定め、それに向かって歩んできた人生ではない。
「そうではなくて、その都度その都度、与えられた環境で勝ちたい。関わった人たちを大切にしたい。仲間と成功したいという気持ちのまま突っ走ってきたら、今、ここにいたという感じなんです。だから、28歳の自分に何か言おうと思っても『思う通りに生きればいいよ』としか言えない」
父親が亡くなったとき、当時の上司だった新井が役員会をすっ飛ばして誰よりも先に駆けつけてくれたことも、忘れない。
「普段は信じられないくらい厳しい人なのに、こういう時には真っ先に来てくれる。めちゃくちゃ厳しいし、寝ないで仕事しろというような人だったけれど、部下のことは絶対に守ってくれる人だった。その上司には、仕事だけではなく、人生を教えてもらったように思います」
取材の最後に阿久津は、もう一度、「僕、人に恵まれているんですよね」と、話した。
それはきっと、阿久津が人を強く引き寄せているからであり、阿久津が人をエンパワメントする人だからなのだろう。
阿久津の父から、上司から続くバトンが、企業を超えて、世代を超えて、受け継がれていく。
(敬称略・完)
(文・佐藤友美、写真・伊藤圭、デザイン・星野美緒)
佐藤友美: 書籍ライター。コラムニスト。年間10冊ほど担当する書籍ライターとして活動。ビジネス書から実用書、自己啓発書からノンフィクションまで、幅広いジャンルの著者の著書の執筆を行う。また、書評・ライフスタイル分野のコラムも多数執筆。 自著に『女の運命は髪で変わる』のほか、ビジネスノンフィクション『道を継ぐ』など。