NVIDIAの社屋。
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NVIDIAが「Grace」というCPUを発表した。2020年NVIDIAとソフトバンクが合意した、「ソフトバンクが持つArm社の株式をNVIDIAに売却する」というスキームの効果が早くも出てきた形だ。
Graceは、Armが設計する次世代のNeoverse(ネオバース)というCPUのIPデザイン(半導体の設計図)を採用し、次世代Neoverseコアを複数内蔵するCPUになる。
このArmアーキテクチャのCPU製品が発表されたこと自体は既定路線であり、何も驚くべき事ではない。
そもそもNVIDIAは、Arm CPUを既に10年以上前から販売している。具体的には、同社がスマートフォンやタブレット向けにかつて販売していた「Tegra」、そして現在自動車向けに販売している「DRIVE」シリーズは、ArmベースのCPUを内蔵している。
だから、「データセンター向けにArm CPUを投入する」というのは、はっきり言って何も驚くべき事ではない。
NVIDIAのArm CPU投入の何が「ニュース」なのか
NVIDIAのArm採用新CPU「Grace」。
出典:NVIDIA
新CPUの名称「Grace」は、アメリカの計算機科学者でプログラミング言語COBOL開発者のグレース・ホッパー氏の名前に由来する。
出典:WIKIMEDIA COMMONS
しかし、本当に重要なポイントは、NVIDIAがデータセンター用のCPUにArm CPUを投入したこと「ではない」。現在Armが置かれている「データセンター市場での難しい状況を覆すことができるのか」という点にある。
というのも、実はこれまで、多くの半導体メーカーがデータセンター向けのArm CPUを投入してきたが、その結果は「死屍累々(ししるいるい)」だ。
例えば、NVIDIAと自動車向け半導体などで競合関係にあり、NVIDIAのTegraをモバイル市場から駆逐した側にいるQualcommは、2017年の11月に「Centriq」というブランドのデータセンター向け製品を投入した。しかし、翌年にはすぐこの事業を畳むと明らかにした。発表はしてみたものの、ほとんど需要が無かった…そういうことだろう。
NVIDIAとはGPU市場で直接のライバルとなるAMDも、2010年代前半にデータセンター向けArmプロセッサの計画があり、開発を続けていた。しかし、結局そのプランは破棄された。QualcommやAMDといったプロセッサ市場での大メーカーであっても、データセンター向けのArmプロセッサ市場では成功できなかった…それが歴史的事実だ。
なぜかと言えば、このデータセンター市場の王者はインテルであり、またもう1社の競合であるAMDも、インテルのCPU(x86プロセッサーと呼ばれる)の互換メーカーであるためだ。つまり、データセンター市場はx86プロセッサーが市場のほとんどを占めているのだ。
IDCの発表によると、Armプロセッサーの市場シェアは前年同期比に比べて430.5%と急成長しているが、「その代わり(サーバー市場では)未だに少ない売り上げ」だと紹介されている。要するにまだまだ普及していないので伸びが大きい、そういう扱いだ。
歴史が示す、半導体市場の覇権争いの定石
なぜこうした状況が続くのか。その説明にうってつけの人物のコメントがある。
今年の2月にインテルにCEOとして戻ってきたパット・ゲルシンガー氏は、インテルに戻る前に、まだVMwareのCEOをしている時代に筆者の質問にこう答えている。
2月にインテルCEOとして帰ってきた半導体業界の有名人、パット・ゲルシンガー氏。
出典:インテル
インテルに30年間勤めた後、EMC(現Dell EMC)へ移籍し、EMCの子会社だったVMwareのCEOを務めていたゲルシンガー氏。
筆者はその時のインタビューで「インテルはCPUコアのライセンスを公開しておけば、Armにモバイル市場を取られることはなかったのでは?」という質問をしたことがある。
その時ゲルシンガー氏はその質問には直接は答えてはくれなかったが、1つ重要な指摘をした。
「半導体の歴史上、一度覇権を握ったアーキテクチャが覆された例はほとんどない。PCやデータセンターのx86しかり、モバイルのArmしかり、そしてAIではNVIDIAだ」(ゲルシンガー氏、2018年11月)
というのだ。ゲルシンガー氏がこの時点で言っていたことは、要するに一度勝者になったアーキテクチャはいわゆるネットワーク効果も働き、その強みが拡大再生産するということだ。
実際、ゲルシンガー氏がいなかった時代のインテルは、この法則に立ち向かおうとし、そして敗北した。
低消費電力なx86 CPUでArmが王者のモバイル市場に殴り込みをかけた、モバイル向けCPUにリベート(いわゆる報奨金)を付けるというかなり強引なセールスを展開したものの、Arm勢に叶わず敗退し、モバイル市場からの撤退を決めた。
まさにゲルシンガー氏の言う法則が発動したという訳だ。
巨大なAIモデルの学習が10倍速でできる「ニッチ市場向け製品」
このように、一度覇権を握ったアーキテクチャがある市場を奪うことの難しさは、半導体市場の歴史が証明している。ではNVIDIAは、一体何を狙っているのだろうか?
NVIDIAの事業部レベルの責任者は、このGraceを「ニッチ市場向けの製品」と明確に言い切っている。というのも、Graceの最大の特徴は、「NVIDIAの主力製品であるGPUが、CPUにつながっているメインメモリをより効率よく利用するための仕組みが入っていること」だからだ。実のところ、CPUがArmなのか、x86なのかは、NVIDIAの狙いからすればそれほど大きな問題ではないのだ。
そうした高速なメモリを必要とする用途は?
それは、かなり大規模なAI/ディープラーニングのモデルを学習する時だ。一方、通常のディープラーニングの学習程度であれば、現行のx86+NVIDIA GPUというアーキテクチャで何も問題はない。
もう少し具体的に言うと、今回NVIDIAがGraceのメリットとして提示したのは、「1兆パラメータという巨大なAIモデルを学習する場合に、従来製品で1カ月だったものが3日になる」ということにある。
巨大なAIのモデルを常に学習させている、科学者や大企業の研究開発部門などにとっては福音だし、注目すべき事だ。
しかし、だからといってGraceはデータセンターをArmで埋め尽くす、そうした戦略の製品ではない。現在NVIDIAが提供しているAI用スーパーコンピューター(DGXという製品)のその中でも、さらに上位の製品を作り出すこと……それがGraceの位置づけだ。
新製品に秘めたNVIDIAの野心
NVIDIAのジェンスン・フアンCEO。黒の革ジャンがトレードマークで、このファッションでプレゼンをすることが多い。
出典:NVIDIA
もちろん、それは短期的な話であって、長期的に見ればNVIDIAがArm CPUをデータセンター市場でも普及させたいと考えていることは間違いない。
問題は筆者が言った「法則」を破壊する何かを、NVIDIAが用意しているかどうかにある。それをNVIDIAのCEOジェンスン・フアン氏が見せてくるのは、Armの買収が規制当局に認められた後になるのではないだろうか。
(文・笠原一輝)