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ニューヨーク州のクオモ知事は4月12日、州住民の4人に1人がワクチン接種を完了、40%近くの住民が少なくとも1本の接種を済ませたと発表した。1週間の新型コロナ陽性者率平均値も3.58%と、2020年12月1日以来最低レベルにまで落ちた。冬に起きていた感染の波が、やっと落ち着いたということだ。
レストランの室内営業再開も本格化し、4月19日からは深夜0時までの営業が認められた。在宅勤務の人が圧倒的に多いため、閉まったままの店舗も少なくないが、道を歩く人の数も増え、人の顔も目に見えて明るくなってきた。この1年間の引きこもり生活のストレスから、やっと少しだけ解放され、気持ちに余裕が出てきた感じだ。全米の失業率も順調に下がっており、2021年後半の経済リバウンドについても明るい見通しが聞こえるようになっている。
アメリカでファイザーとモデルナのワクチンが認可されたのは2020年12月。その開発スピードも驚異的だが、1月のバイデン政権誕生後、特にここ1カ月半のアメリカは、出口に向かって一気にアクセルを踏み込んだという実感がある。特にワクチン戦略には、自身が予約から接種まで体験してみて、アメリカの底力が発揮されたと感じる。
会場到着から出るまで30分
実際のワクチン接種の予約完了画面。
提供:渡邊裕子
私がワクチン接種の予約をできたのは3月18日。やっと予約が取れた時は、ブロードウェイの人気ミュージカル「ハミルトン」のチケットが取れた時のような、ガッツポーズをしたくなるような達成感だった。
それまでの2週間ほどは、暇さえあれば携帯で予約サイトや、Twitter のTurbovaxをチェックしていた。町中の薬局やクリニックは、初期の段階では、高齢者や一定条件を満たした人に限定されていたので、それ以外の人々は、ネットで接種会場の予約を抑えるしかなかった。これはおそらくどこの州も同じだと思うが、ニューヨークでは州の公式ワクチン・ウェブサイトの他に、複数のサイトに会場の空き情報がライブで更新されている。「3月20日午前6時から10時、ジャビッツ・センターに500の空き有り」というように。この情報はとてもよく整備・管理されており、これらのサイトなしで予約のプロセスがどうなったか想像もつかない。
TurboVaxのTwitterアカウントをフォローすると、予約の空き状況をリアルタイムで知らせてくれる。
TurboVaX ウェブサイトよりキャプチャ
サイトに新しい枠が上がってきて取ろうとすると、入力している間に別の人に予約され、空き枠が見る見るうちに減っていくことの繰り返しが何日も続いた。これ以外にも例えば、その日余ったワクチンを破棄するのはもったいないので、夜になるとInstgramやTwitter、口コミで情報を流し、先着順で提供するという柔軟な対応もなされていた。貴重なワクチンを捨てるより良い。
登録手続きを終えると、一瞬で予約確認メールが届く。オンラインで事前に質問に答え、当日持っていくべきものが指示される。予約確認メールと、写真付きの身分証明書と、ニューヨーク在住が証明できるもの(免許証、家賃や公共料金の請求書など)さえあればいい。
国籍は関係ないし、永住権やビザのステイタスも関係ない。誰でも無料で、保険がなくても受けられる(アメリカは皆保険ではないので、健康保険に加入していない人が決して少なくない)が、保険を持っている場合は、保険会社に請求が行くので、その情報を事前に提出するシステムになっている。
接種を受けたマンハッタンのLenox Health Greenwich Villageの様子。建物の外まで列ができていた。
提供:渡邊裕子
当日病院に着くと30人くらいが並んでいたが、列はどんどん進んだ。並んでいる間に名簿を持ったスタッフが名前を確認。この部分は紙ベースで、意外にアナログだった。注射自体は一瞬で終わり。副反応が出た時の対応が書いてある紙を渡され、経過観察セクションへ。私の「接種済カード」には、10:04, 10:19 と書いてあった。10:04が接種した時刻、10:19が経過観察終了の時刻だ。
座っていると、コンピューターを載せた小さなデスクを押した人が回ってくるので、2本目の接種の予約を入れる。私が受けたファイザーのワクチンは、3週間後に2本目を受けることになっているので、3週間後のほぼ同じ時刻に予約を入れてくれる。画面に私の情報を入れると、その瞬間に携帯に予約確認のメールが入った。
病院に到着して出るまで待機時間を入れても30分。スムースすぎてあっけないほどだった。
アメリカの生活に慣れている人にとって、このようなスムースさはかなり新鮮だ。日本に比べると、アメリカの日常では、小さいことから大きいことまで、うまくいかないことがかなりの頻度で起きる。スーパーから郵便局、空港、ホテルまで、顧客は常に「戦いモード」で、いつでも文句を言える状態でいないといけない。予約が間違っている、荷物がなくなった、品物が壊れている、勘定やお釣りが間違っている、スタッフの態度が悪い、約束の日時に届かない……ということが日常茶飯事だからだ。
有事に本気出すアメリカという国
通りに面した病院のガラス窓はラッピングされ「HEROS WORK HERE」と書かれていた。
提供:渡邊裕子
それが今回の全く無駄のないシステムを体験して、つくづくアメリカは戦争に強い国なのだと思った。この国の人たちは目指すべきゴールを明確に示し、各自に役割と目的意識を与えると、一気にシステムを作りあげ、ゴールに向かって猛進する。仕事やスポーツなどへの向き合い方を見ていても感じるが、今回は特にそれを強く見せつけられた。
アメリカは個人主義色の強い国ではあるけれども、戦いに勝つという共通の目標を持つと、非常に強いチームワークを発揮する。「USA!USA!」だ。
「細かいことを気にしすぎず、最終的な目的をいかに早く達成するかにだけ集中する」というプラグマティック(実利的)な姿勢もアメリカらしさの一つだ。
例えば、ワクチンは高齢者や持病のある人が優先というルールにはなっているものの、その対象年齢でもなく、持病もないのに、ズルをして先に予約を入れる人たちが、2、3月にはメディアでも取り上げられ、問題視されていた。
でも実際接種会場で見ている限り、病院側はいちいち対象者かどうか厳格にチェックしていないようだった。「大事なのは、1人でも多くの人にワクチンを打つこと。1人でも免疫を持つ人が増えれば、その分リスクが減る」と割り切っているのだろうと感じた。
これは、プロセスの細部にまで完璧さと慎重さを求める日本式スタイルとは対極にあると思うが、今のような未曾有の緊急時には、多少乱暴でも、とにかく大きなゴールだけを目指し、臨機応変にルールを変えながら進む方が、求める結果を早く出せるのではないか。
ただ日常的に慣れているアメリカ的サービスとはあまりにも違う、極めて効率的なパフォーマンスを見ると、複雑な気持ちにもなる。私も含め、アメリカに長く住む友人たちが、口を揃えて言っていたのは、「アメリカ人って、やればできるんだよね。だったら普段からもうちょっと本気出してやってくれ!」ということだった。
目標を前倒しで達成したバイデン政権
ロンドンでは寺院や競馬場もワクチン接種会場にし、医療資格を持っていないボランティアも注射を担えるよう訓練している。
REUTERS/Henry Nicholls
どこの国でもこの1年余り、日々の報道の中心は、コロナの感染者数と死者数だったと思うが、アメリカの報道は2月頃から「どの州でどのくらいワクチン接種が進んでいるか」に完全にシフトした。各州の接種状況をライブで報じるウェブサイトも複数ある。
ニューヨーク・タイムズのサイト See How the Vaccine Rollout Is Going in Your State
CDC(米疾病予防管理センター)は4月15日、全米で人口の約3分の1にあたる1億2580万人が少なくとも1回の接種を受け、そのうち7850万人は2回目も含め接種が完了していると発表した。多くの州では現在、全ての大人が年齢に関わらず接種を受けられる。
またニューヨークでは、既にデジタル・ワクチン・パスポートを導入している。劇場やスポーツ観戦の入場の際に、携帯電話でQRコードをスキャンするという。EUなどもワクチン・パスポートを現在検討中だ。反対意見も出てはいるが、ワクチンを受けた人と受けていない人を区別するための証明書は、今後、経済正常化や渡航の自由化が進むにつれて必要になってくるだろう。
今、世界各国が競い合うようにワクチン接種を進めている理由は、集団免疫を少しでも早く獲得したいからだ。経済正常化、渡航の再開には、ワクチンによる集団免疫の獲得が必要で、それが達成されるまでは新型コロナとの戦いは終わらないということが、多くの国での共有認識になっている。現在、人口比で接種率が高いのはイスラエル、UAEだ。
アメリカは2020年は、ウイルスの深刻さを否定し、科学を軽視する大統領のせいで無策の一言に尽きる有様だったが、政権が変わるとムードも方針も一転した。リーダー次第で振り子が振れるように変わる激しさもまたアメリカだ。
バイデン大統領は4月6日、ワクチンの接種状況や今後の見通しについてスピーチし、質問に答えた。
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バイデン大統領は就任以来、明確な数値的目標を宣言し、それを次々にクリアしている。例えば「就任から100日で1億本のワクチン接種を完了させる」という目標については、就任から59日目の3月19日に達成。新たなゴールとして「1日で約300万本の接種、就任100日目までに合計2億回のワクチン接種を行う」と、目標を倍増させる計画が発表された。4月3日には、1日に400万回以上の接種が達成されたと報じられ、今も1日の平均接種回数が300万を上回る日々が続いている。
バイデン大統領は3月、5月1日までに全ての成人をワクチン対象者とするよう各州に指示したが、多くの州がそれよりも早いペースで接種を進めていることを受け、そのデッドラインを4月19日と早めた。
目下のターゲットは、アメリカにとって最も重要な夏の祝日である7月4日の独立記念日だ。バイデン大統領は、この日までに社会活動の一定の正常化を目指し、「ウイルスからの独立を記念した特別なものにすることを目指す」と宣言している。これが達成できたら、国民にとっての精神的なインパクトとしても大きいし、バイデン政権にとっては大きな政治的達成となるだろう。
爆速で開発されたワクチン
Seda Yalova / Shutterstock.com
このたびのワクチン開発は、これまでにないレベルで達成された。超特急だったのは開発だけではない。その後の認可、量産、供給、そして実際の接種まで全ての工程が、例のないアグレッシブさで実現されていった。アメリカでの流れを簡単に振り返ってみよう。
- 11月20日:ファイザーが米食品医薬品局(FDA)に独ビオンテックと共に開発したワクチンの緊急使用許可を申請。11月30日、モデルナも申請を発表。
- 12月11日:FDAがファイザー(数日後にモデルナも)のワクチンの緊急使用を許可。24時間以内に290万本の供給を開始。
ファイザーとビオンテックがワクチン開発に着手してから許可を得るまでにかかった日数は336日。これはワクチン史上最短記録だ。これまでの記録は、おたふく風邪のワクチン開発で4年がかかった。安全性、効果、品質データについてのFDAのレビューは、通常数カ月かかるものを、3週間に圧縮して完了した。
これ以降、各州それぞれが優先接種グループを設定し、徐々に年齢を下げながら対象者を増やすという段階的アプローチで接種キャンペーンを開始した。
例えばニューヨーク州の場合はこんな感じだ。
- 12月14日:ワクチン接種開始。
優先順位トップは医療関係者、高齢者施設在住者及び職員、COVID-19関連の最前線で活動する職員。その次が65歳以上の市民、警察官や消防士等、12学年までの学校の教員、公共交通機関職員、ホームレス・シェルター滞在者及び職員等。
- 1月18日:クオモ州知事がファイザー会長兼CEOに州がワクチンを直接購入できるよう要請。
- 2月3日:レストラン従業員、配達員、タクシー運転手、疾患のある人、妊婦などが優先グループに加わる。
- 2月5日:ブロンクスのヤンキー・スタジアムが大規模接種会場として稼働開始。10日、クイーンズにあるニューヨーク・メッツの本拠地「シティ・フィールド」が24時間体制の接種会場に。
ヤンキースタジアムでは、ワクチン会場として稼働を始めた1週目から、週に1万5000人分の接種をしていた。
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- 2月27:FDAからジョンソン&ジョンソンのワクチンの緊急使用許可が下り、ワクチン供給が一気に増加。病院に加え、ドラッグストア、学校、教会、公民館なども接種会場に。
- 3月5日:マンハッタンの巨大な見本市会場ジャビッツ・センター、ヤンキースタジアムの接種会場が週7日間24時間態勢となる。
- 3月10日:優先される年齢が65歳以上から60歳に引き下げられる。その後23日には50歳以上に、30日には30歳以上に引き下げられる。
- 4月6日:16歳以上の全ての人が接種対象となる。
就任3カ月間でここまで急速に、順調にワクチン接種を押し進めたバイデン大統領のリーダーシップ、政策遂行能力に対する評価は高まっている。4月14日に発表されたキニピアク大学の世論調査によれば、バイデン政権の新型コロナウイルス対策について、「支持する」と答えた人が64%、「支持しない」は29%だった。
日本の突出した出遅れ感
2月17日にワクチン接種がやっとスタートした日本では、優先順位トップの医療従事者でもまだ接種できていない人が多い。
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東京オリンピック開幕まで100日を切ったことで、日本のコロナ対応に注目が集まるようになっているが、特に日本のワクチン接種のペースの遅さに対しては、国際社会から厳しい目が向けられている。
4月15日には、CNNが、「東京五輪まで100日切る、1%に満たないワクチン接種率に懸念」と題する記事を掲載。菅首相は6月末までに1億回分のワクチンを確保すると約束しているが、ここまでワクチンを接種した人の率は人口の1%にも満たず、2度の接種を終えているのはわずか0.4%であると指摘している。
オックスフォード大学が運営する Our World in Dataによると、4月19日時点で、少なくとも1回以上のワクチンを接種した人の割合は、ブータン、イスラエルが60%以上、イギリスが48.66%、アメリカが39.56%、ドイツが20.07%、フランスが18.73%、日本は1.01% となっている。
Our World in Dataよりキャプチャ
日本は出足からして遅かった。Our World in Data によると、OECD加盟国37カ国中のうち、1月末の段階で接種を始めていない国は5カ国のみで、日本はその1国だった。
ワクチンの承認にも、諸外国に比べ時間がかかった。ファイザーのワクチンの承認には2カ月以上を要し、実際に医療従事者への先行投与が始まったのは2月に入ってから。一般の高齢者向けの接種が始まったのは4月12日からだ。
このビデオを見ると、ファイザーがアメリカで認可された12月中旬から1月末までの1カ月半の間に、どの国でいつ接種が始まったか、その広がりのスピードが目に見えて面白い。日本は白いまま。
ワクチン・キャンペーンは、研究開発、調達交渉、認可、量産、配布、実際の接種に至るロジスティックスなど、さまざまな局面を持つ複雑なオペレーションな訳だが、今振り返って周りを見回してみると、日本は全てにおいて遅れをとったように映る。他の先進国と比べてももちろんだが、途上国や新興国でも日本より先を行っているところがいくつもある。なぜそうなったのだろう。
一つには、日本の新型コロナによる感染が比較的小規模で済んでいるということがあるだろう。だからアメリカやイギリス、ブラジルなどと比べれば、切迫感も薄くて当然かもしれない。ただ、ここへきて変異株のリスクが高まってきており、一部の都道府県では感染が急激に拡大している。これまで比較的抑えられたからといって、今後もそれが続くとは限らない。
それに感染が他国に比べて小規模に抑えられているのは、政策の効果でなく、国民の我慢と努力によるところが大きい。それにいつまでも依存し続けることは現実的ではないだろう。
また感染者が少ないことは、ワクチンの遅れを正当化する理由にはならない。
先に述べた通り、現時点での世界各国は感染者数云々以上に集団免疫獲得競争に注力しており、それが達成されるまでは、事実上の鎖国状態を解けない。他国の人々がワクチン・パスポートで自由に行き来するようになっても、日本だけが入国者にPCR検査と隔離政策を要求し続け、また日本人が諸外国に自由に入国できないということになれば、観光はもちろんのこと、他の経済活動の面でも膨大なコストになる。
「戦時」だという認識の欠如
「なぜ国産ワクチンがなかなか出てこないのか」という問いに対して、塩野義製薬の手代木功社長がインタビューで話していたことが興味深かった。彼は、「世界的に見れば、日本はワクチンを供給する側に立つべきですし、その力はあります。世界も日本にそう期待している」と言いつつも、なぜそれが今回できなかったかについていくつかの要因を指摘している。
まずこのたびのファイザーやモデルナのようなメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンのようなプロジェクトをやるベンチャーや製薬会社が日本にはなかった。それは、これまで産官学でそうした基盤を育ててこなかったせいだという。
さらに、認可のプロセスについて。このたびアメリカでは緊急使用許可(Emergency Use Authorization)という、通常の薬事承認ではない制度を使ってファイザーやモデルナの承認を行ったが、日本には、このような「戦時」に備える制度が不十分だと指摘している。
この「戦時」「平時」の違いは、私も日米を比較して感じていたことだった。私は、この1年ニューヨークでコロナ危機を体験しながら、「これは戦争だ」と明確に感じていた。また先述の通り、アメリカのワクチン戦略や接種キャンペーンの展開の仕方を見ても、完全に戦争モードだと思った。人類とウイルスの戦い、同時に時間との戦いだ。ウイルスが変異し拡散するスピードが早いか、それを押し込めるワクチン接種のスピードが早いか。
被害の規模が違うので簡単には比べられないが、過去1年の日本のコロナとの戦い方を見ていると、これを「戦争」と認識しているように見えなかった。
それよりは、どちらかというと地震や台風のような天災への対応に似ているように見えた。科学を武器に敵を叩くのではなく、「これはいつか過ぎることだから、それまで耐えよう」というような。日本が天災との戦いが多い国だからそうなってしまうのだろうか。
ワクチン外交を推し進める中ロ
中国からフィリピンに贈られたワクチンの箱にははっきり「中国援助」と書かれており、中国のプレゼンスを示す目的が窺える。
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今回ワクチンを自国で開発・生産することができた国々は、現在ワクチン外交に余念がない。アメリカ、イギリスはもちろん、中国やロシアも、ワクチンを多数の国々に供給し、特に後者2国は明らかに政治的・外交的目的のためにワクチンを利用している。
ロシアの場合はイメージアップ、投資の機会を得ること、西側、特に欧州に亀裂を生むことが主たる目的だ。中国はワクチンというカードを使って「一帯一路」をより進めたい。アメリカの影響力を阻むことも目的なので両国とも、アルゼンチン、チリ、ブラジルなど南米諸国でワクチン供給に励んでいる。
米「アトランティック」誌は、中国もロシアも自国民へのワクチン接種よりも輸出に熱心だと指摘している。例えば、中国は3月時点で生産した2億5000万本のワクチンのうち約半分を約50カ国に輸出しているし、ロシアは自国民の1桁%しか接種できていないのに、22カ国に輸出しているという。そのくらいワクチンによる国際的影響力の増大を戦略的に重要なプライオリティとみなしているということだろう。
その効果は少なからずあるようだ。中国国営メディアによれば、アルジェリアの外務大臣は、中国からワクチンを受け取った後、「他国の内政に干渉することには反対である」と述べたと報じられている。
セルビアでは、外務大臣がロシア製ワクチンの接種を受ける際に「私はロシアのワクチンを打ちたかった。なぜならロシアの医学を信頼しているから」と述べたそうだ。
ワクチン大国を目指すインド
アメリカにとっても、ワクチンは今後重要な外交手段となる可能性が大きいだろう。バイデン政権は、トランプ政権の方針を覆し、ワクチンを共同購入して途上国などに分配する国際枠組みCOVAX (COVID-19 Vaccine Global Access) へのサポートを表明、40億ドルの支援を約束している。しかし、もしCOVAXが2021年の終わりまでに20億回分のワクチンを途上国に供給できても、それはこれらの国の人口の2割にしか満たない。
ここでアメリカが政府や企業、軍、医療機関、NGOなどの力を集結してリーダーシップを発揮し、COVAXでカバーできない部分を補うことができれば、過去4年で深く傷ついたアメリカのソフトパワー、他国からの信頼を取り戻すきっかけになるかもしれない。
3月、日米豪印戦略対話(通称:Quad クアッド)は、東南アジアを中心にアジア諸国にワクチン10億回分を2022年末までに提供することで合意した。クアッドはアジアにおける中国の勢力拡大に対抗するための戦略的パートナーシップで、安倍前首相が提唱して始まった。このたびの動きも、中国のワクチン外交に対抗しようという意図が明らかだ。
アジア諸国へのワクチン提供の中心となるのはインドだ。インドは約50年かけてワクチン生産大国の座を築いたとみなされており、新型コロナに対しても、2つのワクチンを国内製造し、近隣諸国にも提供している。1つは、英アストラゼネカとオックスフォード大学が共同開発し、国内のセラム・インスティチュート・オブ・インディアが製造する「コビシールド」。もう1つは純国産の「コバクシン」。
2021年1月のダボス会議(オンライン)で、モディ首相は「インドはワクチン関連のインフラを整備し、新型コロナ危機下で世界的な責任を果たしている」と強調し、今後は、より多くの種類の新型コロナ・ワクチンの製造に取り組む予定だと述べている。
最近「日本はワクチン接種がG7で圧倒的に最下位」といった見出しを目にすることが多くなってきた。その表現は間違ってはいないが、日本の接種率は他の先進国とは桁違いに低く、多くの新興国と比べても低い。そしてワクチン開発・生産能力におけるインドの野心や、その有効性はともかくロシア、中国の存在感を考えるに、この分野での競争には「先進国」「新興国」などというくくりにもはや意味はないのかもしれないと感じる。
厳しいようだが、他国にワクチンを配るどころか、国民の接種もまだ本格的に始めることができず、具体的なタイムラインの確約すらできない日本を、他の先進国と比べること自体、今や無理があるのではないかと感じざるを得ない。
(文・渡邊裕子)
渡邊裕子:ニューヨーク在住。ハーバード大学ケネディ・スクール大学院修了。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで各種シンポジウム、人物交流などを企画運営。地政学リスク分析の米コンサルティング会社ユーラシア・グループで日本担当ディレクターを務める。2017年7月退社、11月までアドバイザー。約1年間の自主休業(サバティカル)を経て、2019年、中東北アフリカ諸国の政治情勢がビジネスに与える影響の分析を専門とするコンサルティング会社、HSWジャパンを設立。複数の企業の日本戦略アドバイザー、執筆活動も行う。Twitterは YukoWatanabe @ywny