エバーノート(Evernote)創業者で、現在はビデオ会議アプリ「ンーフー(mmhmm)」を運営するフィル・リービン。
Mmhmm
フィル・リービンはサンフランシスコを離れ、すぐには戻るつもりはないそうだ。
メモアプリ「エバーノート(Evernote)」の共同開発者として知られるリービンは、パンデミックのさなかに荷物をまとめ、米南部アーカンソー州のベントンビル(=小売り大手ウォルマートが本社を置くことで知られる)に引っ越した。
現在はサンフランシスコ・ベイエリアの10分の1ほどの家賃で借りた賃貸住宅で、緑の木々に囲まれた生活を送っている。
「ワクチン接種が終わるまで、できるだけストレスの少ない場所で引きこもって暮らしたいと考えただけで、特段深い思考があったわけじゃない」(リービン)
ここ数カ月続いた著名経営者たちのシリコンバレーからの「テクソダス」(=テック+エクソダス、テクノロジー関係者の脱出を指す造語)に、リービンも続いた形だ。
オラクル(Oracle)共同創業者兼会長のラリー・エリソンはハワイに、レディット(Reddit)共同創業者のアレクシス・オハニアンはフロリダ州マイアミに移り、テスラ(Tesla)のイーロン・マスクは米テキサス州オースティンに大量のエンジニアらを呼び込んでいる。
新たなビデオ会議アプリで「40億円弱」の資金調達
リービンにとって、サンフランシスコを離れる決断はさほど大それたものでもなかったようだ。
実際の(アーカンソー州の)環境とおそらくさほど変わらない、霧に包まれた高原の森林風景をバーチャル背景に使い、ズーム(Zoom)での取材に応じたリービンはこう語った。
「サンフランシスコでの生活でどんどんストレスがたまっていって。マンションの部屋に閉じこもっていなくちゃいけないにしても、せめて周りに森やら何やら(癒やしが)あったほうがいいと思ったんだ」
リービンは引越し先のベントンビルで、「冗談半分で始めた」ビデオ会議アプリ「mmhmm(ンフー)」を運営している。食事中でも口を開かず発音できるという理由で、この社名に決めたという(その詳細と真意については、記事中のYouTube動画をぜひ見てほしい)。
ビデオ会議アプリ「ンーフー(mmhmm)」の公式ウェブサイトから。プレゼン資料を自由に使えるのが強み。
Screenshot of mmhmm website
冗談半分のはずが、最近、mmhmmは世界最大規模のベンチャーキャピタル(VC)セコイア・キャピタルがリードするシリーズAの資金調達ラウンドで3600万ドル(約39億円)を調達した。
mmhmmは、ビデオ会議中にスライド資料やフィルターを挿入して使うことができるので、プレゼンする側が資料を見せるか、自身の姿を見せるかの二択で迷う必要がない。同社が目指すのは、ビデオ会議経由のプレゼンをいまよりずっと快適にすることだという。
通勤はストレスフルで、非生産的で、環境にも良くない
リービンはもう本社オフィスは必要ないと語る。エバーノートの最高経営責任者(CEO)だった2004年、ビデオ会議を全面禁止していたリービンにとっては180度転換とも言える方針転換だ。
ロックダウンが始まった当時は「ビデオ会議なんかが役に立つなんてまったく考えていなかった」と語るリービン。そうした懐疑心はすっかり消え去り、いまやリモートワークやハイブリッドワークがmmhmmのチームに与えてくれた「新たな素晴らしい力」の虜(とりこ)だ。
「例えば、mmhmmでは誰ひとりとして通勤していない。渋滞につかまって1日に2時間も車やバスのなかで座ったままとか、ストレスが高い上にまったく非生産的で、なおかつ環境にも良くないことをする社員はゼロだ。
僕らは世界中のどこからでもスタッフを採用するし、実際、すべての職種はグローバルポジションにしていて、求人に地理的な制約を設けることはもう二度とない。これは今後も絶対に変わらない」(リービン)
Mmhmmとスタートアップスタジオ「オール・タートルズ(All Turtles)」を運営するため、リービンは現在およそ70人のスタッフを抱えているが、もう誰もコロナ以前のオフィス環境を楽しむことはない。オール・タートルズは2020年中にそれまで3カ所にあったオフィスをすべて閉じた。
リービンによれば、一定の成功をおさめた企業にとっても、採用はやはり一番難しいこと。ただしその解決策はきわめて単純で、「仕事ができる人の数を圧倒的に増やすこと」だという。
最高の仕事ができる場所で働き、最高の生活ができる場所で暮らす
パンデミックを受けたリモートワークへのシフトに伴い、mmhmmでは新たなモットーをつくった。それは「最高の仕事ができる場所で働き、最高の生活ができる場所で暮らす」というものだ。
「この変化は大きい。おそらく自分がこれまで生きてきたなかでは最大の変化だと思う。アメリカだけでも4000万〜5000万人、世界ではさらに数億人が、会社のある場所とかけ離れた土地で暮らしている。こんな時代はかつてなかった。自分の人生をふり返ってみても、これまで住んだ場所は100%、仕事のあるところだった」(リービン)
彼はさらに、ハイブリッドワークやフルリモートワークといった新しい働き方の登場は「大きな、深い変化を社会にもたらす」と指摘する。セコイアのようなベンチャーキャピタルが(mmhmmを含む)ビデオ会議の将来性に大きな期待を寄せる理由もそのあたりにある。
「今日のビジネスにおけるロジックはたいてい、若いうちは仕事のためにいろんな妥協をしないと、その後お金を稼ぎ、退職し、望むような人生を送ることはできないよ、という考え方にもとづいている。
しかし、それは馬鹿げた考え方だ。働きながら自分の望む人生を追い求めればいいんじゃないのか?何の必要があって、苦しんでお金を貯めて、引退しなくちゃいけないのか?」
フィル・リービン本人によるビデオ会議アプリ「ンフー(mmhmm)」の特長解説。社名の由来も語られる。
mmhmm YouTube Official Channel
リモートワークの可能性に期待するテック起業家はリービンだけではない。
例えば、ツイッター(Twitter)は2020年、希望する従業員はいつまでリモートワークを継続してもいいと宣言した。
ナスダック上場後に時価総額1000億ドル(約10兆8000億円)を超える派手な株式公開で最近話題を呼んだ暗号資産(仮想通貨)取引所のコインベース(Coinbase)は「リモートファースト」を基本方針に据えている。
ドロップボックス(Dropbox)は永久リモートワークの導入を他に先駆けて宣言したし、フェイスブック(Facebook)も将来的に従業員の半数を永久リモートワークにすることを発表している。
ただしリービンは、対面でやったほうがうまくいくこともあるとも口にする。mmhmmは皆が集まるリアルのオフィスを持たないが、定期的に互いに顔を合わせる機会はある。それが、年に2回ある会社の休日。
今年10月、mmhmmの従業員たちは米テネシー州メンフィスを訪ねる。仕事をするためではない。ストレスの少ない場所に皆で集まって、絆を深めるためだ。
住む場所が給与額に影響するのはまったくおかしなこと
リモートワークが広まると、給料の安い国に仕事を外注する企業が増える、という批判をよく聞く。
実際、フェイスブックCEOのマーク・ザッカーバーグは昨年5月、「勤務する場所によって給与を調整する(=リモートワーク社員の給与は低くなる)」と発言し、盛り上がりつつあったリモートワークへの期待感に水を差した。シリコンバレー水準の給与をもらいつつ、田舎に大きな家を建てて暮らそうと考えていた人たちの希望は、脆くも潰(つい)えた。
しかし、リービンは従業員が望むのなら、まさにそんな環境を現実のものにしたいと考えている。
「僕もシリコンバレーから引っ越したわけで。自分の給料を下げたいとは思わないし、従業員たちに給与カットを受け入れてくれと頼むつもりも全然ない。どこに住んでいるかで給与が変わるのはおかしい。報酬は会社への貢献度をベースに決めるべきであって、どんな人で、どこに住んでいるかによって決めるべきではない」
なお、シリコンバレーを離れたリービンだが、いつかまた舞い戻ることを完全に否定したわけではない。単にそのうちすぐ戻ることはないというだけだ。
「(シリコンバレーのある)カリフォルニア州では近ごろ毎年のように山火事のシーズンがやってくる。恒例行事のようになってしまうのだろうか。もしそうなら、わざわざ戻ることはないと思う。そうでないなら、すぐにではないにせよ、いつかは戻りたいね」
リービンはこれから数年間かけて、自分が住みたいと思える場所をいろいろ「オーディション」して探すそうだ。
(翻訳・編集:川村力)