コロナ禍によって「巣ごもり消費」という言葉がすっかり市民権を得ました。それくらい、私たちの消費行動はこの1年で大きく変わったということですね。
消費行動が変化すれば当然、企業の業績にもダイレクトに影響が及びます。巣ごもり消費によって大きく業績を伸ばした企業と言えば、忘れてはいけないのが任天堂でしょう。
任天堂は2017年にNintendo Switch(以下、Switch)を発売して以来業績を伸ばしていましたが、コロナの巣ごもり消費の影響を受け、直近の業績はさらに弾みがついています。2021年3月期の業績見通しも図表1のとおり、売上高は1.6兆円、営業利益は5600億円と強気の修正予想。これが実現すれば、この10年近くで最も良い数字です。
(出所)任天堂 2021年3月期第3四半期決算説明資料をもとに筆者作成。
ただしこれは、直近の数字だけ見ればの話です。時間軸をもっと伸ばして任天堂の業績を振り返ってみると、ご覧のとおり。任天堂の業績はまるでジェットコースターのように波があることが分かります(図表2)。
任天堂が過去最高の収益を上げたのは2009年3月期で、売上高は1.8兆円。対して、最も業績が悪かった2017年3月期には売上高が5000億円にも届いていません。
これが経営者にとってどれだけ背筋の凍る体験かは、個人年収に置き換えて考えてみると分かりやすいでしょう。いっときは1800万円の年収があったのに、その数年後には500万円へと激減してしまったら? ゆとりある暮らしなどと言っていられないのはもちろんですが、もしローンでも組んでいたら大変です。
任天堂はこのジェットコースターのような業績を、会社を潰すことなくどうやって乗り切っているのでしょうか?
加えて、任天堂を取り巻く外部環境も気がかりです。
いまやゲーム市場はまさに群雄割拠のレッドオーシャン。近年ではクラウドゲームの台頭も著しく、これまで家庭用ゲーム機のハードとソフトで業績を伸ばしてきた任天堂にとっては、新たな戦い方を強いられること必至です(図表3)。
そこで今回は、任天堂がジェットコースター経営を乗り切るために採っている特異なファイナンス戦略と、今後同社が描きうる成長の道筋について、2回にわたって詳しく考察していくことにします。
時価総額が1年で1.5倍に
詳しい分析を進める前に、まずは任天堂の足元の業績をもう少し解像度を上げて眺めておきましょう。
本稿執筆時点で直近の決算数値は、2021年3月期第3四半期です。同期の任天堂の業績は、売上高が前年同期比37.3%増、営業利益はなんと98.2%増と2倍近くに増えています(図表4)。
(出所)任天堂 2021年3⽉期第3四半期 決算説明資料より筆者作成。
任天堂のこの業績を、株式市場はどう評価しているのでしょうか? 2021年3月末時点の任天堂の時価総額を前年のそれと比較(※1)してみると——。
(出所)任天堂の有価証券報告書及びYahoo!ファイナンス より算出。
時価総額ベースで比較しても、この1年で1.5倍近くも大きくなっていることが分かりますね。8.1兆円という時価総額は、国内企業のトップ10位内に位置する規模です。
任天堂の好調な業績を牽引しているのは、Switchです。ハードウェアの全世界の販売台数はSwitch全体で前年同期⽐35.8%増の2410万台。iPhoneの2020年の日本国内での出荷台数が1398万台ですから(※2)、それと比較してもSwitchがいかによく売れているかがお分かりいただけるでしょう。
ソフトウェアについてはどうでしょうか。任天堂の決算説明資料によると、今期第3四半期までの累計ではなんと1.76億本(※3)。前年同期比43%もの増加です。
なかでも爆発的なヒットとなったのが「あつまれ どうぶつの森」です。今期だけで1941万本売れ、累計販売本数は3118万本。ゲーム業界では「ミリオンセラー(100万本)」が大ヒットの目安とされていますが、その31倍というから驚きです。
ちなみに今期、数あるSwitchのソフトの中では29本ものタイトルがミリオンセラーを記録しましたが、うち7割近く(20本)が任天堂製です。つまり、今期の任天堂はハードもソフトも絶好調だったということです。
ジェットコースターのような業績は宿命
ここまで、Switchの大ヒットに恵まれた任天堂がいかに業績好調かお分かりいただけたと思います。
しかし冒頭でも見たように、過去20年の任天堂の業績はまさにジェットコースターのような軌跡を描いています(図表7)。
過去20年で最高の業績を上げたのは2009年3月期(売上高1.8兆円、営業利益5553億円)。しかしそのわずか3年後には売上高が3分の1近くまで落ち込み、赤字決算に転落してしまいました。
近年で見ても、今期こそ「利益」だけで5000億円を超える見込みの好決算ですが、つい4年前の2017年3月期は「売上高」ですら5000億円に届かないほど低迷していました。
任天堂の売上がなぜこれほど大きく変動するのか——その理由は、おそらく多くの方が想像するとおり、任天堂の業績はゲーム機というハードの販売の行方に連動するためです。
実際、先ほどの売上高・営業利益の推移グラフに任天堂のハード機とソフトの売上の累計を重ねてみると、同社の栄枯盛衰が手に取るように分かります。
過去最高の売上高を誇った2009年3月期は、1億台以上を売り上げた「Wii」の大ヒットと重なります(図表8)。
先述のとおり、Wiiが売れる前の2001年3月期から2005年3月期の任天堂の売上高は5000億円ほどでした。この頃の任天堂はゲームキューブを発売したものの、ソニーのプレイステーション2やマイクロソフトのXboxにシェアを大きく奪われ、苦戦を強いられていました。
しかしその後の2006年、任天堂はWiiを発売。これで売上が一気に3倍以上に増えました。この売上大幅増の要因はひとえに、任天堂がWiiによってブルーオーシャンの市場を開拓できたからです(※4) 。
それまでのゲームは、操作性が比較的複雑でした。そこでWiiはごくシンプルに操作できる「Wiiリモコン」を採用。ゴルフやテニスなどの手の動きという新しい要素を付け加えたことで、これまでゲームをあまりしてこなかった幼児、女性、高齢者も楽しめるようにしたのです。
Wiiの開発に携わった玉樹真一郎氏は開発時、「鍋で一家団欒を楽しむのと同じようなゲーム」というビジョンを思いついたと言います(※5)。まさにそのビジョン通り、Wiiはブルーオーシャンの開拓に成功したわけですね。
ですがこの後、任天堂に新たな試練が降りかかります。
Wiiの大ヒットを受け、任天堂は満を持して2012年に後継機となるWii Uをリリースしましたが、当時台頭してきたスマホゲームという新たな競合の厚い壁にも阻まれ、売れ行きが低迷。Wiiの売上のわずか14%ほどの1356万台止まりに終わりました。
繰り返しますが、かつて2009年3月期には売上高が1.8兆円もあったのです。それと比べると2014年の売上高は3分の1以下。2012年3月期から3期連続の営業赤字です。当時の任天堂がいかに窮状と呼ぶにふさわしい状況だったかがお分かりいただけるでしょう。
このような状況を受けて、2017年に発売されたのがSwitchです。これまでの経緯を見れば、Switchは任天堂にとってまさに「社運を賭けた」と形容するにふさわしい新商品でした。
2017年に発売されたNintendo Switch。ハードは累計約8000万台を売り上げ、任天堂にとってまさに救世主となった。
slyellow / Shutterstock.com
Switchは新たなユーザー層を開拓したWiiとは違って分かりやすいブルーオーシャン戦略ではなかったものの、「ゼルダの伝説」の最新作を筆頭にキラーソフトが多かったこと、単純なスマホゲームよりもゲームとして楽しめる要素が多いこと、などの要因がユーザーに受け入れられて大ヒットとなりました。逆に、万が一Switchがコケていたら、任天堂はいよいよ会社存亡の危機に陥っていたかもしれません。
……となると、逆に疑問が湧いてきませんか? このようなジェットコースター経営にもかかわらず、任天堂はなぜSwitchの登板まで持ち堪えられたのでしょうか?
任天堂のファイナンス戦略は「特異」
答えを先に言ってしまうと、任天堂は潤沢なキャッシュを擁していたからです。
図表9をご覧ください。グラフは2005年3月期以降の同社のキャッシュの変遷を示しています。驚くべきことに、任天堂は2008年3月期には1兆円を超えるキャッシュを持っていました。この時期の総資産は1.8兆円でしたから、総資産の実に半分以上がキャッシュだったことになります。
(出所)任天堂各年の有価証券報告書及び決算短信より筆者作成
ここで、ファイナンスを多少なりともかじった方なら疑問に思うかもしれません。「キャッシュを投資にも回さず懐に蓄えているのは、どうなんだ」と。たしかに、任天堂のようなバランスシートのあり方は、通常のファイナンス理論のセオリーからは少し外れます。
通常の感覚だと、「お金をたくさん持っていたほうが何かと安全だ」と感じるかもしれません。しかし、ただお金を持っているだけでは何の収益も生みませんよね。
株式会社というものは、株主からお金を集め、それを資産に変えてビジネスを展開することを使命にしています。株主が企業に出資する理由は、企業に投資することでより大きなリターンを見込めるからです。
にもかかわらず、企業が投資家や過去の利益から集めたキャッシュを投資に回さず社内に温存していたのでは、株主にしてみれば投資している意味がありません。要するに、ファイナンス的に言えば「資本効率が悪い」のです。
このような場合、株主はROE(Return on Equity:自己資本利益率)を上げるために経営者に対してプレッシャーをかける傾向にあります。例えば、アクティビストとして有名な村上ファンドの村上世彰氏は、投資先の企業がキャッシュを溜め込んでいる場合、次のような質問をするそうです(※6)。
「たくさんの手元キャッシュや利益を生み出していない資産をお持ちのようだが、これらを今後の事業にどのように活用していく計画なのか」
この質問に対して、企業価値向上という視点から納得のいく回答を得られなければ、次の3つの提案を行うそうです。
- より多くのリターンを生み出して企業価値を上げるべく、M&Aなどの事業投資を行うことを検討し、中期経営計画などに盛り込んで、きちんと情報開示してほしい
- もしこの先数年、有効な事業投資が見込めないのであれば、配当や自己株取得などによる株主還元を行うべき
- どちらの選択も行いたくないのなら、MBOなどにより上場をやめるべき
実際、ソーシャルゲームで成長したグリー、DeNA、ミクシィなどは、ゲーム事業で稼いだ資金をベンチャー投資やM&Aなどに使い、積極的に投資を行っています。
では任天堂はどうかと言うと、これまで目立ったM&Aをした実績はほとんどありません。2021年1月にカナダのゲーム開発会社を買収しましたが、これも実に9年ぶりのことです。
おまけに任天堂は工場を持たない元祖ファブレス企業なので、工場への投資もありません。だからこそ、任天堂は稼いだ分だけキャッシュが積み上がっていく傾向にあったとも言えます。
株式市場とはどうコミュニケーションしているのか
通常のファイナンスのセオリーに反して、キャッシュを内部に蓄えておく。任天堂がこうしたファイナンス戦略をとっているのは、ゲーム事業はリスクが高いことを任天堂が誰よりも熟知しているからです。
任天堂の元社長の岩田聡氏は、潤沢なキャッシュをM&Aなどの巨額投資に振り向けず貯蓄を続ける理由を、次のように語っています(※7)。
「ゲームプラットフォームというのは勢いでビジネスをしていますから、失敗した時のダメージが非常に大きいんですね。すごくリスクが大きい。その中で、任天度は従来の延長上にはないものを作っている。それは誰も成功を保証してくれないわけですよ。何か一発大失敗したら、2000億円、3000億円がドーンとなくなってしまうかもしれない。1回失敗したら後がない、倒産してしまうような状況では、うまくいかないビジネスなんです」
2008年3月期には1兆円を超えていたキャッシュが、Wii Uが波に乗らなかったことでその8年後には2500億円にまで減ってしまったという実情が、岩田氏の言葉を裏付けています。
ただしもちろん、任天堂はリスクに備えてキャッシュを蓄えているだけではありません。
図表10をご覧ください。これは任天堂の配当性向を示したもの。配当性向とは、税引き後当期純利益から株主に対して配当を行った割合のことです。
2016年3月期の配当が突出しているのは、当期純利益に比べて営業利益が大きく出ていたため。また、2012年3月期と2017年3月期は当期純損失だったため配当性向が算出不能なため「N/A」と記載した。
(出所)任天堂各年の有価証券報告書および決算短信をもとに筆者作成。
日本の上場企業の配当性向は30%ほどと言われていますが、任天堂は50%以上を安定的に配当に回しています。実際、任天堂の配当方針は「連結営業利益の33%」か「連結当期純利益の50%以上」のどちらか高いほうの金額を配当することとしています(※8)。
つまり、将来のリスクに備えてなるべくキャッシュを蓄えるものの、営業利益もしくは税引き後当期純利益からはより多くの配当を株主に対して出すことで、株式市場と上手にコミュニケーションをとっているわけです。
任天堂の有価証券報告書の配当政策にも次のことが書かれています。
「当社は、会社の成長に必要な研究開発や設備投資等を内部留保資金でまかなうことを原則とし、将来の経営環境の変化への対応や、厳しい競争に勝ち抜くため、財務面での健全性を維持しつつ、株主の皆様への直接的な利益還元については、各期の利益水準を勘案した配当により実施することを基本方針としています」(※9)
トヨタの上を行くすごさとは
任天堂のファイナンス戦略にはさらに、ファイナンスを生業としている私から見ても「すごい!」と感嘆する点があります。任天堂はこの20年間、一度も借入をしていない。つまり、ずっと無借金経営なのです。
「無借金経営」という言葉自体は、みなさんも時々耳にしたことがあるでしょう。しかし無借金経営と言われる企業の多くは、実のところ「『実質』無借金経営」という但し書きが付くものです。どういうことか簡単に説明しましょう。
一般的に、企業というのは「キャッシュ<有利子負債(※10)」という状態であることが多いものです。なぜか。事業を行うためには運転資金が必要ですよね。工場を建てるなど設備投資をするとなればなおさら、借入金などで資金を賄う必要もあるでしょう。
しかし「実質無借金経営」はこれが逆、つまり、有利子負債はあるけれど、それを上回るキャッシュを持っている状態を指します。借入金などの有利子負債は8億円あるもののキャッシュは10億円持っている、というような状態ですね。
しかし、任天堂はこの上を行きます。この20年間、そもそも有利子負債がないという、文字どおりの「無借金経営」なのです。Switchが発売される前年、任天堂が一番苦しかった2016年3月期にはさすがにキャッシュが2581億円にまで減ってしまいましたが、この時期ですら任天堂は借入をしていません(図表9参照)。
「無借金経営」は一時期トヨタの代名詞のように言われていましたが、そのトヨタですら2020年3月期(単体)は現金及び現金同等物が約1.4兆円、有利子負債が約6700億円。トヨタでさえも「実質」無借金経営なのに、任天堂はあのジェットコースターのような業績を、正真正銘の無借金経営で乗り切ってきたということです。
このように任天堂は、新しいゲームの販売など事業面では積極的にリスクはとるものの、ファイナンス面では極めて手堅く進めていることがお分かりいただけたでしょう。先に引用した同社の配当政策にあるように、「会社の成長に必要な研究開発や設備投資等を内部留保資金でまかなう」という原則を、こんな苦難の時期ですら貫いていたわけです(※11)。
ここまでで、任天堂がゲーム事業の性格上、ハードウェアの売れ行きに連動した業績にならざるを得ない実情と、その対策として少々特異なファイナンス戦略をとっている理由を考察してきました。
続く後編では、ライバルたちがしのぎを削るゲーム業界で、任天堂が勝ち残るためにどんな戦い方が考えられるのかという点について深掘りしていきたいと思います。
※1 企業を多角的に分析するうえで時価総額の確認は非常に重要です(「株価」ではなくあくまで「時価総額」である点については、連載第1回をぜひご覧ください)。
※2 「2020年国内携帯の出荷台数は2007年以降で過去最低 サムスン電子と富士通が躍進」IT media Mobile、2021年2月10日。
※3 この数字は、ダウンロード数のほか店頭におけるソフト販売数を加えたものです。
※4 W・チャン・キム「『Wii』を生んだブルー・オーシャン戦略とは?」日経クロステック、2007年4月27日。
※5 玉樹真一郎『コンセプトのつくりかた』ダイヤモンド社、2012年。
※6 村上世彰『生涯投資家』文藝春秋、2017年。
※7 井上理『任天堂 “驚き”を生む方程式』日経新聞出版社、2013年。
※9 任天堂 2020年3月期有価証券報告書の「3【配当政策】」より引用。
※10 有利子負債とは、金利が発生する借入や社債などの負債のことを言います。買掛金や支払手形は有利子負債ではありません。
※11 かたや毎年安定的に配当を行っていたことで、任天堂の財務キャッシュフローはほとんどマイナスという状況です。
(執筆協力・伊藤達也、連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
村上 茂久:株式会社ファインディールズ 代表取締役、GOB Incubation Partners株式会社CFO。経済学研究科の大学院(修士課程)を修了後、金融機関でストラクチャードファイナンス業務を中心に、証券化、不動産投資、不良債権投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事する。2018年9月よりGOB Incubation Partners株式会社のCFOとして新規事業の開発及び起業の支援等を実施。加えて、複数のスタートアップ企業等の財務や法務等の支援も手掛ける。2021年1月に財務コンサルティング等を行う株式会社ファインディールズを創業。