今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても、平易に読み通せます。
近年「ユーザー・イノベーション」と言われるとおり、顧客の声に耳を傾け、その声をイノベーションにつなげていこうという取り組みが活発です。実践するのは簡単ではないものの、成功している企業には3つの共通点が——。入山ゼミで取り上げられた1本の経営論文の中に、そのヒントがあるようです。
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最先端の世界の経営学に学ぶ
こんにちは、入山章栄です。
今回は、僕の教えている早稲田大学の社会人大学院(ビジネススクール)のゼミで、Business Insider Japan読者のみなさんにシェアしたい面白い学びがあったので、その話をしたいと思います。
いま僕の受け持っているゼミの学生は全部で6人。全員、昼間は日本企業の中堅社員として勤めながら、MBAをとるために社会人大学院に通っている人たちです。
僕のゼミはなかなか厳しくて、海外のトップ学術誌に載っている最先端の経営学の論文を、原文(つまり英語)で読んでもらいます。ただしどの論文を読むかを選ぶのは学生さんのほう。なぜなら、自分が仕事で直面している問題について書かれた論文を読むことで、学んだことと現実が結びつくからです。
いわばアカデミックな理論と実践での経験をぶつけ合うわけで、これを僕は「究極の知の往復」と呼んでいます。今回ご紹介するのも、そういう学生との議論の中で気づいたことです。
顧客の声を聴くだけではダメ
ゼミ生の1人に、あるBtoC企業に勤める方がいます。この方は、「会社のファンをつくるにはどうすればいいか」という問題意識を持っていました。
いま日本の消費財企業はどこも自社のファンを育てようと腐心しています。商品のファンはいても、会社そのもののファンはなかなかいないのが現実です。
この連載の第50回でも取り上げましたが、例えば、花王の洗剤「アタック」という商品には多くのファンがいても、花王という会社のファンがどれだけいるかというと……分からないところですよね(花王さん、名前を挙げて申し訳ありません)。このように会社のファンをつくることは、いまの日本企業に共通した課題なのです。
そこで僕のゼミ生はファンづくりのヒントになるような経営学の最先端論文を探したのですが、残念ながらそういう論文はまだなかった。そこで、「いかにして顧客といい関係性を築くか」をテーマにした論文を探したのです。企業で外部のステークホルダーや顧客といい関係性を持てば、やがて自社のファンになってもらえるかもしれないでしょう。
そこで選んだのが、経営学のトップジャーナルのひとつである『ORGANIZATION SCIENCE』に2011年に掲載された、“Linking Customer Interaction and Innovation:The Mediating Role of New Organizational Practices”(顧客との交流とイノベーション:組織の新しい実践様式の媒介作用(日本語は意訳))という論文です。
この論文の筆者は、ヨーロッパの名門ビジネススクールであるコペンハーゲン・ビジネススクールの著名経営学者であるニコライ・フォスら3人。研究テーマは、「顧客の声をイノベーションに活かすには何が必要か」というものです。
この論文の主張はシンプルです。企業は、顧客の声を聴くだけではダメで、それを成果に活かせる「組織内部の習慣・実践」が不可欠である、というものなのです。
考えてみれば当然ですが、お客さんの声をいくら聴いたところで、打ち出の小槌のようにイノベーションが湧き出てくるはずがない。
もちろん、お客さんの声を聴くことは大事です。例えば最近、「ユーザー・イノベーション」とか「ユーザー・ドリブン・イノベーション」という言葉を耳にした方もいるはずです。
これは顧客の声に真剣に耳を傾け、場合によってはお客さんを巻き込んで、お客さんにアイデアを出してもらう。そのくらい顧客の声を聴いて、イノベーションを生んでいくという考え方のことです。実際、すでにいろいろな企業が世界中でユーザー・イノベーションを実践し始めています。
フォスらの主張はその重要性は認めながらも、「そのために重要なのは、組織内部が顧客の声を活かせるようになっていることである」というものでした。
顧客の声を生かせる3条件とは
言われてみれば当たり前ですよね。このフォスの論文は、タイトルに「Mediating Role(媒介作用、真ん中の役割)」とあります。つまり、顧客の声を生かすには、顧客とプロダクトをつなぐ媒介作用、真ん中が大事だと言っている。つまり顧客の声をひたすら聴くことと、イノベーションを起こすことの間には、つなぎのプロセスがあるのです。それが「顧客の声を活かすための組織の中の課題」ということです。
具体的にフォスらは顧客の声を生かせる組織内部の条件として、
- 現場に権限が徹底的に移譲されている
- 社内の部門間、あるいは上司と部下のあいだのコミュニケーションが活発である
- 社員1人ひとりが情報をシェアすることへのインセンティブがある
という3つを挙げています。順番に説明しましょう。
1. 現場に権限が徹底的に移譲されている
顧客にいちばん近い接点である現場に、可能な限り権限が移譲されていて、裁量権があることです。いうまでもなく顧客の声を聴けるのは現場です。だとすればそこに権限が移譲されていれば、顧客の声も拾いやすいし、それを自社の取り組みに反映させやすいはずです。
2. 社内の部門間、あるいは上司と部下のあいだのコミュニケーションが活発である
現場から上がってきた情報を社内でシェアするには、社内コミュニケーションが活発である必要があります。これは横展開もそうだし、上に上げるという意味でもそうです。
3. 社員1人ひとりが情報をシェアすることへのインセンティブがある
顧客の声を聴いた社員は、それを自分の胸にしまっておきたいこともよくあります。例えば、営業担当者なら自分だけが持っている大事な顧客の情報は同僚に教えたくないものです。メディアの記者なら、自分がつかんだ特ダネにつながる情報は同僚にも内緒にしておきたい。
それをあえてオープンにしてもらうには、「情報をシェアした人には報酬を与える」「顧客の声を知らせてくれた人は、高く評価する」というようなインセンティブづけをする必要があるというわけです。
フォスらは、この3条件が当てはまる企業ほど顧客の声を聴くことで業績を挙げられているかを、デンマークの200社以上の企業にアンケート調査を行い、厳密な統計解析を行うことで検証しました。
その結果、フォスらの主張通り、「この3条件を満たしている企業であれば、顧客との接点を増やせば増やすほど、高い成果を得やすい」という結果が得られたのです。逆に、この組織内部の3条件を満たさないと、顧客の声を聴いても成果にはつながらない、ということです。
3条件が当てはまる日本企業は?
この論文の結果が日本企業にも当てはまるなら、「ただ顧客の声を聴くだけではダメ、組織内部での徹底的な権限委譲、コミュニケーション、情報シェアの動機付けができていなければ、その声は活かせない」ということになります。でも、そのような企業が日本にどれだけあるでしょうか。
実際、この論文を読んだあと、僕と6人のゼミ生は、「この3つの条件を同時に満たす日本の企業はどのくらいいるだろうか」と議論しました。
彼ら彼女らの多くは、「この条件を満たす日本企業はほとんどいないのではないか」という意見でした。僕も同感です。日本の、特に大手企業は残念ながら風通しの悪いところも多いし、何より現場への権限移譲が十分に進んでいない印象です。
そんな中あるゼミ生が突如、
「作業着の『ワークマン』は、この3条件を満たしているんじゃないですか?」
と発言したのです。
「確かにそうだ!僕が気づくべきだった。よくぞ気づいてくれた」と思いました。
ワークマンはいまとても注目の企業ですよね。実は僕は、ワークマンを改革した土屋哲雄専務と何度もお会いしています。そして言われてみれば、ワークマンはこの3条件をばっちり満たしているのです。
まず、ワークマンは自社製品の愛用者を「アンバサダー」と名付け、その声を商品開発に積極的に取り入れていることで有名です。まさに顧客の声を聴いています。
加えて、同社の内部はまさに権限以上が進み、コミュニケーションや情報シェアの文化があります。例えば同社の有名な、現場の人が表計算ソフトのExcelを使ってデータを活用できるところまで指導する「エクセル経営」は、権限委譲の最たるものでしょう。
それに土屋さんは、「人間の言うことなんて、だいたい半分くらいは間違っている。だから経営者である僕の言うことも半分は間違っている。だから僕が間違っていたら、社員のみなさん教えてください」というような人ですから、周囲は安心して何でも言える。結果、社内コミュニケーションは円滑になり、社員が情報シェアをすることもためらわなくなる。
ワークマンの土屋哲雄専務は三井物産で長年のキャリアを培い、定年間近でワークマンへ転身したという異色のキャリア(2020年10月撮影)。
撮影:横山耕太郎
このように、ワークマンは顧客の声を聴きながら、他方で組織内部の権限移譲やコミュニケーションを進めているから、それが成果につながっているのではないでしょうか。結果、同社は機能性ウェアの分野において「ユニクロのライバル」とまで言われるようになってきています。
ちなみに入山ゼミでの議論の中で、ワークマン以外にこの3条件を満たすかもしれない会社として学生から名前が出たのが、無印良品の良品計画とスターバックスコーヒージャパンでした。
確かに良品計画には顧客の声を募って商品企画に生かす「IDEA PARK」というサイトもあるし、「MUJIGRAM」というマニュアルが徹底しているので、おそらく現場スタッフがその場で判断できることも多いはずです。つまり権限移譲や情報シェアの仕組みがあります。
一方のスターバックスコーヒージャパンは、CEOの水口貴文さんが僕の授業に講演に来ていただいたこともあるくらいなので、それなりに存じ上げています。スタバはもともと現場の裁量権が大きいことで知られています。さらに水口さんは社内コミュニケーションを重視されていますし、そういった情報をシェアする文化もつくっている印象です。
最近、スターバックスは手話が共通言語の店舗「サイニングストア」を日本で初めて出店しましたが、このようなイノベーティブな取り組みができるのも、上記の3条件がそろっているからではないでしょうか。
BIJ編集部・常盤
確かにこの3社とも、顧客の声を大事にする会社という印象があります。それにどの会社にも、熱烈なファンがいますね。
そうなんです。今回の論文の主題はユーザー・イノベーションだったのですが、結果としてこれら3社の共通点は、まさにそもそもの目的だった「ファンの多い会社」なんですよ! とすると、この論文の知見は、ファンづくりを目指す企業にも示唆があるのではないでしょうか。
加えて言えば、この3つの会社のもう1つの共通点は、リーダーの物腰がやわらかいことだと思います。
僕は良品計画の松崎暁社長とは面識がありませんが、水口さんも土屋さんも温厚で謙虚な、強権的なリーダーとは違うタイプです。そういう方がトップを務める会社は、権限移譲が進み、社内コミュニケーションが活発になり、情報がシェアされる傾向があるのかもしれない。だからユーザーの声を生かしたイノベーションが起きるのかもしれないし、結果としてファンが多いのかもしれません。
今回、僕たちが読んだのは1つの論文だけですし、これが絶対に正しいということではありません。経営学も科学ですから、さらに追加検証する必要があります。
しかしフォスらの主張を日本の企業に当てはめてみると、実に腑に落ちる結果となったのでした。ぜひ「ファンを増やしたい会社」「顧客の声を活かしたい会社」にお勤めのみなさんは、自社の状況をこの論文の知見に当てはめてみてはいかがでしょうか。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。