今村拓馬
猛烈な台風でも発電できる風力発電技術を開発し、再生可能エネルギーの新しい道筋のために尽力するチャレナジーCEOの清水敦史(41)は、東大大学院を修了して就職が決まった時、「自分はすごろくの“上がり”まで上り詰めた」と感じたという。
その下地には、連載2回目で伝えたように、母子家庭で経済的、精神的に苦労した経験がある。清水は高専から東大工学部に編入後、授業料を免除されていた。生活費はなんとかバイトで稼いだが、いい成績を修めなければ免除が認められず、学校に通えなくなるかもしれないという緊張感が常にあった。
「僕の場合の“上がり”というのは、『周りに追いつきたい』『僕の隣にいる裕福な同級生たちと、同じような生活をしてみたい』という感じでした。子どものころ以上に、周囲の学生とは生きている世界が違ったんです」
起業踏み出す2つの“フラグ”
清水は会社員時代、ブランドものを揃えるバブリーな生活も味わっていた。
「生まれて初めて失う怖さを知った。だって、20年かけて這い上がって、やっと手に入れた生活だったわけですから」
チャレナジーが開発する「垂直軸型マグナス式風力発電機」のコアとなる技術の特許は、2011年の時点で清水が会社員生活の合間に申請している。ただ、特許の登録までに要する時間は通常なら出願から6年程度。審査請求という手続を迅速に行っても、最短で3年程度と言われている。道のりは長い。
清水は納得して起業に踏み出すために、2つの“フラグ”を予め決めておいたという。
一つは、この風車が理論通りに回ることを確認すること。
もう一つは、特許を取得すること。この2つだった。
「2つ条件を決めて、それが揃ったら人生を賭けようと決めたんです。まずはおもちゃみたいな試作機でもいいから、ちゃんと回るかどうか確認しようと。それに、テクノロジーベンチャーなんて、コア技術の特許を持っていなかったら生き残れない。特許ありきだと考えました」
清水が試作機を作り、実際に回ることを確認できたのが2012年。特許が取得できたのは2013年。
「もうこれでフラグが立った、人生を賭けよう」と起業の覚悟を決めた。
特許取得の3カ月後、34歳の誕生日に辞表を出した。
「特許が拒絶査定もなく一発で取れたことに背中を押されたけど、最後の決め手は自分の原点を見つめたことだと思う。成功の象徴だった時計やギターを全て売り払ったら妙にすっきりした。『事業に失敗して全て失ったとしても、元の生活に戻るだけ。僕はもともと失うものはない』と」
ビジコン最優秀賞からの「どん底」
清水は2014年10月に株式会社チャレナジーを創業。3年以上の試行錯誤、自分と向きあった上での決断だった。
チャレナジー公式サイトより
起業の滑り出しは、順調だった。2014年3月、ビジネスプランコンテスト「テックプラングランプリ」で、最優秀賞を獲得する。
「この時は個人として参加していて、まだ会社も製品もなかった。その時点であったのは、2012年に撮影した動画とパッションだけでした」
人の出会いにも恵まれた。このビジコンで、清水は、同イベントの審査委員長だったスタートアップ支援で知られる町工場の浜野製作所の浜野社長と出会い、同社が新たに開設したインキュベーション施設に入居できることになったのだ。さらに、開発のサポートも得られることになった。
「ビジコンでの優勝がきっかけで一気に起業へと加速した。最初にしたのは社名を考えること。チャレンジとエナジーからチャレナジーという社名を考え、ドメインもあっさり取れた」
折しも同時期に、NEDO(国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)が研究開発型ベンチャー支援の事業を立ち上げていた。船出したばかりのチャレナジーも支援を受けられることになった。その開発費で、この風車がどのぐらいの発電効率を出せるのかを、流体シミュレーションの専門家に計算してもらうことにした。
だが、既存のプロペラ風車に近い40%くらいの出力を目指していた清水は愕然とした。計算結果はまさかの0.1%。
「僕が考えた方法は、まさに机上の空論だったわけです」
想定以上に効率が悪かった原因は、2つある円筒の後ろ側に、大きな“渦”ができており、空気抵抗を生んでいた。だが、数字を突きつけられた時点では、そんなメカニズムが働いていたとは知るよしもなかった。
「僕の人生のどん底はこのときなんです。常識的に考えたら、効率がほぼゼロと言われたこの時点で事業を辞めますよね。しかも2014年10月に会社を作って、それから2カ月しか経っていなかった時期ですからねぇ……」
偶然の発見でエネルギー効率330倍
独立してしばらくの間、清水は公民館の体育館の一角を貸し切り、たった一人で研究開発に没頭していた。
提供:清水敦史
しかし清水は、再びどん底から持ち前のハングリーさを発揮する。マグナス力に関する論文やゴルフボールの表面形状を参考に、表面をザラザラにするなどあらゆる方法を試して改良を続けた。
まずは円筒の表面に「プチプチ(梱包材)」を巻いてみる。紙やすりも巻いてみる。携帯電話のデコレーションに使うラインストーンもペタペタ貼ってみる——。
発明王のエジソンは2000個ものフィラメントを試して電球を発明したというが、清水は今思えば、「エジソン的試行錯誤」としか言いようのない、極めて手探りの努力を重ねたという。すると、努力が実って0.1%から0.2%に効率がアップした。だが、段ボールを試したあたりから巻くものがなくなってきた。
そんなある日、風を当てながら回していた円筒に、何気なく手の平を近づけた。風の流れを感じてみようと思ったからだ。すると、マグナス力を計るトルク計の値が振れた。この、トルク計の振れに気づいたことがブレークスルーのきっかけとなった。
清水は最初、何が起きているか分からなかった。測定系に触れて力を加えてしまったのかと思ったが、何度手のひらを近づけても、手の平の代わりに下敷きを近付けても、マグナス力が0になってしまう。試しに、円筒の反対側から同じことをしてみたら、なぜかマグナス力は0にならない。その瞬間に清水は閃いた。「あ、自分は今、『マグナス力を消す方法』を発見したんだ」と。
「マグナス力をどうやって大きくするか、という研究はたくさん行われていたけど、『マグナス力を消す方法』なんて、ほとんど誰も考えなかった。僕自身、半年間もマグナス力を大きくする方法を考え続けていたら、偶然、マグナス力を消す方法を発見した。
実は、垂直マグナス風車の場合、プラスのマグナス力をいかに大きくするか、よりも、マイナスのマグナス力をいかに消すか、の方が重要だったんです」
清水が辿り着いたのは、円筒の近くの特定の位置に板をつけると、風上側のプラスのマグナス力は阻害せず、風下側のマイナスのマグナス力だけを0にでき、風車の効率が跳ね上がるという全く新しいアイデアだった。
このアイデアをもとに、再び発電効率をシミュレーションしたところ、今度は33%という数字が出た。たった一つのアイデアで、垂直マグナス風車の効率は一気に330倍になったわけだ。まさに地獄からの生還と言ってもいいだろう。それも、「エジソン的なアプローチ」でたどり着いた、努力の結晶である。「常識や計算では、このアイデアには絶対にたどり着けなかった」と清水は断言する。
「ブレークスルーになるような本当に新しいアイデアは、後付けで理論ができるんです。僕の発見も、『マグナス効果』を無効化する『清水効果』としていずれ流体力学の教科書に載るかもね(笑)。とにかく、33%という数字が出た時、僕は飛び跳ねましたね」
(▼続きはこちら)
(▼第1回はこちら)
(文・古川雅子、写真・今村拓馬)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。