撮影:今村拓馬
2011年の東日本大震災を契機に独力で風力発電の技術を生み出し、2014年に会社を創立したチャレナジーCEOの清水敦史(41)は、「風力発電にイノベーションを起こし、全人類に安心・安全なエネルギーを供給する」をビジョンに掲げる。その技術を「台風発電」と銘打ち世界に広げ、一貫してエネルギーシフトへの挑戦を続けてきた。
興亡の激しいスタートアップで、開発・普及に賭ける10年という月日は、私たちが思っている以上に長く、険しいものだ。だが、清水の口ぶりは、失敗を語ろうが成功を語ろうが、一貫して楽しげだ。トムソーヤを夢見て船を作り、エジソンを夢見てエンジニアを志した少年時代そのままに、「ものづくりという、自分が一番好きなことをやれている」という思いがあるからだろう。
「ジェームズ・ダイソンは、紙パックが要らないサイクロン掃除機の試作機を5000台も作った。新しいものを生み出す人ってどこかクレイジー。僕だって、発電機の試作で500くらいは作ったかな」
清水がダイソンにシンパシーを感じるのは、誰かに言われたのではなく、あくまでも自分が設けたゴールに向けて、試行錯誤を厭わない姿勢だという。
「ダイソンも、紙パック式掃除機への不満から、紙パックの要らない掃除機を自らの手で作った。僕も、日本で風力発電機が根付かなかったのは、台風ですぐ壊れたりするからだと知ったとき、『じゃあ、日本の環境に合った風力発電を作ればいいじゃん』って考えた」
目指すのは100kW機の実現
2020年8月、台風4号の中、石垣島の実証実験用マグナス風車は最大瞬間風速30.4m/sでも発電し続けた。
チャレナジー 公式チャンネル
そもそも再生可能エネルギーへの転換は、世界共通の課題だ。清水が生み出した「垂直軸型マグナス式風力発電機」の実用化へは、日本にとどまらず世界の需要を見越す必要がある。そのためにも、発電機の大型化が欠かせない。
チャレナジーは最初の1kW機を実現すると、10kW機の開発に入った。2018年に、石垣市で実証試験を開始。2021年には量産化に着手する。10kWと言えば、4〜5家庭分をまかなえる電力に相当する。2025年には100kW機への大型化を目指すという。
発電量を上げようとすると、当然、発電機のサイズ自体も大きくなる。さらに、量産となれば、工場建設のための大きな敷地が要る。エネルギー産業は、もともと投資の大きな事業だけに、一スタートアップのリソースだけでは手に余る。
「僕がこの事業を続けて来られたのも、手を差し伸べてくれる存在がいたから。自分たちのやりたいことを発信すると、日本中のどこかに助けてくれる人がいて、それで僕らも毎回次のステップに進めたわけです」
最初の一歩となる1kW機を作る際、発電機が台風に耐えうるかどうかを確かめるべく、清水が「沖縄で実験したい」とメディアで発信した。すると、その記事を読んだ沖縄の人から清水の元に1本のメールが届く。2015年のことだ。「私は沖縄に土地を持っていて、今は更地になっています。どうぞ使ってください」と。
その後、10kW機での実証が必要になった段階では、チャレナジーの株主でもあるユーグレナが、ベンチャーキャピタルファンド「リアルテックファンド」を通じて出資。さらに石垣島にある自社の研究所の敷地の一部をチャレナジーに貸与した。
リアルな“ブルーオーシャン”戦略
2017年10月、フィリピンの国家電力公社と共同実証について合意、翌年にはフィリピンでの販売を視野に入れ、現地企業と協業に関する合意を締結した。
チャレナジー公式サイトより
点在する島々からなるフィリピン最北部のバタネス諸島は、「台風銀座」と呼ばれる台風の通り道にある。この地で、2021年3月からフィリピンでの実証実験機の建設が始まった。「台風発電」が、いよいよ実装の段階に入るのだ。離島における再生可能エネルギーの「最後の切り札」として期待が集まる。
離島には、大型の太陽光パネルを設置できるような広い土地がない。設置面積が小さくて済み、なおかつ強風でも発電し続ける「台風発電」は、離島のニーズにマッチすると清水は見込んだ。
清水はフィリピンだけでなく、ハワイ、グアム、サイパンといった島嶼地域の需要にも言及する。
「観光地として有名な島嶼地域では、島の規模の割に電力需要が大きいという課題がある。島民以外にも、観光客が大量に電力を使うからなんです。その電力は火力発電で賄われているので、発電コストが高く、観光地化が進んで電力需要が増えるほど環境汚染が進むというジレンマもある。
今後、僕らは5年ぐらいかけて発電機をさらに大型化して、100kWクラスを実現しようと考えています。そうすれば、小さな離島であれば数百kW程度のマイクログリッド(大型発電に頼らないエネルギーの地産地消)により電力が賄えるんです。
世界中に島は無数にあるから、マーケットとして侮れません。ニッチな市場だから、大手企業は手を出さないですし。だから、我々にとって海に浮かぶ島の脱炭素化は、リアルに“ブルーオーシャン”な戦略なんですよ」
水素社会は島国が拓く
水素社会を描く上で、垂直軸型マグナス式風力発電機は重要なピースとなりうる。
提供:チャレナジー
水素社会を島から実現していく—— 。これは、チャレナジーが掲げる目標の一つだ。
2020年10月に菅義偉首相の所信表明演説で、「2050年にCO2の排出量を実質ゼロにする」という宣言がなされ、脱炭素に向けて政財界がにわかに動き出した。数あるクリーンエネルギーの選択肢の中で、燃焼してもCO2を出さない水素は有望株なのだ。自動車、分散型電源、ひいては発電までが化石燃料から水素に置き換わることで、脱炭素社会への推進につながると見られている。
ただし水素社会の実現には、エネルギーサイクルの一番上流にある水素の製造がボトルネックになっている。水素は埋蔵されているエネルギーではなく、化石燃料から取り出すか、水を電気分解する必要がある。
「化石燃料の天然ガスや石炭から水素を作ったり、化石燃料を燃やして得た電力で水素を作ったりするんじゃ、本末転倒でしょう? なんのためのクリーンエネルギーなんだって」
清水はその課題解決にチャレンジできる立ち位置に日本があると考えている。将来的には、日本が水素を輸出できる国になるという未来を描く。
「水素は極端な話、再生可能エネルギーと海水さえあれば無尽蔵に作れる。日本は、その両方で大きなポテンシャルを持っています。例えば島一つを丸々発電所にして、僕らの風力発電機が電気を作り、その電気で海水をひたすら電気分解するんです。昼も夜も、晴れの日も、台風の日も。すると、大量の水素を安く、安定的に供給できるようになるわけです」
台風銀座の日本とフィリピンに世界中から水素タンカーが集まる。台風の脅威に晒されるこの2国が、台風のエネルギーも活用しながら、世界に流通する水素の大きな部分を供給するようになる—— 。そんな未来も、決して絵空事ではないと、清水は力強く語る。
「僕らはカーボン・ニュートラルのその先、『水素社会』の実現を目指している。僕がもしこの話を10年前にしていたら、ただの夢物語です。でも、今世界の潮流は完全に『脱炭素社会』へと向かっていて、その先の『水素社会』も、もはや夢物語ではない。世界のベクトルが我々の目指すものと合致し始めた。僕らが打ち出すストーリーが、届く時代になったんです」
最近、清水が心の拠り所にしている本があるという。アメリカのジャーナリストでピュリッツァー賞作家でもあるリチャード・ローズが書いた『エネルギー400年史:薪から石炭、石油、原子力、再生可能エネルギーまで』だ。
清水が興味を持ったのは、エネルギーの歴史が大きく動くときには、その影で貢献している、名も知れぬエンジニアの存在があるという史実だ。例えば、ジェームズ・ワットの蒸気機関が産業革命の原動力となったという表舞台の歴史は有名だが、ワットよりも先に蒸気機関を発明した人たちがいて、それを改良したのがワットだということも、この本を通じて知ったという。
「どの時代にも、どの技術にも、根っこのところで貢献している人たちがいて、その時代ならではの困りごとに対して、情熱を持って取り組むことで解決している。
例えば交通手段が馬車しかなかった時代には馬糞が大きな社会問題だった。この馬糞危機に対して『馬なし馬車』を作って解決したのが、かのカール・ベンツやヘンリー・フォードですよね。
馬糞危機から100年、現代における馬糞がCO2なわけですが、僕はこの危機を、『羽なし風車』で解決できると信じてるんです」
名もなきエンジニアでいい。人類の歴史に貢献できるような存在になりたいと、清水はいう。
「ひょっとしたら、『エネルギー500年史』には、僕の名前がひっそりと載っているかもしれない」
そう言うと、清水は満面の笑みを浮かべた。その表情を見て確信した。清水が愛用するツナギの下には、体からはみ出さんばかりに膨らむパッションがツナギよりも赤く燃えている、と。
(敬称略・完)
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(文・古川雅子、写真・今村拓馬)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。