脱炭素は、何のために進められているのか。
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「化石燃料に依存している今の文明から抜け出せない限り、温暖化はずっと続く生活習慣病のようなものです」
国立環境研究所で気候変動について研究している江守正多博士は、地球温暖化の進行度合いを生活習慣病にたとえてこう説明する。現在の病状は「深刻」だ。
一方で江守博士は、ここ数年世界で起きている脱炭素化の流れを指し「生活習慣病の治療が始まった」とも話す。
いったい何が世界を脱炭素へと誘ったのか。地球温暖化のこれまでの流れを踏まえつつ、その現在地を江守博士に聞いた。
温暖化の影響は肌で感じられるところにまで迫っている
国立環境研究所の江守正多博士。
オンライン取材時の画面をキャプチャ
2020年、世界のエネルギー起源の二酸化炭素排出量の総計は約315億トン。
新型コロナウイルスのパンデミックによって経済活動が停滞し、二酸化炭素の排出量も大幅に低下した。
とはいえ、大気中の二酸化炭素の平均濃度は、産業革命以前の1750年代と比較すると、依然として5割ほど高い。世界が温暖化対策・脱炭素化に乗り出したとはいえ、これまでに蓄積してきた二酸化炭素が減少するわけではない。
世界のエネルギー由来の温室効果ガスを二酸化炭素の排出量に換算した値の推移。コロナ禍の影響で経済活動が停滞し、2020年の排出量は大幅に減少した。2021年は経済の回復に伴い急増するのではないかと懸念されている。
出典:IEA(国際エネルギー機関)のデータをもとに編集部で作成
地球には、短期的に生じる自然の気候変動と、長期的に生じる気候変動がある。
江守氏は、温暖化の進み具合を理解するうえで重要なのは、世界平均気温などの“長期的”な変化傾向だと指摘する。
ただし、温暖化による気温の上昇と短期的な自然の気候変動による気温の低下が相殺されて、温暖化が停滞しているように見えるときがある。
実際、2000年頃から2014年頃にかけて、地球の平均気温の上昇傾向が鈍化したことから、「温暖化が停滞した」と地球温暖化懐疑論者から指摘されることもあった。
一方で、短期的な気候変動が、温暖化のような長期にわたって地球の平均気温を上昇させる現象と同じ方向に働けば、その分変化は極端に大きくなる。
例えば2018年、日本は「災害級の暑さ」が流行語に選ばれるほどの記録的な猛暑に見舞われた。
東日本の平均気温は観測史上最高の+1.7度。埼玉県熊谷では7月に国内最高気温に当たる41.1度を観測している(2020年には、静岡県浜松市でも同最高気温を記録)。
「(コンピューターを使って)人間の活動によって生じる二酸化炭素の影響を取り除いたシミュレーションをすると、2018年ほどの猛暑は(温暖化という長期的な変動がない場合は)自然に発生する確率がゼロに近いことが分かりました」(江守博士)
対策をしなければ、最大4.8度の気温上昇
2018年7月23日、日本の歴代最高気温である41.1度を記録した。2020年8月には静岡県浜松市でも同最高気温を記錄。温暖化が続けば、この記録をも上回ってしまう見通しだ。(撮影:2018年7月23日、東京)
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気候変動の影響の大きさは、1988年に設立された「国連気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Climate Change 以下、IPCC)」で総合的に評価されてきた。
2013〜2014年にかけて発表されたIPCCの「第5次評価報告書」には、江守博士も執筆者として名を連ねている(2021年7月に、第6次評価報告書が発表される予定)。
第5次評価報告書のハイライトの一つは、温暖化の傾向は疑う余地がないこと、そしてその主な原因が人間活動にある可能性が “極めて高い”と評価されたことだった。
報告書には、温暖化対策の度合いによってパターン分けされた、4つの気温予測が提示されている。このうち、全く対策せずに温室効果ガスを排出し続けた場合、2100年までに世界平均気温が近年に比べて最大で4.8度上昇する見通しだ。
今世紀後半に排出量実質ゼロを目指して対策した場合でも、最大1.7度の上昇が予想されていた。
さらに評価報告書では、社会に大きな被害をもたらす熱波や大雨など、温暖化による極端な現象がすでに増加し始めていることも説明された。
具体的な対策の必要性が叫ばれる中、世界を動かすきっかけとなったのが、2015年に採択されたパリ協定だった。
世界のマインドセットを変えたパリ協定
2019年12月にスペインで行われたCOP25では、各国の環境大臣と積極的に話す小泉大臣の様子が記憶に新しい。
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パリ協定は、2020年以降の気候変動対策のルールを取りまとめたものだ。「平均気温の上昇を(産業革命前を基準に)2度より十分低く保ち、1.5度に抑える努力を追求する」という目標が掲げられた。
「パリ協定によって、世界の認識が大きく変わりました。パリ協定のポイントのひとつは、長期目標を世界で合意したことです。
平均気温の上昇を1.5度以内に抑えるには世界の二酸化炭素排出量を実質ゼロにしなくてはいけません。少し前まではそんな取り組みをしようだなんて考えられないことでした」(江守博士)
さかのぼると、1997年に採択された京都議定書では、先進国に対して「2008年から2012年までの5年間に、温室効果ガスの排出量を1990年対比で少なくとも5%削減する」という目標値が掲げられた。達成できなければ、罰則を科せられる厳しい内容になっていた。
一方、パリ協定では、途上国を含めた全ての国に排出量の削減義務が課されている。削減目標は各国が自主的に宣言できることも特徴だ。しかし、目標設定が不十分であれば、世界各国から対策強化のプレッシャーがかかる場合もある。
2018年夏に世界中で起きた気候変動デモの象徴的存在となったグレタ・トゥンベリさん。彼女の発信力の強さが、現代の若い世代の環境意識を突き動かしたと言っても過言ではない。
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パリ協定に加えて、江守博士は2018年にIPCCが公表した「1.5℃特別報告書」や、グレタ・トゥンベリさんが起こした学校ストライキのムーブメントも、世界の温暖化対策の潮流を大きく変えたのではないかと指摘する。
「その背景に、温暖化に対する科学的な理解が進んだことや異常気象の被害が目に見えるようになってきたこと、再生可能エネルギーが安くなっていったトレンドなども大きかった」(江守博士)
世界的に環境への関心が高まっていたタイミングで、再生可能エネルギーが普及し始め、対策の検討を後押しした形となった。
そして極めつけは、バイデン政権に移行したアメリカが2021年2月にパリ協定へ復帰したこと。
アメリカはトランプ政権時代に、自国の経済を優先する方針で、パリ協定から離脱していた。
江守博士は、
「トランプ前大統領が再選されていたら、人類存続の最後のチャンスが失われるのではないかと思っていました」
と語る。
2021年、ようやく世界の足並みが揃い、脱炭素に向けた流れが大きく加速し始めている。
現実的な目標から大きく踏み出した日本
2020年米大統領選挙でバイデン氏が勝利し、大きな分かれ目となっていたパリ協定復帰は無事に果たされた。
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日本は、パリ協定の目標として、他の先進国と比べて低い値(2030年までに2013年比26%減)を掲げていたために、世界からその見直しを求める声が上がっていた。
IPCCの1.5℃特別報告書では、気温上昇を1.5度までに抑制するには、温室効果ガスの排出量を2030年までに世界で45%削減(2010年比)する必要があるとされている。
それを実現するには、これまで二酸化炭素を大量に排出することで発展してきた先進国が牽引役とならなければならない。
実際、温室効果ガスの排出量の削減目標として、EUは2030年までに55%減(1990年比)、英国は2035年までに78%減(1990年比)を掲げている。
菅首相のカーボンニュートラル宣言は、そういった世界全体の流れも踏まえたものだったと言える。
そして、国内外から日本の排出削減目標の改訂が注目される中、4月22日、政府は2030年までの削減目標を46%に引き上げ、さらに50%へと挑戦する意向を示した。
他国と比較するとまだ目標値は低いが、1.5℃特別報告書を意識した大幅な改訂である。
「 行政による個別対策の積み上げでは簡単に出てこない数字で、政治決断だと思います。これを実現するためには、数字のつじつま合わせに終始するのではなく、社会経済や産業の構造転換を促す政策を大胆に導入する必要があるでしょう 」(江守博士)
何のための「脱炭素」なのか
アメリカでは広大な土地を生かし、風力発電所が次々と設置されている(写真はアイオワ州)。
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先進国では、再エネの導入やEVの普及などを中心に脱炭素に向けた取り組みが進められている。
その上で、江守博士は、2050年までに二酸化炭素の排出量をゼロにする上での大きなポイントは「途上国と新興国が再生可能エネルギーに切り替えられるかどうか」だと話す。
特に、エネルギー需要の増加が見込まれる国が、容易に手に入れることができる化石燃料ではなく、再生可能エネルギーを利用できる世界的な潮流が必要だ。
「遅かれ早かれ、脱炭素は世界の目標になっていたと思います。達成できるかどうかは、やってみないと分かりません。意外とすんなり『再生可能エネルギーの方が安くて良い』『温室効果ガスを排出するのがばからしい』と思えるようになるかもしれませんし、そういう世界を目指しています」(江守博士)
2020年末から年明けにかけて断続的な大雨が続き、ジャカルタでは洪水が発生していた。
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ただし、脱炭素に取り組む上で、本質的な価値観を忘れてはいけないと江守博士は言う。
「世界では『なぜ脱炭素が必要なのか』と、倫理的な議論が行われていますが、そういう議論を日本でしているのはNGOと若者だけではないでしょうか。
日本は外圧を受けて取り組んでいる雰囲気があり、形は同じでも欧米と議論するときに、同じ価値観を持った仲間だと思ってもらえなくなるのではないでしょうか。これでいいのか、と問題意識を感じています」
地球温暖化によって最も被害を受けるのは、これまでの気候変動に加担していない、将来世代や途上国の人々だ。日本を含めた先進国の生活は、彼らの犠牲の上に成り立っている。
脱炭素は、この不公平さを是正するための取り組みだ。