この1年で、私たちの働き方の前提は大きな転換を迎えました。ハイブリッドワークやテレワークも当たり前となり、私たちの働く場所や働き方そのものが多様化しました。
オフィスという物理的空間に集合することで維持されてきた組織内キャリアは、今、大きな曲がり角を迎えています。たとえすぐそこに同僚や上司の働く姿が見えなくても、私たちは「働く」を維持できるということが分かったわけです。
そうなると、企業の側も対応を迫られます。
これまでの個人と企業の関係性は、年功序列、終身雇用、企業別組合という「三種の神器」に象徴される日本型雇用に守られた安定的なものでした。しかしこの安定感は諸刃の剣。あらゆる統計的データからも見てとれるように、組織へのコミットの高さが組織内依存を生み出した結果、社員個人個人の生産性は必ずしも高くないという実態があります。
では企業はどうすべきか。
そもそも働くことが組織の寿命よりも長くなったと言われる今、組織に従属する個人ではなく、組織をリードしていく個人を人材開発していく必要があります。
目の前の変化に柔軟に対応し、自ら率先してビジネススキルをアップデートし、生産性を向上させ、組織としての競争力を高められる人材に育てていかなければなりません。
つまり、これからの企業の人材戦略に求められるのは、社員自らが主体的にキャリア形成していくことを支えるタレントマネジメント(=人材のポテンシャル調整)です。私はこのことを、より端的に「タレントデベロップメント(=人材のポテンシャル最大化)」と呼んでいます。
コロナ禍がもたらした歴史的転換に適合するためには、人事戦略にも抜本的な取り組みが不可欠なのです。
ちなみに、中長期的な企業価値向上を生み出す目的で経済産業省が2020年9月にまとめた報告書(通称「人材版伊藤レポート」)では、これからの企業価値向上と人的資本との関係には下図のような変革が求められると示唆しています。ここにまとめられた問題意識は、先述した私の問題提起とも符合します。
以上の議論を踏まえると、企業がこれから急ピッチで進めるべきは、経営戦略、事業戦略、キャリア戦略の3つを連携させた企業経営です(下図)。
経営戦略の中枢に「人材」を据えて、これまでの人材管理を見つめ直し、新人材戦略を構築する。人材育成は人事部門任せではなく、経営戦略と事業戦略との相乗効果が生まれるような関係をデザインしていく。
こうすることで、従来型の「組織内キャリア形成」促進のための戦略人事ではなく、社員一人ひとりにキャリアオーナーシップを促進させていく、「自律型キャリア形成」を促す経営戦略へと変革させていくわけです。
新人材戦略に対応しない組織を待つ悲劇
これからは社員の主体性を応援していく組織に、企業もトランスフォームしていかなければならないわけですが、逆に、こうした新人材戦略に対応しない(あるいはできない)と、どんなことが起こるのでしょうか。
組織内クローズドマネジメントからキャリア自律型オープンマネジメントにシフトできない企業には、2つの苦境が待っています。
1つは、優秀な人材が入社してこないこと。もう1つは、優秀な人材が流出していくという事態です。すでにそのような兆候は複数の企業で確認されています。
人事担当者が口をそろえておっしゃるのは、若手社員の自律型キャリア志向です。組織の中での昇進や昇格よりも、自らのやりたいことやどうありたいかを大切にしながら働いています。
しかしもっと言ってしまうと、彼らはそもそも就職活動を始める時点で、自ら主体的なキャリア形成ができる職場を選ぶ傾向にあります。副業や社内兼業制度があるかどうか、キャリア開発プログラムがどの程度充実しているかなどを、入社の選択事項に据えているのです。次なるキャリア成長を狙って転職していくことも、若手社員にとっては決してネガティブな意思決定ではありません。
エンゲージメントが低いから辞めていくのではなく、キャリア自律型の制度が整っていないから流出していくのです。逆に、1人ひとりのキャリアオーナーシップを実現していくための総合的なキャリア開発施策に取り組んでいる企業は、生産性も向上し、ひいては競争力も高めています。
キャリア自律型のオープンマネジメントにシフトさせ、社員の主体性を支援していくことが組織へのエンゲージメント向上にもつながる、ということです。
新人材戦略はどこから着手する?
現段階で私が考える新人材戦略とは、個人と組織の関係性よりよくし、両者が持続的に成長し続けるためのチャレンジングな取り組みです。
そして、これらの戦略策定に鍵を握っているのが、経営戦略と人材戦略を橋渡しできるポジションの方々です。
……ではこれを、実際にどこから着手すればいいのでしょうか?
そこで以下に、具体的な取り組みを提案しますね。ポイントは、まず現状課題を分析することで、働く人それぞれに自分自身のキャリアオーナーシップを醸成してもらうことです。
月に2回、もしくは月に1回、キャリア戦略ミーティングの場を設けてください。個々人の主体的なキャリア開発を支援していくために、組織として何に取り組むべきなのかをこの場で検討するのです。全体の見取り図は、次のようになります。
先述のように、経営戦略と事業戦略に加えてキャリア戦略を考えます。そのうえで、社員1人ひとりのキャリア成長にとって何がブレーキとなっているのか、問題点を参加者で抽出するのです。
私が企業研修に登壇する際には、必ずこのワークを入れるようにしています。Zoomでのオンラインセッションでは、チャットに書き込んでもらうようにします。
すると、「業務が専門に応じて縦割り化しており、他部署との連携がうまくいっていない」「オンラインワークになって以降、メールの量が増えて対応に時間がかかる」「キャリアのロールモデルになるような人が周囲にいない」などがブレーキ要因として挙がります。
ブレーキ要因が明確になったら、今度はそれを1つひとつ解決するにはどうしたらよいかを議論していきます。
他部署との連携不足については、社内業務進捗をオープンボード(掲示板)に書き込むなどして、見たい人はいつでも見られる状態にすることで業務の見える化を促すことができそうです。
オンラインワークでは、社内連絡はメールではなく、チャットを用いて形式的なコミュニケーション工数を減らす。キャリアロールモデル不在については、先輩社員の話を聞く機会などを設けて、キャリア展望を具体的にイメージする……というように、それぞれ解決策が浮かびます。
こうした機会を重ねることで、社員は経営戦略、事業戦略、キャリア戦略からなる新人材戦略について、当事者意識を持つようになります。キャリアブレーキの解決に向けて、提案型のリーダーシップを発揮する社員も出てくるようになります。しかも、これらの取り組みに大型の予算獲得や投資は不要です。
キャリアブレーキを外すことで、キャリアアクセルを踏むことができる。ここにこそ、キャリア自律型の働き方があるのです。
組織が人材を囲い込み、ビジネスポテンシャルを抑制するような管理マネジメントは、卒業すべきタイミングを迎えています。そのことに気づいている企業は、すでに新人材戦略を実践していることもまた事実です。
「我が社はまだ」という組織は、ぜひ今すぐにでも着手してください。個人を組織という縛りから解放し、1つひとつの課題に対してダイナミックに取り組むプロティアン(変幻自在)な関係性を築く取り組みはもう、待ったなしです。
(撮影・今村拓馬、編集・常盤亜由子、デザイン・星野美緒)
この連載について
物事が加速度的に変化するニューノーマル。この変化の時代を生きる私たちは、組織に依らず、自律的にキャリアを形成していく必要があります。この連載では、キャリア論が専門の田中研之輔教授と一緒に、ニューノーマル時代に自分らしく働き続けるための思考術を磨いていきます。
連載名にもなっている「プロティアン」の語源は、ギリシア神話に出てくる神プロテウス。変幻自在に姿を変えるプロテウスのように、どんな環境の変化にも適応できる力を身につけましょう。
なお本連載は、田中研之輔著『プロティアン——70歳まで第一線で働き続けるキャリア資本術』を理論的支柱とします。全体像を理解したい方は、読んでみてください。
田中研之輔(たなか・けんのすけ):法政大学教授。専門はキャリア論、組織論。社外取締役・社外顧問を23社歴任。一般社団法人プロティアン・キャリア協会代表理事、UC. Berkeley元客員研究員、University of Melbourne元客員研究員、日本学術振興会特別研究員(SPD東京大学)。著書は『プロティアン』『ビジトレ』等25冊。「日経ビジネス」「日経STYLE」他メディア連載多数。〈経営と社会〉に関する組織エスノグラフィーに取り組む。