Stephen Brashear/Getty Images
マイクロソフトCEOのサティア・ナデラの人生にとって、読書は欠かせないものだ。
ナデラはグローバル企業のCEOの中でもトップクラスの存在感を誇る。そのリーダーシップには定評があり、2020年度の報酬額は4290万ドル(約42億9000万円)にものぼる。
米キャリア情報サイト「コンパラブリー」の2019年ベストCEO、また『フォーチュン』の「2019年を代表するビジネスパーソン」にも選出されている。さらにMarkets Insiderでは、ナデラ率いるマイクロソフトが創業から44年で1兆ドル(約100兆円)を超える企業価値を達成したと紹介している。
そんな輝かしいキャリアを歩むナデラは、「自分のアイデアは読書習慣によるものだ」と言う。
「ファスト・カンパニー」のインタビューでは、次のように話している。
「この本を数ページ、あの本を数ページと読み進めます。もちろん、最初から最後まで読む本もありますが、とにかく本がないと生きていけないんです」
エコノミック・タイムズのインタビューでは、スタンフォード大学の心理学者キャロル・ドゥエックの『マインドセット』を読んだことが、マイクロソフトの文化を変えるきっかけになったと語っている。「何でも学ぶ」マインドセットを取り入れた結果、枠にとらわれずに考えるようになり、やりづらい企業改革も進めやすくなったという。
マイクロソフトCEO就任直後はマーシャル・ローゼンバーグの『非暴力コミュニケーション』を参考にし、役員たちにこの本を読むことをすすめている。ナデラは今までのトップとは違うと経営陣が気づき始めたのは、この頃からだ。
そして現在は、企業がどのように政治に影響を与えるのか、またなぜ企業は社会的な目的を持つべきなのかを理解するために、コリン・メイヤーの『株式会社規範のコペルニクス的転回』を読み、役員たちにすすめている。
そのほか、ナデラの読書に関するエピソードは枚挙に暇がない。
そこで本稿では、仕事と人生に大きく影響を与えたナデラおすすめの11冊を紹介しよう。
T・S・エリオット『Little Gidding』(邦訳:『四つの四重奏』)
Faber and Faber
マイクロソフト勤続22年にしてCEOに就任したナデラは、立場によって風景が違って見えることを説明する際にこの詩の内容を引用している。
「『探求をやめてはいけない。探求し続けた後、また元の場所に戻ってくる。そのときにはまったく違う景色が見えるんだ』という詩は、今の私の状況をそのまま表しているようです。そのことが示す意味を、立場が変わって初めて実感しています」
マーシャル・B・ローゼンバーグ『Nonviolent Communication』(邦訳:『非暴力コミュニケーション』)
PuddleDancer Press
著者のマーシャル・B・ローゼンバーグは国際的な平和推進組織CNVCの設立者で、さまざまな紛争地帯の平和プログラムを立ち上げてきた。本書はその経験と研究の視点を盛り込んだ一冊で、平和的な紛争解決の原則についてまとめている。
タイトルにもなっている「Nonviolent Communication(非暴力コミュニケーション)」とは、共感を持って相手と自分を尊重することを言う。特に興味深いのは、権力を相手に対して上から使うのではなく、自分の力を相手と分け合うという考え方だ。
ナデラはマイクロソフトの経営陣にこの本をすすめている。そのことは、ナデラの期待が前任者のそれとは異なることをよく表している。スティーブ・バルマーがCEOだった頃のマイクロソフトは衝突の多い社風だった。しかし今はトップが非暴力コミュニケーションを推進しているのだ。
キャロル・S・ドゥエック『Mindset: The New Psychology of Success』(邦訳:『マインドセット「やればできる!」の研究』)
Ballantine Books
マインドセットについての研究を一躍有名にした一冊。スタンフォード大学心理学教授で著者のキャロル・S・ドゥエックの研究によれば、教育、交渉、人事評価、モチベーション、国際紛争、他人への偏見など、マインドセットがさまざまな状況で結果を左右するという。
本書は、自分の能力はある場所で止まると考える「硬直マインドセット」ではなく、「自分は吸収し、柔軟で、成長できるのだ」と考える「しなやかマインドセット」を推奨している。
ナデラはこの「しなやかマインドセット」がマイクロソフトを変革するには重要だと述べている。
ダニエル・ジェイムズ・ブラウン『The Boys in the Boat 』(邦訳:『ヒトラーのオリンピックに挑んだ若者たち——ボートに託した夢』)
Penguin Books
マイクロソフトに10年以上勤めていた経験を持つ著者のダニエル・ジェイムズ・ブラウンは、「歴史上の出来事に命を吹き込む」スタイルの作家だ。本書にもそれは当てはまり、1936年のベルリン・オリンピックに出場したワシントン大学ボート部の軌跡を描いている。
ナデラはCEO就任後、経営陣の刷新についてのメールでこの本に触れている。そこには、ボートの「スウィング」、つまりクルーメンバー全員の動きが一体になることで得られるリズムについて記載している。
「私たちが目指すべきは、このボートにおいての『スウィング』を見つけることです。今は会社として、経営陣として、そこを目指している最中なのです」
ロイド・アリグザンダー『The Book of Three』(邦訳:『タランと角の王』)
Macmillan Publishers
ナデラはこの子ども向けファンタジー小説の一節を頻繁に引用する(そのわりには、この本を表立ってすすめることはしないのだが)。
ナデラが特によく引用するのは第1章にある次の場面だ。
主人公タランは豚飼育補佐という自分の仕事への不満を漏らし、王子のような肩書が欲しいと言う。すると預言者ダルベンは「とんでもない」とタランに進言する。その理由をタランが尋ねると、ダルベンは次のように説明する。
「答えを聞いて知るより、答えを探しても見つからないということから、より多くのことを学ぶことができる」
クリス・ハドフィールド『An Astronaut's Guide to Life on Earth』(邦訳:『宇宙飛行士が教える地球の歩き方』)
Back Bay Books
この本は、宇宙飛行士のクリス・ハドフィールドが経験したさまざまな状況について語ることで、宇宙からの視点を読者に与え、私たちの地球での生き方について考え直させてくれる。
ナデラは「すごくいい本だった!」という感想と共に、この本から引用して「ある場所に到着しようとするのではなく、その過程に集中せよ」とツイートしている。
リチャード・ボールドウィン『The Great Convergence』(邦訳:『世界経済——大いなる収斂 ITがもたらす新次元のグローバリゼーション』)
Belknap Press
ジュネーブ国際問題高等研究所教授のリチャード・ボールドウィンは本書で、新たなテクノロジーによりさまざまなアイデアがすぐに世界中に広まるようになると説く。例えば、テレプレゼンスとテレロボティクスが人々の働き方やコミュニケーションを変えると、企業や国家がその対応を迫られることになる。
ナデラはこの本にある「アイデア」と、マイクロソフト ホロレンズのヘッドセットなどの技術に、地理的に離れている者同士のアイデアの共有や協業を可能にするという共通点を見出している。
カール・ポラニー『The Great Transformation』(邦訳:『大転換——市場社会の形成と崩壊』)
Amazon提供
本書は、社会経済思想家のカール・ポラニーがイギリスの市場経済の歴史を振り返り、実在主義の考え方を提唱するものだ。
実在主義とは文化を経済理論に応用するものを言う。その上で、ポラニーは「経済」という言葉には2つの意味があることを紹介する。
1つは「欠乏からの自由」という一般的な定義。もう1つは、社会や世界とやりとりすることで人々がニーズを満たす方法のことを言う。
ナデラは「1944年に出版されたこの本を『大昔に』すすめてきたのは父親だった」と米ビジネス誌『ファスト・カンパニー』で話している。
ロバート・J・ゴードン『The Rise and Fall of American Growth』(邦訳:『アメリカ経済——成長の終焉』)
Princeton University Press
ノースウェスタン大学教授のロバート・ゴードンは本書の中で、過去の産業革命、特にアメリカを現在のアメリカへと変貌させた「大発明」(電気、製薬、現代の衛生環境、通信技術、内燃機関など)の影響に比べれば、現在の「デジタル革命」の影響はとても小さいと解説する。
ナデラはこの本について、開発者向けカンファレンス「Build2018」のスピーチで次のように言及している。
「こんなに大きな変化、機会、激動の時代が今までの歴史にあったかと考えて思い出したのは、3年ほど前に読んだロバート・ゴードンの『アメリカ経済——成長の終焉』という本です。
この本では産業革命をデジタル革命と比較し、産業革命が社会全体にもたらした生産性と成長の変化がいかに驚異的だったかを紹介しています。近年は耳にすることが減りましたが、デジタル技術が生産性の統計に寄与したのはPCのおかげだと言われています」
イアン・グッドフェロー、ヨシュア・ベンジオ、アーロン・カービル『Deep Learning』(邦訳:『深層学習』)
The MIT Press
本書は、現代における最重要技術のひとつ、「機械学習」の教科書とでも呼ぶべき一冊で、著者はこの成長分野のパイオニア3人だ。
ヨシュア・ベンジオは、本書の出版後、マイクロソフトの顧問となった。
イアン・グッドフェローは、現在広く使われているアルゴリズム「GAN(敵対的生成ネットワーク)」の生みの親として知られている。
アーロン・カービルはモントリオール大学のコンピュータサイエンスおよびオペレーション研究部(DIRO)の助教であり、新たな機械学習のモデルや手法も研究している。
テスラCEOのイーロン・マスクとフェイスブックのチーフAIサイエンティストのヤン・ルカンも本書を評価している。
コリン・メイヤー『Prosperity: Better Business Makes the Greater Good』(邦訳:『株式会社規範のコペルニクス的転回——脱株主ファーストの生存戦略』
Oxford University Press
本書は、ビジネスリーダーが自分の仕事を通してどのように変化を起こせるのか、そしてそれが機能不全のシステムを最終的にどう修復できるのかを教えてくれる一冊だ。
ナデラは「本書は企業の中に社会的意義を持つことがどういうことか、あるいは持たない場合に世界にどんな悪影響をもたらすかを教えてくれる」と言う。
本書の教訓は、現在の世界情勢に当てはめることができる。
ナデラは最近タイム誌のエベン・シャピーロに、ジョージ・フロイドの死について、またマイクロソフトがコロナ禍にどう対応しているか、職場における組織的差別にどう取り組んでいるかについて語った。
「社外の社会的な変化を求めるなら、社内の変化も推進しなければなりません。自分たちの内部を見つめ、何を変える必要があるかを直視することで、社内の変化をスタートさせることができます。それがひいてはコミュニティや世界の変化につながっていくのです」
※この記事は2021年5月4日初出です。