JR岡山駅の風景。
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新型コロナの影響で、鉄道の利用客は大きく落ち込み、業界は深刻な打撃を受けている。
西日本旅客鉄道(JR西日本)が4月30日に公表した2021年3月期の通期決算では、過去最大となる2332億円の最終赤字に落ち込んだ。2022年3月期は最終黒字を見込むものの、最終益はわずかに30億円。財務基盤の見直しは急務だ。
そんななか一筋の希望を見出す話題がある。
決算に先立つ4月14日、長谷川一明社長の会見で、AIと過去2年間で収集されたデータを活用して「自動改札機の故障予測プログラム」を開発し、保守管理コストを3割削減したことを公表した。
鉄道会社が自社の持つノウハウにあたる「故障データ」とAIを組み合わせて保守の効率化を進める、というのは実に今風のニュースに見える。
自動改札のメンテナンスの様子。JR西日本管内だけで約3500台。止まらず動かし続けることの維持コストは大きい。
写真提供:JR西日本
今回、改めて注目したいのは、AIによるデータ分析という先進的な取り組みの裏で動いていた、JR西日本独自のデータ分析チームの存在だ。
「鉄道会社のデータ分析チーム」の成り立ちにまつわるエピソードは、実に異例づくしだ。
メンバーはJR西日本の若手社員を中心として、中には元新幹線の運転士もいる。2017年の創設以来、実績を積み上げ、2020年には社長直轄の部署となるなど、組織の動きとして興味深い。
また、データ分析に取り組むパートナー企業は、一般的な大手IT企業ではなく、社員数十名規模のベンチャー。非IT企業の新規部署としては、相当にユニークな成り立ちになっている。
いま、社内に眠るデータ活用に注目する企業は増えている一方、部署の立ち上げが難航する企業も少なくない。JR西日本はどうやってチームづくりを成功させ、実績をつくっていったのか?
データ分析チームのリーダーで、データアナリティクス課長の宮崎祐丞さんとチームのメンバーに、いまJR西日本が取り組む背景を聞く。
「鉄道会社に眠るデータから価値を作る」とは
JR西日本デジタルソリューション本部データアナリティクス課長 宮崎祐丞さん。以前の部署では、労働人口減少や自然災害などの「数十年後の社会」を予測し、想定される課題の解決策の立案を扱ってきた。
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社内初のデータ分析チームを立ち上げた宮崎祐丞さんは、その直前まで、鉄道本部施設部の新幹線保線課担当課長として、新幹線の線路保守における安全性や信頼性の維持向上を担当してきた。
その後、データ分析チームの発足時に責任者として抜擢された。2017年6月のことだった。
一般的に企業内のデータを扱う業務では、知見を多くもつ「SIer(エスアイヤー)」と呼ばれる外部のIT企業に委託することが多い。
当初はJR西日本も例外ではなく、宮崎さんも大手IT企業からの支援を検討していたという。
しかし、結果的にはその選択はしなかった。
データ分析チームの設立にあたっては、データ分析コンペティションサイトの「SIGNATE」が大きな役割を果たしている。
SIGNATEとは、国内のデータサイエンティストの間で有名なプラットフォーム。コンペ形式で腕を競うコンテストを頻繁に開いていることで知られる。
パートナー企業探しに悩んだ宮崎さんは当時、出入りしていたデータ分析のコンソーシアムで紹介されたのをきっかけに、協業するIT企業の技術力をコンペで見定めたいと考えた。そこで、「新幹線の線路における積雪量を予測するコンペ」を開催したのだ。
そのときの意外な副産物が、後の「チームの内製化」につながったというから興味深い。何が起こったのか?
元新幹線の運転士からデータサイエンティストへ
SIGNATEのコンペの結果が集まると、(あらかじめJR西日本社内で告知していたこともあるが)驚くことに大手IT企業のエンジニアに混じって、JR西日本に所属する2名の若手社員が上位に食い込んでいたのだ。
結果として両名は3位と7位という好成績を収めた。
その中の1人が、当時は新幹線の運転士だった兒玉庸平さんだった。
兒玉庸平さん。コンペに応募した当時は新幹線の運転士だった。出身大学は経済学部で、コンピューターサイエンス系出身ではないところもユニークだ。
撮影:編集部
「元々は学生時代に機械学習を学んでいましたが、当時はデータサイエンティストが今のように活躍するとは考えられませんでした。総合職という立場では広い経験を積む必要があり、長く同じ部署にはいられません。新幹線の運転士は1年ほど経験し、指令所にも所属していました。
こうした中で知識を生かして新たな部署で活躍したい気持ちがあり、データ分析コンペに参加しました」(兒玉さん)
社内にデータサイエンティストになれる人材がいる……兒玉さんらの例を起点に、宮崎さんは外部のIT企業に頼るのではなく、社内に眠っているデータサイエンティストの資質を持つ社員達を自らスカウトする、という方針に切り替えた。いわば、未経験の部署を「内製化」でつくるという、大きな方針転換だった。
こうしてデータ分析コンペの上位入賞者や、他部門からの異動を希望する社員が参画し、宮崎さんを含めた4人でデータ分析室がスタートした。
社内浸透のキーワードは「解く、見つける、使わせる」
冒頭で紹介した、自動改札の故障を予測するAIで期待される効果の解説。高確率で故障しそうな部分を予測することで、メンテナンス頻度を適切にし、効率化をはかる。
出典:JR西日本
設立当初は、率直なところ社内からの関心が高いとは言えなかった、と宮崎さんは言う。車両整備、施設管理、電気設備など鉄道業務におけるデータ分析を支援していくなかで、地道に組織の中での「信頼」を得ていった。
一方、社員を中心としたチームのスキルアップにも、独特の試みを取り入れた。
具体的には、パートナー企業として選んだ数十名規模のベンチャー企業GiXo社に社員を出向させ、新たな経験を積む体制をつくった。社外で身につけた知見を社内で共有しながら定着させる狙いだ。
社内の信頼獲得と同時に、分析すべきデータをみつけ、成果も重ねていった。
2019年には、SIGNATEのコンペの成果から着想を得た「新幹線の着雪量予測AIモデル」が、試験運用の最終フェーズに進んでいる。暖冬により検証機会が限定されて時間はかかったものの、2021年冬には実証を終えて、1年後の本運用を目指したい考えだ。
宮崎さんのチームがつくったAI予測モデルの実装概念図。精度高く着雪量予測をすることで、安全で安定した輸送を提供するのが狙い。
出典:JR西日本グループ統合レポート2019より
「鉄道」ビジネスモデルの次を模索する
こうした成果が社内でも評価されたことは、2020年11月に社長直轄の部門として「デジタルソリューション本部」に変わったことにも表れている。
宮崎さんによると、デジタルソリューション本部全体としては、2021年4月時点でデータサイエンティスト、マーケティング・戦略立案担当、ビジネス担当も含めて全体で数十名規模にまで増えたという。
規模の拡大は社長直轄であることも大きいだろうが、意外なことに世界をコロナ禍という未曾有の危機が襲ったことも、大きく影響しているという。
鉄道特有の、距離あたりの乗車人数(輸送人キロという単位で呼ばれる)を追求するビジネスモデルの見直しが迫られる中で、鉄道収入以外の新規事業を生み出しうるデジタルソリューション本部に注目が集まり、「人事異動が受け入れられやすくなった」のだ。
JR西日本デジタルソリューション本部データアナリティクス 隅倉麻子さん。現在はマーケティング・戦略立案を担当。
撮影:編集部
結果として、兒玉さんのようなデータ分析コンペの上位入賞者がさらに増え、またマーケティングや戦略立案などのビジネス職に携わる人材も増えた。
隅倉麻子さんもそんな一人だ。
「以前は支社の収入を管理する部署で、データの資料化と関係各所との調整を通して、社内の意思決定が行われる現場での経験を積みました。
現在はその経験を活かし、事業部門の意思決定をサポートするために、自らデータから仮説を構築する業務を実施しています。
“事業部門に所属しないデータ分析の部隊”として、さまざまな事業部門、グループ会社と接点を持つことに、新鮮なやりがいを感じています」
「予測AIの外販」で収益化狙う、次の挑戦はICOCAの決済データ
JR西日本管内で普及する交通系ICカード「ICOCA」。
出典:JR西日本
現在、データ分析チームの年齢構成は結果的に若手が中心。だが、「若手社員が多いのは事実ですが、年齢はこだわりません。腕に覚えがあれば50代の社員の異動もあり得ます」(宮崎さん)という。
ビジネス面でも、描くビジョンはユニークだ。
まず、冒頭の「自動改札における故障予測AI」。JR西日本は4月14日、このシステムを他の鉄道会社にも展開する意向を発表した。つまり、外販による収益化だ。実際、成果を見てすでに他社からの引き合いが来ている状況だと宮崎さんは言う。
また、新たな領域として分析を進めているのは、決済プラットフォームの「ICOCA」の決済データを分析し、新たな価値を作り出すことだ。
「実際、データを匿名化した上でも、どういう人がどういう動きや購買をしているのか、かなりのことが見えてくる」
宮崎さんは、交通系ICの決済データが生み出す価値に期待を寄せる。
データを持つ者に有利な時代、成否は「企業次第」
撮影:編集部
「これまでは鉄道の利用者数と移動距離が経営指標として重視されました。しかし電車の利用者や本数を増やすには限界があり、コロナ禍で鉄道収入を直接的に増やすことは非常に厳しいです。
そこで我々は、個に着目し、顧客体験の向上を図ることにより、その移動頻度、距離及び購買単価を伸ばし、鉄道のような重厚な資産の効率を上げるとともに、データを基軸とした新規事業となるシード(種)を見つけていきます」
これまでデータサイエンティストの活躍と言えば、メンテナンス作業の効率化などの「コスト削減」に脚光があたりがちだった。
しかし、社内に眠るデータを活用して、新たな利益を生む「宝の山」を見つけ出そうというのは、データ分析の使い方として本質的なアプローチの1つに思える。
JR西日本が保有するさまざまなビッグデータは、鉄道関連だけでなく、ICOCAの利用履歴、小売店やホテルなどの商業施設に加えて、駅ビルやマンションなどの不動産など多岐に渡る。
「データを持つ者が強い」というゲームチェンジの時代に、鉄道会社は実は恵まれた立ち位置にいるのではないか。イノベーションの芽を育てる気風さえあれば、「変化」は目の前だ。
(文・マスクド・アナライズ、編集部)
マスクド・アナライズ:元AIベンチャー社員。 同社退職後は企業におけるAI・データサイエンスの活用支援、人材育成、イベント登壇、執筆活動などを手掛けている。近著に『AI・データ分析プロジェクトのすべて』『未来IT図解 これからのデータサイエンスビジネス』(いずれも共著)がある。