撮影:伊藤圭
「あなたのいばしょ」理事長の大空幸星(22)は出会う人に、しばしばこんな質問をされる。
「その名前、本名ですか?」
大空に幸せの星と、姓と名の統一感があまりにも強いせいだ。本人はあっさり「本名です。両親の離婚で姓が変わって、結果的にいい感じになっただけですけどね」。
大空は人生において、死を思った時に頼れる恩師と出会うという運に救われた。しかし、中には運や奇跡に恵まれず、理不尽な重荷を背負ったまま生きざるを得ない人もいる。そんな社会を変えたい、という思いが、NPO立ち上げの原動力になった。
両親の離婚きっかけで入院
中学1年生で入院した時期は自殺を考えることが何度もあったと言う(写真はイメージです)。
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小学校5年のある日、学校から帰宅すると、朝自分を送り出した母親が消えていた。「もう帰ってこないんだな」と、大空には何となく分かった。母親はそれまでも家を長く空けることがあり、恋しい気持ちはあまりなかったという。
「両親が離婚することは薄々感じ取っていたので、特に泣いたりわめいたりすることもなかったですね」
大空は両親の離婚を、友人たちや教師にことさら話すことはなかった。地方都市で、周囲には離婚をはばかる空気もあった。
「先生はいい人たちではありましたが、助けてくれるとは思えなかったし、助けてとも言えませんでした」
しかし母親がいなくなると、以前から折り合いの悪かった父親との生活に苦しむようになる。殴り合いもしょっちゅうで心のバランスを崩し、6年生になると、学校にも行けなくなった。空腹を感じなくなり、食事や飲み物がのどを通らない。みるみる痩せ細り、中学1年の1学期、とうとう入院することになった。
中学の教師は大空を思いやってか、同級生に見舞いを控えるようくぎを刺した。だが入院中、誰一人見舞いに訪れないことに、大空は「友だちもいなくなったんだな」と感じてしまう。
親も、先生も、友人も、心を開ける人は誰もいない。自宅は高台にあり、庭のフェンスを越えると急な崖になっていた。
「入院の前後は『あそこを超えれば、楽になれる』と、ずっとフェンスをぼーっと見ていました。飛び降りなかったのは、崖は高いし落ちた時に痛そうだしで、単に勇気がなかったからです」
1000円手に定食屋通った中学時代
退院すると東京にいる母親、そして母親の再婚相手と同居するようになった。しかし、母親も再婚相手も多忙で、ほとんど家に帰ってこなかった。
「東京に移ってから、母親とご飯を食べた記憶はありません。中学3年間、一人暮らしみたいなものだったけれど、死を願わなくなった分、以前より楽にはなりました」
学校から帰ると食卓に置いてある1000円を持って、毎晩定食屋に通った。定食屋のおばちゃんは優しく接してくれたし、アルバイトの学生たちは、勉強を教えてもくれた。
「今の子ども食堂みたいなもので、あの場所には救われた」
それでも彼らに、家のことを話そうとは思わなかった。大空少年は大抵、無言で下を向いて定食を食べていた。
後日、店を訪ねた大空は、「おばちゃん」が当時の彼を大学生だと思い込んでいたことを知る。彼女は「中学生がお金を持って、毎日1人で来るとは思わなかった」と語った。
ニュージーランドに留学していた高校時代の大空。この時に身につけた英語力は慶応大進学の際にも役立ったという。
提供:大空幸星
中学を卒業すると、1年間の留学プログラムのある高校に進学した。中1で入院した時、主治医が「治したければ海外に行け」と言ったからだ。
「医師は、環境を変えないと問題は解決しない、と言いたかったのでしょう」
しかし母親が、留学先を決める重要な面談をすっぽかしたことで、校内は大騒ぎに。この時、担任の教師が、大空の家庭の様子に気づいたという。「キミは、普通の家庭の幸せを感じてきなさい」と、ニュージーランドの一般家庭をホストファミリーに選んでくれた。留学費用には、父方の祖母の遺産を充てた。
優しいホストファミリーに囲まれた留学生活は「今思えば、人生で一番、幸せで楽しい時間だったかもしれません」
「死にたい」メールに駆け付けた担任
生活費を稼ぐため、高校生にして夜勤のアルバイトを始めた大空。そのせいで日中はずっと眠かったと言う。
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留学から帰ると、母親は再婚相手と別れて仕事も失い、困窮していた。
親子はエレベーターなしの古いアパートへ引っ越し、大空は夜勤のアルバイトを始めた。通学どころではなかったが、担任の教師は5時間目にやっと学校に顔を出す大空に、笑顔で「よく来たな」と言ってくれた。
精神的にも不安定になった母親にとって、頼れる家族は大空しかいない。しかし東京に来てからほぼネグレクト(育児放棄)状態で、留学費用も出してくれなかった母親に対して「今まで何もしてくれず、自分を捨てたようなものじゃないか」という恨み、憎しみも強かった。
帰国から2カ月後、母親との関係にも困窮生活にも絶望し、担任に「学校をやめます。死にたいと思っています」というメールを送った。
すると翌朝、担任はアパートの前に立っていた。
「先生が心配してくれている、支えてくれるという思いは、どん底にいる自分にとって、すごく大きかった」
大空はこの時から少しずつ、立ち直っていく。学校に再び通うようになり、海外の大学に進学するため奨学金を取ろうと、勉強にも懸命に取り組んだ。奨学金は得たものの、4年間学費を払うめどが立たず留学は断念。慶応大へ進学した。
「僕自身も努力はしましたが、先生に出会えたのは運が良かったから。家庭に問題を抱えた子は、奇跡や運や偶然でしか支えてくれる人と出会えず、出会えなかった人は救われないという現状はおかしい」
自分にとっての先生のように、誰もが問題を抱えた時、頼れる人に確実にアクセスできる仕組みをつくりたい——。大空はそんな思いから「あなたのいばしょ」を立ち上げた。
肝に銘じる「本気の他人事」
撮影:伊藤圭
「あなたのいばしょ」の相談者の中には、大空に似た境遇の子どももいる。
「話を聴いているうちに心が揺さぶられ、今すぐ行って助けてあげたい、と思うこともある。でもそうしちゃいけない」
そんな時に必要なのは「本気の他人事」という心構えだという。
「真剣に、親身に相談に応じるけれど、彼らと自分との間にある、見えない細い線を越えてはいけない。自分の感情や『良かれ』の思いを押し付けてしまうのは、彼らのためにもならないのです」
大空の担任は、悩みを聴くだけでなく勉強に集中するための寮を探したり、一時的にお金を用立ててくれたりと、物心両面で大空を支えてくれた。一方、チャットを通じた相談はその時、苦しみを聴くだけで、児相への通報などを除けば物理的に手を差し伸べることはない。それでも人は救われるのだろうか。
この問いに、大空は次のように答えた。
「傾聴だけで救われるのかという問いに対する、答えはまだありません。ただ確実に言えるのは『もう橋から飛び降ります』とアクセスしてきた人が、最後は『明日も生きてみようと思います』と言ってくれる、そんなケースが無数にあるということです」
連載1回目に登場した女性のように、話を聴いてくれる場所があるという安心感が「当事者にとって明日を、そして明後日を生き抜く糧になる」と、大空は言う。
「それが、僕らの存在意義かなと思います」
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(文・有馬知子、撮影・伊藤圭)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。