「死にたい」から救ってくれた担任。頼れる人との出会いが奇跡や運であってはならない【あなたのいばしょ・大空幸星3】

大空幸星

撮影:伊藤圭

「あなたのいばしょ」理事長の大空幸星(22)は出会う人に、しばしばこんな質問をされる。

「その名前、本名ですか?」

大空に幸せの星と、姓と名の統一感があまりにも強いせいだ。本人はあっさり「本名です。両親の離婚で姓が変わって、結果的にいい感じになっただけですけどね」。

大空は人生において、死を思った時に頼れる恩師と出会うという運に救われた。しかし、中には運や奇跡に恵まれず、理不尽な重荷を背負ったまま生きざるを得ない人もいる。そんな社会を変えたい、という思いが、NPO立ち上げの原動力になった。

両親の離婚きっかけで入院

入院のイメージ

中学1年生で入院した時期は自殺を考えることが何度もあったと言う(写真はイメージです)。

Anchalee Phanmaha / Getty images

小学校5年のある日、学校から帰宅すると、朝自分を送り出した母親が消えていた。「もう帰ってこないんだな」と、大空には何となく分かった。母親はそれまでも家を長く空けることがあり、恋しい気持ちはあまりなかったという。

「両親が離婚することは薄々感じ取っていたので、特に泣いたりわめいたりすることもなかったですね」

大空は両親の離婚を、友人たちや教師にことさら話すことはなかった。地方都市で、周囲には離婚をはばかる空気もあった。

「先生はいい人たちではありましたが、助けてくれるとは思えなかったし、助けてとも言えませんでした」

しかし母親がいなくなると、以前から折り合いの悪かった父親との生活に苦しむようになる。殴り合いもしょっちゅうで心のバランスを崩し、6年生になると、学校にも行けなくなった。空腹を感じなくなり、食事や飲み物がのどを通らない。みるみる痩せ細り、中学1年の1学期、とうとう入院することになった。

中学の教師は大空を思いやってか、同級生に見舞いを控えるようくぎを刺した。だが入院中、誰一人見舞いに訪れないことに、大空は「友だちもいなくなったんだな」と感じてしまう。

親も、先生も、友人も、心を開ける人は誰もいない。自宅は高台にあり、庭のフェンスを越えると急な崖になっていた。

「入院の前後は『あそこを超えれば、楽になれる』と、ずっとフェンスをぼーっと見ていました。飛び降りなかったのは、崖は高いし落ちた時に痛そうだしで、単に勇気がなかったからです」

1000円手に定食屋通った中学時代

退院すると東京にいる母親、そして母親の再婚相手と同居するようになった。しかし、母親も再婚相手も多忙で、ほとんど家に帰ってこなかった。

「東京に移ってから、母親とご飯を食べた記憶はありません。中学3年間、一人暮らしみたいなものだったけれど、死を願わなくなった分、以前より楽にはなりました」

学校から帰ると食卓に置いてある1000円を持って、毎晩定食屋に通った。定食屋のおばちゃんは優しく接してくれたし、アルバイトの学生たちは、勉強を教えてもくれた。

「今の子ども食堂みたいなもので、あの場所には救われた」

それでも彼らに、家のことを話そうとは思わなかった。大空少年は大抵、無言で下を向いて定食を食べていた。

後日、店を訪ねた大空は、「おばちゃん」が当時の彼を大学生だと思い込んでいたことを知る。彼女は「中学生がお金を持って、毎日1人で来るとは思わなかった」と語った。

大空幸星 高校時代

ニュージーランドに留学していた高校時代の大空。この時に身につけた英語力は慶応大進学の際にも役立ったという。

提供:大空幸星

中学を卒業すると、1年間の留学プログラムのある高校に進学した。中1で入院した時、主治医が「治したければ海外に行け」と言ったからだ。

「医師は、環境を変えないと問題は解決しない、と言いたかったのでしょう」

しかし母親が、留学先を決める重要な面談をすっぽかしたことで、校内は大騒ぎに。この時、担任の教師が、大空の家庭の様子に気づいたという。「キミは、普通の家庭の幸せを感じてきなさい」と、ニュージーランドの一般家庭をホストファミリーに選んでくれた。留学費用には、父方の祖母の遺産を充てた。

優しいホストファミリーに囲まれた留学生活は「今思えば、人生で一番、幸せで楽しい時間だったかもしれません」

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