今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても、平易に読み通せます。
日本企業の間でも最近よく耳にするようになった「SDGs」という言葉。しかし先進的な外資系企業の取り組みと比べると、日本企業の多くはかなり後れをとっているようです。その要因は? 入山先生が考察します。
SDGsへの取り組み、日本企業は10年遅れ?
こんにちは、入山章栄です。
今回は、Business Insider Japanの元総括編集長で現在はBIJエグゼクティブ・アドバイザーを務める浜田敬子さんから、こんな質問をいただきました。
浜田
私はいま、ジャーナリストの活動とは別に企業のSDGsに関する調査活動もしています。その一環として、いろいろな企業にSDGsに関して具体的にどんな取り組みをしているかをヒアリングしました。
メガテック企業や投資銀行、世界的な化粧品企業など外資系企業が、専門の担当者を配置したり、非常に具体的な目標を決めたりして気候変動や人権問題、貧困問題に取り組んでいる一方で、日本の大企業のSDGsへの取り組みはまだまだ目標も曖昧で10年くらい遅れているのでは、と感じます。
なぜ日本企業はSDGsに力を入れず、目先の利益を追求してしまうのでしょうか?
なるほど……10年遅れとは厳しいですね。SDGsについてはいろいろな考え方があるので、僕の言うことが絶対の正解ではありません。とはいえ『世界標準の経営理論』を軸にすると、日本企業と欧米企業のこの格差については、次の理由が大きいと理解しています。
それは「主観的な時間軸」の違いです。外資系企業と日本企業とでは、経営における時間軸の捉え方が大きく違う。浜田さんが「日本企業は目先の利益ばかり追求している」と指摘する通り、海外のグローバル企業と呼ばれているところの方が、かなり長期的な視点を持って経営に取り組んでいることが多いのです。
なぜでしょうか。ポイントは、「変化を起こすには時間がかかる」ということです。
これからの時代は、ビジネス環境の変化が激しく、既存事業はすぐに陳腐化していきます。したがって、どの企業もイノベーションを起こして変化しなければ、生き残れません。しかし、イノベーションを起こすには時間がかかる。イノベーションの予算さえつけておけば1年後にすぐに成果が出る、なんてことはあり得ません。
この連載では何度も出てきている理論ですが、イノベーションに不可欠なのは「知の探索」(exploration)です。コツコツと時間をかけて、遠くにある「知」と「知」を組み合わせることを指します。でも、これは目先の収益を追う企業には一見無駄なことに見えてしまう。だから短期的な効率性を重視しすぎる多くの日本企業は、知の探索をやめてしまうのです。
でも、本当にイノベーションを起こすには、コツコツと知の探索を続けて、もがき続けるしかない。それを10年、20年と続けていくと、やがて「あれ、過去にやってきたことが積もり積もって、何か新しいことが生まれたぞ」となることがあるのです。イノベーションを起こすとは、こういうことなのです。
撮影:今村拓馬
このように、イノベーションは一朝一夕には起きません。だから経営者は遠い未来に向かって、他の経営幹部や従業員の目指す方向を一致させながら、時間をかけて知の探索を続けなければならない。ここで重要になるのが、この連載によく出てくる「センスメイキング理論」です。センスメイクというのは、「人が腹落ちする」「腹落ちさせる」という意味ですね。
未来がどうなるかは、誰にも分かりません。それでも会社は20年後、30年後の遠い未来に向かって進まないといけない。ここでリーダーが、ざっくりでもいいから会社の進むべき大まかな方向を示し、それに従業員たちが心の底から腹落ちしていれば、「いまコツコツ投資をしてどれもまだ花開いてはいないけれど、我々のつくりたい未来はこちらなのだから、諦めずに続けよう」となるわけです。
しかし日本の典型的な企業は、総じてこの腹落ち感が弱い。多くの企業では経営者の任期が短いこともあり、遠くの未来への腹落ちしたメッセージを社員に訴え続けない。結果、会社の進むべき方向感に腹落ち感がない。「うちの会社って何のためにあるんだっけ」「どういう方向感で行くんだっけ」ということが、曖昧になったままなのです。
説明が長くなりましたが、この「主観的な時間軸の差」こそ、SDGsに取り組むグローバル企業と、日本企業の差の最大の理由だと僕は思います。
欧米のグローバル企業は20年、30年先の遠くの未来に向けての視野を持ち、その方向感を社員に腹落ちさせながらイノベーションを起こそうとします。他方、そのような長期視点を持たない、あるいは持っているようでも会社全体で腹落ちできていないということが、多くの日本企業に当てはまるのです。
時間軸とSDGsはどうつながっているのか?
では、なぜこの差がSDGへの取り組みの違いになるのでしょうか。ポイントは、「未来は分からない」ということです。
繰り返しですが、未来がどうなるかなんて、誰も正確には予測できません。しかし、そのままだと未来への方向感・眼差しは持てない。でも他方で、未来のことは分からないけれど、「20年後、30年後でも変わらない、おそらくまだ人類に残り続ける課題はある」はずです。だとしたら、その「未来でも変わらないこと」を、我々の未来への眼差しの道標とすればいいはずです。それが、SDGsなのです。
SDGsとは、2015年9月に国連で開かれたサミットで、世界のリーダーによって決められた国際社会共通の目標。
SDGsは気候変動や貧困問題、男女不平等など、世界が解決すべき17の項目を提案しています。これらの中で、来年あたりにすぐに解消できそうなものはひとつもありません。気候変動は残念ながら20年後でも我々の課題であり続ける可能性が高い。貧困問題もそうです。
だとしたら、これらを「遠い未来への眼差し」のひとつとして、それに合わせて未来を想像し、自社はこの課題の解決にどうやったら貢献できるか、そして結果としてそれをどうやったら事業とし、収益化できるかを考えるべきなのです。
これが欧米のグローバル企業がやっていることです。SDGsは目的ではなく、「遠い未来を見据えるための手段」なのです。
ユニリーバCEOの示すビジョンの「腹落ち」感
実際、グローバル企業の優れたリーダーは、以前からこのSDGs的な視点を掲げています。
僕は何年か前、世界的な企業であるユニリーバのグローバルCEOだったポール・ポールマンに、早稲田大学で講演してもらったことがあります。
2009〜2018年までユニリーバのCEOを務めたポール・ポールマン氏(2016年撮影)。
Stephanie Keith/Getty Images
ポール・ポールマンは、ハーバード・ビジネススクールのケースで取り上げられるほどの伝説の経営者。その人に講演してもらえるのだから、彼の生の声を学生たちに伝えたい。だから通訳は入れずに英語で話してもらうことにして、早稲田の学生だけでなく、英語が理解できる学生なら日本中から誰でも聞きにきていい、という公開講座にしました。
当日の会場は、入りきらないほどの大盛況。その多くは海外から東京に来た留学生です。その学生を前にして、ポールマンはこう話の口火を切りました。
「みなさんほとんどは留学生ですね。ということは、親のお金で東京に留学させてもらっているわけです。
でも世界中を見渡してみれば、そんなふうに大学で学べる若者が、いったいどれくらいいるでしょうか? ほんの数パーセントに過ぎないのですよ。世界中の若者の大半が、大学に行きたくても、お金がなくて、国内の大学にすら進学できずにいる。こうしたことを、みなさんはどのくらい認識できていますか?」
僕は驚きました。会場にいた若者たちはみな「ユニリーバのマーケティング戦略」とかが聞けると期待していたのに、いきなりお説教モードで始まったのですから(笑)。
さらにポールマンは、世界中で貧困に苦しむ人がいかに多いか、女性の活躍がいかに妨げられているか、環境問題がいかに深刻か……などを滔々と語りました。話し方は抜群に上手なので、感動して目に涙を浮かべる学生も多かった。
そして最後の5分で、ポールマンはこう語って締めます。
「われわれの祖業は石鹸の製造です。だからわれわれユニリーバは、これから世界の衛生問題を解決していきます!」
会場は割れんばかりの拍手に包まれました。その場にいた全員が彼のファンになったのです。
おそらくポールマンは世界中のユニリーバの現地法人に行って、このような話をしているはずです。だから社内の尊敬を集めていたのでしょう。
もちろん彼は慈善家ではなく経営者ですから、売上などの数字にも厳しいそうです。でも難しい経営判断を下す局面においては、「そうすることでわれわれは本当に世界の衛生問題を解決できるのか」と議論するそうです。やはりいい経営者は、常に長期的ビジョンに立ち返るものなのですね。SDGsとよい経営が調和している、好例ではないでしょうか。
BIJ編集部・常盤
なるほど、SDGsに積極的に取り組んでいる海外の企業には、長期的視点や明確なビジョンがあるんですね。とはいえ日本企業でも、以前と比べれば「SDGsを推進しなければ」という機運は高まっているように感じます。
そうですね、SDGsに取り組む機運は確かに高まっています。でもそれははっきり言って、「投資家からうるさく言われているからやる」という側面があるのではないでしょうか。
なぜ日本企業が長期的ビジョンを持てないかというと、最大の理由は、経営者の任期が短いからです。この連載の第31回でも述べたように、日本企業の社長の任期は短すぎる。2年2期とか3年2期で退くことが分かっている社長に、10年後、20年後のビジョンを持てといっても無理な話です。
僕がこう述べると、「長期政権によって、経営者が独裁化するのはよくないのではないか」という意見が出ます。しかし、そのためにあるのがコーポレートガバナンス(企業統治)なのです。
コーポレートガバナンスの本質は、取締役の過半数を社外取締役にして、いつでも社長をクビにできる体制をつくっておくことです。その代わり、その社長が優秀であれば、10年でも20年でもトップを務めてもらうように応援すべきなのです。
だからこそ、そういった経営者は、長期の未来を見て腹落ちをさせながら、コツコツと知の探索を進められる。逆に言えば、日本企業はガバナンスが効いていないので、優秀な経営者でも長期に任せられない。結果、任期が短く決まっている。こういう会社が、本質的な意味でSDGsやイノベーションに取り組むのは無理です。
だからいまの日本企業では、「SDGsか、やれやれ、また投資家から厄介なのが降ってきた」というニュアンスで受け止められているわけですね。
BIJ編集部・常盤
まるで、先生に怒られるからいやいや勉強する子どもみたいですね。自発的に勉強する意義を見出して、自ら動くところまで至っていない、と。
そうですね。とはいえ日本でも、SDGsが話題になる前から、社会的課題の解決に主体的に取り組んでいる会社はちゃんと存在します。
たとえば僕が理事を務めているコープさっぽろは、今度CSR白書をつくることになりました。そこでSDGsの17項目を調べてみたら、とっくにそのすべてに取り組んでいました(笑)。
コープさっぽろはもともと生活協同組合で、株式会社ですらない。いかに北海道という地域に社会貢献するかしか考えていない組織ですから、誰かに言われなくてもSDGsについては取り組んでいるんですよね。そしてそれらの社会課題の解決のためにさまざまな事業を行い、結果として、現在は北海道でも圧倒的な業績を上げるようになってきています。
他にも、ロート製薬やユニチャーム、ニトリなど、SDGsにそもそも取り組んでいるのは同族企業が多いです。なぜなら同族は(ガバナンスは十分ではないかもしれませんが)、長期視点をとりやすいので、結果、遠い未来のことを経営者や会社全体が真剣に考えるからです。だからこういった会社はイノベーションまでも起こせるのです。実際、これらの企業は様々なイノベーティブな製品を出していますよね。
このように、SDGsとは、それだけを議論するものではありません。いかに長期の未来を見据え、それを腹落ちさせ、コツコツとイノベーションのためのタネを撒いて進んでいくか、その手段と捉えるべきなのです。その差が、欧米のグローバル企業と日本企業の差だと僕は考えています。
(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。