撮影:持田薫
IT分野のジェンダーギャップ解消に取り組む一般社団法人Waffleの田中沙弥果(29)と斎藤明日美(30)の2人が育ってきた環境は対照的だ。田中はこう話す。
「私は中高時代、抑え込まれて育ったという感覚があるんです。でもあすみん(斎藤)は中高時代に女子の能力を開花させる教育を受けている。羨ましいと思いますが、このコロナで少しずつその格差が埋まってきているとも感じます」
オンラインで加速した学ぶ機会の平等
Waffle Campは現在、オンラインで開催されており、首都圏へのリソース集中の緩和に貢献している。
提供:Waffle
Waffle Campの参加者の3分の1は地方からだという。コロナによるオンライン化の加速は世界をフラットにし、学ぶ機会の平等に貢献している。Campに参加した徳島の女子高生は、地元にはプログラミングに興味を持っている同世代の女子がほとんどいなかったが、Campで同じような関心を持つ同世代や、女性エンジニアと出会ったことで、理工系へ進みたいという夢がより身近なものになったという。
2年前まで全く接点のなかった田中と斎藤だが、大学時代、2人とも「貧困」というテーマに関心を持っている。
斎藤は学生時代に読んだ『貧乏人の経済学——もういちど貧困問題を根っこから考える』を通じて開発経済という分野に興味を持つ。著者はマサチューセッツ工科大教授のアビジット・V・バナジーとエステル・デュフロ。2人はノーベル経済学賞の受賞者でもある。斎藤は貧困問題の解決のためにデータ分析を通じて効率よく寄付を投資していく手法に興味を持って、計量経済学と開発経済学を学ぶためにアリゾナ大学大学院に進学した。
一方の田中は志望する薬学部に合格できなかったことから、進路への希望を失っていた。大学時代、唯一興味を持てた授業が、JICA出身者による国際協力と貧困に関する授業だった。いろいろ調べ始めて経済格差の解消には教育が効果的だと感じ、その教授に大学院に進むべきか相談したところ、
「本当に貧困問題を教育で解決したいのだったら、大学院に進んでも何も変えられない。それよりビジネスを学びなさい」
と言われた。
女子中高生約150人参加ピッチコンテスト開催
Waffle 公式チャンネル「Technovation Girls 2021 日本公式ピッチイベント」
田中と斎藤はWaffleの活動を通して、女子中高生やその親たちに、テクノロジーや理系は男性のものだと進路の選択肢から外すのでなく、可能性として考えてもらうこと、さらにITスキルやプログラミングスキルを身につけて、自分の人生を切り開いてほしいと思っている。
だが、毎月開催しているWaffle Campも定員の10人が埋まることはなかなかない。そもそもの関心のある層のパイが小さいのだ。そのパイを増やすために開催したのがTechnovation Girlsというオンラインピッチコンテストだ。
テクノロジーを使って社会課題の解決を、という募集に集まった女子中高生は約150人。
「私たちは今あるプログラミングの世界そのままの女性バージョンをつくりたいとは思っていなくて。ITというツールを掛け合わせれば、いろんな形で社会に還元できることを伝えたいんです。もともとプログラミングやITに興味のある女性は、私たちの活動がなくても自分で始めていると思うので、私たちの使命は興味がない層にいかに興味を持ってもらうか。そのために起業やビジネス、社会課題の解決、SDGsといった切り口でアプローチしていきたい」(斎藤)
実際、2021年4月25日にオンラインで開かれたファイナルピッチに残った10組の選んだテーマは、どれも解決したい課題が明確だった。アプリを使って料理の時短や家事の分担を見える化することで男性の家事進出を促すもの、ヴィーガンのためのレストランマップを作ることで環境問題を考えてもらうもの、レシート整理アプリでは最終的に森林資源の保護まで目指していた。
4カ月間、グーグルや日本マイクロソフト、レノボ・ジャパンの社員らがボランティアでメンターとして伴走したことも大きいだろうが、プログラミング経験ゼロからアプリ開発までやり遂げるだけでなく、途中でユーザー対象者へのインタビューもしてビジネスの可能性、収益性に言及したり、UXやデザインで特に力を入れた部分をアピールしたりするなど、どのプレゼンも聞き応えがあった。
シートベルト、妊婦が想定されなかった過去
テクノロジー分野におけるジェンダーギャップは、女性にとってのサービスの低下にもつながる。
Branislav Nenin / Shutterstock.com
2人がテクノロジー分野におけるジェンダーギャップの解消を目指す背景には、これから社会を変える大きな要素となるデジタル、テクノロジーの設計側に女性が少ないことが、結果的に女性たちが不利益を被ることにつながるという危機感もある。
斎藤はその危機感を語る時に、シートベルトの事例を挙げてくれた。2000年代に入るまで、シートベルトの安全性を確かめる衝突実験のダミー人間は常に男性が想定されていたという。妊婦が初めて想定されたのは2002年。男性ばかりで開発していると、使う側の半数を占める女性のことがすっぽり抜け落ちてしまう、という一例だ。
最近指摘されるようになったのが、音声認識や画像認識などに使われるAIのアルゴリズムにおけるジェンダーバイアスの問題だ。そもそもテクノロジー業界に女性が少ないという現状は、アルゴリズムの設計者側も男性で占めることにつながる。AIが学ぶいわゆる「教師データ」と呼ばれる大量のデータにも男女差があったり、ジェンダーに関する無意識の偏見が含まれたりしていれば、現存するジェンダー格差を複製するどころか増幅させる恐れがある。「女性のための」機能やサービスの優先順位も下がるのではないか。
テクノロジー業界に女性を増やすことは、テクノロジーでジェンダーギャップを修正、解消する可能性にもつながるのだ。
ジェンダー格差と経済格差、同時にアプローチ
女性がテック企業に就職することは、女性全体が経済的に自立することにもつながると2人は指摘する。
撮影:持田薫
新型コロナウイルスは世界中で、とりわけ女性たちの雇用をさらに不安定にさせ、「女性不況」とも呼ばれている。大きな影響を受けた業種、小売りや観光、飲食業界で働くのは主に女性たちで、非正規社員という立場の人も多い。一方で、大幅に業績を拡大させたのはGAFAに代表されるテクノロジー業界だった。
ビジネス系SNSのLinkedInを対象にした調査では、この5年間で雇用が増えている職業のうち、圧倒的に男性が占める割合が大きいのが、Data and AI、Engineering、Cloud Computingの3分野だ。先に発表された世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数で日本は156カ国中120位だったことが深刻に受け止められているが、中でも経済分野が117位と低迷している要因の一つが専門職や技術職に就いている女性の少なさだ(105位)。
これらのデータは、技術職や専門職にならなければ、これから伸びる産業で職に就けないということを意味する。逆に言えば、女性がテクノロジー業界で専門職に就くことができれば、男女の賃金格差や雇用の安定性も改善できるし、何よりも女性自身のキャリアの可能性を大きく広げられる。日本では女性の経済的自立がテクノロジー業界への就職とあまり結び付けられていないが、Waffleの2人はこの問題も指摘している。
「プロミング教育は結局レベルの高い女の子たちだけにやるんでしょ?とよく言われるんです。底辺にいる女の子はどうするの?と。でも私たちはジェンダー格差と経済格差を同じぐらい重要に考えていて、まずは女性の技術者を増やすことでテクノロジー企業での女性管理職やトップが増えていく。その結果、女性たちの雇用や賃金に配慮した企業や社会がつくられていくと思っているんです」(斎藤)
単なるスキルを身につけるだけでなく、搾取されないように自分の「値段」も交渉できるように。教育によってスキルを上げるだけでなく、マインドセットも変えることが2人の目指すゴールだ。
田中はこの春、政府の若者円卓会議のメンバーにも選ばれ、女性に対するIT教育やSTEM教育を政策として推進していく重要性を訴えた。斎藤は企業のジェンダーに関するアドバイザリーボードメンバーとして、ビジネスを通じてジェンダー不平等の解消を提言している。
ジェンダーギャップ120位という日本の現実を変えるのは並大抵なことではない。2人はあまりにも大きいその課題に向かって、歩み出したばかりだ。
(敬称略、完)
(文・浜田敬子、写真・持田薫)