今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても、平易に読み通せます。
リーダーがビジョンを語ることの重要性は、今さら強調するまでもないでしょう。でも意外に知られていないのは、「どんな語り方をすれば、全従業員にブレることなく共通のイメージを持たせられるか」。
この問いに答えてくれる経営論文を、早稲田大学ビジネススクールの入山ゼミで取り上げ議論したそうです。果たしてその中身とは?
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リーダーはどのようにビジョンを語るべきか
こんにちは、入山章栄です。
僕はいま、早稲田大学ビジネススクールという社会人大学院で、多くは大手・中堅企業の社員であるゼミ生たちと、海外のトップ学術誌に掲載された最先端の経営学の論文を読んでは、ゼミ生たちの仕事の現状と突き合わせるということをしています。まさに「抽象と現実の、究極の知の往復」です。
最先端の学術知見と、今ビジネスの最前線で働いている若い社会人の声を突き合わせることで、とても深い学びができるのです。僕も新しい知見や洞察を得ることがよくあります。
この連載の第57回でもこの入山ゼミで学んだことをみなさんにシェアしましたが、今回はその第2弾です。
今回ご紹介するのは、2014年に『Academy of Management Journal』という経営学のトップ学術誌に掲載された“A (Blurry) Vision of the Future: How Leader Rhetoric about Ultimate Goals Influences Performance”という論文です。書いたのは米ペンシルべニア大学のアンドリュー・カートン等の、若手研究者たち。
この論文を一言で言えば、「リーダーは、どのようなに部下にビジョンを語りかけるべきか」を研究した論文です。
この連載で何度も強調しているように、ビジョンは会社にとってとても大事です。「われわれの会社は何のためにあるのか」「どういう未来をつくって、世界に貢献していくのか」といった長期のビジョンを掲げ、それを社員に伝えていくのは、リーダー・経営者にとって最も重要な仕事のひとつです。
社員たちはそのビジョンに共感・納得するからこそ、仕事を頑張れるわけですね。会社の進む未来への「腹落ち」があるから、多少の困難があってもビジョンに向かって一緒に前進していけるのです。
とはいえ、日本の企業の多くはそもそも経営者のビジョンが弱いのも事実です。でも、どの企業にもイノベーションが求められる変化の激しい時代に、大きなビジョンを持って社員を納得させられない会社は淘汰されていくでしょう。
実際、その背景もあってか日本の大手・中堅企業でも、ビジョンを語るトップは増えてきたように思います。ベンチャー業界では、トップがビジョンを語るのはすでに当たり前ですよね。
逆に言えば、欧米などの海外では経営者がビジョンを語るのは当たり前。だからこそ、「リーダーはどのようにビジョンを語ればいいのか」を研究する論文もあるのです。
映像が浮かぶような表現を使うこと
そもそも今回のカートンらの論文以前にも、「リーダーがビジョンを語るときに大事にすべきこと」についての研究はありました。その代表的な研究の主張は、「リーダーがビジョンを語るときは、『イメージ型』の言葉を使うといい」というものです。
イメージ型の言葉とは、聞く人がその頭の中に情景が浮かぶような言葉のことです。なぜなら人間は、抽象的な概念で説明されても、あまりピンとこないからです。でも、その情景が浮かぶような、比喩的な表現を使えば、それを聴いた人は概念ではなく、情景の浮かんだイメージでリーダーの言葉を受け止める。結果として、その言葉に「納得・腹落ち」しやすくなるのです。
例えば「頑張れ」というのは概念ですよね。でも「汗をかけ」と言われたらどうでしょう。皆さんが額を濡らす汗や、体が熱くなる感じがイメージできますよね。
他にも、「根本にある」というよりも「根っこにある」というほうが、ゴツゴツした木の根っこの映像が脳裏に浮かびます。「私たちは新事業を始めました」というよりは、「われわれの事業は、大海原に漕ぎ出した」というほうが、ワクワクした気持ちになるはずです。
BIJ編集部・常盤
それは興味深い。入山先生もこの連載の第39回で、豊かなイメージを想起させる言葉の重要性についてお話しされていましたね。
はい。このようにイメージ型の言葉をリーダーが使うことの重要性は、カートンらの2014年の研究以前にも主張されていました。
では、今回のカートンらの研究が過去の研究と何が違うかというと、一言で言えば、それを会社の経営者(=CEO)に当てはめた、ということです。実は従来の研究は、アメリカの大統領の就任演説のデータを使うなど、同じリーダーではあっても政治家などのデータを使う研究ばかりでした。他方で、経営者が従業員にイメージ型の言葉を使ってビジョンを語ることの重要性を検証した研究はなかったのです。
そこで、カートンたちはアメリカの92の心臓外科を扱う病院を対象としました。民間病院も立派な企業組織であり、そこの経営者は従業員である医師や看護師、さまざまなスタッフたちに、自分たちのビジョンを伝えていく必要があります。実際アメリカでは、ビジョンとバリューがしっかり定めてある病院が多いのです。
カートンらは各病院のビジョンやバリューをテキスト解析し、その内容と病院の業績指標(ROAなど)の間の関係を分析しました。その結果、やはりイメージ型の言葉をビジョンに使う経営者のいる病院ほど、業績が高くなる傾向が示されたのです。
経営者が語る上で重要なもう一つの要素
ただし、カートンらの研究はこれだけでは終わりません。経営者が語る上で重要なのは、ビジョンの他にもう一つあります。
それは「バリュー」です。バリューとは会社の価値観、あるいは行動規範のこと。日本企業ではバリューを重視しないところもありますが、いわゆるグローバル企業はバリューを大変重視します。日本でもベンチャー企業はビジョンとバリューの両方を大事にするところもありますよね。
ビジョンが「われわれはこういう世界をつくりたい」という“動詞”だとすると、バリューは「こんなことを大事にしていきたい」という“形容詞”と言えるでしょう。
例えば、グループウェアの会社であるサイボウズのバリューの一つは、「アホはいいけど、ウソはダメ」というものです。つまり、いろいろなチャレンジをしての失敗(=アホ)は咎めないけれど、その失敗を隠すようなウソは許さない、ということですね。
これくらいシンプルでキャッチーなバリューなら、印象に残るし実行もしやすい。実際、同社の経営者である青野慶久さんにお話をうかがうと、サイボウズはこれを徹底しているようです。
カートンらの2014年の研究は、バリューの語り方も分析しています。そして彼らによると、バリューで重要なのは「バリューそのものの数が少ないこと」だと言うのです。
これは直観的でもありますよね。会社の価値観・バリューは大事ですが、それが多すぎたら我々はそれをいちいち守れません。
撮影:今村拓馬
実際、日本企業でもそういうところは多いのではないでしょうか。もし皆さんの中に伝統的な日本企業に勤める方がいらっしゃったら、勤務先から「うちの会社はこういうことを大事にします」ということが書かれた「〇〇手帳」などを配られたことはないでしょうか。
そこにはバリューが20も30も書いてあるかもしれない。でも、それでは覚えきれませんし、覚えても混乱して、従業員は実行できません。
一方で、「とにかくこれだけは大事にしましょう」というバリューが3つか4つ、せいぜい5つくらいに絞られていてそれに共感できていれば、実行できる。結果、会社の行動規範が揃うことになり、いい意味でみんなが同じ行動をとって、同じビジョンに向かっていけるというわけです。
カートンらの実証研究では、やはりこの仮説を支持する結果が得られました。このように、最新の研究からは、「リーダーが語るべきビジョンではイメージ型の言葉を多用し、他方でバリューの数は少なくすべき」という結論となったのです。
ビジョンとバリューなき組織は衰退する
日本は長い間メンバーシップ型雇用だったので、ビジョンやバリューが明確化されていなくても大きな問題はありませんでした。しかしこれからの時代は雇用が流動化しますし、連載第59回で述べたように、イノベーションを起こすためにはビジョンとバリューが不可欠です。
しっかりしたビジョンとバリューのない会社はやがて弱っていくので、今後はどんな組織でもビジョンとバリューの両方を持つのが当たり前になるでしょう。
結局、企業とは人から成るものですから、そのメンバーが未来のビジョンに腹落ちし、共感したバリューをもとに行動しなければ、うまく機能しません。
その時には、ただビジョンを掲げ、バリューを並べるのではなく、「そのビジョンに情景は浮かぶか」「バリューは本当に大事なものだけに絞れているか」を考えていくことが、このカールトンらの研究からは示唆されるのです。
ちなみに入山ゼミの社会人学生のメンバーも、この結果にはかなり納得していました。他方で自分の所属する会社には、この点で課題が多いと言う人も少なからずいました。皆さんの会社はいかがでしょうか。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。