失業保険が手厚すぎて「働くと損を食う」アメリカ経済“焼け太り”の実態

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アメリカではワクチン接種の進捗、行動制限の緩和を受けて経済の回復が進む。ただ、労働市場については、必ずしも順調とばかりは言えない事態が起きている模様だ。

REUTERS/Mike Blake

金融市場では「インフレ圧力の高まり」が論点としてにわかに注目され始めている。

ワクチン接種と経済活動の正常化が進む状況のもと、アメリカの消費者物価指数(CPI)やインフレ期待など物価にかかわる指標が大きく押し上げられ、不況下の物価上昇(スタグフレーション)を懸念する声も聞こえてくる。

だが、実際のところは、大暴落を記録した前年に比べて原油(エネルギー)価格が上昇しているところに、半導体の供給不足や労働者の職場復帰の遅れなどが重なったことで、生産活動全体が滞って自動車などの価格が一時的に上昇したにすぎない、というのが筆者の考えだ。

つまり、実体経済における需要が爆発的に増えたために物価が高まっているのではなく、供給が想定外に制約されたことが足もとの物価上昇の本質的な原因であり、米連邦準備制度理事会(FRB)もこの状態が長続きするとは考えていない。

少なくとも、金利上げなど金融政策引き締めの理由とされることはないだろう。

FRBの金融政策決定を左右するのは「雇用」

「物価の安定」「雇用の最大化」を責務とするFRBの金融政策を今後動かすものがあるとすれば、それは物価よりも雇用の情勢だろう。

金融政策を決定するFRBの米連邦公開市場委員会(FOMC)が公表した議事要旨(4月27~28日)では、「経済が目標に向かって急回復を続けた場合、量的緩和の段階的縮小(テーパリング)についても協議を始めるのが適切」と一部の委員が発言したことが明らかになり、話題になった。

冒頭に書いたように、物価は一時的な理由で荒れているので、FRBは今後、雇用の状態などから(テーパリングの判断材料となる)「急回復」の度合いをつかもうとするだろう。

前回記事では、コロナショックによるアメリカの雇用喪失量はまだリーマンショック後の最悪期に相当するマイナス820万人程度だと指摘し、この状況が改善されない限り、「雇用の最大化」を責務とするFRBが金融政策の正常化に動くことは難しいと論じた。

また同記事では、今回の不況における雇用の増減ペースは経験則が通じるものでなく、FRBとしては金融政策を決定する上で、感染拡大防止のための行動制限が完全に解除される夏場以降に、雇用が急激に進んでいく可能性があるので、それも実際を見きわめたいはずだと指摘した。

2020年2月の景気の「山」を境として、(雇用状況を示す指標の)非農業部門雇用者数の減少は、現在およそマイナス820万人に達しているが、この8割弱に相当する約620万人は「サービス部門」の雇用者だ【図表1】。

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【図表1】過去12カ月における米雇用統計の状況(2020年3月~2021年4月のデータに基づく)。

出所:Macrobond資料より筆者作成

さらに詳細に見ると、サービス部門のなかでも行動制限の影響を受けやすい「宿泊・飲食」で約223万人、休校・休園措置の影響が大きい「教育・医療」で約83万人の雇用が失われたままであることが目につく。

ただし、アメリカの3月雇用動態調査を見ると、非農業部門雇用者数の「求人件数」は前月比プラス59.7万人の812.3万件。統計開始(2000年12月)以降で最高の数字を叩き出している。

5月7日に発表された4月の雇用統計は市場予想を大幅に下回る伸び(予想97.8万人、発表26.6万人)となったのに、デフレではなくインフレを懸念する見方が強まっているのは、上記の求人件数にみられるような労働需要の裏づけがあるからだ。

5月10日には、米ファストフード大手チポトレ・メキシカン・グリルが従業員をつなぎとめるために平均時給の引き上げを決断したとの報道が出るなど、労働供給の制約が賃金の上昇を招きはじめている兆候もある。

失業保険があるから「復職すると損を食う」

これだけ旺盛な労働需要が存在するにもかかわらず、雇用の量的な回復が進まないのはなぜか。

理由は複数考えられるが、まず思い当たるのは次のようなものだ。

  1. 手厚い失業保険給付の存在
  2. 感染への恐怖感
  3. 就労意欲の低下

なかでも「手厚い失業保険給付」が注目される。

米商務省は5月7日付の声明文で、週300ドルの失業保険上乗せ給付によって、「受給者の4人に1人が、働くより得な状況に置かれている」と指摘し、この給付を打ち切ることが人手不足の解消に寄与するとしている。

前出の3月雇用動態調査では、宿泊や飲食、教育、医療のように雇用が大きく失われた業種についても、求人数が明確に伸びている【図表2】。

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【図表2】非農業部門、宿泊・飲食、教育・医療における求人数の推移。

出所:Macrobond資料より筆者作成

求人数は、行動制限の解除が進むにつれ、ますます増えていくだろう。

これほどの求人があるにもかかわらず雇用が回復しない背景には、米商務省の指摘通り、「復職するほうが損だから」という労働者側の現実があるものと推測される。少なくとも、手厚い失業保険とまったく無関係ということはないだろう。

こうした状況が続くと、雇用の「量」は回復しない(=労働者の職場復帰は進まない)ものの、その一方で「質」にあたる賃金は上昇していく(=企業からの労働需要は高止まりする)ので、金融政策を決定する側が観測を誤りそうだ。

しかし、実際にはFRBはそうした判断はしないだろう。

米商務省は前出の声明文で「包括的なアプローチ」が求められると指摘している。まさにそのように総合的に考えるなら、正常化に向けて量的緩和の段階的縮小が求められているのは、金融政策よりむしろ一部の財政政策なのではないか。

人手不足に起因する悪いインフレ圧力(と、それに伴うモノへのインフレ圧力)が、失業保険給付の見直しによって緩和される可能性があるということは、少なくとも言えるだろう。

※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。

(文:唐鎌大輔


唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。

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