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5月20日、バイデン大統領は「新型コロナウイルス感染症ヘイトクライム法」に署名した。この法によって、連邦・州・地方政府司法機関に申告されたヘイトクライム(憎悪犯罪)を速やかに検討する担当者が司法省に指名される。地方政府や各州の警察がヘイトクライム通報窓口を複数の言語で提供すること、連邦政府が指針を作り公教育キャンペーンを推進することなども含まれている。
背景には、2020年以来アジア系を狙った犯罪の増加があるが、アジア系への差別や偏見自体は新しい話ではない。さまざまな要因が重なって、長い間放置されてきたことが今激化しているという気がする。
アジア系は黒人と違って奴隷にされたこともなく、警察からの暴力の犠牲者になることも少なかった。でも、長年アメリカに住んでいるアジア人の1人として、コロナ前からアメリカにはアジア系に対する偏見や差別はあると感じている。これは、アメリカだけではないと思う。
いきなり街中で殴られる事件相次ぐ
アジア系女性6人を含む8人が亡くなった銃撃事件では、バイデン大統領も現地を訪れ、ヘイトクライムに毅然と対応することを表明した。
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アジア系を狙った犯罪や差別の言動は新型コロナウイルスの感染拡大が始まった2020年初頭から話題になり始めたが、特に今年になって目立っている。
私の住んでいるニューヨークでも2月以降、より頻繁にアジア系が被害を受ける事件を耳にするようになった。ワクチン接種が普及し、人々が外出し始め、接触の機会が増えたこともあると思う。地下鉄や道で唾を吐きかけられた、「Go back to China」と言われたなどという話は身近に聞く。この「中国に帰れ」という言葉からも分かる通り、多くのアメリカ人にとっては、日本人であれベトナム人であれ、みんな自動的に「アジア人=中国人」なのだ。
全米で注目を集めた事件の例をいくつかあげてみよう:
- 海野さん襲撃事件 2020年9月27日、ニューヨークに住むジャズ・ピアニストの海野雅威さんが、地下鉄の駅で8人ほどの若者に暴行を受け、右鎖骨骨折や頭部打撲などの重傷を負った。CNN、ニューヨーク・タイムズなど多くの大手メディアに取り上げられた。
- 2021年2月25日、ワシントン州シアトルで、日本人女性、那須紀子さんが、パートナーの男性(彼はアジア系ではない)と道を歩いていたところ、見知らぬ男から石の入った靴下で顔面を強打された。那須さんは当初、暴行とヘイトクライムを結びつけていなかったが、防犯カメラの映像を見た後、ヘイトクライムだと確信したという。容疑者が近くにいた恋人を避けて、彼女を襲ったからだ。
- 3月16日、ジョージア州アトランタで、21歳の男がマッサージ店を襲撃し、8人を殺害。うち6人がアジア人女性だった。容疑者は自身が性依存症で、誘惑を断つため、性的なサービスを提供する店を襲撃したと述べ、ヘイトクライムを否定した。
- アトランタの事件の翌日、3月17日、サンフランシスコで、76歳の中国系女性が白人男性に突然、顔面を殴打された。彼女は棒を持って犯人を追いかけ、その映像がSNSで拡散された。
- 3月29日、ニューヨークで、65歳のフィリピン系女性が路上でいきなり蹴られ、頭を踏みつけられた。男は「You don't belong here!」(お前はここの人間じゃない!)と怒鳴った。犯行を捉えた防犯カメラの映像が拡散し、容疑者は2日後に逮捕。現場にいたのに助けなかったドアマンは解雇された。
- 5月2日、ニューヨークのタイムズ・スクエア付近でアジア系女性2人が見知らぬ女に襲われ、負傷。女は2人に「マスクを取れ!」と要求した上、ハンマーで複数回襲い掛かった。
- 5月8日、サンフランシスコ中心街の停留所でバスを待っていたアジア系の80代と60代の女性が、55歳の男に襲われた。加害者は、軍用のナイフと見られる凶器で女性たちを躊躇なく切りつけている。
このうち特にアトランタの銃撃事件は、アジア系へのヘイトの深刻さを政治リーダーたちに思い知らせた。バイデン大統領は事件3日後に、現地を訪ねてアジア系指導者らと面談し、「沈黙は加担であり、われわれは加担することはできない」と述べた。3月末には、コロナ対策予算から、アジア系の性犯罪被害者対策に4950万ドル(約53億円)を充てることが発表された。
前政権で容認された人種差別とコロナの影響
トランプ前大統領は当選前から白人至上主義的な考え方を明確にしていた。
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アトランタの事件を受け、ホワイトハウスのサキ報道官は、こう明確に述べた。
「新型コロナを武漢ウイルスと呼ぶなど、前政権による有害な表現の一部がアジア系米国人コミュニティーに対する不正確で不当な認識につながり、それがアジア系米国人への脅威を高めたことに疑問の余地はない」
トランプ前大統領は新型コロナを「Chinese Virus」と呼び、「カンフー」と「フルー(インフルエンザ)」をかけた「カンフルー」という造語も作った。ポンペオ前国務長官も「武漢ウィルス」という言葉を使い、2021年2月23 日 のウォール・ストリート・ジャーナルにも「武漢研究所は世界のリスク」と題した寄稿をしている。
もともとトランプ氏は大統領候補時代から、人種や性別による差別・侮辱を肯定し擁護する言動を繰り返し、その言動は社会に対して差別や偏見を助長する空気を生んだ。
世界中で起きているアジア系ヘイトの波
アジア系には経済的に成功している人も多いことが、アジア系へのヘイトにつながっている部分もある。
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カリフォルニア州立大学サンベルナディーノ校が警察とともにまとめたデータによると、2020年、北米でずば抜けてヘイトの通報が多かったのは、ニューヨークでもロサンゼルスでもなく、バンクーバーだった。
- バンクーバー 98件
- モントリオール 33件
- ニューヨーク 28件
- トロント 15件
- ロサンゼルス 15件
バンクーバーは「アジアの外にある、もっともアジアらしい場所(the most Asian city outside Asia)」と呼ばれるくらい中国系の移民が多い。香港返還前にも多くの人々が移住した。経済的に成功しているアジア系も多く、彼らに他の住民たちが感じていた妬みや疎ましさが、コロナが引き金になって暴力化してもおかしくはない。
国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、コロナ危機を引き金にアジア系ヘイト、反移民、極右化、反ユダヤ主義、反難民といった排斥主義的傾向が激化している国は、北米だけでなく、欧州諸国(イギリス、イタリア、スペイン、ギリシャ、フランス、ドイツなど)に加え、オーストラリア、ケニア、エチオピア、南アフリカ、ブラジルと幅広い。
そしてコロナを反中感情のために使った政治家は、トランプ前大統領やポンペオ前国務長官だけではない。
例えば感染初期に大流行地になったイタリア北部ベネト州知事は、「イタリアは中国よりもウイルスをうまく制御できるだろう。イタリア人は清潔を保つ意識が強いが、中国人はネズミを生きたまま食べるんですよ」と述べた(のちに謝罪)。ブラジルの教育相は、Twitterで中国人を嘲笑し、パンデミックは中国政府の「世界支配計画」の一部であると述べた。
狙われる中国系と女性
コロナで初めてフードバンクを利用する人もいるなど、失業問題が深刻化している。
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この1年余りの経済的にも精神的にも過酷な生活の中で、世界中で多くの人々が家族や仕事、家、健康、精神的安定などさまざまなものを失ってきた。不幸を誰かのせいにしたい、誰かに八つ当たりすることでストレスを発散しようとする人たちが出てくるのはある程度理解できる。その標的となるのが、自分とは異質な「他者」、そして肉体的、立場的に弱い者だ。
アジア系移民は、アメリカで生まれ育ち英語しか喋れない二世や三世でも、外見ゆえにいつまでも「ガイジン」扱いされる。前述のヘイトクライム法案を提出した民主党のメイジー・ヒロノ上院議員(日系アメリカ人)は、NHKとのインタビューで、
「アジア系住民は何世代にもわたってこの国にいる人もいるのに『永遠の外国人』だ」
と述べている。欧州系の白人移民のようにはすんなり「アメリカ人」と認められないのだ。
人権団体「ストップ・AAPI・ヘイト」によれば、2020年3月19日から2021年2月28日の間に約3,800件のAAPI(アジア系および太平洋諸島系のアメリカ人)を標的にしたヘイトクライムの報告がなされたという。その内訳は:
- 「言葉による嫌がらせ」が70%と最も多く、「敬遠」が20%、「身体的暴行」が11%
- 報告者の68%は女性で、26~35歳が30%と最も多く、36~45歳が20%、18~25歳が16%
- 発生場所は、ビジネスの現場(店舗や飲食店などサービス提供を受ける場)が最も多く35.4%、路上が25.3%、オンライン上が10.8%
- 中国系(42%)が最も多く、次いで韓国系(15%)、その他は各10%未満(日系:6.9%)
- 州別では、カリフォルニア州が1691件(全体の45%)と圧倒的に多く、2位ニューヨーク州(517件、約14%)、3位ワシントン州(158件、約4%)
(以上、JETRO『新型コロナ禍でのアジア系への人種差別、カリフォルニア州で報告最多』)
また、カリフォルニア州立大学サンバナディーノ校「憎悪・過激思想研究センター」の調査によると、全米の主要都市で2020年に起きたヘイトクライムは全体では前年比で7%減少したものの、アジア系に対するヘイトクライムは前年比2.5倍にまで跳ね上がっている。
一緒に歩いてくれるボランティア
アメリカにおいて「モデルマイノリティ」とされるアジア系。民族や言語も多岐にわたるなど連帯するにも特有の困難さがある。
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このようにアメリカの都市部に住むアジア系にとっては、ぼーっと外も歩けないという状態が数カ月間続いているが、私は今後もこの状態はしばらく続くだろうと思っている。ただ、そんな中でも、少し希望を持たせてくれる話もある。
3月末、ニューヨークでは「Black and Asian Solidarity March」という、アジア系と黒人のグループが組織した人種差別反対のマーチが行われた。こうした黒人とアジア人の組織的連携は初の試みだというが、今後このような人種の垣根を超えた連帯はもっと当たり前になっていくと感じる。今の流れは「特定の人種の差別に反対」から、「どんな差別も許さない」に発展してきているからだ。
事件の被害者となった人たちへの支援も広がっている。ピアニストの海野さんの友人たちが始めた、治療費を集めるクラウド・ファンディングは約1週間で12万2000ドルを集め、今では30万ドルを超えている。ニューヨークの事件の被害者である65歳の女性には、オンラインで24万ドルの募金が集まった。サンフランシスコで殴られ、犯人を追いかけた76歳の中国系女性には90万ドルもの募金が集まり、それを彼女が地元のアジア系人権支援団体に全額寄付したことでさらに話題となった。
ニューヨークでは、1人での外出が怖いというアジア人のため、一緒に道を歩いてあげるエスコートのボランティア活動が始まっている。1月に発足したSafeWalks NYCという団体には、ボランティアが2000人近くも集まっている。4月にはブルックリンに住む韓国系の女性が、アジア系の老人や女性たちが無料でタクシーに乗れるようにと、2000ドルを寄付。インスタグラムのアカウント(@CafeMaddyCab)で「困っている人は、私の Venmo (ペイメント用アプリ)のアカウントで自由にタクシーに乗ってください」と告知。彼女に賛同する人たちからの寄付が、2日間で約10万ドルに達した。
アメリカ社会が抱える問題の複雑さに絶望しそうになる時も少なくないが、憎悪に満ちた恐ろしいことが起きる時、同時に美しい善意が見られるのもこの国の特徴だ。今回もそれに励まされている。
アジア系差別・偏見の長い歴史
カリフォルニアのマンザナー強制収容所。約1万1000人の日系人が収容された。
Courtesy Ansel Adams/Library of Congress, Prints and Photographs Division, LC-A35-4-M-10/Handout via REUTERS
アジア系への偏見・差別自体は新しい話ではないし、アメリカだけの現象でもない。19世紀後半から20世紀前半の「黄禍論」は、主にアメリカ、カナダ、欧州、オーストラリアなどの白人国家で流行ったアジア人脅威論だ。
この時代、アメリカの「ページ法」(1875年)、「中国人排斥法」(1882年)、カナダの「中国移民法」(1885年)、ニュージーランドの「中国人移民法」(1881年)はじめ、移民数を制限したり人頭税を課すための法律が続々と制定された。1913年には、「カリフォルニア州外国人土地法」が可決され、日本人排斥に使われた。
第二次世界大戦中のアメリカには日系人への激しい差別があった。真珠湾攻撃翌年の1942年2月19日、ルーズベルト大統領の大統領令に従い、日系アメリカ人約12万人が「敵性外国人」として強制収容所に送られた。79年経った2021年2月19日、バイデン大統領は、強制収容を「米国史で最も恥ずべき歴史のひとつ」と非難している。
その後も、日米貿易摩擦時代には「ジャパン・バッシング」があったし、中国の脅威が大きくなっている現在は「反中」がある。
中国はこのまま行けば、早ければ2028年にはアメリカを抜いて世界最大の経済大国になると予測されている。中国が経済的に大きくなるほど、アメリカにおける中国脅威論、中国を敵視するムードは今後も強まるだろう。ホワイトハウスの主が変わっても、連邦議会が超党派で反中であることには変わりない。政治家は常に何が自分の票になるかを考えて行動する。反中が票になる、というこの状況が近い将来変わるとは考えにくい。
これまで連帯してこなかったアジア系
現在盛り上がっている「#StopAsianHate」運動は、アメリカ史上初めてのアジア系による組織的な人権運動と言っていい。背景には世代交代という要因もあるだろうが、#MeToo運動やBlack Lives Matterなど、人権侵害への意識の強まりがあると感じる。「これまで我慢してきたけど、不正義には声をあげていいんだ」と気づいた人たちが少なくないと思うからだ。
アジア系への差別には長い歴史があるのに、なぜアジア系はこれまで連帯してこなかったのか。
一つの理由は、「多様すぎる」ということだろう。アジア系アメリカ人は、約2200万人(全米人口の約6%)と言われるが、その中には50近くの民族が含まれ、話す言語は100以上にのぼると言われている。黒人なら、肌の色で、ヒスパニックはスペイン語という言語で連帯できる。アジア系には、グループを結びつける軸がいまひとつないのだ。
アメリカでは声を上げ、主張しない限り、構ってはもらえない。黒人たちには400年以上にわたり差別と戦い、権利を勝ち取ってきた経験がある。Black Lives Matter運動も、2013年から続いているし、政界、言論界、スポーツ、芸能界でも、発言力のある黒人は多い。アジア人にはそれほどの長い戦いの歴史がないし、影響力ある著名人の数もまだ少ない。
もっと基本的なこととして、これまでアジア系は、「自分はアジア人である」「アジア・コミュニティの一員である」という自覚が薄かったのではないか。私もアメリカに来るまで、自分がアジア人だという意識はほとんどなかった。こちらの学校で、中国人や韓国人、東南アジア、南アジアなどの友人たちと時間を過ごす中で、彼らと自分の似た部分に気が付かされ、だんだん自分はこの人たちと仲間なのだと自覚するようになった。
アジア系への根強いステレオタイプ
蝶々夫人には、日本人女性へのステレオタイプが強く投影されている。
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アジア人に対する偏見に基づいたステレオタイプとしては、男性なら背が低くて、メガネをかけていて無表情。スポーツは不得意。オタクで仕事中毒。あるいは、極端に武術に長けたカンフーマスターのような戯画化されたイメージもある。
女性は従順でおとなしいという先入観と共に、極端に性的な存在として、フェティッシュ化された妄想、現実離れした幻想があり、この妄想の歴史も長い。1875年のアメリカの「ページ法」では、中国や日本「その他のあらゆる東洋の国」の女性が、売春を含む「わいせつでふしだらな目的」のためにアメリカに入国することを禁止していた。
このような歪んだイメージはポピュラーカルチャーの中にも根強く残っている。例えば1983年のデイヴィッド・ボウイの歌「China Girl」は、一部の欧米人男性がもつアジア女性への自分勝手な性的妄想と人種差別的、侮蔑的な先入観を揶揄したものだが、今このPVを見ると、風刺とはいえ唖然とする。オペラの「蝶々夫人」、ミュージカル「ミス・サイゴン」、ハリウッドで映画化された小説「Memoirs of a Geisha」などが描くアジア女性像も、「ページ法」時代のアジア人女性に対する見方の延長線上にあるものだと思う。
David Bowie 公式チャンネル
アメリカでのアジア系の存在感の上昇
アメリカを含む全世界で人気を誇る韓国ボーイズグループ、BTSは、人種差別の問題についても積極的に立場を表明してきた。
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とはいえ、近年になって劇的に変化していると感じる部分もある。
例えば2020年、世界で最も売れたアーティストは韓国のBTS(防弾少年団)だった。彼らは昨年3曲を米Billboardの全米シングルチャートの首位に送ったほか、アルバムとシングルで同時に全米チャート初登場1位を獲得した史上初のグループとなった。今年のグラミー賞にもノミネートされ、今やアメリカで彼らを知らない人はいない大スターだ。
スポーツの世界では、大坂なおみ、松山英樹、NBAで活躍する渡邊雄太、八村塁などがそれぞれの分野で歴史を作り、広く尊敬される存在になっている。
2020年のオスカーでは、韓国映画の「パラサイト」が外国語映画として初めて最優秀作品賞を受賞し注目を浴びた。今年の話題作の一つ「Minari」も、韓国系監督の作品だった。今年のオスカーとゴールデン・グローブで最優秀監督賞をとったのは、北京出身の女性監督クロエ・ジャオ、彼女の作品「Nomadland」もオスカーの最優秀作品賞に選ばれた。韓国人監督による作品がオスカー最優秀作品賞を取った翌年に、今度は中国系監督が同じ賞をとった訳だ。
2018年には、アジア人を主役とする「Crazy Rich Asian」が2億3800万ドルを売り上げ、2010年代でもっともヒットしたロマンティック・コメディという記録をうち立てた。長らく「白人以外が主役の映画は大してヒットしない」と信じられてきたハリウッドでは、歴史的快挙として捉えられた。
昨秋には、中国から生まれた世界的ベストセラーSF小説「三体」を Netflix が映画化するという発表があった。しかも最近の大ヒット作「Game of Thrones」を手がけたチームが製作するという。劉慈欣によるこの小説は、2006年から中国のSF雑誌で連載され、2008年に単行本が出版されたが、マーク・ザッカーバーグ、オバマ元米大統領、ジェームズ・キャメロン監督など数多くの著名人が賛辞をおくり、2015年には翻訳書でアジア圏の作品として初のヒューゴー賞(長編部門)に輝いている。
2020年末に発表された「ニューヨーク・タイムスが選ぶ今年の100冊」に、日本人女性作家4人(川上未映子、柳美里、恩田陸、村田沙耶香)の作品が選ばれたのも新鮮なニュースだった。特に川上未映子さんの作品は、女優のナタリー・ポートマンが絶賛しており、彼女が映画化する可能性もあるのではないかという気がする。
政治においてもアジア系は今後グループとして影響力を増すと予測されている。2020年のPEWの調査によれば、現在アメリカにおいて最も速い勢いで増えている有権者グループはアジア系で、過去20年間に倍以上に増えている。ヒスパニック増えているが、それ以上にアジア系の方が増え幅が大きい。
経済的影響力も強まっていく可能性がある。アメリカでは(非常に大雑把な括り方だが)「アジア系は教育レベルが高く、ホワイトカラーが多い。収入も比較的高い」と思われている。実際、米国勢調査局のデータによると、2010年の時点ですでに、平均世帯収入ではアジア系が白人を上回り、その差はさらに開く傾向を見せている。
BTS、大坂なおみのメッセージ
大坂なおみは2020年、黒人への暴力への抗議として、USオープンでは犠牲者の名前を書いた黒いマスクを身につけた。
Photo by Al Bello/Getty Images
多分野における近年のアジア系の活躍、その功績に対する認知は、アメリカの消費者や社会がいかに多様になってきているかを示している。それと同時に、今起きているヘイトは、アジア系が存在感を増している事実と無関係ではないとも思う。かつては、良くも悪くも顔のない存在だったおとなしいマイノリティが、最近あちこちで目につくようになり、目障りに思う人たちも少なくないのではないだろうか。
例えばBTSは、かつてのビートルズと比較されるまでになっているが、歌って踊れる韓国人男性たちに世界中の女性たちが熱狂するのを苦々しく感じている人たちはいるだろう。ドイツのラジオ局DJが、コールドプレイの曲をカバーしたBTSに対し、「BTSはウイルスだ」と発言したり、チリのお笑い番組がBTSを人種差別的にネタにして炎上したりしている。
松山英樹の快挙も、長らく白人が支配してきたオーガスタという名門クラブでの初のアジア出身者の優勝を喜んでいない人たちはきっといる。残念ながら、今後アジア系がさまざまな分野で活躍するほど、攻撃も強くなっていくだろう。それはアジア系がアメリカ社会の主流派の一部になるために踏まなくてはならないステップなのかもしれない。
BTSはジョージ・フロイド事件の直後、Black Lives Matter 運動のために100万ドルを寄付し、それに応えたファンたちがさらに100万ドルの募金を集めて賞賛を浴びたが、アジア系ヘイト問題についても3月にTwitterで声明を発表した。
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大坂なおみも、3月27日、自身のTwitterとInstagramに下記のようなメッセージを投稿している。
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USオープンの時の大坂の7つのマスクも含め、若い世代のアジア系スターたちは社会正義を我が事として捉え、積極的に発信している。このようなオピニオンリーダー的発言は、アメリカでは各界のスターに期待されるし、その考え方に惹かれてファンが増えたりもする。
企業は社会正義のために声をあげよ
ジョージ・フロイドさんの死から5日後、ナイキは人種差別に対するメッセージビデオを公開した。
Nike 公式チャンネル
ジョージ・フロイド事件後、アメリカ企業はこぞって人種差別に反対するメッセージを打ち出し、人権団体への寄付や人事トレーニングプログラムを発表した。「2025年までに黒人のマネージャーを30%増やします」などと具体的な数値ゴールをトップ自ら宣言した企業も多かった。
アジア系ヘイトに対する企業の反応は、それに比べると地味だが、調べてみると、しっかりやっているところはやっている。私が見たところ目立っていたのは、アップル、マイクロソフト、アマゾンAWS、ナイキなどだ。金融ではJPモルガン、バンク・オブ・アメリカがいち早く「あらゆる差別を許さない」というCEOからのメッセージを発表していた。これらの多くが、BLMに対するメッセージも素早く出していた企業だったのは偶然ではないだろう。
日系企業はBLMの時に比べたらメッセージを発信している企業の数は少なかった。MUFG(三菱UFJフィナンシャル・グループ)、資生堂アメリカ、ソニー・アメリカ社、伊藤忠インターナショナルなどは、自社のSNSアカウントやウェブサイトに人種差別反対のメッセージを掲載したり、社としての行動を宣言したりしていた。外にはメッセージを出していないが、トップから社員向けにメッセージが流れた企業はあったと聞いている。
なぜ人権問題について企業がメッセージを出したり、寄付をしたり、社員のトレーニングや人事改革を宣言したりすることが必要なのか。
まずリスク管理だ。アメリカでは黙っているということは、何も考えていないか、現状を黙認するものと取られてしまう。これだけ社会問題化している人種差別に対して何も行動しなければ、この会社は差別を肯定している(あるいはどうでもいいと思っている)と解釈されるリスクがある。
さらに、SDGsやESG(環境、社会、ガバナンスに対する取組みが、企業の持続的成長のために重要であるという考え方)の潮流もある。今や企業は、雇用方針、従業員の扱い、投資、サプライチェーンに至るあらゆるビジネス活動において、一貫した企業理念に沿った行動をとることを、投資家、従業員、消費者たちから求められている。
黒人差別やアジア系ヘイトのようなセンシティブな社会問題が起きると、日系企業のみならず、アメリカにいる外国企業は確かに戸惑うとは思う。自分たちはアメリカという国の歴史を本当には分かっていないし、余所者だし、発言する権利などないのではないかと。それでも私は、少なくとも社員や株主に向けては、トップ(人事担当者などではなく)が企業としての姿勢、価値観をしっかり伝えていくべきだと思う。
コツもある。一つは、素早くやること。日本人の場合、全方位に気を使いすぎ、何をいうべきか慎重に検討しているうちにタイミングを逃す。こういうメッセージは、タイムリーに出さないとインパクトが半減する。
もう一つは、英語で言うところの「Over-communicate」だ。日本語にするなら、「コミュニケーションしすぎるくらいでちょうどいい」とでも言おうか。アメリカ人のスタッフは、難しい局面において自分の言葉で率直に思いを伝えてくれるリーダーを高く評価する傾向が強い。フロイド氏事件後に話した在米日系企業のトップの中には、「何を言っていいか分からなかったので、ごくシンプルなメッセージにしたのだけど、アメリカ人スタッフからものすごく感激されて驚いた」という人たちが何人かいた。完璧でなくても、伝わる言葉で伝えればいい。完璧であろうとして、あるいは「こんなことわざわざ言わなくても分かるだろう」と黙ってしまうのが一番良くない。
こういう話をすると、日本の人からは、「ブランディングのためにやっているのがミエミエで、偽善的だ」という意見も聞く。それでも私は、「偽善だからやらない」よりは、「偽善でもやる」方がずっと良いと思っている。やっているうちに中身がついてくることもあるし、究極的にはそちらの方が世の中のためにはなるからだ。偽善を批判するのは潔癖かもしれないが、このような批判は、何かをやらないための単なる言い訳に使われている場合も多いと思う。偽善でも、例えば慈善事業の受け手からすれば、行動してくれる人の方が、しない人よりははるかにありがたい。
また、「弱者を守り、支えていこう」とか「あらゆる差別をなくしていこう」ということは、偽善でも綺麗事でもなく、ごく当たり前のことなのではないかとも思う。
「ヒーロー願望」が強く、正義の味方が賞賛されるアメリカ社会と比べると、日本では、理想主義や正義の味方に対するシニシズムを感じる。そういうことを大声で言うのはアホらしい、世の中分かってない……というようなシニカルな姿勢。理想主義的なことを言った人をむしろ冷やかすような態度だ。でも日本も、正義や理想を、もっとみんなが当たり前に主張できる社会になってほしい。
目下のアジア系ヘイトに対して、多くのグローバルな日本企業の対応は、現地従業員の安全保護で終わっていると聞く。もちろんそれも大事だが、企業が真にグローバルなブランドとして、同時にその地に根ざした法人として、現地の人たちと共に仕事をしていこうとするのであれば、もう少し広い意味での企業責任を自らに問うべきではないか。社会正義のために企業として何ができるのか。自分たちはそもそも何を達成するために仕事をしているのか。今日の、また次世代の消費者、投資家、従業員たちは、それも含めて企業の価値であるということを知っている。
(文・渡邊裕子)
渡邊裕子:ニューヨーク在住。ハーバード大学ケネディ・スクール大学院修了。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで各種シンポジウム、人物交流などを企画運営。地政学リスク分析の米コンサルティング会社ユーラシア・グループで日本担当ディレクターを務める。2017年7月退社、11月までアドバイザー。約1年間の自主休業(サバティカル)を経て、2019年、中東北アフリカ諸国の政治情勢がビジネスに与える影響の分析を専門とするコンサルティング会社、HSWジャパンを設立。複数の企業の日本戦略アドバイザー、執筆活動も行う。Twitterは YukoWatanabe @ywny