ベビーシッターマッチングサービスの「キッズライン」が、内閣府補助金対象を更新、金額は2倍になった。昨年度が不祥事が続いていたが……
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ベビーシッターマッチングのキッズラインが、2021年度も内閣府補助金対象として認可を更新されたことが6月1日、明らかになった。2021年度から内閣府の当該補助金は、これまでの1回あたり2200円から4400円に倍増される。
キッズラインは2020年度に児童に対するわいせつ容疑でシッター2人の逮捕者を出し、201人のシッターが児童福祉法で義務付けられている自治体への届け出を提出しないまま、2020年度までの内閣府の補助金対象となっていた。
これまでの不祥事に対し厳しい意見はあるのは事実だ。とはいえ、補助金対象として金額ベースで最大の保育の受け皿になってきたことから、補助金の利用者への影響が考慮されたとみられる。内閣府の担当者は3月の時点で筆者の取材に対し「過去に重要な問題があったとしても、それが改善されているかどうかで更新が判断される」と話していた。
内閣府は補助金事業の運営主体である全国保育サービス協会の体制を強化し、キッズラインを継続的に点検する。第三者で構成された審査委員会の名称を「審査・点検委員会」とした上で増員するほか、マッチング型の指導・監査をする専門職員を選任するという2種類の方法で、特にキッズラインについて注視していくという。
浮上した3つの論点
いまや、ベビーシッターは補助金対象となることで国の施策の一部となっている。補助金が増額されることで子育ての負担を家庭内にとどめず、社会化することで利用者は助かる。
しかし、一方でキッズラインが起こした一連の不祥事は、国の施策の一部であっても、必ずしも運営の体制が十全ではなく、質の保証はないことを浮き彫りにした。
最初の事件発覚から1年が経とうとしているが、キッズラインの一連の不祥事が日本の子育て政策に問いかけるものは多い。
まず、そもそもベビーシッター自体にリスクがあるのではないかという論点がある。次に、ベビーシッターは必要だとしても、マッチング型に無理があるのではないかという論点。そして、上場を目指すような営利企業にこの領域、広く言えば「福祉」を任せることの是非だ。
この1年で浮上してきたこれらの論点に答えていきたい。
論点1:ベビーシッターはそもそもリスク?
まず、ベビーシッターそのものに内在するリスクについて。1対1での密室保育が、集団保育よりも高いことは否定できない。
自治体の中には待機児童対策としてシッター補助を出しているケースもあるが、行政としてはできるだけ質を担保した集団保育を整備してもらいたい。
しかし、多児世帯のサポートや、病児保育的な役割など、ベビーシッターにしかできない役割があることも事実だ。
親がシッターに任せっきりになるような長時間労働の見直し、在宅勤務などとも連動させながら、リスクを踏まえたうえでシッターの活用の方法を考えていく必要があるだろう。
論点2: マッチング型シッターは成立するか?
子どもの命を預かる領域に、リスクを残して良いのだろうか?そんなサービスを補助金対象にすることは、正しいのだろうか?
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次に、マッチング型をめぐる議論がある。CtoCと呼ばれるマッチングプラットフォームは、あくまでユーザーとサービス提供者をマッチングする場に位置づけられる。
それゆえ、プラットフォーム運営会社がサービスに対する責任を直接は取らない。運営会社による、サービス提供者への審査や教育は直接契約や雇用に比べれば簡易で、ゆえに運営会社側のコストを抑えることができ、利益を上げられるモデルだ。
このモデルでは、一定のリスクをはらむからこそ、各領域のプラットフォーム運営企業が評価システムやトラブルを察知するためのテクノロジーに力を入れて信頼システムを作ろうとしている。しかし、それがキッズラインでは機能していなかった。
ここには個社の問題もあるが、構造的な問題もある。
そもそも子どもの命を預かる領域では「一定のリスク」があるということを前提にしていいのか。もちろん、どんな形態であれリスクをゼロにすることは難しい。しかし、少なくともリスクを限りなくゼロに近づける努力は必要だ。
その努力は審査や教育にコストをかけることで実現するはずだが、マッチング型は審査や教育を簡略化することで手数料の大半を自社の利益にすることができる構造になっている。
国の保育事業の一環としてみると、果たして、そのように審査や教育にお金をかけない企業に補助金を出すべきだろうか。逆に言えば、審査や教育にコストをかけている企業、すなわちやはり基本的には自社サービスに責任をとる覚悟のある企業に補助金を限るべきではないのか。
今回の一連の事件を受けて、補助金事業の要綱に監視カメラ導入促進が明記されるなどして、マッチング型への規制は強化されている。
また、内閣府補助金事業としてもキッズラインへの監視は強めるという。とはいえ、さらなる法制度の整備により、マッチング形式に対しても、事業者に法的責任を求めていくような仕組みが必要ではないか。
論点3:営利企業とその社会的責任
社会的責任を果たすためには、利益創出はできないのだろうか?ESG投資が力を増す中、社会性のない事業は将来性が無くなってきた。
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最後に、そもそも営利企業が子育て領域など福祉分野に関わっていくべきかという論点がある。
筆者は子育て事業を公的機関のみに任せる世界が理想とは思わない。現実問題として、従来、公的な制度であるファミリーサポートセンターやシルバー人材センター、保育ママ制度があっても使い勝手が悪く、必要なときのサポートに応え切れていないという経緯があるからだ。
キッズラインが親たちの支持を得たのは、多くの地域で即日シッターを手配できる、そのマッチングのしやすさであり、量的拡大を急いだ経沢社長の戦略は理解できる点もある。ベビーシッターを使うという選択肢を日本社会に広めるうえで、キッズラインが貢献した面はある。
しかし、子どもの命を預かる保育の領域で、利益を出すことと質の担保をすることは両立しえるのかという問題には、キッズライン問題は禍根を残した。
経沢社長は筆者の取材に対し、「コンプライアンス第一ではなかった」とも発言している。昨今、資本主義の限界論も議論されている中、やはり保育のような領域は市場の論理では解決できないのだろうか。
「ニュー資本主義」への移行が起きている
この論点について考える上では、ESG投資の流れが参考になる。
ESGとは、環境、社会、統治の頭文字を取ったもので、近年はこれらに配慮をしている企業に投資をする動きが活発化している。
2000年代前半にもSRI(社会的責任投資)という概念はあったが、一部のエコファンドなどが取り組んでいる「儲からないもの」というイメージが強かった。しかし、リーマンショックを契機に、社会的責任を無視した企業活動のリスクが一気に表出した。
『ESG思考』の著者、夫馬賢治氏はESGに配慮をしていたら利益が上がらないという考え方を「オールド資本主義」と呼ぶ。一方で現在は年金運用などを行う大口投資家である機関投資家が「ESGに配慮しないと利益が上がらない」という「ニュー資本主義」に移行していると指摘する。
欧米に比べれば遅れをとっていた日本ではあるが、最大の機関投資家であるGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)もいまやESG投資に舵を切っている。
この考え方を前提とすれば、利益を出すためにも企業は環境破壊をしていないか、利用者を欺いていないか、働き手を搾取していないか、ガバナンスが効いているか……。ESGヘの配慮を意識していく必要がある。
ESGに象徴される、公易と利益は相反しないという考え方で営利企業が運営しながらも良いサービスが提供される世界は、決して非現実的とは言い切れない。
ユーザーが声を上げることの重要性
政府やステークホルダーが監視するのはもちろん、利用者も大きな役割を担っている。
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公益と企業利益が両立する社会を構想する上で、必須となるのが「ステークホルダーが目を光らせておく」ことだ。ESGの考え方がもっと浸透すれば、非上場企業についても、融資をする銀行やベンチャーキャピタルが投融資先のリスクを踏まえざるを得なくなる可能性がある。
また、今回は国の保育政策の一部でありながら、厚生労働省の直轄ではなく、補助金を出す内閣府も介入手法が限られ 、抜け穴ができてしまっていた。こども庁が議論される中で、企業にある程度任せつつも、行政も、押さえるべき点については介入していく方法について、きちんと議論をしてほしい。
それでもなお、金融機関や投資家、行政がすべてを見抜けるとは限らない。そこで大事になってくるのは、利用者が声を上げていくことだ。企業そのものには握りつぶされてしまう声が明確に行政や投融資元に届くことは、企業活動を改善していくうえで、不可欠だ。
行政、利用者、投融資する立場も、様々なステークホルダーが監視をして、社会的責任を企業が果たすように促す世界を作る。そのために声を拾い、届けるジャーナリズムの果たす役割も大きい。
今後も保育のような従来の福祉領域の企業活動に、筆者としても目を光らせていくつもりだ。
(文・中野円佳)