【山口周×小川さやか・前編】「貸し借り」の人間関係がセーフティネットになる。タンザニア商人に学ぶ制度や組織に頼らない生き方

山口周さん×小川さやかさん

「地図はすぐに古くなるけれど、真北を常に指すコンパスさえあれば、どんな変化にも惑わされず、自分の選択に迷うこともない」。そう語る山口周さんとさまざまな分野の識者との対話。

第6回目の対談相手は、タンザニア商人たちの経済活動を研究する文化人類学者の小川さやかさん。著書『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』は、河合隼雄学芸賞と大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞。 小川さんがタンザニア商人から学んだ、人間関係に「借り」を残すことの意味とは?


山口周氏(以下、山口):現代の日本を生きる我々は不安を抱えて生きています。会社の先行きがどうなるか、年金はもらえるのか、漠然とした不安をみんなが抱えている。組織から放り出されたら取り返しがつかないと思うから必死でしがみつく。

しかし歴史を振り返ると、終身雇用が一般的になったのは昭和30年前後以降のことです。明治時代の統計では、いわゆる事務職の平均勤続年数は約6年で、定年まで面倒を見てもらうという考えもありませんでした。けれども今、会社や組織というセキュリティシステムのない社会を想像することさえ難しくなっています。

小川さんはタンザニアで、会社や組織に属さずに「Living Today」(その日暮らし)で生きる人々を調査されていますが、日本社会をどのようにご覧になりますか。

小川さやか氏(以下、小川):私はインフォーマル経済、つまり政府の雇用統計に掲載されない零細な自営業や日雇い労働で暮らす人々を研究しています。タンザニアの大都市ムワンザ市では、マチンガと呼ばれる行商人や露店商を調査し、私自身も参与観察の一環で行商をしていました。私が滞在した2000年代前半、タンザニア都市部の労働人口の約7割がインフォーマル経済を主たる生計手段としていました。

今回のコロナ禍で、中国の工場も休業になり、中国や香港で商いをしていたタンザニア人の多くが帰国しました。ある友人は、コロナによる不景気で治安が悪くなるから警備会社をやろうと思いついたけれど、正規の警備会社をつくるのは大変そうだから、“もどき”を考えた。警備会社の警備員の制服を撮影して、近所の仕立て屋さんに「同じやつ作って」と頼んで、仕事にあぶれている若者たちに着せて、インターネット広告を出して、帰国して数日後には商売を始めていました。

山口:実は僕も昔、警備員のバイトをやっていました。こんな脆弱極まりない人間が研修を受けただけで「右よし、左よし」とやっていましたから、実は日本も同じかもしれません(笑)。

小川:「儲かる可能性があるならやってみよう」と気軽に商売を始めるので、1人で10や20の事業を手がけていることも珍しくありません。店の売り上げは日本円で1日わずか数千円でも、自宅で飼っている鶏の卵を売って数百円、運転手を雇って中古バスを走らせて5000円、床屋に道具を貸して、プリンタをリースしてというように、小さな商いを積み重ねて、合計すると結構な収益になります。

自分のものを買う時にも、まず転売できるか考えます。1人暮らしの友人が巨大な電気ポットを買うので不思議に思って尋ねると、アフリカ人は大家族だから1人用のポットを買っても売れないじゃないかと。

法や制度上はグレーでもまずはやってみる

チョンキンションマンション

小川さんが在外研究のため半年間滞在した、香港の目抜き通り弥敦道(Nathan Road)に立地するチョンキンションマンション。

撮影:小川さやか

山口:オフィスに勤めていた人が突然クビになっても何もできないが、行商人は商品をすべて盗まれても、次の日から商売を探して歩き始めるというインタビューも印象的でした。僕も昔、フリーマーケットに5年ほど出店したことがあります。1日20万円近い売り上げがあって、当時働いていた広告代理店の給料よりいいじゃないかと(笑)。

個人で物を売り買いしたり、イニシアティブを取って何かを始めたりする経験の有無で、組織に依存する度合いが大きく違ってくると感じました。

小川:日本で起業しようとすると、起業セミナーを受講して役所に申請して、正式な手順を踏まなければと考えがちですよね。タンザニアの人たちは、法や制度上はグレーでも、まずは試しにやってみようと始めます。公的なセーフティネットを提供できない政府は、薬物の密売などの明らかな犯罪でなければ、インフォーマル経済を容認しています。ですから思いついた時に行動に移すことが簡単で、なんとか自力で生き抜いていける側面もあると思います。

十分な社会保障を提供できない上に規制ばかり強化したら死にますから、規制するなら公的な保障を充実させてほしいとなります。これは政府にとってもしたたかな戦略で、インフォーマルな経済があるから公的な社会保障への要求が高まらないとも言えます。

でも本当は、公的な保障と自助は、どちらも大事ですよね。現在の日本でもできることはあるはずです。警備会社もどきは違法ですが(笑)。シェア・ビジネスやオンライン取引が増加したいま、家にある家電製品を誰かに売るとか、空いた時間にこれをやってみようというアイデア自体は、その気になればいくらでも考えられますし、むしろ知識がある分、アイデアは生まれやすいはず。

ただフォーマルな制度から逸脱しては生きていけないと強く思っているので、会社や組織から外れまいと悩み苦しんでいるのではないでしょうか。

インフォーマル経済がセーフティネットに?

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