今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても、平易に読み通せます。
今回は、Business Insider Japanでファイナンスの連載を執筆中の村上茂久さんをゲストにお迎えし、対談形式でお届けします。かたや経営学の専門家、かたやファイナンスの専門家と立場の違うお2人。企業分析の際にはそれぞれ決算書のどんなところに注目しているのでしょうか?
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ファイナンスの専門家と経営学の専門家
BIJ編集部・常盤
先生、今回はゲストをお招きしました。Business Insider Japanで「会計とファイナンスで読むニュース」という連載を執筆いただいている村上茂久さんです。村上さんはファイナンスの専門家です。
私は村上さんの連載の編集担当もさせていただいているのですが、村上さんは企業分析をされる際、ファイナンスや会計の視点だけでなくビジネスモデルにも言及されることがよくあるんです。入山先生のご著書を参照されることも多いので、お立場の違うお2人に同じトピックについてお話しいただいたら、多面的な考察ができて面白いのではと思いまして。
入山章栄(以下、入山):アメリカのバブソンカレッジというビジネススクールでは、1つの企業の事例を2人の別の分野の専門家が違う角度から考察するという授業をしています。僕はこれは素晴らしいと思っていて。
例えば「ある企業のM&A」というテーマについて、戦略が専門の教授と、ファイナンスが専門の教授が、同時に教えたりする。世界的に見ても、これをやっているところは少ないですね。
そういう意味では、村上さんのファイナンスの視点と僕の経営学の視点で議論できる機会は貴重だと思います。僕も今日は村上さんからいっぱい勉強させていただくつもりです。
村上茂久(以下、村上):ありがとうございます。私は入山先生の『世界標準の経営理論』が書籍になる前、『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー』で連載していた頃から愛読していました。いまも妻と一緒に主宰する輪読会で、この本を取り上げているところです。
大手企業の経営者でも、会計やファイナンスの知識がない?
BIJ編集部・常盤
今回は、入山先生が村上さんにお聞きしてみたいことがあるのだとか。
入山:はい。実を言うと、僕はもともと会計やファイナンスのバックグラウンドがまったくありませんでした。そして、何年も前に初めてある会社の社外取締役を頼まれました。そこはかなりいわゆる外資系的な取締役会ができているところでして、その取締役会に参加してみると、会計とファイナンスの知識がないと議論にまったく貢献できないことを身につまされたのです。
それで反省して、会計とファイナンスを勉強しました。今もまだまだまったく知識も場数も足りませんが、それでもちょっとだけファイナンスとか会計の視点で企業を見られるようになってきたかもしれません。でもまだまだですね。
そうこうするうち分かってきたのが、一方で日本の古い会社ほど、意外と役員レベルでも会計やファイナンスのリテラシーが弱いということなんですよ。僕ごときが会計やファイナンスについてちょっと発言しても、みなさん「なるほど」と感心してくれることすらあります。
村上さんは今の日本の経営者やビジネスパーソンのファイナンスリテラシーについて、どう思われますか?
村上:そうですね。上場企業の場合、決算時には有価証券報告書のほかに、多くの場合は「決算説明資料」というものを作成します。
有価証券報告書はフォーマットが決まっているので記載事項は基本的にすべて一緒ですが、決算説明資料は自分たちが株式市場に伝えたいことを自由度高く書けるので、KPI(重要業績評価指標)のように有価証券報告書には記載されないことも書かれていたりするんです。ですから決算説明資料を読むと、その企業のファイナンスリテラシーがよく見えますね。
入山:なるほど! 有価証券報告書や決算短信などを見ても分からないことでも、決算説明資料ならプレゼン資料ですし、見せ方を工夫すれば「ここを強調したい」というポイントが伝わりますよね。
決算書のどこを見るべきか?
入山:僕は決算書のどこを見るべきかは「会社によって違う」と思っていて、柔軟に見るように心がけています。その点、村上さんは最初から決め打ちで「ここを見る」という項目はあるんですか?
村上:私が一番大切にしているのは、売上でも利益でもなくて、企業が将来キャッシュをいかに生み出せるかを集中して見ますね。例えば分かりやすい例で言うと、メルカリです。
メルカリは上場してから2020年6月期までずっと赤字で(詳細は村上さんの連載を参照)、しかも赤字幅が拡大している状況だった。普通に考えれば、「メルカリ全然ダメじゃん」というふうに見えてしまいますよね。
しかし、メルカリの顧客単価と広告宣伝費を計算し、LTV(顧客生涯価値)を割り出すと、将来生み出すキャッシュフローが増えていると分かる。そういう意味では、売上や利益だけでなく、いわゆるキャッシュフロー計算書(C/S)や、企業が将来生み出すであろう将来キャッシュフローなどを見ますね。
では「将来キャッシュフロー」はどこを見ればいいかというと、有価証券報告書には直接書かれていません。なので、EBITDAやフリーキャッシュフローといった指標を自ら計算したり、場合によっては企業が公表する決算説明資料に載っていたりするので、それを見たりします。
例えば私の連載でも過去に扱った資生堂は、決算説明資料ではEBITDAやフリーキャッシュフローなどが重視されていて、将来の目標もそこに置いているんですね。
資生堂はいま、約1兆円の売上があります。しかし3年後の売上目標も、そう大きくは変わっていない。つまり売上拡大志向ではないんです。その代わり、EBITDAとかフリーキャッシュフローを伸ばすことを目標にしている。こういう企業は、キャッシュフローを生み出すことにかなり価値を置いているんだな、と分かります。
財務3表で最も重視すべきは「キャッシュフロー計算書」
入山:なぜ村上さんはキャッシュフローに注目するんですか?
村上:原体験があるんです。私は10年くらい前に、不良債権投資というビジネスをやっていました。
入山:ドラマ『ハゲタカ』に出てくるような。
村上:そうです。あまり状態のよくない企業に投資するわけですから、B/SやP/Lだけを見ていたら、普通は投資するという判断にはならない。でも将来どれだけキャッシュを生めるような資産を持っているのかに着目することによって、投資ができるんです。
入山:やはり将来を考えれば、キャッシュの使い方が大事だということですね。僕は常々思っていたんですが、日本の会社って、議論の順番が「P/L→B/S→最後におまけでキャッシュフロー計算書」というようになっていますよね。
村上:そうですね。
入山:でもこれは逆じゃないかと思うんです。日本企業の役員会に出席していると、「今期はこうでした」という話が多い。でもそれはすでに起きてしまった結果です。もちろん結果も重要だけど、より重要なのはそこで得られたお金をどう使っていくかという議論のはずで、そこが中心にあるべきです。
そうすると、まずは未来のキャッシュフローの使い方の説明があって、そうするとバランスシートが将来こうなるはずだという議論がになり、「結果はこうなりますね」というP/Lの議論になる。過去を振り返る時も同じプロセスでいいはずです。P/Lはあくまでも結果ですから。そういう順番が物事の見方として正しいのではないかと思っています。
ところが日本の伝統的な企業は順番が真逆で、取締役会の財務状況の説明が30分あるとしたら、うち20分をP/Lの説明に割いて、次にB/Sの説明が5分続き、キャッシュフロー計算書は最後の3分くらいでおまけのようにやるところもある。これについて村上さんは、どう思われますか?
村上:まさにおっしゃる通りですね。P/L、B/S、キャッシュフロー計算書を合わせて「財務3表」と呼びますが、キャッシュフロー計算書は世間的に有名ではありません。その理由はおそらく、簿記2級でも出てこないからではないかと思います。
でもキャッシュフロー計算書は極めて大切です。キャッシュフロー計算書を教科書どおりに読もうとするとすごく難しく見えてしまいますが、究極的には、営業キャッシュフロー、投資キャッシュフロー、財務キャッシュフローの3つを押さえればいいだけなので、それほど難しくありませんよ。
大企業でもキャッシュフローを重視すべき
村上:さきほど入山先生がおっしゃったことで非常に共感したのが、過去を振り返るのも大事だけれど、未来について話し合うことが大事だということです。
キャッシュフロー計算書のポイントは、投資に使ったキャッシュがすぐに分かるということです。ファイナンスは基本的に「企業が将来どうなっているか」を見るものですが、P/Lには投資に関わる情報がほとんど入っていません。売上が伸びます、利益が伸びます、だけで終わってしまう。
だからメルカリのように、営業キャッシュはマイナス、投資キャッシュもマイナス、でも財務キャッシュがプラスだから赤字でも成長していきます、というところは、P/Lだけではなかなか判断できません。未来を見るという意味では、キャッシュフロー計算書が極めて大事ですね。
入山:村上さんはベンチャー支援もされていますが、ベンチャーは当然キャッシュがものすごく重要ですよね。資金繰りに失敗すれば死んでしまいますし、元手のキャッシュをいかに有効投資するかがすべてですから。
ソニー、トヨタ、ホンダも、昔はおそらくそうだったと思うんです。ところが経営が安定して落ち着いてくると、キャッシュは潤沢にあるし、思い切ったイノベーティブな投資もしなくなる。そうなるとP/Lの話がメインになってくる。
でもこれからの時代は、大手企業もイノベーションを起こさなければならない。そうなると絶対に積極的・戦略的投資をどんどん仕掛ける必要がある。となるとファイナンスも必要になるから、僕は大企業もベンチャーと同じように、キャッシュフローを最初に見る、キャッシュフロー経営に戻っていくのが極めて重要じゃないかと思います。
村上:おっしゃるとおりですね。会計の本はたくさん出版されていますが、たいてい「B/Sの右側に負債と純資産があって、B/Sの左側には資産があります。負債は銀行から借りたお金、純資産(自己資本)は返さなくていいお金です」といった説明がされています。
編集部作成
その説明は確かに分かりやすいけれど、でも私はこれがファイナンスと投資を妨げているのではないかと思います。
というのも、純資産(≒自己資本)の調達コストは負債の調達コストよりも高いからです。決して返さなくてもよいお金ではない。キャッシュはそのまま持っているだけでは新たな収益を生みませんよね。
それなのに日本人はどうしても現金を貯めてしまう。ROEの観点では、将来生み出すキャッシュを増やすためには戦略的投資をしなければいけないのに、どうしても安全経営に走りがちです。だからP/Lだけでは、意思決定の議論ができないんですね。
入山:先日あるイベントで、大手有名企業のトップの錚々たる顔ぶれが集まるなか、その中で若手であるGO FUNDというベンチャーキャピタル代表の小池藍さんがまったく物怖じせずにこうおっしゃった。「日本企業が死んでいるのはP/LとB/Sの議論しかしないからです。今の海外投資家は企業が未来にどのくらい価値を上げるかを知りたいので、B/S、P/Lなど見ていません」。これには他の登壇者たちもなるほどとなって、なかなか壮観でした。
やはりいかに株価を上げるかとなると、未来に対してどうお金を使うかというキャッシュの議論になりますよね。
BIJ編集部・常盤
B/S、P/Lは、ある意味分かりやすいですものね。決算が発表された際、B/SやP/Lは数字を見てああだこうだと評価しやすい。だからどうしてもそちらにばかり注目が集まってしまうのではないでしょうか。
村上:おっしゃる通り、分かりやすいという理由がありますね。私の連載では以前にSlackを取り上げたことがあるのですが、Slackは売上の半分近くを広告宣伝費につぎ込んでいて、赤字を出しています。
けれど丁寧に分析していくと、実は広告宣伝費を使って顧客を獲得できれば、18カ月でキャッシュを回収できるという見込みがあった。つまりSlackにとって、広告宣伝費は投資に近いものなんですね。
これが設備投資などであれば減価償却で期間按分できますが、広告宣伝費は会計上そういう仕組みになっていませんから、一括でP/Lに計上するしかない。そうなると一見したところ、ただの赤字に見えてしまう。
P/Lだけでは将来キャッシュをどう得るかという議論がしづらいのが、いまのスタートアップや成長企業の難しさですね。でも彼らは、赤字は将来への投資だと分かっているので、赤字をまったく恐れません。
入山:アマゾンも創業からしばらくはずっと赤字でしたからね。この場合、未来に向かっていかにキャッシュを投資できるかをアピールしなければいけませんが、それができれば赤字でも株価が上がる。
日本の会社、特に大手企業は、利益はそこそこ出ているのに株価は低い。問題はここですよね。だからちゃんとキャッシュで物事を語っていく必要がある。
僕がいろいろな会社の役員さんに「もっとキャッシュから議論しましょうよ」と提言すると、結構ポカンとされることもあるんです。なんとかこの状況をひっくり返したいと思うんですが、村上さんはどういうふうに伝えればいいと思いますか?
村上:ポイントは投資計画だと思います。P/Lに投資計画は出てきません。だから「どういう投資を想定していますか?」「その投資の原資はどうするんですか?」と質問すると、必然的にキャッシュフロー計算書の議論になるんですよ。
キャッシュフロー計算書はB/SとP/Lから計算できるので、それらを将来予測でつくっておけば必然的にキャッシュフロー計算書も生まれます。
どうやって資金を調達するのか、どういう投資をしていくのかというファイナンス戦略、調達戦略が議論にのぼるケースは、あまり多くはないでしょう。でも投資戦略の裏側には、必ずその投資に必要な調達戦略が存在します。
その点、例えばソフトバンクグループは、レバレッジをかけた投資が抜群にうまいんですね。だから必然的にキャッシュの話になるはずです。
P/Lの延長では、どうしても「利益を貯めてから投資をしよう」という発想になりやすい。でもそれは、お金が貯まってからマイホームを買うようなものです。これでは実際に家を買って住めるようになるまで、35年かかってしまいます。それより住宅ローンを借りて将来に投資をするのが、実は極めて大事です。
入山:なるほど。お話を伺っていて思ったのが、例えば日立は積極的にM&Aをする会社です。グローバルロジックという会社を買うなど積極的にM&Aをしていますが、その一方で、ちゃんと売却もしている。
村上:おっしゃる通りですね。
入山:伝統的な大手企業って、M&Aの話もするのですが、買うほうの話ばかりすることが多いんですよね。でもキャッシュフローの意識があると、「あれ、これはもしかして、銀行からお金を借りるより事業売却したほうがいいんじゃないか」といった議論になってきますよね。
村上:まさにそうだと思います。日本の場合、どうしても家族経営的なところがあるので、事業を売ると「切り捨てる」みたいな印象があります。
私の連載では以前、資生堂がTSUBAKIなどパーソナルケア事業を1600億円で売却したというニュースを取り上げました。おそらく資生堂としては、1600億円で「売却した」というより、売却することで「1600億円を調達できる」という見方をしていたのではないでしょうか。それを成長分野にどう投資しようか、と 。
ポートフォリオの組み換えがうまい企業は、事業を売ることをネガティブにとらえるのではなく、新規の投資に集中するための手段だと思っていて、それについて市場とうまく対話できているのだと思います。
入山:ありがとうございます。本当に勉強になりますね。まだまだお伺いしたいことがあるので、次回に続きます!
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。
村上 茂久:株式会社ファインディールズ 代表取締役、GOB Incubation Partners株式会社CFO。経済学研究科の大学院(修士課程)を修了後、金融機関でストラクチャードファイナンス業務を中心に、証券化、不動産投資、不良債権投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事する。2018年9月よりGOB Incubation Partners株式会社のCFOとして新規事業の開発及び起業の支援等を実施。加えて、複数のスタートアップ企業等の財務や法務等の支援も手掛ける。2021年1月に財務コンサルティング等を行う株式会社ファインディールズを創業。