撮影:今村拓馬
いまやDX(=デジタルトランスフォーメーション)という言葉を聞かない日はありません。
DXとはご存知のとおり、デジタル技術を駆使することによって人びとの生活を改善したり、企業の生産性や競争力を高めていくこと。例えばZoomやTeamsを使った会議が当たり前になったおかげで、移動時間のコストが削減され、ビジネスパフォーマンスが改善されたという人も少なくないでしょう。
DXによる変革とともに忘れてはならないのが、CX(=キャリアトランスフォーメーション)です。
いま私たちのキャリアは、組織内キャリアから自律型キャリアへと、変革の時を迎えています。この波に乗り損ねると、これからのキャリア形成で苦労することになります。
もしかしたら、自律型キャリアと言われても「まだあまりピンと来ない」「組織で働いているのに、個人が主体性を発揮しては周囲に迷惑がかかるのでは?」と思う方もいるかもしれません。しかしそんなことはありません。
経済が拡大し、業務の分業が進むにつれて、私たちは徐々に主体的に働くことがあたかも組織のブレーキであるかのように信じ込まされてきただけ。自ら主体的に働くこと——これこそ働き方の本質であって、組織に対して遠慮する必要などどこにもないのです。
我慢しながら働くことや、指示を待ってやらされ仕事を続けることが、いかに生産性を妨げるブレーキとなるか。そのことは皆さん自身が痛感しているはずです。自ら主体的に考え、動き、業務改善を続けながらアウトプットにつなげていく自律型のキャリア形成は、何より組織を伸ばすことにもつながります。
そこで今回は、CXを進めながら、自己肯定感を高めていく2つの視点を共有します。誰でも今日からできます。
空間の視点、時間の視点
まず、常日頃から心がけて欲しいのは、目の前のいかなる悩みであれ、それらは社会的につくられた「事物」にすぎないという認識を持つことです。
社内規定、賃金、勤務時間、仕事の進め方……など、働き方に関する問題も、すべて誰かによってつくられたもの。私たちにとって当たり前のことであっても、世界的に見れば特異なことであったり、歴史的な視点で見れば、ごく短期間の暫定的な事柄だったりするものです。
このように認識することで、悩みを解決する突破口が見えないような状況でも、自分が置かれている状況を冷静に判断できるようになります。
分かりやすい例が、社内申請・承認の際の「押印文化」ですね。コロナ禍でのリモートワークがニューノーマルとなり、「ハンコいらない」「ハンコなしでも困らない」という、あまりに当たり前のことに私たちはようやく気づきました。
ハンコを押すためだけに出社、なんてことも。
mapo_japan/Shutterstock
ただし、組織文化というのは恐ろしいものです。トップが大鉈を振りかざさない限り、変わることはありません。請求書にしても、送付までをすべてワンストップで完結できるオンラインサービスがあるにもかかわらず、いまだに捺印して郵送を求める企業も少なくありません。DXの視点で組織文化の視点も変革していく必要があります。
問題は、この一連のプロセスの中で、形式的な業務が発生し、それだけ生産性が落ちているということです。試しに、あなたの今日の業務をチェックしてみてください。無駄な作業が玉突き事故を起こしてはいませんか?
コロナ禍でやるべきは、DXとCXの視点で、働き方や生き方を改善していくことです。その際に意識するといいのが、「空間の視点」と「時間の視点」です。
先ほど例に挙げた「押印文化」は、例えばアメリカにはありません。あらゆる事項がサインで承認される文化です(サインも、対面で目の前で書かれることに公称的価値が認められていました。CXが進み、今ではサインのオンライン化が急速に進んでいます)。
このように「空間の視点」とは、他国、他都市、他社、他部署……など、複眼的に他と比較する視点を養うことを意味します。空間の視点を持つことで、自らの特異性に気づき、改善していくことができるのです。
この時に、「これは組織で意思決定する必要があるのか、個人で主体的に取り組むことで改善できるのか」という点も整理しておくようにしましょう。
承認プロセスをハンコからデジタルに変えることは、個人の判断ではできないことです。経営者や社内の責任者が迅速に判断して、組織的に取り組んで初めて解決できることですよね。
このような視点から私たちの働く環境を見ていくことで、何が問題なのかが浮かび上がってきます。そこで、浮かび上がってきた問題に対して、今度は状況を変えていくことができるかどうかを考えるのです。
同様の手順で、空間の視点から自らのキャリアについて考えることもできます。
仮に、あなたは同じ職場で長年、同じ業務に携わっているとします(私のような大学教員もまさにそのような働き方をしています)。空間の視点でこの状況を捉えると、新しい出会いが限られているな、閉ざされたキャリアだな、などと気がつくはずです。
そうとなれば、もっと積極的にキャリアを拓いていかなくてはと感じるのではないでしょうか? 実際、私は日々それを痛感しているので、大学の業務はしっかりとこなしつつも、それ以外の外の仕事に挑戦していくことを常日頃から心がけています。
キャリアとは最も身近なことであるだけに、近視眼的になりがちです。職場、会社、同業他社、異業種、空間のレンジを広げる・狭めるの往復を繰り返しながら、キャリアを空間的にとらえ、位置付けることを習慣化してください。
そうすることで、あなた自身のキャリアを客観的、相対的に認識できるようになります。
「時間の視点」はキャリア形成のカギ
「時間の視点」も大切です。キャリア形成が思い描いたとおりに進んでいる人と、思うようにいかない人の差は、実はこの時間の視点にあります。どんなキャリアであっても、キャリア形成には時間がかかるもの。だからこそ、この時間の認識や使い方がポイントになるのです。
例えば残業時間。コロナ前は働き方改革の推進により多くの企業が残業時間の削減に取り組んでいました(これは勤務時間の削減に向けた「組織的な」取り組みですね)。しかし今では、テレワークによる勤務時間の増加が問題になっています。職場と家庭の境界がなくなったからこそ、「働き続けてしまう」という声が聞かれるようになりました。
この点に関して、個人で取り組めることはあります。勤務時間を意識し、その時間内での生産性を高めていくのです。やらされ仕事ばかりでは、勤務への心理的負担は増えるばかりです。いま何が必要で、何を解決すべきかを考え抜きながら、時間の視点を意識して仕事をカイゼンし続けることが大切です。
筆者作成
CXとは、単なる意識改革ではありません。組織型キャリアから自律型キャリアに向けて、組織・個人の両面から取り組んでいく業務改善の一連のプロセスでもあるのです。
目の前の悩みや課題感について、空間と時間の視点で考えることを習慣化していきましょう。そして、組織で取り組むべきことなのか、個人の力で改善できることなのかという点も見極めて、自己に負担をかけすぎないかたちでより良い働き方を探求し続けていきましょう。
こうした日々の意識づけが「自分自身の力で状況を変えることはできる」という自信につながり、ひいては自己肯定感へとつながっていくものです。
どれだけテクノロジーが進化しようとも、企業を構成するのはいつの時代も変わりなく「人」です。一人ひとりが主体的に働くようになることで、組織は生産性と競争力を取り戻すことができます。
CXを実現するうえで強力なエンジンとなるのがDXです。ですから、DXを声高に主張している企業は、同じ声量でCXの必要性も語りかけるようにしてください。
そして私たち個々人も、組織へのエンゲージメントを考えながら、今日からできることに一つひとつ取り組んでいくことにしましょう。
この連載について
物事が加速度的に変化するニューノーマル。この変化の時代を生きる私たちは、組織に依らず、自律的にキャリアを形成していく必要があります。この連載では、キャリア論が専門の田中研之輔教授と一緒に、ニューノーマル時代に自分らしく働き続けるための思考術を磨いていきます。
連載名にもなっている「プロティアン」の語源は、ギリシア神話に出てくる神プロテウス。変幻自在に姿を変えるプロテウスのように、どんな環境の変化にも適応できる力を身につけましょう。
なお本連載は、田中研之輔著『プロティアン——70歳まで第一線で働き続けるキャリア資本術』を理論的支柱とします。全体像を理解したい方は、読んでみてください。
田中研之輔(たなか・けんのすけ):法政大学教授。専門はキャリア論、組織論。社外取締役・社外顧問を23社歴任。一般社団法人プロティアン・キャリア協会代表理事、UC. Berkeley元客員研究員、University of Melbourne元客員研究員、日本学術振興会特別研究員(SPD東京大学)。著書は『プロティアン』『ビジトレ』等25冊。「日経ビジネス」「日経STYLE」他メディア連載多数。〈経営と社会〉に関する組織エスノグラフィーに取り組む。