シマオ:佐藤優さんが読者の皆さんのお困りごとに回答する「お悩み哲学相談」のお時間がやってまいりました。佐藤さん、今日もよろしくお願いします。
佐藤さん:よろしくお願いします。
シマオ:以前、「古典・名著を読んでは挫折してしまう」というご相談を頂いた回で、佐藤さんは東大卒の弁護士・山口真由さんが提唱する「7回読み」がいいとアドバイスされていましたよね。
佐藤さん:はい。山口さんは、受験勉強の時代から、教科書を7回通読して内容を頭に叩き込んだそうですが、この読み方が、古典を読む際にも有効なやり方だと紹介しました。
シマオ:今日のお便りは、「では、実際何を読めばいいの?」というご相談です。
マーケティング系の部署で課長職をしております。先日、この連載で古典を「7回読む」という方法を伝授されているのを拝読いたしました。僭越ながら、私は今後、部長〜経営陣になることを目指しており、未曾有の時代を乗り越える思考力を身につけるために古典に取り組みたいという意欲が生まれました。そんな自分にとって、どんな古典・名著が7回読みに耐えうるでしょうか。特に、人の心を動かす上で参考になるものですと大変有難く思います。
(30代前半、富田林、男性)
課長はまだ入口に過ぎない!
シマオ:富田林さん、ありがとうございます。確かに、何を読めばいいか迷ってしまいますよね。
佐藤さん:マネジメントのトップ層になることを目指したい、という心意気は素晴らしいと思います。富田林さんは今、課長職ということですから、いわゆる「出世レース」では入口に位置します。ここから、どうすれば候補として選ばれるのかという視点でご紹介しましょう。
シマオ:佐藤さんすいません、課長ってまだ入口なんですか……?
佐藤さん:そうです。シマオ君は東京スカイツリーにのぼったことはありますか?
シマオ:えっ? はい、昔デートで……。
佐藤さん:展望台はどんな構造になっていましたか?
シマオ:たしか、中層の展望デッキと、高層の展望回廊の2段階に分かれていて、それぞれチケットが必要でしたよね。ちゃっかりしてるなぁ、と思いました。
佐藤さん:それと同じで、課長職ではまだ中層の展望デッキへのチケットを購入したくらいの位置です。高層の展望回廊、すなわちトップ・マネジメント層へは、ここからぐっと絞り込まれていく訳です。つまり、富田林さんはまず中間管理職としての力をしっかりとつける必要があるということになります。
シマオ:なるほど。中間管理職として読むべき古典ということですね。さっそく紹介をお願いします!
旧陸軍のマニュアルがビジネスに役立つ?
佐藤さん:1冊目が『作戦要務令』(大橋武夫・解説)です。これは、旧日本陸軍が1938年に作った軍令、いわばマニュアルです。参謀ではなく、現場の中隊長や小隊長、つまり「中間管理職」を対象とした内容になっています。
シマオ:旧陸軍の軍令!? 失礼ですが、そんなものが役に立つんですか……?
佐藤さん:軍隊と企業は、明確な目標を持った組織であるという点において、非常に似通っています。具体的に条項を読んでみましょう。
軍の主とする所は戦闘なり。故(ゆえ)に百事皆(みな)戦闘を以(もっ)て基準とすべし。而(しか)して戦闘一般の目的は敵を圧倒殲滅(せんめつ)して迅速に戦捷(せんしょう=戦勝)を獲得するに在り。(綱領、一)
つまり、軍の目的は戦闘で敵に勝つこと。企業の目的に置き換えるなら、利益を上げること。すべての活動はその目的に資するものでなければならないということです。
シマオ:たしかに……。でも、社会のための仕事というのもありますよね?
佐藤さん:少なくとも営利企業においては、究極的な「目的」は利益であり、「社会のため」は「目標」です。目的と目標は混同してしまいがちですが、明確に分けておく必要があります。そして、その目的に達するためには何が必要か、ということが次の文章です。
戦捷(せんしょう)の要は有形無形の各種戦闘要素を綜合(そうごう)して、敵に優る威力を要点に集中発揮せしむるに在り。(綱領、二)
シマオ:これは……まさに「選択と集中」ということですね!
佐藤さん:そうです。自軍が圧倒的な戦力を持っていれば、勝つのは当たり前です。しかし、実際にはそうでないことのほうが多い。ビジネスも同じです。さらに、管理職になれば部下に対して命令を出すようになりますが、命令を出すためには情報収集が必要です。
情報勤務の目的は敵情・地形・気象等に関する諸情報を収集審査して、指揮官の決心及び指揮に必要なる資料を得るに在り。(第三篇 情報、六十九)
収集せる情報は、的確なる審査に依(よ)り其(そ)の真否・価値等を決定するを要す。之(これ)が為(ため)先(ま)ず各情報の出所・偵知(ていち)の時機及び方法等を考察して正確の度を判定し、次(つい)で之と関係諸情報とを比較綜合して判決を求むるものとす。(情報、七十二)
シマオ:難しい言い回しですね……。頭がこんがらがってきました。
佐藤さん:要は、情報とは決断や指揮のためのものでなければならないということです。情報のための情報には意味がありません。
シマオ:確かに、必要のないデータをエクセルに貼り付けただけの資料ってありますよね。
佐藤さん:そして、集めた情報の価値をきちんと見極めなければいけません。そのためには、その情報がいつ、どこから、どのような手段で手に入ったものなのか、他の情報と総合的に判断して矛盾がないものなのかを確かめることが大切だということです。また、先入観をもって情報を判断すると、敵にあざむかれることもあるから注意しなさいとも書かれています。
シマオ:こうして聞くと、案外、現代の企業活動にとっても役立ちそうなものばかりですね!
佐藤さん:旧陸軍は太平洋戦争において暴走したとして評判が悪い。けれども、このようなマニュアルを見ると非常によくできていて、日本人にフィットするものになっていることが分かります。もちろん、これだけのマニュアルがあっても実行できなければ意味がない、ということも読み取れます。
シマオ:現場が実行できるように取り仕切るのも、管理職の役割だということですね。
管理職に求められる3つの能力
佐藤さん:もう1冊は、『超ジョブ型人事革命』(西尾太・著)です。最近の本ですが、10年後も読み続けられるであろうという点で、7回読みに値する人事の「古典」になると言ってよいでしょう。著者の西尾さんは、さまざまな企業の人事部を経験された方で、1万人以上の採用などに関わってこられたそうです。
シマオ:いまスマホでググったら、サブタイトルは「自分のディスクリプションを自分で書けない社員はいらない」とありますね……。刺激的な煽りですが、要は、自分のやるべきこと、できることを明確にせよ、ということですよね。
佐藤さん:そうです。では、管理職に求められているディスクリプションとは何か。それを西尾さんは次のようにまとめています。
管理職には、「タスクマネジメント力」「ヒューマンマネジメント力」「リスクマネジメント力」が必要です。タスクマネジメント力により、効率的に業務を遂行させ、組織目標を達成します。ヒューマンマネジメント力により、円滑なコミュニケーション環境を作り、人を育てます。リスクマネジネント力により、様々なリスクを未然に防ぎ、リスク発生時には被害を最小限に食い止めます。
もっと突き詰めれば、管理職とは「会社の『人・モノ・金・情報・時間』などの大切な経営資源を預ける」(同書)ものだということです。
シマオ:タスク、ヒューマン、リスクの3つを管理する能力が必要だと。どれか1つを身につけるくらいならできるかもしれませんが、3つ全部となると結構ハードルが高そうですね。
佐藤さん:年功序列で管理職に上がれる時代は終わっています。富田林さんは上に行きたいということですから、日頃からこの3つの能力を磨けるよう、意識して仕事をされるとよいでしょう。そして、上司に対して自分にはそれらの能力があると理解してもらえるよう働きかけることも重要です。
シマオ:ちなみに、富田林さんは「人の心を動かすために参考になる」ものをお知りになりたいということですが、これはまさにヒューマンマネジメント力ですよね。これを身につけるために役に立つ本はありますか?
佐藤さん:残念ながら、人の心を動かすには、本はほとんど参考になりません。例えば、シマオ君が営業担当だとして、契約を取りたい時にお客さんとリアルで会うのとリモートで話すのとでは、どちらが契約成立しやすそうだと思いますか?
シマオ:え、う〜ん、やっぱりリアルですかね……。なんとなく、押しが効きそうな気がします。
佐藤さん:まさに、その「なんとなく」が人を動かす鍵なのです。人を動かすというのは、人の心に自分を進入させる、ある種の「暴力」です。ですが、その力をうまくコントロールして放つには、やはり現実の場数を踏むしかないんですよ。
出世競争に破れたら……?
シマオ:ところで、富田林さんには失礼な話かもしれませんが、いわゆる「出世競争」に敗れてしまった場合は、もうどうしようもないのでしょうか……?
佐藤さん:それでも経営に携わりたいのであれば、選択肢の1つは、都会ではなく地元に活路を見出すことです。その際に参考になるのが、投資家である藤野英人さんが書いた『ヤンキーの虎』という本です。藤野さんは、地元で活躍する人々を「ヤンキーの虎」と呼び、以下のように説明しています。
一言で言いますと、次のような人や企業のことです。「地方を本拠地にしていて、地方でミニコングロマリット(様々な業種・業務に参入している企業体)化している、地方土着の企業。あるいは起業家」 これが ヤンキーの虎の位置付けです。「地方豪族」と言ってもよいかもしれません。
シマオ:ああ! 確かに僕の地元でも、建設業から飲食店からカラオケ、携帯ショップまで何でもやっている企業ってありました。
佐藤さん:日本の場合、大企業よりもこうした中小企業に勤める人のほうが圧倒的に多いんです。地方は合理化・効率化が進んでいない部分もまだ残っていますから、都市部での成功例が通じることもある。ですから、もし大企業で経営陣になれなくても、地方の中小企業で経営に携わる道もあると思いますよ。
シマオ:なるほど、視野を広くとれば必要とされる場はあるということですね。ありがとうございました! という訳で、今日は「経営トップを目指す中間管理職が読むべき古典」をご紹介いたしました。富田林さん、ご参考にしていただければ幸いです。
「佐藤優のお悩み哲学相談」、そろそろお別れのお時間です。引き続き皆さんからのお悩みを募集していますので、こちらのページからどしどしお寄せください! 私生活のお悩み、仕事のお悩み、何でも構いません。次回の相談は6月16日(水)に公開予定です。それではまた!
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、イラスト・iziz、編集・野田翔)