右から村上由美子さん、キャシー松井さん、関美和さん、鈴木絵里子さんという金融業界でキャリアを築いてきた女性たちが、日本からグローバル市場を目指すスタートアップを支援するVCを立ち上げた。
提供:MPower Partners
2020年末にゴールドマン・サックス証券を退社したキャシー松井さんが新たな事業をスタートさせる。
元OECD(経済協力開発機構)東京センター所長の村上由美子さんと、ピーター・ティールやベン・ホロウィッツなどの著書の翻訳家としても知られる関美和さんと一緒に。
長年の友人同士でもあり、金融界で活躍してきた3人が新たに立ち上げるのはベンチャーキャピタル(VC)、MPower Partners Fund L.P.(以下、MPower Partners)。社会課題をテクノロジーで解決する起業家を支援し、日本では例のないESG(環境Enviroment、社会Social、ガバナンスGovernance)を重視するVCを目指すという。
キャシーさんは長年ゴールドマン・サックスの顔だった。20年前に提唱した「ウーマノミクス(女性と経済)」はその後、政府の女性政策にも大きな影響を与えただけでなく、大病を乗り越え、同社を代表するストラテジストとして活躍する姿に勇気づけられた女性達も多かった。
キャシーさんの退社は大きなニュースとなったが、退社前のBusiness Insider Japanのインタビューに対して、「新しく始めたいことがある」と話していた。
明るい未来が描きにくい日本のトリガーに
キャシーさんとともにファンドのゼネラル・パートナーとなる村上さん、関さんも金融業界でのキャリアが長い。村上さんはOECD以前、約20年間ニューヨークやロンドンのゴールドマン・サックス証券でマネージング・ディレクターとして働いてきた。関さんもモルガン・スタンレー投資銀行を経て、クレイ・フィンレイ投資顧問の東京支店長を務めた。
長年の友人同士でもあった3人にはいくつか共通点がある。まず海外で学び、働いたグローバルでの経験があること。その経験から明るい未来が描きにくい日本でも、グローバルの視点で見ると、もっと成長できる余地はあると、常々3人で話していたという。
「日本は学力調査でも世界トップレベル。スタートアップが成長する条件もそろっているのに、もう一段大きな規模のスタートアップを支えるリスクマネーが少ないから、成長できる可能性がある起業家も小粒に終わっている。
このもったいない感満載の日本に、私たちができることはなんだろう、と話していた。私たちがトリガーになることでこの現実を変えたい」(村上さん)
「海外で教育を受け、働く機会があった私たちが、そのたまたま得た運を、たまたま機会がない人たちにお返ししたい。起業家にお返しすることが経済・社会全体へのインパクトが大きいと考えた」(関さん)
キャシー松井さん。1999年に提唱した「ウーマノミクス」は、その後社会に広く浸透した。
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日本のベンチャーへの投資市場はこの7年で7倍ほどに拡大してきたが、アメリカや中国に比べると、規模ははるかに小さい。規模が小さいだけでなく、「ベンチャー側にも日本で大きくなれば十分という感覚がある。でも、支援があれば日本発でグローバル市場を目指せる」(キャシーさん)という。
ファンド総額は約1億5000万ドル(約162億円)。成長ステージにある日本のスタートアップを中心に、一部海外のアーリーステージのスタートアップにも投資し、日本企業の海外進出や海外企業の日本進出を支援する。マネージング・ディレクターとしてMPower Partnersに参画する鈴木絵里子さんは、唯一VCの出身だが、昨今のベンチャーをめぐる状況をこう見ている。
「日本ではこの数年、ベンチャーにお金も流れ込み、起業が一種ブームになっている。優秀な人材が起業する一方で、『SaaS企業のつくり方』を指南するようなプレイブックまで出ている。もっと大きな課題を解決するような起業家が出てくるかどうか、今が日本のスタートアップの転換期」
早くからESGの重要性に着目
高齢化などの社会課題を解決するビジネスは、日本だけでなく、他の国でも求められている。
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少子高齢化など課題先進国と言われる日本で、MPower Partnersはテクノロジーを使って社会課題の解決を目指すスタートアップ支援を目指す。注力する分野は、⑴ヘルスケア・ウェルネス、⑵フィンテック、⑶次世代の働き方・教育、⑷循環経済やシェアリングエコノミーに代表される次世代の消費、⑸環境・サステナビリティの5分野。
生産性の低さが課題の働き方や、世界的に競争力がある製造業のDX(デジタル・トランスフォーメーション)を手がけるスタートアップは、海外市場も十分狙えると考えている。
さらに3人に共通するのは、早くからESGの重要性に着目してきた点。キャシーさんはこう語る。
「私たちは早くからESGを研究し、企業や政府に対して、ダイバーシティやコーポレートガバナンス、環境の重要性を訴えてきた。かつてはリターンが低いと思われてきたESG投資がここにきて、ESGを組み込んでいるからこそ高い実績が出るようになった。ベンチャーの成長戦略にもESGの実装が求められ、私たちの知見が強みとなる」
村上由美子さん。著書に『武器としての人口減少社会』もある。
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共通の課題感を抱く中で、VCの構想を提案したのは村上さんだったというが、最初は3人とも慎重だった。そこに起きた新型コロナウイルスの世界的な感染。海外出張ができなくなったことで時間ができ、リサーチを重ねた。
MPowerのMは3人の旧姓。松井、村上、関さんの旧姓・松尾からとった。3人とも親が起業家だというバックグラウンドも共通する。村上さんの母親は48歳で主婦からドラッグストアを起こし、その会社は20年間で山陰地方で一番大きいチェーンストアになった。
「当時私はアメリカにいたのですが、『お母さん、辞めて。失敗したらどうするの?』と心配しました。今回私たちも50代半ばからの起業に不安がなかったわけでもない。でも、人生100年時代、まだ何度も挑戦できるし、幸い私たちには経験もネットワークも豊かな仲間がいた。関さんはシリコンバレーの“神様”のような人たちの本を翻訳しているので、そのつながりや英知も私たちの武器です」(村上さん)
マイノリティとしての経験がアドバンテージ
職場のDXの遅れが可視化されたコロナ禍。ダイバーシティの遅れも指摘され続けている。
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本格的に動き出した2020年春ごろからは毎晩遅くまでオンラインで議論し、「これまでとは違う筋肉を使っている感じ。人生の再出発にワクワクするような気持ち」(キャシーさん)という一方で、村上さんはこうも話す。
「計画段階から想像以上に反応が良く、資金調達も順調に進んだ。半面、こんなに期待してもらえるなら、成果を出さなければという責任も感じ、眠れない夜もある。
でも女性だけでファンドを立ち上げることの社会的な意味は大きい。私たちのようなファンドがもっと出てくれば、男女関係なく投資の世界で活躍できると伝えられるし、日本で女性や外国人の起業家も増えると思う」
関美和さん。翻訳した『ファクトフルネス』は100万部の大ベストセラーに。
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女性だけのファンドになったのは「たまたま」と言うが、ある意味必然でもあったという。3人とも男性ばかりの会議で女性はたったひとりという場面には何度も遭遇してきた。欧米でアジア系という存在、そしてキャシーさんは日本で外国人としてキャリアを重ねた。
「これまで女性というだけで、不利になった部分もあったけれど、いまはマイノリティとしての経験がアドバンテージになっていると感じる。私たちが男性だったら、同じようにやっていても、ここまで注目されていないと思います」(関さん)
金融業界で働く女性の先駆者として道を切り開いてきた3人が、人生の後半戦でもう一度挑戦する影響は、お金の流れに一石を投じるだけではない。投資の世界で女性も活躍できるという実証になり、長い目でキャリアを描くという新たなモデルにもなるだろう。
(文・浜田敬子)