水産養殖にテクノロジーで取り組むスタートアップ、「ウミトロン」の野田愛美さん。
撮影:今村拓馬
2年前までIT企業でシステム開発をリードしていた女性の生活は、船で沖に出る日々へと変わった。
水産養殖×テクノロジー取り組むスタートアップ、ウミトロンで働く野田愛美さんの肩書きは、Field Success/Product Manager。水産養殖の成長に必要なサポートを、現場の事業者から聞き取りし、自社の製品開発へフィードバックするプロセスをリードしている。
大雨の中、生産事業者と生け簀から魚を取り出して成長スピードを確認したり、新しく導入した機材を試験的に運用したり……月の半分は海で過ごしているという。
持続可能な環境に養殖業が重要な理由
水産物の養殖は30年で大きく成長している。2030年までに食べる魚の3分の2は、養殖魚になると予測されている。
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世界の魚介類の生産・消費量は、増加の一途を辿っている。国連食糧農業機関(FAO)によると、魚介類の消費量はこの30年で倍増した。2030年までに、1人当たりの年間消費量は21.5キロに達すると予測されている。
私たちが食べる魚は漁獲される天然のものと、養殖のものの2種類がある。年間1億7900万トン生産されている魚介類の半分近くは養殖によるもので、世界的にみると、魚介類の養殖はこの30年間で527%も増えている。
中国やインドネシアでは漁業生産の7ー8割を養殖が占めており、全体の生産量が減少傾向にある日本でも、養殖の割合は高まっている。日本ではマダイは8割、ブリ類は5割が養殖だ。
健康志向や食習慣の変化により魚介類への需要が増える中、水産資源の保護も重要な課題となっている。実際、持続可能でない水準で漁獲されている魚介類は35%にものぼる。世界的な人口増加によって食料需要がさらに高まる中、栄養価の高い魚介類の養殖生産には、期待が寄せられている。持続可能な方法で養殖業が広がれば、環境保護、そして食料供給の両方を実現できるかもしれない。
「生き物とかかわるスタートアップありませんか」
野田さんが働くウミトロンは、この養殖の可能性に注目したスタートアップだ。「持続可能な水産養殖を地球に実装する」ことを目指すウミトロンは、IoT、衛星リモートセンシング、機械学習などの技術を活用して、持続可能な水産養殖のコンピュータモデルを開発している。
1カ月の大半を生産現場で過ごすことも。生き物とモノづくりが交差する仕事が大好きだという。
提供:野田愛美さん
「生き物とモノづくりが大好きなので、今の仕事は本当に楽しい」と話す野田さんは鹿児島県の出身。幼少期は、側溝に溜まった泥の中のトンボの幼虫を捕まえて、何を食べるのか観察するなど、身近な自然と触れ合う日々だった。
「ザ・美しい自然風景というのは実は、あまり好きではないんです(笑)。それぞれの生き物がどういう風に生活し、何を食べ、どうやって生きているのかを知ることが、昔から好きでしたね。小学校の校庭で拾ったドングリがつるつるしてかわいいから机に入れていたら、ある日、穴が開いて虫がたくさん出てきて。わー虫だ!と思いつつ、小さな空間でどうやって虫が育ったのか考えるが面白くて」
大学では環境心理学を選考し、近くの小学校でフィールドワークに励んだ。小さな池や草花が生える校内のビオトープで、子どもたちがどのようにして小さな自然と出合って遊ぶか、観察をする日々だったという。それでも卒業後選んだ道は、決して興味があったわけではない、IT分野だった。
アルバイト感覚でなんとなく参加したIT企業のインターンシップで、「これからの世界は変化が多いから、敷かれたレールを走るだけではなく、変化の荒波を泳ぎ切る筋肉を鍛えなければならないと」という社長の言葉が印象に残り、そのまま入社を決断した。
「当時は、社会がどうなっているのか解像度が低い中で、なんか、変わっていかなければいけないんだ、とハッとさせられたんですよね。自分が大学でやっていたフィールドワークはめちゃくちゃ楽しいと思っていたけれど、もっと広い範囲でみたときに、まだ自分が知らない、もっと面白いと思うことがあるのかもしれない、そんな感覚もありました」
撮影:今村拓馬
とにかく「強い社会人」になることを自分の目標として、働き始めた。当時の野田さんにとっての「強さ」とは、何となくの収入や仕事のポジションが目安だった。勤怠管理のシステム開発などを担当し、チームを任されるマネージメントの立場へと昇格した。ふと気付くと、目標の収入やポジションは自分のものになっていた。
しかし、目標を達成しているはずなのに、心底喜んでいないことに気づいた。働いて9年ーー、自分はキャリアで何を実現したいのか、立ち止まる機会になった。
一度ゼロから、自分の中で何がワクワクするのか考えてみると、出てきたのは「生き物が好き」ということ。不思議と幼少期の原点に戻っている自分がいた。転職エージェントに、「生き物にかかわるスタートアップがないか」と相談し、紹介されたのがウミトロンだった。
「自分が好きなことと仕事をどうやって結び付ければいいのか、キャリアのはじめは想像がつきませんでした。全然興味がないIT分野での仕事でしたが、モノづくりがとても好きだと気づけたし、どういうつくり方が好きなのか、突き詰めることができたんですね。
大きなゴールを決めて、みんなで走っていく面白さを感じつつも、小さな改善をもっと小さなサイクルで繰り出していくことが自分は好きで向いている、と。今は、もともと好きだった生き物とモノづくりをクロスさせて、働けていて本当に楽しいです」
スマート給餌機がもたらす可能性
野田さんが運んでいるのは、養殖用の餌。事業者のコストの7割近くは餌代が占めている。
提供:野田愛美さん
野田さんはウミトロンで、養殖魚への餌やりを効率化させた「スマート給餌機」の設置と運用に取り組んでいる。現場の海に出て、養殖事業者からフィードバックをもらい、ニーズにあった機能の開発へとつなげる。
養殖業者のコストの6-7割は餌代が占めている。従来の餌やりでは、時には船で30分以上かけて沖の生け簀までいき、手で餌をまき、魚が餌を食べるまで観察していた。しかし、仕事は餌やりだけではない。魚の出荷の注文確認、発送管理、網などの器具の修理などもこなさなければならない。
これまで労務を効率化するために、タイマーで設定した時間に餌を落とす機材の導入が進んだものの、魚は生き物。その日の水温や食欲によって、餌を食べたり、食べなかったりする。食べきれない餌は、海底に沈んで無駄になるだけでなく、有機物として海を汚染してしまう。
野田さんが展開を進める「スマート給餌機」にはカメラが搭載され、餌やりの遠隔操作が可能となっている。例えば、沖の生け簀から離れた自宅でも、スマートフォンでリアルタイムで魚の様子を確認し、餌が必要かどうか、判断ができる。「スマート給餌機」は、労務効率の向上と餌の無駄の削減をサポートしているという。
スマート給餌機は、餌の無駄を削減し、事業者の労務・コスト効率を向上させ、海底汚染の軽減をしているという。
引用:ウミトロン株式会社
担当している養殖事業者に新しい体験を届けられた、と感じる瞬間が、野田さんの原動力だ。中でも印象に残っているのは、生まれたばかりの赤ちゃんがいる事業者から、以前は沖で夜まで餌やりをしていたのが、遠隔で餌やりができるようになったことで、餌の補給さえすれば、夕方までには自宅に戻って赤ちゃんの面倒をみられるようになった、と感謝されたことだ。
前職での経験も、想像もしなかった形で繋がっている。
「社会に飛び込んだばかりのとき、今これをやってていいのかな、という不安な気持ちがありつつも、突き詰めてやり切ったことで、その後自分が別のことをするときに、ちゃんと生きてくることを実感しています。現場から出た要望の開発チームへの伝え方とか、実際に機能おして機材に組み込むときの考え方とか、思いがけない形で力になっています」
1本の電話から学んだ、消費者の力
全国の養殖事業者から、生産課題をヒアリングし、自社のサービス開発に繋げている。
提供:野田愛美さん
野田さんは1カ月の半分は海の現場で過ごし、全国の数十の養殖事業者をヒアリングしている。餌やりに限らず、人材確保や売り方のアドバイスなど、さまざまなニーズと向き合う日々だ。温暖化によって海面・水温が上昇し、魚が育ちにくくなっているという声や、コロナによる飲食店休業で魚が売れなくなり赤字が膨らんでいるいう声。もともとは技術や機能の改善という視点で現場に入っていたが、最近はエコシスム全体のサポートの重要性も感じている。
無駄な餌を出さない方法で育てられた魚を、消費者に届けるプロジェクトも立ち上げた。自ら小売店に出向いて、魚を置いてもらえるよう営業をすることもある。環境に配慮して生産された魚に対する消費者の考えを調査し、ニーズを事業者に伝える仕掛けも施しているが、従来のやり方や商流がある中で、新しいことを受け入れてもらうハードルは高い。
それでも、少しずつ変化を感じている。
あるとき、ウミトロンが持続可能性に配慮した魚の生産に取り組んでいると知ったひとりの消費者が、スーパーにその魚の取り扱いがあるか電話したという。すると、その問い合わせがきっかけとなり、ウミトロンの養殖魚をスーパーで取り扱うようになった。
「サステイナビリティには一人ひとりの行動が重要だとよく言われていますが、まさに一人の消費者の声がきっかけで小売店が動くのをみて、驚きました。消費者が動くと、ドミノのように小売店や卸しなど、サプライチェーンの方々が変わっていく。サステイナビリティを重要視するなど、変わってきている消費者のニーズを拾い上げ、養殖事業者の方に伝えていくことで、生産現場をサポートしていきたいと思っています。」
「養殖=サステイナブルではない」
天然魚の過剰漁獲が問題視され、世界的な食料需要が増加する中、栄養価の高い養殖魚は持続可能な食料源として注目されている。しかし、「養殖=サステイナブルではない」と野田さんは強調する。
例えば2000年代半ばまで、1キロのサーモンを養殖生産するには、4キロもの天然魚が餌として必要だった。技術の進歩により改善されてきてはいるが、今でも世界で漁獲されている魚の1割は養殖魚の餌として加工されている。養殖魚の生産過程をより持続可能なものにしないと、過剰漁獲による海のエコシステムの破壊を、養殖業はむしろ助長してしまうと指摘されている。
2030年までに、我々が食べる魚の3分の2は、養殖によって生産されたものになると予測されているため、養殖業のサステイナビリティは重要だ。
「私たちの世代が持続可能性を追及していくことは、とても大切」と話す。
撮影:今村拓馬
野田さんはこれからも、さまざまな事業者とかかわりながら、漁業・養殖業のサステイナビリティを目指していくと話す。
「サステイナブルな漁業・養殖業に、これをやれば100%大丈夫という解は、残念ながらありません。でも、例えば餌という課題をひとつとっても、より良い方法というのはある。システム全体を考えながら、私たちの世代が持続可能性を追及していくことは、とても大切です。
同時に、それぞれの地域がこれまで培ってきた知識や特性を活かしながら、環境にあった方法で進むことも大事だと感じています。そのような豊かさがある世界を目指したいし、住みたいです」
【筆者後記】
買うもの、食べるもの、交通手段……生活のあらゆる面が、気候変動や環境問題とつながってる。自宅の電力を再生エネルギーに変えても、温室効果ガスを多く排出する牛肉を好んで食べてしまう自分は、偽善者なのか。そんな思いに駆られることは少なくない。
野田さんが話すように、養殖も100%サステイナブルではなく、育て方や売り方によって持続可能性は大きく変わる。消費行動にも、リテラシーが求められる。
しかし、100%サステイナブルを目指して、変えなければいけない習慣の多さに圧倒されたり、中途半端な行動だと非難されることを恐れたりしていては、なかなか個人の行動を変えられない。一人ひとりの社会・経済状況にあった範囲で生活を考え直して、行動につなげらればいい。それは、スーパーで商品を手に取るふとした瞬間かもしれないし、飛行機と新幹線で迷っている時の判断基準かもしれない。
前向きにサステイナブルな世の中へと向かっていきたい、そんな世の中をつくっていきたい、と野田さんと話したのが印象的だ。
(文・大倉瑶子)
大倉瑶子:米系国際NGOにおいて、洪水防災プロジェクトのアジア統括、アジア気候変動アドバイザー。職員6000人の唯一の日本人として、ミャンマー、ネパール、アフガニスタン、パキスタン、東ティモールなどの気候変動戦略・事業を担当。慶應義塾大学法学部卒業、テレビ朝日報道局に勤務。東日本大震災の取材を通して、防災分野に興味を持ち、ハーバード大学ケネディ・スクール大学院で公共政策修士号取得。UNICEFネパール事務所、マサチューセッツ工科大学(MIT)のUrban Risk Lab、ミャンマーの防災専門NGOを経て、現職。ジャカルタ・インドネシア在住。