撮影:伊藤圭
「もっと加速させたい」
彼は口癖のように、早口でこの言葉を何度も繰り返した。
加茂倫明(26)の現在の肩書きは二つある。一つは、東京大学工学部の学生。もう一つは、2016年に創業したスタートアップ、POLの社長だ。
規定で許される限りの休学期間を使いながら、学生と経営者の身分を行き来し、現在は最後の休学期間にあたる。2022年春の卒業に向けて、夏に復学する予定だ。
「今は事業に120%コミットしている」と言いながら、退学という選択を取らずに学業と経営を両立させてきたのには譲れない理由がある。加茂の挑戦にとって、自身が“理系学生”であるというアイデンティティは切り離せないものだったのだ。
研究内容で企業からオファー
LabBaseはマッチングのプラットフォームを作るだけでなく、理系学生の就活に役立つ情報発信や、オンラインイベントの開催なども行っている。
LabBase 公式サイトより
「研究者の可能性を最大化して、科学の発展に世界一貢献する会社になりたい」
加茂が創業したPOLは、“理系学生”に徹底的に寄り添うサービスを展開している。
主力となる事業は、理系学生と企業を結ぶ採用マッチングプラットフォーム「LabBase」。学生一人ひとりの研究テーマやその研究を選んだ理由、所属学会などの情報をデータベース化し、契約企業に公開する。研究内容に興味を持った企業から、学生に直接オファーが届くサービスだ。
現在、約2万5000人の学生(2021・22卒)が登録し、その9割程度が大学院生。導入企業数は、前年比1.34倍の291社と勢いを増す。
「難易度の高い研究に挑戦している優秀な学生ほど、シューカツに時間を割けないジレンマがある。未来をつくるのは科学の力。頑張っている研究者たちが正しく評価される社会をつくりたい」
学生は企業1社1社に合わせた「志望動機」を準備する必要もない。ただ自分が没頭している研究について紹介すれば、「わが社でぜひその研究経験を活かしてほしい」と求める企業と出合うチャンスを引き寄せられる。
これまでは担当教授や卒業生の人脈に頼るなど、個別の閉じた世界の中で成立しがちだった理系学生の就職をオープンにし、その可能性を無限にする。
採用のマッチングだけでなく、研究者・技術者のための転職サービス、理系学生と企業との出会いを促進するイベント運営なども展開。コロナ禍の2020年にはオンライン展示イベント「日本の製造業の未来展」を開催し、多様な産業の中に眠る研究分野への関心・ニーズをつかんだ。
いわば、研究室のDX(デジタルトランスフォーメーション)。POLは人材領域にとどまらない「ラボテックベンチャー」なのだ。
科学の進化加速で人類を前へ
撮影:伊藤圭
加茂が解決したい課題は「日本の科学力の低下」。
“研究の価値”を測る指標の一つが「論文が引用された件数」だが、この被引用件数の多い論文の国別順位で、日本は2009〜19年の10年間の間で4位から9位にまで後退している(2019年度版科学技術白書より)。
「電気、医薬品、インターネット。僕たちが今、享受している安全で便利で快適な生活は、ほとんどが研究室の科学研究から生まれたもの。例えばアインシュタインが相対性理論を導き出さなければ、GPSの精度はここまで高くならなかったはずで、ナビや位置情報サービスを活用できる日常もなかった。
科学の力を加速させることが、画期的な発明やイノベーションを量産し、人類の未来を前へ前へと進める。僕らPOLは研究者が抱える課題をすべて解決して、そのスピードを圧倒的に速めていきたい。日本のみならず、世界がフィールドだと捉えています」
話し出すと、次から次へと言葉が加速し、熱を帯びる。
心の底から意義を感じられて、やり続ければ本当に世界を変えるインパクトを生むと信じられるゴールへ加茂は振り返らず走る。
しかし最初から、明確なビジョン・ミッションをつかめていたわけではない。「起業したい」という夢だけが先走り、方向に迷いかけた時期もあった。
今や加茂の思いに共鳴して集まる仲間は57人に増え、投資家からの注目も集まる。颯爽と風を切るようでいて、実は組織の成長に自身の成長を追いつかせることに必死なのだとも正直に語る。
加茂は「インパクト」という言葉もよく使う。「自分が死んでも生き続ける価値」を残すことに貪欲な起業家——加茂倫明を走らせるエンジンとアクセルを解き明かしていこう。
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(文・宮本恵理子、写真・伊藤圭、デザイン・星野美緒)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。