撮影:伊藤圭
POL 社長の加茂倫明(26)が生まれたのは1994年。理論経済学を専門とする大学教授の父と大学職員の母の間に育ち、「研究」はいつも身近にあった。父の知り合いの研究者の自宅に連れて行かれて、研究談義を聞くのも、幼い加茂の日常だった。
小学校の文集に書いた将来の夢は「誰にも解けない問題を解ける数学者になりたい」。算数オリンピックにも出場していたが、研究者を志向するというより、“誰にも解けない問題を解くこと”に関心があったのだろう。
父の書棚には起業家やイノベーション研究の本が並んでいた。加茂は「新しい価値を生み出す人」への憧れを膨らませていった。
あだ名は「平成のスティーブ・ジョブズ」
灘中高時代の加茂はラグビーに打ち込み、日々泥まみれになりながら練習した。
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受験を経て灘中学校に進学すると、ラグビー部に所属。体格が大きくなかった加茂は、司令塔となるスタンドオフのポジションにつき、相手の意表をつくサインプレーで貢献。体育祭では「応援団の旗は1チーム2本まで」という制限を破るため、棒の両端に旗を縫い付け、クルッと棒の上下を逆さまにすれば2枚目の旗が出てくる仕掛けを編み出して、クラスを沸かせた。勉強の成績よりも、企画のクリエイティビティで存在感を出すことに夢中だった加茂に、同級生がつけた称号は「平成のスティーブ・ジョブズ」。
「日常のささいなことでもなんでも、とにかく人と違う新しいことをして皆を驚かせたいなと考えていました」
「起業家になりたい」という思いが芽生えたのは、高校2年生の時だった。
かわいがってくれた祖父が亡くなり、「命は永遠ではない」ことを知った。限られた命を燃やすに値する生き方をせよと、祖父の死が教えてくれた。
死んでもなおその価値が残る生き方はあるのか——その答えが「起業」だった。本当に世の中のためになる会社をつくれば、その会社はずっと生き続ける。加茂は与えられた命を永遠にするために、起業を志すようになった。しかし、何をするかまでは浮かんでいなかったという。
東大進学、目指すは起業
スタートアップを立ち上げる東大生は増えているものの、就職や進学ではなく起業に挑戦する学生はまだまだ少ない。
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起業するなら上京したほうがいいと考え、一浪して東京大学に入学。数学が得意だったので理系に進学したが、目標は「起業」。入学してすぐ、インターンシップを募集する企業が集まるイベントに参加した。出展企業の中で一番規模の小さい会社を選んだのは、「社長直下でビジネスを学べる」と期待したから。その熱意は伝わり、新規事業開発の市場リサーチや企画立案の仕事を与えられ、週に1回、社長と膝をつき合わせて事業プランを練る経験を得た。
何度もダメ出しされ、議論を重ね、1年かけて、ウェアラブルデバイス用のコンテンツ事業の企画開発まで進んだ。事業として成立するまでには至らなかったが、濃密なインターン経験により、社長がどれだけ本気で考え抜いて仕事をしているのか、その姿勢を間近で感じ取った。
貪欲に機会を求めていた加茂は、さらにもう1社、新規事業開発ができるインターンに参加。シンガポールに半年間滞在し、ダイエットサポートサービスの開発に携わり、今度はリリースまで立ち会えた。実際に利用した顧客からのコメントを初めて見たときには、「自分の仕事が、世界を変える」という実感をつかみ、感動した。
その後も、さまざまなセミナーに参加してみたりと、加茂は動き続けた。求めていた答えは一つ。「どんな事業で起業するか?」というテーマだ。自分が死んだ後も残したいと思えるテーマを探していた。知らない世界を知り、新たな出会いを重ねれば、その答えは見つかると思っていた。
「勝てる理由」で行き詰まり
リサーチをする中でアメリカには起業家と投資家のマッチングサービスが流行っていると知り、「この日本版があったらいいんじゃないか」というアイデアが浮かんだ。親身になってアドバイスをくれていた個人投資家も誘い、個人間融資で500万円の資本金を準備して2016年9月に会社を設立。加茂が大学3年生の頃に始めたPOLの事業は、当初今とはまったく違う形でスタートしたのだった。
だが結局、このマッチングサービスは正式にリリースされることはなかった。
「突き詰めて考えていくほどに、“自分たちがここで勝てる理由、活かせる強み”を見出せなかった。僕はまだ起業家としての経験もなかったし、投資もしたことがない。本気で実現したいという熱意も持てていなかった。単に『儲かりそう』『流行りそう』では、心を燃やし続けることはできない。強みもパッションもないのならやるべきじゃないと判断しました」
自分の進む道を探すのに夢中だった加茂に、ブレーキがかかった。焦りもあった。しかし、立ち止まったことでこれまで気にしていなかったある風景が見えてきた。強烈な違和感をかき立てる風景が。
熱心な学生・研究者ほど苦しむ矛盾
2018年度の学校基本調査によると、博士課程修了者の内、正規の職に就けたものは54%だ。真面目に研究に打ち込めば仕事がある訳でもない(写真はイメージです)。
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大学院に進み、先進的な研究に打ち込んでいた優秀な先輩が、あまりこだわらず推薦で就職先を決めた。しかも、推薦が決まった企業で、研究がどれだけ活かせるかは分からないという。「研究で忙しいと、シューカツする暇もないんだよね」。その言葉を、加茂は聞き流すことができなかった。
科学研究が尊重されない世の中に未来はない。
僕たちの今があるのはサイエンスの恵みであって、僕たちの未来は研究者の頭の中にあるはずだ。
社会の発展に重要な貢献をする研究者が、その能力を活かせる場を選べないまま埋没してしまうなんて、人類にとっての大損失じゃないか!
調べてみると、博士号取得後に正規の研究職に就けないポスドクの問題や、40代になっても3年更新の不安定雇用に苦しむ研究者のキャリアの厳しい現実が見えてきた。資金不足が理由で、質のいい研究が進まない問題もある。
加茂はその手の中に握りしめていた。絶対に、自分がこの手で解決したいと思える課題を。
単純な就職支援サービスではダメだ。研究の手を止めなくても、自然と自分の専門分野に合った企業からオファーが来るスカウト型のサービスでいこう。
構想はすぐに固まった。採用支援だけでなく、研究室と企業をつなげる産学連携支援もいずれやっていく。「研究者の可能性を最大化する」というミッションは、元からそこにあったかのように明確に浮かび上がってきた。
それは自然なことだった。現役の理系学生であることも、研究者を身近に感じる環境で育ったルーツも、自分の強みなのだと初めて自覚した。
全国の研究室を自ら訪問
自身も理系学生であることを活かし、加茂は全国の理系学生に直接営業をかけていった。
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しかしながら、その課題を解決するための材料は、加茂の手元に何もなかった。
理系学生の就職を支援するには、就職を希望する学生と、その学生を迎える企業の双方を集めることが必要だった。
加茂はここで驚くほど地道な方法をとる。自らの足を使って全国の大学の研究室を訪問し、
「あなたの研究に興味を持つ企業はきっと存在します。もうすぐしたら企業も集まるので、登録してください!」
と学生一人ひとりに声をかけて回ったのだ。データベースに打ち込むための情報も一緒に考え、記入した。他大学の知り合いのつてもたどって、1カ月で300人もの学生を集めた。「死ぬ気だった」と振り返るほど加茂を本気にさせたのは、研究者へのリスペクトと、その力が未来を明るくするという信念だった。
こだわったのは、学生を紹介する情報の見え方だ。あくまで“研究”に光が当たるよう、「なぜその研究をやっているのか」「この研究をどんな分野に生かしていきたいか」という研究者としての思いを丁寧に聞き取り、可視化していった。「せっかく素晴らしい研究をしていても、表現が足りずに縁につながらないもったいなさ」を解消したかった。
同時に、企業側への働きかけも始めた。といってもサービスの形もない段階で、営業ツールもない。加茂は大胆な策に出る。サービス構想から2週間しか経っていない段階で、「LabBaseサービス開始間近!事前登録企業を募集します」とプレスリリースを打ったのだ。
事前登録は手作りのGoogleフォームで。100社の登録が集まったことで、「社会に必要とされている価値だ」と手応えを感じた。
かくして理系学生に特化した採用マッチングプラットフォーム「LabBase(ラボベース)」は誕生した。
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(文・宮本恵理子、写真・伊藤圭)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。