脱炭素に関するニュースを頻繁に耳にするようになったが、日本は転換が遅れている。
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2021年は脱炭素の年と言ってもいいほど、連日、脱炭素に関連するニュースが続いている。
日本ではいきなり脱炭素やカーボンニュートラルという言葉が出回るようになったことで戸惑い、対応や事業転換を迫られている企業も出ているが、国際社会ではすでに気候変動の国際枠組みであるパリ協定が2015年に採択されたときから脱炭素転換は動き出していた。
なぜ日本は転換が遅れたのか。脱炭素の主役となっている再生可能エネルギーへのシフトをするチャンスはなかったのか。
京都議定書は日本がリードした
この質問への答えの鍵は東日本大震災にある。
いまでこそ脱炭素後進国と評される日本だが、国連気候変動枠組条約が発効し、国際社会で気候変動を議論する場が整備された1990年代には、日本は省エネ化が進み、経済規模に比して温室効果ガスの排出が少ないエネルギー効率先進国だった。パリ協定の前身である京都議定書は日本がリードして合意に至ったものだ。
エネルギー基本政策法に基づいて策定されるエネルギー基本計画では初期段階からゼロ・エミッション(廃棄物を一切出さない資源循環型の社会システム)の概念が盛り込まれていた。2010年に策定された第3次計画では、2030年に向けた目標として、ゼロ・エミッション電源の比率を全電源の約70%とする旨も記載されていた。
日本政府が2050年までのカーボンニュートラルを掲げたいま、まさにこの比率についても議論されているが、表に出てきている数字は50%台。2010年時点で掲げた70%という比率がいかに高かったかが分かるし、実際、その数字は世界的にも十分高かった。
大半が原子力前提のゼロ・エミッション
かつて高いゼロ・エミッションを目標として掲げていた日本だったが、福島第一原発事故でその計画の変更を余儀なくされた。
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それを可能とした要素は二つある。
一つは、この計画が策定された時期が東日本大震災前で、原子力を基軸に電源を構成できると計算していたこと。第3次計画にも、原発の新規増設と設備利用率の向上によって、「水力等に加え、原子力を含むゼロ・エミッション電源比率を、2020 年までに50%以上、2030 年までに約 70%とすることを目指す」と記載されている。
つまりゼロ・エミッションを掲げてはいるが、いまの脱炭素時代における再エネ大幅導入による実現を前提としたものではなく、実質、原子力で大半を賄うという構想だったのだ。
もう一つは再生可能エネルギーの立ち位置の違いである。
例えば、いまや国際エネルギー機関が「エネルギーの王様」と形容するようになった太陽光。日本でも1992年までに4400億円が投じられたサンシャイン計画に基づき、開発を進めてきた。
この計画のおかげもあり、太陽光は従来、日本が世界をリードし続けてきた分野だった。日本の機械製造業の大手各社は太陽光パネルを生産し、2000年代、世界でも高いシェアを獲得していた。
出典:総合資源エネルギー調査会、省エネルギー・新エネルギー分科会、新エネルギー小委員会(第一回)より
だが今、太陽光パネルの生産は中国に完全にお株を奪われ、世界トップ10社のうち、中国に拠点を置く企業は9社。風力エネルギーも欧州、中国にシェアを奪われ、日本勢の存在感はまるでないが、2010年当時は、技術力の高い日本が今のような状況になると行政も予想をしていなかった。
つまり日本には原子力を基軸にしつつゼロ・エミッションを進めていけば、2030年までに再生可能エネルギーシフトも進み、脱炭素比率を向上させるという考えがあったのだ。そう考える余裕があったと言ってもよい。
大規模停電防ぐために頼った火力
関西電力は、運転から40年を超える老朽原発である美浜原発を6月に再稼働すると発表した。
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その構想が一変するのが3.11と福島第一原発事故である。
福島第一原発事故は、原発安全神話を根底から覆した。安全性の絶対的な確保が不可欠となっただけでなく、原発にネガティブな世論もあり、エネルギーミックスを考える上で、行政側は原子力を将来確実な手段として計算に入れることができなくなった。
それ以上に大きかったのは、この事故時点で日本の電力の約3割を供給していた原子力からの電力供給が一気になくなったことで生じた電力需給のギャップである。電力の需要に対して供給が追い付かない場合、大規模停電を起こす原因となる。原子力を止めたことで生じたこのギャップを急遽、他の代替手段で補う必要が生じた。
その手段として活用されたのが火力発電だった。2010年時点でも電源構成の中で6割程度を占めていた火力発電が、震災後の2012年には原子力の穴を埋める役割を果たし、電源の約9割を占める形になった。以後今まで、約8割という水準が維持されている。
この一連の流れに、日本の脱炭素化に遅れにつながるいくつかの要素が秘められている。
まず温室効果ガス排出削減などと言っていられる状況ではなくなったこと。社会の根底をなす電力の安定供給という至上命題を、原発のない状況で解決するには、現実的な選択肢は火力しかなかった。結果、温室効果ガス排出は増加し、それまでの脱炭素化優秀国という方向性を転換せざるを得なかった。脱炭素よりも優先すべきことがある、という考えが浸透したのだ。
固執した高性能火力というロジック
安倍政権の成長戦略の一環である「インフラ輸出戦略」の中で、石炭火力発電所の輸出は重要な政策と位置付けられた。
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2つ目として、火力の信頼性が増したという点がある。火力が日本の電力の窮地を救ったことは間違いなく、発電事業者は老朽石炭火力発電所の活用も含めて、火力への依存度を強めた。
一方の再生可能エネルギーは出力が不安定いう欠点があり、その比率が高くなるほど、どうやってエネルギー全体で安定化させるかという論点が重要となる。これについても、日本の場合は、石炭火力がその調整電源の主力を担った。結果、石炭を含む火力についての信頼度がますます高まった。
こうした傾向は、業界にも間違ったシグナルを送ることになる。
電力事業者は、政府は今後も火力を主軸に取り組んでいくというメッセージとして受け取り、脱炭素転換が遅れる要因となった。
福島原発事故前は「原発ルネサンス」と呼ばれ、日本には日立、三菱重工、東芝と世界でもトップクラスの競争力を持つ原発メーカーが揃っていた。官民挙げて原子力を海外に売り込んでいこうという構想もあったが、福島事故を契機に頓挫をする。結果として、海外に対して発電系施設の売り込みをかけるときに、日本が強みを持つのは火力一択となってしまった。
火力への傾倒へ拍車をかける要因も続いた。
一つは中国の台頭とそのインフラ展開だ。中国はCO2排出などを気にしない形で、海外へも石炭火力を積極的に展開をするようになり、日本のインフラ輸出戦略上の脅威となった。何よりコストが安い。日本のものは高性能な半面、コストが高いという点で入札となると分が悪い。
その中で日本は「中国のものは質が悪いが、日本のものは高効率であり、環境負荷も低い」という形で差別化を図り、強みをアピールするようになる。高効率の石炭火力の導入が世界の低炭素化に貢献をするという日本独特のロジックもこの過程で形成された。
世界では2013年時点ですでに再エネ電源の方が導入量が多いという統計もあり、低炭素化を謳うなら、再エネという選択の方が妥当性を持つのに、日本は強い分野が少なくなる中で、このロジックに固執していくようなる。
くしくも、こうした時期は世界的に気候変動対策の機運が高まっていった時期と一致している。気候変動対策は温室効果ガス排出削減の優先順位が一番高い。石炭火力の評価は低くなり、海外から攻撃をされる材料にもなった。
だが、海外に電力インフラとして売り込むことができる唯一のものを、日本としては死守しなければならない。海外から批判や攻撃をされるほど、日本は火力の論点を守り、だんだんと視野狭窄になっていった。
この時点で、思い切って再エネ転換をして、再エネインフラを輸出していくという考えにはどうしてもなれなかったのだ。それが結果として、太陽光では中国にシェアを奪われ、皮肉にも現在、肝いりで推進している風力も、海外メーカーの参入がなければ難しい状況を招いてしまった。
玉石混交の業者進出許した買取制度
かつて太陽光パネルの生産でも世界をリードした日本だが、今ではその地位は中国に取って替わられた。
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福島原発事故が日本の再エネ転換の遅れとなったもう一つの要因は、原子力への執着である。先述のとおり、国内外に対して日本の高い原子力技術でインフラを展開していこうという矢先に、計画は頓挫した。
だが中核企業があり、支える知見をもった技術者もいる。国内に目を向ければ、すでにある発電所を稼働さえすれば、火力で代替している分は原子力で再代替が可能で、CO2も出さない。目の前にあるものを活用するのが一番早い、と原子力が亡霊のようについて回ることとなった。
エネルギー基本計画でも再エネ比率を明示するのではなく、ゼロ・エミッション電源という記述にこだわるのは、原子力をどうしても織り込んでおきたいという意思の表れだろう。常に原子力を念頭に置いたために、再エネへの転換が阻害されることになった。
そうした事情に加えて、日本の再エネ政策自体にも問題があった。
日本は再エネ導入にあたり固定買取制度という買取保証の仕組みを導入したのだが、参入しやすくするために買取価格を高く設定した。結果、太陽光事業者はコスト削減せずとも利益を出せる形となり、結果的に日本のメーカーの価格競争力を弱めた原因の一つとなった。
高い買取保証目的で参入してきた業者の中には、決して優良ではない企業も多く含まれる格好となった。そうした実態から再エネ業界全体がエネルギー行政にとって信用しづらいものとなり、火力や原子力セクターへの信頼が増す形になった。
世界が再エネに向かい、コスト低減とイノベーションを両立する中、日本はどうしてもその欠点に焦点が行く形となった。それは現行の第5次エネルギー基本計画の中からも明確に感じ取れる。同計画の「はじめに」という序文には、
「現状において、太陽光や風力など変動する再生可能エネルギーはディマンドコントロール、揚水、火力等を用いた調整が必要であり、それだけでの完全な脱炭素化は難しい」
という記載があるが、再エネ拡大に留保をかけたいという姿勢が如実に表れている。
これまでに何度もあった転換のチャンス
2019年の気候変動サミット時には、世界各地で若い世代を中心としたデモが繰り広げられた。
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こうした背景があり、世界における脱炭素化の進展がリアルなものとなり、日本も早期に取り組まなければ経済競争力に直結してくる段階になっても、脱炭素に舵を切るには至らなかったのだ。ようやく目が覚めたのは、環境負荷を無視する存在と認識していた中国が、2060年カーボンニュートラルを掲げたからだが、これまでに舵を切るチャンスがなかったかと言えばそんなことは全くない。
パリ協定が採択された2015年は一つの目を覚ます契機だったが、そのタイミングを逃したとしても、2016年の同協定の発効のタイミングとその前後は正直、絶好の機会だった。
他の主要国が分かりやすく手の平を返し、脱炭素転換に本腰を入れる宣言をしたのがその時期だからだ。
ただこのタイミングでも、日本はアメリカのトランプ政権がアンチ脱炭素であることをいいことに目をそらす形となった。その後も2018年のエネルギー基本計画の改定、2019年のパリ協定に基づく長期成長戦略の策定等、思い切った脱炭素方針を打ち出すタイミングは定期的に訪れたが、ことごとくモノにできなかった。
脱炭素化は国際社会で進展し、それに基づいてルール作りが形成されれば、脱炭素を実現できない経済は置いて行かれることになる。それが分かっているのであれば、痛みを伴う転換でもタイミングは早いに越したことはない。
すでに後発となっているが、世界から仕掛けられた競争であるなら、挙国一致でねじを巻きなおして臨むしかない。2021年に入り、日本企業もいよいよ脱炭素の動きを見せ始めた。まだ間に合うかもしれないこのタイミングで官民を挙げて舵を切り、脱炭素競争においても日本ありを示す、そのような形となることを期待したい。
(文・前田雄大)
前田雄大:EnergyShift発行人兼統括編集長(afterFITメディア事業部長)。1984年生まれ。2007年、東京大学卒後、外務省入省。開発協力、原子力、大臣官房業務などを経て、2017年から気候変動を担当。G20大阪サミットにおける気候変動部分の首脳宣言の起草や各国調整を担当し、宣言採択に寄与。パリ協定に基づく成長戦略など各種国家戦略の調整も担う。2020年より現職。群馬県に移住、平日は東京滞在の二拠点生活。YouTubeのエナシフTVでキャスターも務める。