「年収低い方が家事をやるべき」論が、根本から間違っている理由

人材サービス業界を中心に、20年あまりの会社員生活に終止符を打った筆者の川上敬太郎さんは、フリーで仕事をしながら家のことを主として担う「兼業主夫」の道を選びました。今度は妻が正社員です。

この生活の中で見えてきた、家事労働が外での仕事よりも軽んじられることへのモヤモヤの正体とは。

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家事を軽んじるのは「経済合理性のロジックに染まっているから」かもしれない。

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家族の中で誰よりも早く起きて通勤し、仕事でヘトヘトになり、家族の誰よりも遅く帰宅して翌朝に備える。

私がそんな生活を20年以上続けることができたモチベーションの最たるものは、生活費を稼がなければならないという責任感だったと思います。

仕事は当然、楽しいことばかりではありません。仕事で嫌な思いをしてもガマンしたり、体がしんどくても出勤したり、気持ちが乗らない日でも職場ではテンション高く振る舞おうと努めたり……。

朝早く家を出て夜遅く帰るため家族との接点は少なく、“おつかれさま”とか“いつもありがとう”などという言葉を聞く機会は滅多にありません。

身を粉にして働いている実感とその対価として得られた給与は、外に出て仕事をしている人にとっての「誇り」でもあります。その誇りは、尊ばれるべきものだと思います。

しかしいつの間にか、その“尊さ”が“尊大さ”にすり替わってしまうことがあります。特に家庭で生計の主体者という役割を担うことの多い側の人(一般的には主に夫)は、得てして“尊大さ”のワナにはまりがちです

稼いでいない他の家族は自分のおかげで生活できている。パートに出ている家族がいたとしても、しょせん扶養内に収まる程度の額でしかない。たくさん稼いでいる自分こそが、家族の中で一番えらい———。

人は尊大になると、知らず知らずのうちに周囲を見下すようになってしまいます。「最も稼いでいる自分が一番偉い」という経済合理性ありきの判断基準に芯まで染まってしまうと、金銭の対価を生まないものを否定的に見るようになってしまいます

多くの家庭で、妻が主に担いがちな“家事”も、そんな経済合理性ありきのロジックによって軽んじられてしまうものの一つです。

家事を軽んじる風潮へのモヤモヤ。ハッキリした違和感に

会社員

家事を「ブランク」とみなして空白扱いするのはおかしいのではないか。筆者は違和感を抱いた。

撮影:今村拓馬

家事を軽んじる風潮へのモヤモヤ感は以前から私の中にありましたが、会社員としての生活に区切りをつけて兼業主夫になってから、ハッキリとした違和感として認識されるようになりました

「しょせんは家事」「ずっと主夫なんて」など、以前は聞き流していたであろう言葉が耳に入ってくるようになったからです。

私はかねてから、“ブランク”という言葉に疑問を感じてきました。

例えば女性が出産や子育てを機に、外に出て対価を得る仕事から離れ、家事や育児という家周りの仕事に専念していた期間を労働市場では「ブランク」として扱います。しかし、実際には何もしていなかった訳ではありません。空白扱いされてきた期間も、しっかりと家事や子育てを担ってきたのです

確かに、家事はそこそこの水準でよしとするならば、難易度の高い作業は少ないかもしれません。家族からの不平不満さえ気にしなければ、多少手を抜くことぐらいはできてしまいます。

その点、外に出て対価を得る仕事の場合は、常に競争にさらされます。顧客の期待に応え、求められた水準以上の成果を出すことを求められます。

ひとたび信頼を失えば次の仕事機会は得られません。外での仕事には、失敗できないという緊張感が、常に付きまといます。

一方、家の仕事に従事する期間を「ブランク」と見なす人からすると、家事は生きていく上で当たり前のこと。だから 、 家事は「外での仕事に匹敵するような代物ではない」と受け止められてしまうのだと思います。

毎日の家事で磨かれるソフトスキル

食卓

家族という「顧客」を相手にする家事。毎日の献立決めなどを通じてソフトスキルが磨かれる。

GettyImages/Indeed

これは、ある一面ではそうかもしれません。各家庭の中において、個人の裁量の範囲で行われている家事は、組織立ってビジネス上の成果を出そうとする仕事とは別物と言えるでしょう。

しかし、家事に専念している人がプレッシャーとは無縁で、成長も何もしてないかというと、そんなことは全くありません

例えば、毎日の献立を考えるだけでもさまざまな工夫や配慮を要します。家族の健康維持という責任を負いつつ、飽きさせないようにし、冷蔵庫の中身を効率よく消費し、無駄な食費を使わず、子どもの栄養や好みにも配慮する。

真剣に取り組めば取り組むほど、家事を担う者ならではの責任やプレッシャーは増していくことになります。そして、 家族という“顧客”に最善の食事を提供できるように取り組む中で鍛えられていくことで、瞬時にその日の献立を決めてしまえるだけのスキルなどが身についていきます。

日々の献立を考える力が、外での仕事に役立つか?と言われれば、そのままでは役立たないでしょう。

しかし、少しずつ料理を覚えながら、家族という“顧客”を毎日それなりに満足させてきた。そんな日々の背景にある、工夫改善能力や、様々な素材を組み合わせる構想力など、家事に一所懸命取り組めば取り組むほど、人材としての素地を形成するソフトスキルは確実に磨かれていきます

さらに、子育てや介護という、いつ何時、何が起きるか常に分からないタスクも加われば、その対応力、判断力、責任感というソフトスキルはさらに広がることでしょう。

家オペ力というソフトスキルを評価すべき

日本企業の多くは職能主義であり、担当職務ベースでドライに評価するのではなく、人材が有する能力を評価する特性があります。採用する際に、何ができるかではなく、素地となる能力で評価する典型は新卒採用です。今流行りのジョブ型(職務主義)にはない、メンバーシップ型の利点の一つです

社会人経験のない学生を採用する際、人事担当者は面接でガクチカについて質問します。ガクチカとは、「学生時代に力を入れたこと」の略です。学業や部活動、アルバイトなどを頑張った経験は、社会に出てから積むビジネス経験とは全く別物です。人事担当者はガクチカについて聞くことで、その学生さんが有する能力、即ちソフトスキルを見定めて評価します。

新卒採用ではありませんが、結婚や出産を機に仕事を離れた女性が、家事や育児、介護などブランクと見なされてきた期間に磨かれたソフトスキルも、それと同じように評価することができるはずです。

私はそのスキルを「家オペ力(家周りの仕事をオペレーションする力)」と名づけ、中途採用関係者の方々にも積極的に評価していただきたいとレポートなどを通して訴えてきました

家事労働が生み出す間接的価値

通勤風景

「稼ぎ」ができるのは家事をしてくれる誰かがいるから、ということを忘れてはならない。

撮影:今村拓馬

「家オペ力」が磨かれることは、家事が生み出す直接的価値です。

一方でもう一点、決してないがしろにしてはならないと考えるのが、家事が生み出す間接的価値の存在です。それは、家族の“誰か”が「より多く」家事を担ってくれることで、外で「より多く」仕事する人の「稼ぎ」を助けているということです。

先にも書いた通り「家事」は人が生活する上でしなければならないことです。毎日の食事、洗濯、掃除、買い物、育児、子どもの学校行事、ご近所づきあいなど、社会の一員として生活していく上で当然行わなければならない日々の“務め”です。

毎日朝早く家を出て、夜遅く帰って翌日に備える。その当たり前の生活を繰り返すことに集中できるのは、家族の“誰か”が、全ての、もしくはより多くの家事を行ってくれているからです

外に出て対価を得る“稼ぎ”も家周りのオペレーションをこなす“務め”も、どちらも生活する上で欠かせない行為であり、尊い役割です。

しかも今は共働き家庭が専業主婦(主夫)家庭より多い時代。その分担の「配分」に、上も下もありません。ワンセットです。

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