アップルのソフトウェアエンジニアリング担当上級副社長クレイグ・フェデリギ氏は「プライバシー保護は基本的人権の一つであるとアップルは信じている」と明言。
出典:アップルWWDC21基調講演より
アップルはWWDCで2つの方針を強く打ち出した。
1つは「クラウドをあえて使わない、端末上でのAI処理」、もう1つは「プライバシー強化」だ。一見別のことに思えるが、両者は不可分な関係にある。そして、現在のITシーンを考える上で、とても重要な要素となっている。
WWDCの基調講演の中で、アップルのソフトウェアエンジニアリング担当上級副社長クレイグ・フェデリギ氏は、「プライバシー保護は基本的人権の1つであるとアップルは信じている」と話した。
今秋公開予定の「iOS 15」「iPadOS15」「macOS Monterey」などで実現される要素から、アップルの考える「プライバシー保護」の最先端を考察した。
「ヘルスケア」強化に見えるアップルのプライバシー対策
歩行や心臓病の兆候など、健康上のリスクをセンサーの情報から指摘するようになった。
出典:アップルWWDC21基調講演より
iOS 15には多彩な機能がある。筆者はその中であえて、重要な要素として「ヘルスケア」に注目している。これからのiOSを考える上で、とても特徴的な機能だからだ。
いつも肌身離さず身に付けているスマホに搭載されたセンサーから、アップルは「健康に暮らすための価値」を引きだそうとしている。
iPhoneを持って歩くと、その振動から「歩行バランス」を解析し、転倒事故のリスクを示す。
例えば、iOS 15ではiPhoneを持って歩いているときの振動から、「歩行時に転倒する危険性」を検出する。体調不良などによりバランスが崩れてくると転倒事故が起きやすくなるが、それを通知して防止しよう……という試みだ。
実は、歩くときの歩幅や左右のバランスなどは、すでに今のiOSでも検出できている。
さらにそこに、医学的知見を生かしたAIを組み合わせることで、転倒事故を防止しようとしているわけだ。
現行版であるiOS 14内部のデータ。歩行の状況は取得できているが、そこからリスクを判断することはまだできていない。
出典:アップルWWDC21基調講演より
iOS 15では、歩行状況から転倒リスクが高まると、通知の形で警告が発せられる。
出典:アップルWWDC21基調講演より
これはあくまで一例だが、健康に関わるような情報は極めて個人的な情報だ。
それを軽々にネットにアップロードすることはできない。そのため、この種のデータは以前から、iPhone内に暗号化して記録されている。利用者が許諾した医師や家族とは共有できるものの、アップルですら無許可で中身を見ることはできない。
健康に関わる情報は、本人が認めた場合、医師や家族と共有できる。
出典:アップルWWDC21基調講演より
そして、ここもポイントだが、転倒安全性を含む分析は、プライバシーを守るためにも、すべて「iPhoneの中だけ」でAIが処理しており、クラウドには出ていかない。
Siriもクラウド依存を減らした「プライバシー重視」へ
同様に、プライバシー保護を理由に「クラウドの活用」の幅を小さくしたものがある。音声アシスタントの「Siri」だ。
iOS 15・iPadOS 15など今秋以降に提供されるアップルの新OS群では、Siriの認識や返答について、可能な限り「オフライン」「デバイス内」で完結するようになったという。
音声アシスタント「Siri」はクラウドの依存度を減らし、基本的に「デバイス内処理」になる。
出典:アップルWWDC21基調講演より
クラウドにデータをアップロードしないのは、前出の通りプライバシー保護を考えてのことだ。だがそれだけでなく、クラウドへのアクセスがなくなったことで、動作や反応がより速くなるという利点もある。
音声アシスタントの「デバイス内処理」への移行は、アップルだけの話ではない。グーグルも次期OS「Android 12」で強化するし、アマゾンも進めている。プライバシーへの懸念と動作速度向上という要望を満たすには、デバイス内処理の比率を高めることが必須なのだ。
だから、アップルがSiriをデバイス内処理にすることはまったく驚きではない。
追跡防止から「終活」まで、広がる「セキュリティ対策」
アップル標準のネットサービス「iCloud」は、有料プランではプライバシーをさらに強化した「iCloud+」になる。
出典:アップルWWDC21基調講演より
ネットを使う「行為自体」のプライバシー強化も多い。
アップルのネットサービス「iCloud」は、有料プランの名称が「iCloud+」になることが発表された。ウェブアクセス時のIPアドレスを隠して個人のトラッキングを防ぐ「Private Relay」や、企業に登録する匿名メールを提供する「Hide My Email」などを、今までと同じ金額のまま提供する。
また、パスワードがわからなかったときのサポートのために「復旧用連絡先」が設定できるようになったのも、プライバシーとセキュリティを強化するための策だ。
信頼できる人を管理者とし、「復旧用連絡先」を指定しておく。これで、パスワードを簡単なものにしたり、他人に教えたりしなくて済むようになる。
出典:アップルWWDC21基調講演より
例えば、IT関連機器が苦手な人や老齢の親、子供などにスマホを渡すときの課題が「アカウント管理」だ。
トラブルが起きないようにシンプルなパスワードを設定したり、近くでサポートできる人にパスワードを教えたりしている場合があるが、本来それは望ましくない。
「復旧用連絡先」があれば、離れたところからトラブルに対処しやすくなり、基本的な部分でのセキュリティが向上する。
持ち主が亡くなったときの連絡先を追加できるのも、同様の価値を持つ。パスワードなどを人に教えることなく、信頼できる人に後を託せる体制にすることで、同様にセキュリティが向上する。
「終活」対応として、亡くなった際に安心してアカウントを託せる人を指定できる。
出典:アップルWWDC21基調講演より
こうした機能強化は、スマートフォンやタブレットを「安全なまま使う」ことが、社会の中で当たり前のことになるための過程と言っていい。
iPhoneが生まれてから14年が経過し、OSのバージョンも「15」になった。ちょっと遅かった部分もあるが、それだけの時間が経過したということが、ITリテラシーが高くない人のサポートや「終活」まで含めて配慮する必要を生み出している、とも言えそうだ。
(文・西田宗千佳)
西田宗千佳:1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。取材・解説記事を中心に、主要新聞・ウェブ媒体などに寄稿する他、年数冊のペースで書籍も執筆。テレビ番組の監修なども手がける。主な著書に「ポケモンGOは終わらない」(朝日新聞出版)、「ソニー復興の劇薬」(KADOKAWA)、「ネットフリックスの時代」(講談社現代新書)、「iPad VS. キンドル 日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏」(エンターブレイン)がある。