日本を代表するアパレルブランド「ユニクロ」が、アメリカの税関で輸入差し止めに。その背景には何があるのでしょうか?
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2021年1月にユニクロの綿シャツがアメリカの税関・国境警備局(CBP)に輸入を差し止められていたことが、先日ニュースで報じられました。CBPは、ユニクロの綿シャツに「人権弾圧の可能性がある新疆ウイグル自治区の主要生産団体が関与した綿花が使用された疑いがある」としています。
軍事クーデターが起きたミャンマーでも、国軍系の企業と取引していた外資系企業が撤退や事業の見直しを迫られています。背景にあるのはビジネスと人権、そして「人権デューデリジェンス」という考え方です。
欧米諸国を中心に広まる「人権デューデリジェンス」の考え方と取り組みは、企業にとってCSRや社会貢献の文脈だけではなく、経営の重大イシューとなりつつあります。
しかし、そもそも「人権デューデリジェンス」とは何でしょうか?
国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局次長で「ビジネスと人権」に詳しい弁護士の佐藤暁子さんに聞きました。
Q1. そもそも「人権デューデリジェンス」って何?
国連が中心となり、国際的に「人権デューデリジェンス」の考え方が広まっています。
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「人権デューデリジェンス」とは、企業が原材料調達・生産/製造・輸送・販売・廃棄、あるいはビッグデータ使用など事業活動をする中で、社内はもとよりそのサプライチェーン(供給網)、バリューチェーン上の強制労働やハラスメント、差別などの人権リスクを「特定」し、それを「軽減したり予防したりする」、そして「救済する」措置を取ることです。また、その取り組み内容と結果の「情報開示」も含まれます。
ただ、佐藤さんは「人権デューデリジェンスの目的は、必ずしも人権リスクをゼロにすることではないのです」と言います。
「人権リスクがゼロになる…ということはあり得ません。むしろ、リスクがゼロと評価されれば、潜在的なリスクが表面化していない…と判断される。ゼロであると評価すること自体がリスクと捉えられます」
「“ゼロリスク”であるよりも、潜在的・顕在的リスクがどこにあるかを特定し、どのくらい深刻かを評価・開示することで、目指すべき『人権が実現されている社会』とのギャップを測定し、そのギャップを埋める取り組みを進めることが重要です」
Q2. なぜ最近、人権デューデリジェンスが言われるようになったの?
グローバル企業は、ビジネスと人権問題への対応に迫られて久しい。1990年代後半、ナイキの児童労働問題は世界的な不買運動に繋がった。
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人権デューデリジェンスが世界的に取り組まれる起点となったのは、2011年。国連人権理事会が全会一致で「ビジネスと人権に関する指導原則」を承認したことです。国連は各国に、これに即した行動計画の策定を求めました。
これ以降、欧米諸国では人権デューデリジェンスを法制化する流れが生まれています。一方、相対的にアジアでは法制化に関する動きは鈍く、日本にもまだ法律はできていません。
作成:Business Insider Japan
欧米での人権デューデリジェンスをめぐる機運の高まりには「消費者からの要請も大きい」と佐藤さんは指摘。
「欧米の企業であっても、人権意識が一概に高いわけではありません。ただ、世界中にサプライチェーンを張り巡らせる中で、児童労働や資源国の紛争鉱物などが問題となり、実際の不買運動や法制化につながった歴史があります」(佐藤さん)
佐藤さんは1990年代後半に注目を集めた、ナイキの児童労働問題を例にあげます。
当時のナイキをめぐっては、東南アジアの工場で児童労働や劣悪な環境での長時間労働があったと報道で発覚。世界的な不買運動につながりました。経営に打撃を受けたナイキは、サプライチェーンの人権遵守に取り組むようになりました。
他にもファストファッションやタバコ製品、チョコレート、パーム油、シーフードといった生活用品の生産をめぐり児童労働や劣悪な労働環境が指摘されています。
内戦や紛争の発生地帯で採掘された「紛争鉱物」が、武装勢力の資金源になっている問題も顕在化しました。
- 不買運動のようなレピュテーションリスク
- 訴訟などのリーガルリスク
- 投資引き上げなど財務的リスク
- ボイコットのような業務上のオペレーションリスク
「欧米では早くから、人権侵害がこうした大きなリスクに繋がることが常に顕在化し、企業も国も対応を迫られてきたのです」(佐藤さん)。
Q3. 日本は人権デューデリジェンスの取り組み、遅れているの?
サプライチェーンの細部まで目が行き届きにくい大企業に対して、東京証券取引所は上場企業向けのガイドラインを施行していますが……
REUTERS/Kim Kyung-Hoon
「日本は周回遅れであることは事実です」と佐藤さんは言います。
日本ではこのところ「ビジネスと人権」をめぐる2つの動きがありました。
- まず、外務省は2020年10月、国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」の流れを汲んだ行動計画(NAP)を策定しました。ただしこれは世界24番目と、経済先進国の中で出遅れています。アジアでは、その1年前に既にタイが行動計画を発表しています。
- 次に金融庁と東京証券取引所は上場企業向けの「コーポレートガバナンス・コード(CGコード)」に人権尊重を求める規定を作り、2021年6月中の施行が決まっています。
これについて佐藤さんは「企業や企業弁護士、投資家の間で、想像以上に(ビジネスと人権について)関心が高まった効果はある」と評価できる面があるとします。
一方で、
「コーポレートガバナンス・コードでは『人権の尊重』というものすごく抽象的なワードしか入っておらず、また、NAPでも具体的な施策は導入されておらず、企業は具体的にではどうすればいいのかという悩みは増えそう」
中身のものたりなさが否めないと指摘します。
また、法規制とセットで「意識の土壌」も必要です。
「日本はリーダーや経営者が人権とビジネスに対するマインドをもっと変えなければいけない。そこが日本の遅れの大きな原因だと思います」(佐藤さん)
Q4.個人にできることってあるの?
国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局次長で弁護士の佐藤暁子さん。
佐藤暁子さん提供
日本企業で人権デューデリジェンスの動きが進まないもう一つの背景として、消費者の関心の低さもあるようです。
「日本では製品の安全や異物混入などの問題にはメーカーも即座にサプライチェーンを調査し、対策を施します。一方、製品の生産に関わる人たちの『人権』となると、消費者からの反応はもちろん、企業内部からも声が上がらないないという状態。結果的に、企業が深追いしない面はあったと思います」(佐藤さん)。
佐藤さんは不買運動のような消費者活動が、日本であまり盛んではないことについて「声をあげにくい、同質性の高い抑圧的な社会という面もあるでしょう」(佐藤さん)と分析します。
とはいえ世界的に、消費者の購買行動が企業を動かしたり、世論の高まりが政治を動かしたりという流れは、確実に起きています。
「『ビジネスと人権』は、経営や事業価値だけが問題ではなく、社会のあり方、ひいては民主主義や基本的人権の議論とリンクしています。そういう意味でも選挙をはじめ、ひとりひとりが色々なところで声を上げていくことはすごく大切なのです」(佐藤さん)
Q5. 新型コロナが人権デューデリジェンスの流れを加速したの?
新型コロナウイルスが世界中で蔓延したことをきっかけに、サプライチェーンの全容把握の必然性が再認識されている。
REUTERS/Mike Segar
世界的なパンデミックを引き起こした新型コロナによって、環境(E)・社会(S)・企業統治(G)を重視して投資するESG投資、その実行部分であるデューデリジェンスの重要性が再認識された面があるようです。
というのもサプライチェーンの全容は日頃から把握していなければなりません。そうでなければ、新型コロナのような世界的な危機の下では経営上のリスクも算定できず、企業にとって致命的な弱点となる危険があるからです。
「世界が同時に危機に陥ったとき、サプライチェーンを動かし、末端の工場まで稼働できる状態なのかどうか。その判断のためにも、普段からサプライチェーンで働く人たちの労働環境=人権リスクを把握しておく。これが企業のレジリエンス(危機から立ち直る力)の強度に差を生みます」(佐藤さん)
日本ではESGの取り組みにしても、人権デューデリジェンスにしても「他がやってるから、ひとまずうちも」という横並び感が強いと、佐藤さんは指摘します。
しかし、地球規模でサプライチェーンが張り巡らされたいまの時代、人権デューデリジェンスは「取り組んでいないことが自体が経営にとってもリスク」となったのです。
Q6. 人権侵害リスクのある国から、企業は撤退すればいいの?
国軍との衝突が続くミャンマーでは、国軍に資金が回っていると考えられる企業が世界中からの厳しい視線を受け、相次いで撤退している。しかし現地の雇用への影響も指摘されている。
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人権デューリジェンスを追求するには、リスクのある国からどんどん企業が撤退すればいいのでしょうか。どうやら話はそれほど単純ではないようです。
外資系企業が撤退することで、現地の雇用や産業に打撃を与えるという側面があるのも事実だからです。
2021年2月、国軍がクーデターを起こしたミャンマーでは、国軍の傘下企業と取引する外資企業が生産拠点の縮小や撤退が検討されています。
人権デューデリジェンスの観点からも、国軍の資金源となってしまうことが警戒されているからです。
これに対してミャンマー・欧州商工会は、ミャンマーの縫製業が直面しているジレンマについて声明を発表しています。
「欧州ブランドの工場が閉鎖されば、労働者が職を失い、調達先は他の国に移る事になる。ミャンマーの重要な産業である縫製業が回復するのは何年も先になる」
佐藤さんはこうしたジレンマについて、セクターをまたいだ連携の重要性を説きます。
「国際的に人権リスクが指摘されている国でのビジネスについて、企業の経営陣が自分ごととして捉えていくことは必須です。ただ、民間企業だけではどうしても限界がある。国家間での人道支援や国際協力とのセットで取り組む必要があります」
Q7. 中国との外交やビジネス関係を損ないたくないから、日本政府や企業は発言できないの?
コロナ禍でも、アメリカに次いで経済回復をし始めている中国。経済的に中国への依存度が高い日本は、どのような対応をするべきなのでしょうか。
Getty Images/Kenzaburo Fukuhara - Pool
欧米諸国が批判する「ウイグル問題」について、先進7カ国(G7)で日本政府は唯一、中国への制裁措置を取っていません。
「ウイグル問題」に象徴されるように、人権デューデリジェンスをめぐっては、欧米諸国と中国の対立構造、中国へのけん制という側面があるのは事実です。
こうした中、「親中派の与野党議員が身動きが取れない」「サプライチェーンとしても市場としても、中国依存度が高い日本は不買運動や生産への悪影響を恐れ中国を刺激することを言えない」……といった声が上がります。
これに対し、佐藤さんは
「地政学的・歴史的文化的な関係が、日中と欧米諸国では全く違います。だからといって、欧米の二項対立、欧米vs中国という構造で全て一緒くたに議論するとミスリード」
と指摘します
「『対中国で人権は語れない』とシャットアウトするのではなく、個別の問題で考えていくべきです。新疆ウイグル自治区に関連するビジネス上の関係を取り消したからといって、中国本土の全ての事業を停止する必要はありません」
「中国にしても、自分たちの考える『民主主義』があると主張する一方、中国国営企業に対しては海外市場でルールに基づきコンプライアンスを徹底するよう伝えている」
進出地域でルールを守らなければ、ボイコットや不買運動など経営リスクにつながりかねないことは、中国の国営企業にとっても同じだからです。
二項対立で思考停止するのではなく、トピックごとに微調整をしていく、そして自社の方針・対応を対外的に表明する必要がありそうです。
人権をめぐるブレないコアバリューを
サプライチェーンにおける人権デューデリジェンスを徹底しようとすれば、末端の調達先まで情報を追跡しチェックする必要があり、企業は相応のコストを引き受ける覚悟がいります。また、外交問題、現地の雇用や産業とのジレンマなど、国際的な交渉や連携が必要となる、複雑な要素も絡みます。
佐藤さんは「そのためにも日本企業、日本政府は、人権をめぐるコアバリューを明確に持つことが必要です」と言います。
アメリカがやっているから、ルールだからではなく、人権方針を明確にし「自分たちは、どんな価値観を大切にしているのか。自分たちが重んじていることは何か」を判断軸にビジネスを培っていけば「ブレることはない」と投げかけています。