自分の好きな道を選び、チャレンジし続けている人たちは、どんなパートナーを選んでいるのでしょうか。
パートナーとしての決め手や、リスクをとる決断や心が折れそうなピンチを乗り越える時、どんな言葉が支えになったのかなど、妻と夫にあえて同じ10の質問をすることで掘り下げます。
第6回は、東京・三鷹に拠点を置く塾「探究学舎」を経営するワイズポケット 取締役の宝槻圭美さんと、社長の宝槻泰伸さんご夫妻。
2000人が満席となる大人気塾への成長、そして5人の子育て—— お二人はお互いをどのように支え合ってきたのでしょうか。
写真:千倉志野
—— 出会いのきっかけと結婚の経緯は?
出会いは12年前。私はユネスコのアジア文化センターで、教育関係の国際協力や組織開発に携わっていました。その頃、インターンに来ていたマレーシア人の学生が、夫の会社に就職が決まっていたことから、夫が「途上国での教育に、うちの教材を使ってもらえないか」とプレゼンに来たのがきっかけ。担当だった上司から「一緒に話を聞かない?」と声をかけていただいて、私も同席したんです。
事前にウェブサイトで調べた際、代表である彼が私と同い年だと気づいて。私は政府系のお堅い組織にいたので、「20代で起業しているなんてすごいな」と驚いたのを覚えています。
ミーティングの内容はすごく面白くて刺激的でした。エネルギーを全身から溢れさせて、イキイキと話す様子に引き込まれました。上司が離席した後、「今度の週末、空いていますか?」と誘われ、てっきり仕事関係の集まりがあるのかと思ったらホームパーティーのお誘いで。
行ってみたら多彩なメンバーが集まっていて、「こんなに素敵な方々に囲まれて生きている人なんだ」と知りました。会場では、教育の課題や未来像について熱く語り合って意気投合。ほどなくお付き合いが始まりました。
—— なぜ「この人」と結婚しようと思ったのですか?
漠然と27歳くらいで結婚したいとは思っていたのですが、自分が目指すキャリアとどう両立できるのかと悩んでいました。実は、夫の前にお付き合いしていた方は、絵に描いたようなハイスペックな男性。
でも、私が何を成し遂げたいと思っているかには無関心で、努力をしてようやくユネスコに就職が決まった時にもほとんどリアクションがなくて……。一緒に生きるのは無理だなと失意のお別れをした3日後くらいに出会ったのが夫だったんです。教育について、同じ熱量で対等に語り合えたことが嬉しかったですね。
知り合ってすぐの頃に、目をキラキラと輝かせて「滅私奉公ではなく、活私開公(かっしかいこう)だ」と言った彼の言葉は胸に響きました。私も、「組織に対して犠牲になるのでなく個が花開く働き方とは」というテーマをずっと持ち続けてきたので、彼の夢は私が成し遂げたい夢と同じだと思えました。同じ夢を持つ者だから、信じたいし、応援したいと。
夏に出会い、秋に交際が始まって、冬に私の妊娠がわかって。出会ってから夫婦になるまでの時間はとても短かったんですけれど、彼は本当にピュアな人だと信じられました。
ずっと一緒にいたいと思えた決定的な理由は、本当に裏表のない正直な人だと確信できたから。時々、「え? そんなことまで口に出しちゃうの?」とビックリすることもよくあるんですけど(笑)、相手によって意見を変えたり、取り繕ったりしない姿に、私はかえって安心できます。
夫も公言しているとおり、「強烈な個性が集まる」宝槻家の一員になることは挑戦でもありました。義母は自分のやりたいことより夫を支えることに心血を注いできた女性。お料理も掃除も完璧で、私とは生き方が違うタイプでした。
私も良妻賢母でなきゃいけないのかと悩んだ時期もありましたが、「私も義母も、彼の人生が花開くように願う者なのだから同志になれる」と考え、うまく向き合えるようになりました。
人生は二者択一ではない
写真:千倉志野
—— お互いの自己実現を支援するために、大切にしてきたことは?
世間から見ると、私が夫を支えているように見えているかもしれないのですが、私はむしろ結婚してからより自由に、私らしく開放されていったと感じています。
結婚を機に国際的な舞台でキャリアを積む道からは一度離れましたが、私のコアにある願いは「教育を通して平和な社会をつくりたい」というもの。特に2016年に探究学舎の経営に深く関わるようになってからは、私のビジョンの実現に向かって没頭できている感覚があります。
以前の私は、途上国の教育をフィールドだと考えていましたが、もっと身近な日常の中で、目の前の子どもたちの感性を輝かせることも大きな使命だと考えるようになりました。
「子どもは5人欲しい」と言い出したのも私。義母が「私は3人育てたけれど、あと2人、女の子が欲しかった」と言っていて、さらに同時期に「5人の子持ちで仕事でも活躍している女性に立て続けに会う」という偶然があって(笑)。私にもできるんじゃないかな、と思ったんです。
東京から軽井沢への移住を決めたのも私。夫は私の希望を尊重して、手続き全般を手伝ってくれました。でも、この間「犬を3匹、猫を2匹飼いたい」と言ったら、さすがに止められました(笑)。子どもたちが大きくなって余力ができたら、学び直しもしたい。人生は二者択一ではなく、なんでもできると証明したいです。
夫に対しては、彼がもともと持っている「信念を曲げず、道を拓く力」をサポートしていきたいと思っています。彼にとっては教育観の原点になった父親の存在は大きくて、結婚当初は父親に頼る場面も度々。
私は「お願いだから、早く失敗してほしい」と思っていました。自分の力で挑戦して、挫折して責任を負って、自力で這い上がるプロセスを踏まないと、彼はずっと成長できないと。私はそのプロセスを支援できる存在であろうと誓っていました。
結婚してすぐ、「険しい道になりそうだな」と直感しましたが、彼なら必ず自力で成し遂げられるという確信もありました。
—— パートナーから言われて、一番うれしかった言葉は?
「俺と圭美は一つだから」。彼は経営者として(ホンダ創業者の)本田宗一郎さんを尊敬していて、本田さんの右腕としてマーケティング戦略を率いた藤澤武夫さんのような存在を探し続けているんです。
ある時、「私では藤沢武夫は務まらないのか」と話をしたときに、「たまちゃんがやっていることは、人を大事にして人を生かすことで、本田宗一郎自身が備えていた魅力の一つだろう。俺はそれは得意じゃない。だから、2人で本田宗一郎になれるんだよ。1人より2人のほうがもっとすごいことを達成できるかもしれないよな」と彼が言ったんです。
この言葉もあって、私は彼が苦手とする「社員の感情を丁寧にケアする」という役割を担っています。彼は思いは熱いのに、コミュニケーションが下手でせっかく集めた仲間を手放してしまう。彼が傷つく姿を見ては私も心を痛め、「私の力を役立てたい」と自分から経営に関わることを申し入れました。“社長の妻”としてではなく、1人のプロフェッショナルとして組織を前に進めたかったのです。
対話を重視した心理的安全性の高い環境をつくる手法は、前職で研究と実践を繰り返して獲得してきた私のコアスキルでもありました。今では「エンパワメントチーム」を立ち上げて、傾聴力の高いリーダー2人と一緒に、社員30人一人ひとりと面談を続けています。
面談では、とにかく話を聴いてポジティブなフィードバックをする。ネガティブな感情も受け止めて、「この会社で何をすることが、あなたにとって幸せなのか」を明らかにする時間をつくる。子どもたちの感情を豊かにする教育を提供している私たちは、社内でもきちんと感情を扱うことが大事だと思っています。
「放牧」が子育てのキーワード
オンライン授業の収録に使用する探究学舎 軽井沢スタジオは、瀟洒な石の門を抜けた先にあった。
写真:千倉志野
—— 日頃の家事や育児の分担ルールは?
あまり厳密には分担を決めていないです。お互いに、決めたことに従ったり、相手をルールで縛ったりするのを居心地悪く感じるタイプなので。その都度、何が今必要か察して行動できるのが理想。
でも、なかなかそうはいかないのも現実なんですよね。正直、模索中です。
子どもが5人いるので家事の量は膨大です。私は厳しい家庭に育ったので、つい「なんでも自分でやらなきゃ」と考えがちなのですが、夫は「頑張り過ぎず、他人の手も借りよう」と家事代行を頼むのにも抵抗がない。
家族以外の友人知人を頼れるようになったのは、夫のオープンな性格のおかげだと思います。
—— 子育てで大事にしている方針は?
私自身が、自分に嘘をつかず、本物であり続けること。「あなたのためだから」と我慢しない。喜怒哀楽ある多様な姿が、人間の本来のあり方。「どんなときでも、自分を取り繕わないでいい」と子どもたちに伝えたいから、疲れている姿も含めて、“ダメダメなママ”な自分もそのまま見せています。
我が家の子育てのキーワードとして、夫と意見一致したのが「放牧」。過干渉でもなく、放任や放置でもなく、自由にのびのびと育てたいけれど、危険から子どもを守るための柵は用意する。どこに柵を置くのか? 柵の高さはどのくらいにするのか? もしも柵を越えてしまったらどうするのか? 柵の向こうの世界とどう関わるのか?
放牧のメタファーで子育ての方針をすり合わせると、いろいろな視点で考えることができます。
—— 夫婦にとって最もハードだった体験は? それをどう乗り越えましたか?
決定的な危機は、パッと浮かばないですね。といっても毎日平穏という訳ではなく、些細なストレスを積み重ねることも多々あり。普段から、違和感を感じたら、モヤモヤをごまかさずに吐き出すようにしています。相手のコンディションによっては喧嘩にもなりますが、双方納得するまで話し合いをするのが基本姿勢です。
自分たちだけで解決できないときは、第三者の手も借りています。これまで数回、コーチングのプロに来てもらったのですが、それぞれの主張の前提が違うことを指摘した上で議論を整理してくれるので、とてもおすすめです。第三者が介在することで、お互いに感情的にならず、逃げずに対話が継続できます。こういう知恵や工夫も、時間をかけてだんだんと得てきたものです。
愛情表現の方法は人によって違うから、“まだ見えていない可能性”を考えてみることも大事。例えば、夫が夕食の時にスマホを見て上の空であることに対して「せっかく一緒にいるのにどうして? 愛が足りないのでは?」と心配になりますが、夫の価値観をよく探ってみると、「愛はあると信じているから、安心しているだけ」という場合も。
自分の価値観だけで相手の行動を測らないように心がけています。
結婚か、アフガニスタン赴任か
写真:千倉志野
—— これからの夫婦の夢は?
「すべての子どもたちに興味開発を。」という探究学舎のビジョンと、私の人生で成し遂げたい夢はイコール。夫も同じだと思います。仕事だからというより、自分の幸せのために仕事をしています。
実は、初めての妊娠が分かったとき、私はアフガニスタン赴任というオファーを受けていました。しかも、選抜なしの指名で採用してくれるという夢にまで見たチャンス。こんなときに……と葛藤しましたが、前職で先輩から言われた「椅子が仕事をするんだよ」という言葉がふと浮かび上がって。つまり、「誰がやっても同じような役割は果たせる」と。ショックでした。
そんなことはないはずという反発心を抱きながら、「お腹の子の母親になれるのは私しかいない」という使命感が沸き上がって、私は結婚を選びました。
あのときの私には焦る気持ちもあったけれど、子育てをしながら担える役割もあったし、この経験の先に選び取れる道を拓くのが楽しみです。現に、私が会社の経営陣に入るなんて、当時は想像もしていませんでした。子どもたちが大きくなったら私は暇になるはずなので(笑)、何をしようかとワクワクしています。
—— あなたにとって「夫婦」とは?
結婚するときにも、「夫婦とはなんだろう?」と考えていました。英語の「LIFE」は、生活であり、人生であり、命の意味。LIFEを分かち合うパートナーとは何かと考えたときに、生活を分かち合うのは、友達でもできるんですよね。人生のある時期を共にすることも、愛がなくても可能かもしれません。でも、命を分かち合うというパートナーシップは、そこに願いを持って向き合い続けないと保つことはできない。
夫婦とは、お互いの命を生かし合い、魂の成長を導くように関わり合う存在なのだ—— 彼と結婚するときにそう思い、そして今も同じ気持ちです。
—— 日本の夫婦関係がよりよくなるための提言を。
地球上に70億人いる中で、一組のカップルが出会う確率は天文学的な確率です。たった一人のあなたと私、“唯一無二の二人”という存在であることを尊重し合って、パートナーシップ像を生み出せたら素晴らしいと思います。
仕事柄、いろんな親御さんから子育ての相談も受けるのですが、もっと親自身が自分の個性を爆発していいと思います。子どもにとっては、地球上でたった一人ずつの両親から生まれたこと自体が大きなギフト。「いい母親、いい父親にならなければ」と自分以外の何者かになろうとするのはもったいないと思います。
「絵本の読み聞かせと、バレーボールを習わせるのはどっちがいいか」と悩むより、夫婦二人の個性の掛け合わせでしか生まれない環境を大切にしてほしい。夫婦それぞれに歩みを重ねた二人が出会ったことが奇跡。その奇跡を存分に表現しながら生きていきたいですね。
(▼敬称略・夫編に続く)