温まり続ける地球を力づくで冷やすことはできるのか?
Volodymyr Goinyk/Shutterstock.com
脱炭素に向けた取り組みが世界的に進められるなか、アメリカ・スペースX社の創業者であるイーロン・マスクが2021年1月に、あるコンペティションの賞金として1億ドル(約110億円)を寄付すると表明したことが話題となりました。
コンペティションのテーマは「二酸化炭素除去技術」です。
実は今、地球温暖化を抑制するための手段の1つとして、今回のXPRIZEで募集している「二酸化炭素を除去する技術」や、「太陽光を遮断して地球が暖まるのを防ぐ技術」など、「気候工学」と呼ばれる技術の研究分野に注目が集まっています。
XPRIZEを主催するXPRIZE財団は、企業の競争力を利用して新しい産業を創出しようと、これまでにもさまざま様々なテーマのコンペティションを開催してきました。
2007年から2018年には、月面に探査車を着陸させて走らせるレース「Google Lunar X Prize」を開催し、日本の宇宙開発ベンチャーispace社が誕生するきっかけにもなりました。
XPRIZEの出場者に最終的に求められているのは、年間1000トンの二酸化炭素を回収するデモ機を作成し実際に稼働させることや、年間数十億トン規模の二酸化炭素を除去する持続可能なソリューションへの道筋を描くことです。
出場チームの受付は、2021年4月からに2023年12月まで。その後2024年4月にファイナリスト15チームが選出され、2025年4月に結果が発表される予定です。大賞受賞者に授与される賞金は5000万ドル(約55億ドル)。
2021年6月の段階で、既に日本の12チームを含む、約3300チームがエントリーしています。
アイスランド南西部にあるClimeworks社の工場で、大気中の二酸化炭素を直接回収するための機械。
Climeworks
この分野では、近年、世界中で多くのベンチャー企業が現れ始めています。
例えば、スイスのクライムワークスは世界で初めて商業用の二酸化炭素除去プラントを開発し、大気から年間900トンの二酸化炭素を回収しています。ここで回収された二酸化炭素の一部は、コカ・コーラが購入し、炭酸水の製造に再利用されています。
なぜ今、人工的に地球環境を変えようという技術「気候工学」に注目が集まっているのでしょうか。
気候工学は、地球温暖化の進行を防ぐ解決策になり得るのでしょうか。
6月の「サイエンス思考」では、『気候を操作する 温暖化対策の「最終手段」』の著者であり、東京大学未来ビジョン研究センターで気候工学を横断的に研究している杉山昌広准教授に、気候工学のメリットとリスクを聞きました。
「タブー」だった気候工学
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)によると、気候工学は温暖化による気候変動の影響を軽減するために、意図的に気候システムに手を加える手法の総称とされています。
東京大学未来ビジョン研究センターの杉山昌広准教授。
取材時の画面をキャプチャー
英語では、geoengineering(ジオエンジニアリング)といいます。
「人の手で気候を変える」という気候工学のコンセプト自体は以前から知られていました。しかし、脱炭素の取り組みなどの既存の温暖化対策への意識が削がれてしまうのではないかという懸念から、気候工学の研究を進めることは長年タブー視されていました。
状況が変わったのは2000年代になってからのことでした。
オゾンホールに関する研究で1995年にノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェン博士が、2006年に「気候変動のリスクを踏まえると、気候工学の研究も必要である」という内容のエッセイを発表するなど、専門家の間でも徐々にその必要性が認識されていったのです。
2009年には、イギリスの王立協会が、科学技術や法制度、ガバナンス、倫理などの視点から気候工学を総合的に評価した報告書を発表しています。
二酸化炭素の排出量を削減する世界の取り組みが成功する確信が見えない中で、人為的に気候を改変するような技術に関心が集まっていったのです。
それからさらに10年以上が経った今、杉山准教授は
「温暖化のリスクについて理解が深まったのに加え、気候工学の研究が進み、やり方によっては、うまく使えるのではないかと認識されるようになってきたように思います」
と、さらに潮目が変わってきたと話します。
二酸化炭素除去と太陽放射改変
大規模な火山噴火によって大気中にエアロゾルが放出されると、地球の気温が下がることが知られている。
REUTERS/Lucas Jackson
気候工学といっても、方法や規模はさまざまです。
その技術は、冒頭で紹介したとおり主に2つあります。
1つは、コンペティションで募集されている「二酸化炭素除去」。もう1つは、太陽光が地表に届く前に人工的に反射させて気温が上がらないようにする「太陽放射改変」です。
この2つの技術は「気候工学」として一括りにされがちですが、まったく別の技術であり、最近ではIPCCでも区別して考えられています。
二酸化炭素除去は、大気中の二酸化炭素を吸収する手法です。
化学薬品に大気中の二酸化炭素を吸収させて処理する「直接回収技術」はもちろん、植物を育てることで大気中から二酸化炭素を吸収し、その植物を燃焼させる際に発生する二酸化炭素を「二酸化炭素貯留(CCS)」の手法で回収・貯留する「バイオマスCCS」などの方法があります。
地球温暖化を抑制する効果が出るまでに時間がかかるものの、温暖化の原因である二酸化炭素を除去できることが特徴です。ただし、莫大なコストがかかるため、これだけで地球温暖化を解決できるほどの二酸化炭素を回収することは難しいとされています。
この側面は、
「どこか1カ国が二酸化炭素除去技術を使って、地球全体の気候をコントロールすることは無理でしょう」(杉山准教授)
と、悪用されにくさとも表裏一体だと言えるでしょう。
白い雲は、太陽光をよく反射する。人工的にこういった雲を作れれば、地球を温まりにくくすることが可能だと考えられている。
OlegRi/Shutterstoxk.xom
一方で、太陽放射改変は太陽光を遮ることで、地球の気温上昇そのものを止めてしまおうという技術です。
その中でも注目されているのは、上空にエアロゾルを散布し、人工的に雲をつくって太陽光を遮る「成層圏エアロゾル注入」です。
これは、大規模な火山噴火によって地球全体の平均気温が低下する現象と同じ原理です。
太陽放射改変にはそのほかにも、建物を白く塗装して反射率を高めたり、砂漠に反射板を設置して太陽光を反射したりする手法などもあります。いずれもローテクで、技術的なハードルはさほど高くありません。
効果が現れるまでに1〜2年程度しかかからないとも言われており、アメリカなどの大国にとっては、コストもかなり安い点が特徴です。
ただし、太陽放射改変の中でも特に注目されている成層圏エアロゾル注入の実用化には、技術的な課題もあります。
エアロゾルの散布自体はローテクですが、冷却効果を調整しながらエアロゾルを撒くために、スーパーコンピューターや専用の人工衛星などのハイテクな機器を使ったシミュレーション、いわば「太陽放射改変予報」が必要だといわれています。
気候工学の手法・特徴をおおまかにまとめた。コストなどについては、規模や手法によって差がある。一見、二酸化炭素除去の方が安く見えるが、世界では1年あたり300億トンを超える二酸化炭素を排出しているため、排出量分を除去しようと思うと途方もないコストがかかる。
編集部が作成
気候工学がはらむ、予想できないリスク
人為的に大気中から二酸化炭素を取り除けたり、温暖化による気温の上昇を抑えられたりする可能性があるのなら、気候工学をどんどん使っていけば良いと思うかもしれません。しかし、この技術を社会実装するには副作用や社会的なリスクを検討しなくてはいけません。
気候工学の研究がタブーとされていた時代から、二酸化炭素除去や太陽放射改変が実用化されると、世間の温暖化対策への関心が薄れるのではないかと懸念する意見があります。
気候工学に頼り切り、二酸化炭素の排出量を減らす試み(緩和策)が進まなくなってしまっては困るわけです。
ただし実際は、逆に温暖化問題に対する意識が向上する可能性も示唆されています。
「一般の方に気候工学について説明してみると、『地球がそんなに大変な状況になっているとは知らなかった』『もっと自分も温暖化対策をやらないといけない』という感想を持つ人も出てきたといいます」(杉山准教授)
また、二酸化炭素の排出量を削減しないまま、二酸化炭素除去や太陽放射改変で二酸化炭素の濃度や気温を下げてしまうことは非常に危険です。
もし何らかの理由で気候工学による地球環境の管理が止まってしまうと、二酸化炭素を大量に排出している影響が顕在化して、温暖化が急激に進んでしまう恐れがあるのです。
そのため最近では「気候工学は、抑制的に使うことでリスクを回避する」という考え方が広がりつつあります。
パリ協定では、「産業革命前を基準に平均気温の上昇を2度より十分低く保ち、1.5度に抑える努力を追求すること」が目標として掲げられています。たとえば、このうち0.5度分の気温を低下させるために気候工学を使うのであれば、万が一気候工学の管理を中断せざるを得なくなったとしても、大きな問題にはならないのではないかと考えられているのです。
課題は国際合意の難しさ
ハーバード大学では、「スコーペックス」という気候工学のプロジェクトが進められている。2021年6月にスウェーデンで実施する予定だった小規模な実験は、現地先住民の反対で延期することとなった。
WebsEdge Science
気候工学を導入する上では、国際的な枠組み作りは大きな課題となります。
地球環境対策などの分野で国際合意を進める上では、取り組みに非協力的な国も恩恵を受けられる「フリーライダー問題」に注意を払わなければいけません。
たとえ自国で対策を進めなくても、ほかの国々が脱炭素戦略を進めれば、地球全体としては気候変動対策が進みます。国際合意を作るには、こういった平等性が課題となります。
一方で、太陽放射改変の場合は、フリーライダー問題とは逆に「フリードライバー問題」にも留意する必要があります。
最適な気候条件は、その国や地域によって変わります。
例えばロシアは、温暖化の影響で北極海航路の海氷が溶けると、輸送時間を短縮できるので、経済的な利益を受けられます。産業革命前の気候が最適かどうか、国によってスタンスは違うはずです。
各国が好きなように気候をコントロールできるようになってしまうと、一方の国にとって好都合な気候条件が押し付けられてしまう恐れがあります。
仮に気候工学を導入するとしても、何を基準に地球の気候をどう改変するのか、国際的なコンセンサスを取ることが非常に困難なのです。
国連のような国際組織によって気候の変え方が決定されるようになったとしても、どこかの国で干ばつや大雨などの異常気象が発生した場合、必ず不満は溜まるでしょう。
「気温に応じて自動的に支払われる保険を作るなど、工夫できることはあるとは思いますが、簡単ではありません。
似ている技術があれば、それに関する国際条約を学べばいいのですが、気候工学のように技術が安く、世界中に影響するようなものは他に例がありません」(杉山准教授)
軍事目的で気候をコントロールすることを禁止する条約やオゾン層の破壊を防ぐための取り決めはありますが、どれも気候工学を想定して作られた枠組みではありません。
太陽放射改変のように、世界中に影響を及ぼす可能性がありながら非常にコストが安い技術に関する国際調整は、法制度の空白地帯となっているのです。
気候工学は社会実装できるのか?
ドイツの火力発電所。人類はこれまで、地下から掘り出した化石燃料を消費することで、大気中の二酸化炭素濃度を積み上げてきた。
REUTERS/Wolfgang Rattay
温暖化の影響を抑制できると期待されているものの、国際合意や法整備の大きな壁が残る気候工学。この先、どのように社会に実装されていく可能性があるのでしょうか。
杉山准教授は、太陽放射改変と二酸化炭素除去ではまったく考え方が違うと指摘します。
「太陽放射改変は政府が主導して『儲からないように』進めた方が良いでしょう。一方で、二酸化炭素除去は民間企業が参入できるマーケットがあった方が良いはずです」(杉山准教授)
1つの取り組みによって広範囲の気候を変えてしまう恐れのある太陽放射改変は、抑制的に慎重に使わなければなりません。下手に儲かる技術になってしまうと、マーケットが成長し、太陽放射改変を抑制的に利用できなくなる恐れが出てきます。
ただし儲からないということは、マーケットに成長の余地がないということでもあります。
だからこそ杉山准教授は、太陽放射改変を進めるには、かつてのNASAの宇宙開発のように、政府が主導しなければならないだろうと指摘します。
対照的に、二酸化炭素除去は、民間企業が参入することで技術が磨かれ、コストも下がっていく分野です。ベンチャー企業が競争できる市場を形成するための法整備や企業支援が重要です。
日本ではあまり耳にしませんが、世界では「クリーンテック」と呼ばれる気候変動対策ベンチャーが出てきています。スイスのクライムワークスや、カナダのカーボン・エンジニアリング、アメリカのグローバル・サーモスタットなどが、二酸化炭素の回収を行っています。
既存の脱炭素戦略では二酸化炭素の排出量を完全にゼロにすることはできません。
そう考えたときに、どうしても排出せざるを得ない二酸化炭素の影響を抑える、最後のひと押しとして、二酸化炭素除去を利用するマーケットがあると言えそうです。
気候工学の不確実な可能性
アメリカでは、全米科学アカデミーが、2021年3月に太陽放射改変に関する研究の強化を促すレポートを発表しました。
気候工学に力を入れる国が増えていく中、杉山准教授は、日本ではなかなかその流れは進みにくいのではないかと指摘します。
「研究の予算は限られています。気候モデルの研究をしているプロジェクトはありますが、予算額は少ない。もう少し強化した方がいいと思いますが、お金がないから仕方ない側面があります。日本は、アメリカが気候工学に注力しようとしたときに参画できるように、気候科学の研究の体力を一定程度つけておくことが基本になると思います」(杉山准教授)
ただし、杉山准教授は気候工学の社会実装の可能性に対して「技術を社会に導入できるかどうかは、作ってみないと分かりません」と慎重な立場をとります。
「地球をいじるわけですから、ほとんどの科学者が頷くくらい、よっぽど安全じゃないと実用化できません。それを実現するためには、どんどん研究しないといけない」(杉山准教授)
そこで重要となるのは、気候工学のリスクが想定以上に大きかった場合に、利益に捉われずに研究を止める方法を考えておくことです。
杉山准教授は、そういった意味で、大学に「気候工学科」を設置して気候工学に特化した人材を育成するのではなく、理学や工学の研究者があくまでも研究の一部で気候工学に取り組む方が良いのではないかと指摘しています。
地球温暖化対策において、気候工学が、これまでの技術では実現できなかった可能性を持っている技術であることは確かです。しかしその一方で、技術を使った結果、何がもたらされるのかまだ分からない、不確かな技術であるという側面も持っています。
私たちは、気候工学を将来の選択肢の一つと捉えて研究を続けながらも、「二酸化炭素の排出量を減らす」というこれまで続けてきた緩和策に、愚直に取り組むことを忘れてはならないのです。