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東京捨ててUターン、広島の杜氏女性が「世界の100人」になるまで

今田美穂さん

東広島市安芸津町で酒蔵「今田酒造本店」を営む今田美穂さん。

撮影:前康輔

瀬戸内の海は穏やかで、たゆとう波間に太陽の光がキラキラ反射する。そんな海のようだとも称される日本酒「富久長」は、瀬戸内海に面した安芸津町にある今田酒造本店(広島県東広島市)の醸(かも)す酒。

4代目蔵元で女性杜氏の今田美穂さん(59)が、英国BBC放送の2020年「今年の女性100人」(The BBC's 100 Women of 2020)に選ばれたのは2020年12月末のことだった。

世界に影響を与えた女性を選ぶBBC毎年恒例の企画で日本人からはただ一人。リーダーシップなど4つあるカテゴリー中、「創造性(Creativity)」の枠内で、米大女優ジェーン・フォンダさんらと並ぶ快挙だ。

「『ノミネートされました』って英語のメールがこそっと来て、いつの間にか発表されていました。びっくりです。広島杜氏のことをお話しできる機会が増え、『富久長』を手に取っていただける機会が増えたのもコロナ禍ではありがたいです」

今田さんはカラカラ笑う。

明治元年(1868年)創業という老舗酒造を立て直し、日本酒を世界へ売り出そうとする今田さん。その「創造性」は、東京での暮らしをやむなく捨ててUターンした女性杜氏としての矜持と、広島の幻の酒米「八反草」を蘇らせて醸す酒にある。

映画「カンパイ!日本酒に恋した女たち」で一躍世界に

今田美穂さん2

日本の財産である「日本酒」を安芸津町から世界へ。BBCから注目されたきっかけは、世界の映画祭で放映された映画作品だった。

撮影:前康輔

日本の片田舎の酒造会社の女性杜氏である今田さんがBBCに注目されたのは、映画「カンパイ!日本酒に恋した女たち」(2019)で紹介されたことが大きい。

米国在住の小西未来監督のドキュメンタリーで、日本酒の世界で活躍する女性3人を紹介している。

安芸津での酒造り、海外での試飲会などを通じ、今田さんの素顔に迫った。国内はもとより海外でも上映会が開かれ好評を博す。もともと今田酒造本店の売上高は、米国を中心に海外が2割ほどを占めていた。コロナ禍以前の今田さんは、よく海外へ売り込みに出かけていた

「仲間10社くらいの日本酒の蔵元と一緒に年に2回は米国へ行き、東海岸と西海岸を回って、レストランなどで利き酒会をやっていました。

今回の映画ではベネチア郊外の街ウディネで開かれた欧州最大のアジア映画祭『ファーイースト映画祭』に招待されて、会場で日本酒のテイスティングもやらせてもらいました。」

こうした地道な努力が実を結んだ「世界の女性100人」選出だった。

「酒造りは封建的で、暗くて重いと思われていたのが、どうも違うらしいと驚かれたのではないかしら」

女人禁制のない、パイオニア精神あふれる「杜氏の里」

瀬戸内海

今田酒造本店のある安芸津駅を降りると、美しい瀬戸内海に迎えられる。ここでは古くから酒造りが盛んで、女性杜氏も珍しくない。

撮影:藤澤志穂子

「酒どころ」として知られる東広島で、安芸津町は「杜氏の里」とされている。町出身の醸造家、三浦仙三郎が明治時代に、広島の「軟水」を使った独自の醸造法を開発したことがきっかけだ。

当時の酒造りの主流であった灘(兵庫県)の「硬水」に比べ、ミネラル分が少なく発酵力の弱い「軟水」を、低温で醸してきめ細かい吟醸酒を作る手法で、瞬く間に普及した。そんなパイオニア精神のある町だからか、酒蔵に根強く残る「女人禁制」のイメージはなく、女性杜氏はすんなり溶け込んでいる

「富久長」を命名したのは三浦仙三郎で、今田酒造本店とも深い縁があった。だが日本酒の需要は、時代と共に右肩下がりになっていく。

農林水産省の調査によれば、日本酒の国内出荷量はピークの1973年に約170万キロリットルだったが、他のアルコール飲料などとの競合で減少、2018年以降は減少幅が拡大し、2020年にはピーク時の4分の1の約42万キロリットルまで下がっている。特に2020年の国内出荷量は、コロナ禍により飲食店など業務用の日本酒が前年比10%減、吟醸酒、純米酒など「特定名称酒」は同14%の大幅減となっている。

「故郷には絶対に戻らない」はずが……

今田酒造本店

杜氏は力仕事。一度は上京したものの、バブル崩壊をきっかけに実家である今田酒造本店へ戻ってくることに。

撮影:前康輔

今田さんが故郷に戻ってきた1994年、今田酒造本店は存続の危機にあった。当時33歳、必ずしも望んだ帰郷ではなかった。

酒蔵の長女に生まれ、子どもの頃から見てきた家業は、早朝から蔵人や杜氏が総出で力仕事に取り組み、支える母は賄いに経理にと深夜まで働きづめだった。

「ああはなりたくない。封建的な田舎から出たい」と決意して上京し、明治大学に進学。卒業後は西武百貨店で文化事業を担当した後、能の振興団体に移ったが、バブル崩壊で仕事が消滅した。

「安芸津に戻ってきたのは生活するため、仕方なくでした。『絶対に戻らないぞ』と東京にマンション買っちゃって、戻ってきた後も未練があって、しばらくローン払い続けてましたけど、結局は売りました」

幻の酒米「八反草」の復活が転機に

日本酒

今田造酒本店で醸されている日本酒のラインナップ。他の地酒の中で存在感を示せた背景にあったのは、幻の酒米の復活だった。

撮影:前康輔

華やかな東京に後ろ髪をひかれながらも取り組んだのは、付加価値のある酒造りだった。日本酒の世界は、昭和の「酔うために安い酒をたくさん飲む」ことから、平成には味わいを重視した吟醸酒や純米酒など「特定名称酒」に価値が見いだされた。

兵庫県産の「山田錦」に代表される酒造り用の「酒造好適米」を使い、その酒米をどれだけ削って雑味をとるかを競うようになっていく。そうした数多ある地酒の中でどう差別化したらよいのか。

試行錯誤の末、たどりついたのが明治時代に広島で栽培されていた幻の酒米「八反草(はったんそう)」の復活だった。広島で普及している酒米「八反錦(はったんにしき)」の親に当たり、明治8年(1875年)に品種改良で生まれたものの、栽培の難しさから消えていった酒米だった。

県の関係機関に「種もみ」が保管されていることを知り、2001年から種もみを増やし始め、2004年から本格的な栽培が始まった。約130年ぶりの復活である。

「杜氏発祥の安芸津で、『富久長』があっても認めてもらえる、地元らしい酒を造りたい。広島の風土が自然に選んだ米を使ってみたいと考えました。『八反草』は在来品種で、背が高くて茎が固くて育てにくい。しかも標高200メートルくらいの高台が栽培の適地です。安芸高田市などの農家さんに助けていただきました。稲刈り機をダメにしたとか、いろんなことがありました。納得できる酒になってきたのはこの4〜5年。今になって『やってよかった』と言って頂けるようになりました」

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