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「ウーマノミクス(女性と経済)」に相当する言葉が中国にもある。「她(Ta)経済」、直訳すれば「彼女(She)経済」となり、女性の経済力や消費力を示す言葉だ。
ただ、中国が以前から共働き社会ということもあり、「她経済」は日本のウーマノミクスと違って「女性が活躍するための課題解決」「ジェンダー」などの社会的な意味が薄く、「消費の価値観」「消費力」に特化したマーケティング要素が非常に強い。
中国の消費を分析する上で重要度が劇的に高まっている「中国版ウーマノミクス」を概観したい。
アリババ、女性管理職比率は3割超
北京市のミルクティーショップでドリンクを飲む女性。人気店は2時間待ちのこともある。
撮影:浦上早苗
她経済という言葉が初めてメディアに登場したのは10年以上前だ。教育部(文部科学省に相当)が2007年に新語の一つとして発表し、注目された。
「仏系青年」「おたく」など、中国の流行語・新語は日本由来のものも少なくない。ウーマノミクスが日本で提唱されたのは1999年。她経済も元をたどれば日本から輸入された可能性がある。
中国は長年、夫婦共働きが基本だったため、「女性活躍」「女性の社会進出」やそれに伴う「男性の家事・育児参加」は当たり前すぎてさほど論じられなかったが、それでも、経済成長や一人っ子政策で女性の大学進学率が上昇し、社会的地位やキャリア志向も急速に底上げされ、美容やスイーツなど女性向け市場が急拡大しているという実感があったからこそ、このような言葉が生まれたのだろう。
そして2010年代後半に入ると、ファーウェイやアリババ、バイトダンスなどメガIT企業の社員が、先進国並みの給料を得るようになる。そうした企業では女性の登用も進み、アリババは、女性社員比率が5割近く、管理職の女性比率も3割を超える。
特にこの3~4年は高学歴、高年収、情報感度の高い女性が一定の規模に達し、単に消費を押し上げるだけでなく、新しい分野の成長を左右する存在とみなされ、「她経済」は「Z世代」と肩を並べるマーケティングの重要キーワードになった。
30代で年収1000万円、趣味で発散
女性に人気の果実酒メーカーMiss berryはSNSでも「仕事に追われてストレスをためる私に、友人が果実酒をプレゼントしてくれた」などと投稿し、遡求したいターゲットを明確にしている。
Red(小紅書)のMiss berryアカウント
アクセンチュアは2021年、中国には20~60歳の女性消費者が約4億人おり、彼女たちの購買力が10兆元(約170兆円)に達するとの調査結果を発表した。全ての世代で女性の消費力が向上しているのは間違いないが、企業が何としても取りたい層は「25―35歳」の独身女性で、「她経済」の「她」、すなわち「女性」も、この層を想定していることが多い。
深セン市のコンサル企業で働く於天華さん(仮名、31)は、年収1000万円。数年前に海外で知り合った大手企業勤務の日本人男性(40代前半)と付き合っているが、年収は於さんの方が高い。
ただ、於さんは自身の仕事を「ブラックそのもの」と形容する。クライアントは自動車企業のBYDやファーウェイなど深センの大企業で、呼び出されたら早朝でも土日でも駆けつける。
平日は会社やクライアント先と自宅を往復する生活で、唯一の楽しみは旅行だという。於さんはコロナ前まで、働くだけ働いたら次の転職先を決めて、会社を辞めて1~2カ月単位の旅行に出るというサイクルを繰り返しており、欧米はもちろん、南米や南極まで足を延ばしたこともある。
「限られた自由時間を趣味(旅行)に投入することで、生活のバランスをどうにか保っている」と話す通り、3~7日の休みが取れると、日本に飛んでミシュラン掲載店を巡り、箱根や日光の温泉旅館に泊まる。
於さんが泊まりたいのは1泊5万円を超える高級旅館。日本人の彼氏には「もったいない」「先のことも考えないと」と渋られ、口論になることもある。
ちなみに2020年以降はコロナ禍で海外に出られず、家を買ったり、インテリアにお金をかけたりして、ストレスを発散しているという。
「自分軸」「快適」がキーワード
自宅でPOPMARTのコレクションを披露する北京市在住の28歳女性。
REUTERS/Tingshu Wang
コーヒーチェーンのラッキンコーヒー(Luckin Coffee)、フィギュアメーカーのポップマート(POPMART)、高級ミルクティーブランド奈雪の茶など、創業から短期間でIPOを果たす消費者向け企業の多くは、精神の充足を求め、購買力だけでなく口コミ力や発信力も高い於さんのような女性に支えられている。
その結果、女性消費では「家族を喜ばせる」から「自分を喜ばせる」への明確なシフトも起きている。
EC大手の網易厳選が2021年3月に発表した「她経済消費レポート」は、「她経済」の指す女性の特徴を「自己決定権を重視し、自分の感覚に合う商品・サービスに支出を惜しまない女性」と分析し、8つのキーワードにまとめている。必ずしも独身女性にフォーカスしておらず、コロナ禍の影響も見えるが、数ある「她経済」調査の中では最もコンパクトで全体を捉えやすいので、紹介したい。
1:EC消費での存在感
「網易厳選」で2020年に1万元以上消費したユーザーの中で、女性比率は65%。
2:性の自己決定権
網易厳選のアダルトグッズプラットフォーム「春風情趣」の2020年販売額が50%増加。定番商品であるコンドームの3分の1は女性が購入。
3:着心地を優先
ノンワイヤーブラジャーの販売額が90%増。
4:家族のために高品質商品を選ぶ
男性向け高機能炭素繊維インナー、購入者の6割が女性。
5:健康美を重視
ヨガマット、クロストレーナー、ローイングマシーンの購入者、女性が男性を上回る。
6:自分用に低アルコール飲料を購入
女性の2020年アルコール飲料購入額が2000万元(約3億4000万円)以上増加。
7:男性向け市場への進出
人間工学に基づいたオフィスチェアーの販売額が300%増加。購入者の3割は女性で、女性比率が明確に上昇。
8:子どもの代わりにペット
2020年に女性が購入したキャットフードは合計1000トン分(猫1匹が4万年食べられる分量)。
她経済という言葉が登場した2007年には、女性の増えた購買力分は家族、つまり育児や教育費に振り向けられる傾向があり、教育産業や家族旅行市場の成長源になった。
だが、一人っ子政策の下、夫婦が1人の子どもに最良の環境を与えようと奮闘した結果、子育てが「とんでもなく金のかかる課金ゲーム」に変貌してしまい、結婚や出産を後回しにして、稼いだお金を自分のために使う女性が増えた。
この現象が中国の少子化に直結しており、独身女性の増加と経済力向上は中国社会にとっては、少子高齢化を加速させるアキレス腱になり、消費にとっては起爆剤(特に、コロナ禍の巣ごもり下では、救世主でもある)という相反する状況が生じている。
当の女性たちは、仕事のストレスに対処するために、趣味や癒し、健康にお金を使うようになった結果、ますます子育てが「コスパの悪い、時間のかかる投資」に思え、「産んでも1人。それも経済基盤を確立させてから」という状況になっている。
一人っ子政策という世界に例を見ない社会実験は5年前に廃止されたが、中国政府が考える以上に、女性の価値観を変えてしまったように見える。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。