新型コロナウイルスによる一斉休校で、あらわになったICT教育の遅れだけでなく、教師の長時間労働やその労働環境の過酷さが一因となっている「教師のなり手不足」問題。一方で、学校は新学習指導要領による探求型の学びの導入など、今日本の教育現場には問題が山積している。親の経済格差が子どもたちの学びの格差につながっているという現状もある。
公教育の再生には、何が必要なのか。このたび民間企業などを経験して自治体の教育委員会の教育長を務めている3人に、今の学校、教育行政が抱える問題を議論してもらった。
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—— 民間企業から公立中学校の校長を経て、広島県の教育長に就任された平川さんがこの4月に2期目に入られた時に、「民間で教育に携わっている人が教育行政に入ってきたら、もっと公教育は変わるのに」と提言いただきいました。まずはみなさんの経歴を簡単に教えていただけますか?
遠藤洋路・熊本市教育長:私はもともと文部科学省で14年で働き、その間に2年間、熊本県の教育委員会に出向していたことがあります。文科省を辞めて、経済産業省の同期と「青山社中」という政策シンクタンクを立ち上げました。その間に大西一史熊本市長から1年間教育のアドバイザーを頼まれ、その後2017年から教育長を務めています。
水野達朗・大東市教育長:私は大学卒業後、不登校支援の民間団体で働いていたのですが、当時の支援のあり方に疑問も感じていたので、2009年に自分で家庭教育と不登校を支援する団体を立ち上げました。
大東市の教育委員の経験はありますが、行政の経験は初めて。2020年4月に就任するにあたり、就任を依頼した市長に「僕なんかが就いたらハイリスクですよ」と言うと、そのぐらいの人が欲しいと請われました。
平川理恵・広島県教育委員会教育長:私は20代はリクルートで働き、30代で留学斡旋会社を起業し、40代で横浜の公立中学校の校長を務めました。広島とは縁もゆかりもなく、(広島県の)湯崎英彦知事も知り合いでもなく……。なので、知事から県の教育長を打診された時は大変驚きました。
後になって、知事によく私を抜擢しましたねって聞いたら、「ハイリスク・ハイリターン」だと言われましたが、知事が教育をなんとかしたいと思っていることは感じました。
学校と教育しか知らない人では改革は難しい
—— 平川さんは3年間で「変えられている」手応えを感じていますか。
民間企業や中学校校長を経て広島県の教育長になった平川さん。
平川さん提供
平川:私は学校現場にはいましたが、(教育委員会の専門職である)指導主事の経験もなく、行政の経験は初めてでした。私の前まで教育長は教育委員会や校長の経験者、文部科学省からの出向者がほとんどでした。
いま、教育の世界は100年に一度ぐらいの大転換期を迎えていると感じます。教育を変えるためにはまず教育に携わる組織を変える必要があるのに、学校と教育委員会しか知らない人ばかりの同質性の高い組織ではブレークスルーが難しいと思います。小手先の改革では揺り戻しが来てしまう。多様なキャリアを積んだ人材がもっと教育界に入って来るべきです。
私が県知事から言われたのは、教育委員会や学校の組織風土を変えて欲しいということでした。みんなが思っていることをどんどん言える雰囲気にして欲しいと。まだ完璧ではないけれど、この3年で、会議で私に対しても「教育長、それは違いますよ」と言えるような雰囲気にはなってきています。
—— 広島県は女性校長の割合が全国一高いですね。
平川:もともと少ない県ではなかったのですが、小学校では2021年春に女性の管理職が5割を超えました。全校種でみても管理職の4割が女性です。教育委員会も3割が女性。しようと思ったわけではなく、適材適所で考えたら結果的にそうなったのです。
—— 遠藤さん、水野さん、今の教育現場の人材に多様性が必要という意見、いかがですか?
遠藤:多様性が大事というのはおっしゃる通りです。教育行政は一般の行政よりもっと閉鎖的です。民間だったら誰でもいいというわけではないですが、外部から人材を持って来る利点の一つは、首長の覚悟です。
首長自らリスクをとって登用するので、失敗すると政治判断が間違っていたとなる。だから、首長も教育長を応援します。私自身も市の行政ポストを一つ取ってしまった形になるので、今までの人以上に仕事をしなければ、という思いになります。
ゼロリスク前提の組織に面食らった
水野:学校現場や行政の経験もなく教育長に就任した当初は、海外に行った時のようなカルチャーショックを受けました。例えば「なぜこうなっているの?」と聞いた時にも、「こういうリスクがある」と説明される。私はこれまで何かを変えようとするときには当然リスクはあるという意識で仕事をしてきました。それが行政、教育の現場では「ゼロリスク」が前提。ここがまず面食らったところです。この1年間はリスクとの向き合い方の折り合いをつけた期間でした。
日本がいま世界NO1の教育をしているなら、維持・管理の組織でいいと思います。でも大阪や大東市の教育を考えた時に、維持・管理では先細りです。私がずっと教育長を続けられるわけでもないので、改革のために組織自体やシステムそのものをどう変えていくのかを考えています。
取り組みの一つとしていきなり就任初年度に機構改革をし、この4月からICT教育戦略課を立ち上げました。教育委員会の指導主事だけでなく、市の行政職や民間人材など多様な人材を入れて未来の教育、ICTの戦略を練っていこうとしています。これもプロジェクトチームでやると、私がいなくなった後に立ち消えになるので、組織を立ち上げました。
—— 最初の1年での改革、現場をどう説得されたのですか。
水野:まず言葉の使い方や説明の仕方を意識しました。行政職、教育委員会の指導主事、校長、議会、市民向け、それぞれ対象によって説明の仕方を変えました。指導主事や学校現場にはエモーショナルに、こういう子どもたちの未来を創っていこうよ、と。行政職にそれを言っても響きにくい。だから責任は僕が取るから思い切ってやってほしいと伝えました。
—— 昨年1年間は新型コロナウイルスの対応に教育現場は大変だったと思います。平川さんはいち早くグーグルと組んで、オンライン教育の土壌を整えられましたが、このスピード感に現場の学校はついてこられましたか?
平川:コロナはどの教育現場も苦労したと思います。幸い広島県ではコロナ前の2019年4月から学校教育情報化推進課の立ち上げを決め、教職員の研修も進めていました。高校生たちは原則はBYOD(Bring Your Own Device)で、それぞれがデバイスを準備する前提でした。ですが、周囲には、パソコンで何をするのか?使いこなせるのか?と、疑問視する声も少なくありませんでした。
でもコロナが起きると、先見性があったと周囲の反応は一変しました。ただ、コロナ禍でオンライン授業を余儀なくされたわけで、当初の予定していたICT活用とは違うわけです。感染対策だけでも大変なところに、学校の先生方は子どもたちの学習機会を守るために、オンラインに取り組んでいただいて、本当に感謝しています。教育委員会も学校に伴走して、できる限りの支援をしていかなければならないと思っています。
一番の問題は教育にお金をかけないこと
—— 遠藤さんは文科省で教育行政に携わって来られたわけですが、実際市の教育長での体験も含め、教育の何を一番変えなければと思っていらっしゃいますか。
文科省から起業を経て熊本市の教育長になった遠藤さん。
遠藤さん提供
遠藤:一番問題なのは、日本が教育にお金をかけないということです。新しいことを始めたり、何か充実させる時にいくらかかるのか、全く考えない。例えば教員の資質向上のための研修をしようと、と言った時にいくらかかるのか。文科省は新しいことをやる時に、一体いくらかかり、人がどのぐらい必要なのかを考えずにやってしまう。その結果、現場の先生の負担だけが増える、そこが一番問題だと思います。
私が熊本市に来て何が一番変わったかというと、教育にお金かけてもらえるようになったことです。私の就任以前と比べると、教育関連予算は100億円増え、約500億円から600億円以上になりました。だから、コロナ前から1人1台タブレットを配るようなICT教育なども進められました。掛け声だけではできません。
先生の忙しさも、給料をもっと増やすなど、お金をつけることで解決する発想を持たなくてはいけないと思います。
—— 遠藤さんはなぜ100億円も増やせたのか。
遠藤:市長と私の利害が一致したことが大きい。以前、熊本はICTの普及で全国最下位でした。このままでは新しい指導要領、教科書になった時に遅れてしまうという危機感があり、まず予算を増やして実際タブレット配布などを実行しました。それまでゼロだったのが、3人で1台になり、さらに1人1台使えるようになると、子どもたちの体験が圧倒的に良くなる。
お金かけると現場の課題が解決できるという成功体験が積み重なり、そうすると政治的にも評価してもらえる。教育は票にならないと言われてきたけど、実は教育にお金をかけることが首長や議会への評価につながるとわかったのです。
結果的にコロナ前から準備をしていたことで一斉休校中にオンライン授業ができ、子どもたちも変わってきたと保護者も実感できている。教育にお金をかけると、現実に変わったという実感を多くの人が持てたことは大きいです。
—— 予算をつけることで解決できることは多いですか?
教育のオンライン化の遅れなど、予算不足、人材不足から実行できない政策もある。
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平川:私も就任後に教育予算を増やしてもらいました。できることからすぐにやろうと決めていたので、20数億円かけて全部の県立校に校内無線LANの整備を進めているところです。
予算に関してもとにかく動いてみることが大事だと思います。県全体の予算は限られているので、配分を変えてもらう必要があります。そのために周りを巻き込んで交渉していくしかありません。
YouTubeチャンネルを立ち上げ募った寄付
—— 予算配分を変えることはすぐにできたんですか。
平川:変わらないと諦めてはいけないということです。行政が何かに取り組もうとする時に、予算は不可欠です。ヒト・モノ・カネについては、いつも考えておかなねばならない。せっかくの予算を有効に使うことも重要です。行政の予算は税金が原資ですから、疎かにはできません。学校図書予算一つとっても、本当に生徒のために有効に執行されているのか、細かく見ています。
もう一つ大事なのが広報宣伝活動です。いま教育委員会はこんなことを考えていて、こういうことをやろうと思っています、ということをメディアにも取材してもらう。成果だけでなく、不都合なことも含めて、情報をオープンにして発信しないと、市民の理解は得られないので。
不登校、家庭教育支援の活動から教育行政にはいった大東市教育長の水野さん。
水野さん提供
水野:僕も予算については、財政部局と直接プレゼンしています。この事業にこれだけ使ったら、どんな効果があるのかまで含めて。あと子どもたちの幸せを考えたら、教育予算は投資と一緒だと説得しました。お金や時間というコストをかけなければ成果は出ないと。教育長自ら予算のプレゼンをするのは珍しいと言われましたが、民間だったら、大事なプレゼンは社長がするのが当たり前ですよね?
ただ、就任1年目は既に予算は決まっていたので、その中での戦いでした。お金がないならできないではなく、どんな工夫して乗り切るか。
そこで私が考えたのが、民間から寄付を募る方法でした。これまでは寄付を頂いても、あまり何もしていなかったので、私の就任後に、教育委員会YouTubeチャンネルを立ち上げて、教育長と経営者との対談を仕掛けました。企業はCSR活動の一環となり、例年より多くの企業から寄付をいただいたように感じています。
教師が変わらなければ探求型の学習はできない
—— 最後に。少し前に「# 教師のバトン」というハッシュタグが話題になりました。現役教師の人たちがその労働環境の厳しさを訴えるなど、ネガティブな話題の多い教育ですが、皆さんがさまざまな改革を進める中で、ここはもっとも難しい課題だと感じていらっしゃることはなんでしょうか?
変革のためには行政だけでなく、学校や教師、家庭、地域間の協力が必要だ。
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遠藤:学校ごとの差、教員ごとの差です。コロナでは休校中のICT環境の差が話題になりましたが、そもそも普段の授業の質に差があるのです。このもともとある差をどうするかが一番課題です。文科省や教育委員会が主体的な学びを、と言っても、すぐにできる学校、教員もいれば、できない学校、教員もいる。いい事例を共有して、どこの学校でもどの教員でもいい授業ができるようにすることは、単にお金をかけるのとは別の努力が必要です。
平川:今後進めていかなければならない探究的な学びをどうするか、ですね。キーは先生自身の在り方です。探究的な学びと言いながら、先生たちがアフター5や週末に趣味や好きなこと、関心のあることを探究できていなければ、探究型の学びなどできません。そのためにも先生たちの働き方改革は必須です。先生たちに自分の時間や人生を楽しく歩んでもらい、自分を取り戻してもらえば、主体的で探究的な学びは実践できると思っています。
広島県では今の中学2年生から入試も変えることにしました。その際、15歳の生徒に身に付けておいて欲しい力として、「自分を認識し、自分の人生を選択し、表現することができる力」を示したのですが……そもそも先生自身がどんな人生を歩みたいのか、なぜ先生になったのかという自己認識、自己開示、自己表現の力がなければ、生徒に伝えることもできません。先生自身にも自分がどうしたいのか、どうありたいのかを考えてもらいたいと思っています。
水野:私は今、教育の役割を見直すべきだと思っています。家庭や地域、学校が担うべき部分は、時代に合わせた整理が必要です。そのポイントは家庭教育の支援だと思っています。保護者が苦しんでいることが子どもに影響しています。だから福祉も含めたサポートが必要。それを進めると自ずと学校が担う部分も見えてきます。学校だけが子どもたちを育んで伸ばすのは限界があると思っています。
(聞き手、構成・浜田敬子)