前回は、ソフトバンクグループ(以下、ソフトバンクG)が2021年3月期に約5兆円というとてつもない額の当期純利益を叩き出したというニュースをきっかけにして、同社のビジネスモデルのしくみについて考察してきました。
そこで分かったように、ソフトバンクGの損益計算書(P/L)は、ソフトバンク・ビジョン・ファンド(SVF)事業の成績に大きく左右されます。
SVFの投資先の株価が上に振れるか下に振れるかによって、2021年3月期のように約5兆円の当期純利益を計上できることもあれば、2020年のように1兆円近くの大損失を出してしまう恐れもあります。
しかしおそらく、孫正義会長兼社長は期ごとに大きく変動する損益にいちいち気をもんだりはしていないでしょう。なぜそう言えるかというと、ソフトバンクGが最も大事にしている指標は、投資損益でも当期純利益でも、ましてやキャッシュ残高でもなく、「NAV(ナブ)」だからです(※1)。
ソフトバンクGが最も重視している指標「NAV」
NAVという用語を初めて聞いたという方も多いと思います。これはいったい何だと思いますか?
NAVとはNet Asset Valueの略で、日本語では純資産価値と訳されます。NAVの計算式は次のとおりです。
(注)保有株式と純負債の定義は脚注2を参照のこと。
(出所)ソフトバンクGのHPをもとに編集部作成。
NAVという指標は一般の事業会社ではまず使われませんが、投資信託やREIT(不動産投資信託)など、一部の金融商品ではよく使われます。私自身、かつて不動産投資や不良債権投資の実務に携わっていた際にはNAVを用いることもありました(ソフトバンクGの定義とは厳密には違いましたが)。
では、なぜNAVは金融商品でよく使われるのか。それは、金融商品の時価を反映した指標だからです。前回「ソフトバンクGは実質的に投資会社」と述べましたが、NAVを最重要指標にするあたりにも、同社の投資会社としての性格が垣間見えます。
ソフトバンクGがNAVを経営における最重要指標としているのは、NAVは投資先の時価を最も適切に表現したものだからです。NAVは決算短信にも有価証券報告書にも出てきませんが、ソフトバンクGのホームページには「最も最近に公開されたNAV」が掲載されています。
つまり、ソフトバンクGの経営がうまく行っているかどうかを適切に判断するには、このNAVを確認することが重要ということです。
さて、ソフトバンクGのNAVは、ざっくり言うと保有する株式の時価総額の合計額から純負債額を控除することで求められます。それを時系列で示したものが図表1です(※3)。
(出所)2021年3月期ソフトバンクG決算説明会プレゼンテーション資料。
これを見れば一目瞭然、ソフトバンクGのNAVの43%をアリババが占めています。
前回解説したとおり、アリババはソフトバンクGにとって「持分法適用会社」に該当することから(図表2の(3))、その株価変動はソフトバンクGのP/Lには影響しません(※4)。
ただしソフトバンクGのNAVには、アリババの株価変動も大きな影響を与えます(もちろんこれと同様のことは、アリババだけでなくソフトバンクKKやZホールディングスといったソフトバンクGの子会社についても言えます)。
NAVからはソフトバンクGの理論株価も求められます。NAVを発行済株式総数で割ることで1株当たりのNAVを算出でき、4月1日時点では1万5015円です。NAVは純負債を控除していることから、理論的には株主に帰属するものと見なせます。つまり、1株当たりのNAVとは、理屈としてはソフトバンクGの株価に近しい存在になるわけです。
ところが——。ソフトバンクGの株価を確認してみると、4月1日時点の株価は9391円(※5)。NAVを38%も下回っています。これではソフトバンクGにしてみれば、「我が社の株価は実体よりも安く評価されている」と思うでしょう。
(出所)ソフトバンクGのホームページおよびYahoo!ファイナンスをもとに筆者作成。
ソフトバンクGが割安に評価されてしまう理由の一つは、この連載の第25回でも解説した「コングロマリット・ディスカウント」だと考えられます。
コングロマリット・ディスカウントとは、多角化経営をする企業などに対して、株式市場が「シナジーが薄い事業を複数持つような経営の仕方は、経営資源が分散してしまうため効率が悪い」と判断し、割安に評価されてしまうことです。
ではソフトバンクGが割安感を解消できるとしたら、どんな方法が考えられるでしょうか?
割安感はどうすれば解消できる?
これまで見てきたように、少なくとも2021年3月期のソフトバンクGの当期純利益の大部分は、SVF関連からもたらされたものです。「であればいっそ、SVFに資産を集中させたほうが、選択と集中ができていると株式市場から評価されるのでは?」という疑問が湧いた方がいるかもしれません。
ですが、これではさすがにリスクが高すぎます。
SVFは実質的に、未上場のユニコーン企業を中心に投資をするベンチャーキャピタルです(※6)。このようなビジネスは、本稿でも見てきたように、市場環境によって大きく儲けることもあれば大損失を出すこともあります。
ファイナンスには「Don’t put all your eggs in one basket.(すべての卵を一つのカゴに入れてはいけない)」という、リスク分散と分散投資の重要性を説く格言があります。
分散投資の基礎となるポートフォリオ理論では、分散投資でリスクをヘッジできるのは個別企業の投資リスクのみで、市場リスクは対応できないと言われています(図表4)。
(出所)ブリーリー、マイヤーズ、アレン『コーポレートファイナンス第10版』(日経BP社、2014年)を参考に筆者作成。
つまり、SVF自体は100社以上に投資しているので各スタートアップ企業の個別の投資リスクを低減させることはできても、スタートアップ市場全体のリスクに対応できているわけではないということです。
そう考えると、ソフトバンクGがSVF以外に、子会社や連結子会社、持分法適用会社を通じて、さまざまなフェーズ・業界の企業に投資していること自体が、むしろリスクの軽減につながっていると言えます。
とはいえ、ソフトバンクGの実績PER(株価収益率)はわずか3.3倍。たった3.3年で時価総額を回収できてしまう状態です。これはPERが過小評価されているというよりむしろ、ソフトバンクGが今回のような当期純利益を今後も継続的に生み出せるとは市場が見ていないということだと読み解くべきでしょう。
なお、上場している代表的な投資会社のPERは図表5のとおりです。投資アセットによってリターンも変わってくるため、PERを単純に横並び比較するのは必ずしも適切ではありませんが、ソフトバンクGを投資会社と見なしたときに、そのPERが他社に比べていかに低いかがお分かりいただけるでしょう。
ソフトバンクGのPERの低さを解消するにはどうしたらよいのでしょうか? 方法としては、2つ考えられます。
割安解消策1:外部投資家の持ち分を増やす
第1の方法は、外部投資家の持ち分を増やすというものです。
ソフトバンクGのP/Lの変動がこんなにも激しいのは、SVFのほとんどをソフトバンクGが自ら出資しているからです。
ファンドビジネスとは基本的に、外部の投資家から集めた資金を運用して、その分け前の一部を得るというものです。通常は、投資家から集めた資金や投資アセットが自己のB/Sにそのまま計上されることはありません。例えば、スパークスは1.5兆円の運用資産を持っていますが、スパークス本体のB/Sの総資産はわずか380億円です。
しかしソフトバンクGは、SVFを連結対象としています(※7)。SVFは外部投資家の持ち分比率がそれほど多くなく、ソフトバンクGの自己勘定の持ち分が多いため(図表6)、SVFは実質的にソフトバンクGが支配していると考えられるからです。
(出所)2021年3月期ソフトバンクG決算短信より筆者作成。
自己勘定の投資が増えればその分リターンも大きくなりますが、損失を被った時にソフトバンクGのP/Lに与えるダメージもまた甚大です。
1兆円の損失を出したかと思えば翌年に5兆円の利益を計上するようなボラティリティの高い状況では、投資家はリスクを心配して割引率を高めに見積もるため、株価は割安になってしまいがちなのです。
ただし本稿でお話ししてきたように、ソフトバンクGはP/LよりもNAVを重視しています。
P/Lに注目しているとどうしても気になってしまうボラティリティの高さも、NAVならばそれほど大きな乱高下はしていません。SVFが税引前当期純利益に占める割合は80%を超えていましたが、NAVではわずか25%です(もちろん、ソフトバンクGのNAVでは、SVFの外部投資家持ち分は除外されています)。
(出所)2021年3月期ソフトバンクG決算説明会プレゼンテーション資料。
今後SVFの外部投資家の割合がもっと増えていけば、SVFの影響は薄まり、P/Lのボラティリティは緩和されるでしょう。一方、NAVベースではSVFはすでに25%しかないため、外部投資家が多少増えたくらいでは大きな影響はなさそうです。
仮に株価がNAVによって形成されるなら、外部投資家を増やしたところでPERはそれほど大きくは改善しないかもしれません。
割安解消策2:「目利き力」を示す
では、他にはどんな方法が考えられるでしょうか?
大切なことは「目利き力」を示すことです。ソフトバンクGは世界で2番目に多くのユニコーン企業を抱えています。ユニコーン企業以外にもヤフーやアリババなど、昔から投資に対する目利きはずば抜けています。
この「目利き力」を最大限発揮するために、投資の回転を上げるということが考えられます。
投資の回転とは、企業に投資をして、上場もしくはM&Aを通じて投資資金を回収し、そこで得たお金をさらに投資に回すという循環を指します。
この循環をよりスムーズにすることで投資の回転を上げれば、資金を効率的に運用できるだけでなく、投資期間が短くなるためリスクを軽減できます。
投資の回転を上げると、本来持ち続けることで得られたはずのアップサイドを失う可能性もありますが、逆に、持ち続けたことで損失が広がるダウンサイドも抑えられます。つまり、投資をよりきめ細かくハンドリングできるようになるのです。このことは、利益のボラティリティを下げることにもつながります。
もともとSVFは、ユニコーン企業のような上場手前のレイターステージのスタートアップ企業に投資をするVCです。そのため、投資回収期間は通常のVCより短い傾向にあります。例えばSVF1では、投資開始からわずか3年でこれだけの上場を達成しています(図表8)。
図表内にある「エグジット済みの投資」とは、ソフトバンクGが持ち分を売却したことを意味します(※8)。もし投資の回転をもっと上げられたら、ソフトバンクGのPERは改善するかもしれません。
この投資の回転を上げるうえで重要な役割を果たすことになりそうなのが、図表8にも記載されている「SPAC(Special Purpose Acquisition Company)」です。
2020年にアメリカで大きな盛り上がりを見せ、日本においても最近にわかに耳にする機会が増えた「SPAC」とはいったい何なのか。ソフトバンクGはこれをどのように活用しているのか——これについては、次回詳しくお話しすることにします。
※1 ソフトバンクGのホームページにはNAVの説明で「投資会社の企業価値を表す経営指標としても用いられており、ソフトバンクグループ株式会社でも最重要指標としている」と書かれています。
※2 保有株式と純負債の定義については、ソフトバンクグループHP「1株当たりNAV情報」を参照。
※3 ソフトバンクグループのHPに記載されているのは厳密には1株当たりNAVですが、本稿図表1は1株当たりNAVに発行済株式総数を掛けたものになっています。
※4 アリババに限らず、子会社の持分法適用会社の株式は、投資先会社の純資産の増減額をもとに評価替えをしますが、純資産は決算上の「簿価」数値であり、株価を元に計算される「時価総額」ではありません。そのため、投資先の「株価」の変動はP/LにもB/Sにも影響を与えないことになります。しかし、これら企業の株価が変動すれば当然時価総額は変わり、ソフトバンクGのNAVも変わります。
※5 本稿執筆時点で、ソフトバンクGのホームページに記載されている最新のNAVは2021年4月1日時点のものであるため、株価も同日時点を採用しています。しかし、ソフトバンクGの6月23日時点の株価は7702円となりっており、4月1日時点の株価から約18%下落しています。
※6 「ソフトバンクGが2位 投資先のユニコーン企業数」日本経済新聞、2021年5月10日。
※7 ソフトバンクグループ「SoftBank Vision Fundビジネスモデルと会計処理」2018年11月7日。
※8 SVFの投資先が上場したとしても、SVFが持ち分を売却しなければ、ソフトバンクGにとってのエグジットにはなりません。
※次回は、6月28日(月)に公開予定です。
(執筆協力・伊藤達也、連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
村上 茂久:株式会社ファインディールズ 代表取締役、GOB Incubation Partners株式会社CFO。経済学研究科の大学院(修士課程)を修了後、金融機関でストラクチャードファイナンス業務を中心に、証券化、不動産投資、不良債権投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事する。2018年9月よりGOB Incubation Partners株式会社のCFOとして新規事業の開発及び起業の支援等を実施。加えて、複数のスタートアップ企業等の財務や法務等の支援も手掛ける。2021年1月に財務コンサルティング等を行う株式会社ファインディールズを創業。