ライオンはデジタル化の潮流から取り残される。DXのキーマンが感じた危機感とは

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日本を代表する消費財メーカーであるライオンが、DXで大きく変わろうとしている。そのキーマンとなるのが、DX推進部を率いる黒川 博史氏だ。黒川氏はどのようにして、社内にDXを根付かせようとしているのか。そして、ライオンが目指すDXのあり方とは。その取り組みを紐解いた。

CESで受けた衝撃。ライオンが取り残されるかもしれない

明治31年、音楽隊が勇ましい行進曲を奏でる中、『ライオンはみがき』と書かれた数十本の広告のぼりを掲げた宣伝パレードが進んで行く。一行は黒山の人だかりに囲まれながら粉ハミガキの広告チラシと実物見本を配り歩いた。

この楽隊は日本各地を巡業。併せて、新聞広告でも商品特徴や歯みがきの効能を掲載。この一大宣伝活動によって、『獅子印ライオン歯磨』は一躍全国に知れ渡り、歯みがきという習慣を根付かせるのに一役買ったこととなる。この商品はのちに社名となり、日本のオーラルケアに大きく寄与する企業へと成長する。現在の『ライオン』である。

ライオンは、オーラルケアを始めとして、ビューティケアや薬品、ファブリックケア、リビングケア、ペット用品など、さまざまな事業を営む日本を代表する消費財メーカーだ。当然、その研究開発の水準は高い。現在、DX推進部長を務める黒川 博史氏も、「大学で学んだ化学の知見を生かし、研究成果を生活者に届けたい」という理由で、研究職として入社した1人だ。

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黒川 博史(くろかわ・ひろし)氏/ライオン DX推進部長。2007年入社。基幹技術である油脂の基礎研究から一転、2017年よりデジタル・イノベーション・プロジェクトへ参画、イノベーションラボを経て、2019年より研究開発本部 戦略統括部 データサイエンス室長。AI(人工知能)を中心としたデジタル技術の社内推進者。2021年1月より、本社部門に新設したDX推進部の部長に就任。

「好奇心が旺盛な性格で、当時から色々な研究チームに声を掛けていました。外からの情報収集も活発で、気になる論文があれば、大学や研究機関に直接連絡して話を聞くことも多かったですね」(黒川氏)

そんな好奇心が、研究者だった黒川氏の運命を大きく動かすことになる。当時、ライオンはその事業規模や研究開発のレベルからすると、DXに先んじていたわけではなかった。黒川氏は、「社内でデジタル化の検討について話題に上がり始めたのは、2017年頃でした」と記憶を辿る。まさにこの頃、社内では<デジタルイノベーションプロジェクト>が立ち上がった。

「研究所や生産技術などの各本部から一人ずつ専任でアサイン。1年間デジタルについて調べて、役員に答申するプロジェクトです。当時の上司に、黒川は色々なことに興味を持っているから適任だろうということで選ばれました」(黒川氏)

黒川氏自身も、以前からデジタルの活用には興味を持っていた。特に気になっていたのが、アメリカ・ラスベガスで開催される世界最大の家電見本市、CESだ。

「IT企業やエレクトロニクスメーカーなどの動向はメディアも大きく取り上げますが、その一方で、消費財や化粧品のメーカーも多く出展していました。なかでも衝撃を受けたのは、アジアのシリコンバレーとも呼ばれる深センの多数のOEM企業が出していた電動歯ブラシ。ライオンも本気でデジタル化を推進しないと、取り残されるという危機感を覚えました」(黒川氏)

この経験から、ストレートな物言いで早急なデジタル化を答申した黒川氏。その時のことを「経営陣に詰め寄る勢いで進言しました」と振り返る。上司からの言葉は、「全社のデジタル化を本気で取り組み提案してみろ」。かくして、研究開発本部にデータサイエンス室を立ち上げ、室長を務めることになる。

自らAIを社内に啓発。賛成派の手を掴んだら離さない

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黒川氏は、「ライオンという企業はデータとの親和性が高い。そもそも、商品を売るためには、統計的な有意差を打ち出す必要がある。研究開発担当者には散々やってきた統計のスキルがあるので、データ活用も得意なはず」と考えた。

まず着手したのは、AIによるデータ活用である。黒川氏が目論んだ通り、研究開発本部には、AIに対する知識を持つ社員が一定数いた。機械学習を手掛けられるメンバーもおり、一様に「統計とAIは英語とドイツ語くらいの違い。文法は異なるが構造は一緒なので、少し勉強すればできる」と応えたという。

これまでAI分野は外部委託だったが、社内でもAIを運用すれば、事業への展開など動きをスピーディーにできる。また、外部パートナーとのやりとりも、技術が分かっていればスムーズになる。問題は、研究開発以外の部門は必ずしもAIに対する認識や理解が深くなかったことだ。

「AIに何ができるの?といったレベルでした。当時のAIは、新しいテクノロジーが普及する過程である<ハイプ・サイクル>に当てはめると、過度な期待が過ぎ去った後の幻滅期が終わりかけた状況。できることとできないことがはっきりして、何に使えば有効か、その実態が見え始めた頃です。そこで、我々も地道に説明を繰り返し、AIによるデータ分析を業務に導入してもらえるように啓発活動をしてまわりました」(黒川氏)

難しいAI活用をわかりやすく翻訳して、理解してもらう。その活動は容易ではなかった。当然、反対もあった。乗り越えられたのは、持論があったからだ。

「社内で新しい活動を開始するときは、10人のうち2人が賛成、2人が反対されるような環境が必要と思っています。反対する人がいないと、もし間違った方向だったときにブレーキを掛ける人がいません。一方、賛成してくれる人もいなければ、推し進めることは難しい。このとき大事なのは、賛成の2人を見つけて、その手を決して離さないこと。この2人が新規事業のメリットを理解して、共感してくれれば、いずれ反対の2人も話を聞いて、振り向いてくれるようになります」(黒川氏)

AI活用事例を社内で啓発するなか、黒川氏の言葉を借りると「手を離さなかった人たち」とチャレンジした事例が、これから紹介する<歯ブラシ開発へのAI活用>と<熟達フレーバリストの思考AI>だ。

歯ブラシとハミガキのフレーバー。AIを活用して開発を効率化

ハブラシ開発へのAI活用

提供:ライオン

歯ブラシは、ライオンにとっては代表的なプロダクトのひとつだ。それでも、開発には膨大な時間がかかるという。特に面倒なのが、毛の硬さの評価である。

「店舗で歯ブラシを手に取ると、かため、ふつう、やわらかめの表示がありますよね。法律で表示が義務づけられているのですが、この毛の硬さはJISで細かく決められています。配列、毛質、形状を決めるのは職人技で、従来は、熟練の担当者が経験に基づきながら試作品を手作りしていました」(黒川氏)

植毛機で一本ずつ植えて、JIS規格に準じた毛の硬さに仕上がっているかを評価するのだが、かかる時間は数日。この期間を短縮するために、AIを活用することにしたという。

「これまで開発してきたデータを機械学習させて、予測モデルによって硬さを推測。これによって、ほんの1時間程度で評価できるようになりました。また、職人技として属人化されていた仕事が、誰にでもできるようになったのも大きなメリットです」(黒川氏)

もう一つの事例である、<熟達フレーバリストの思考AI>とは、ハミガキ香料配合のデジタル化だ。実は、香料の配合は、フレーバリストと呼ばれるごく限られた専門集団が担っている。

熟練フレーバリストの思考AI

提供:ライオン

「10年目でやっと一人前と言われる“職人の技”の世界。香味を表す言葉づかいにはワインのソムリエのように素人では理解できない表現が多くあります。それだけに、技術伝承が課題に挙がっていました」と黒川氏。そこで、スタートアップ企業の技術を採用し、レシピの情報や表現の言語データを活用することで、フレーバリストの思考をAIで再現した。

AIは、香料の骨子部分をレシピで提示。そのレシピからフレーバリストが目指すべき香りへと昇華させていく。「実際に稼働して稚拙なレシピだったら、熟達フレーバリストから反発を受け、使ってもらえないのでは……」という不安もあった。だが、自分たちが持っていない気づきがあった、という声もあり、レシピ開発の初期検討の効率化が図れたという。「将棋AIが人間には想像できない手を打つようなものでしょう」と黒川氏は語る。

この二つの事例で重要なのは、AIに任せること、人間がやるべきことの住み分けだ。黒川氏に尋ねると、「人がやるべき部分は、オリジナリティの創出」だという。できるだけその時間をたくさん作るために、AIやデジタルで効率化できる部分は、時間短縮することが必要なのだ。

DX推進部が旗を振り、ライオンの組織風土を変革する

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これらの成功もありデータサイエンス室は、組織を横断してライオン全体のDXを推進する部署『DX推進部』へと発展した。2021年1月のことだ。余談だが、ライオン株式会社発足以来、黒川氏は最年少の部長だという。

DX推進部のミッションは二つ。ひとつは、デジタル技術を活用して、工場のオートメーション化やサプライチェーンの最適化などを推進し、事業を効率化していくこと。もうひとつは、デジタル技術を用いて、新しいビジネスを生み出すことだ。

黒川氏には、新ビジネスにおいて、ひとつの未来を見据えている。それは、100年以上にわたり蓄積してきたオーラルケアの知見、そして、口腔環境データを活用して、ライオンのパーパスである「より良い習慣づくりで、人々の毎日に貢献する(ReDesign)」を実現させることだ。

「創業者の小林 富次郎の精神を受け継ぎ、歯みがき習慣や清潔衛生習慣を普及啓発してきたライオンは、あらゆる手段や製品で、“より良い習慣づくり”だけをやってきたと言っても過言ではありません。これからは、デジタルやデータを活用して、“より良い習慣づくり”をさらに加速させていきたいと思っています」(黒川氏)

ライオンは長年にわたり独自で口腔健康データを蓄積してきたが、それによると、歯磨き等の歯科保健行動と生活習慣病の入り口である肥満との関連が確認されつつある。また、最新の世の中の研究では、歯周病は心筋梗塞や認知症、糖尿病との関連が明らかになってきている。さらに、口腔健康データが見える化されることで、歯ブラシに加えてフロス活用などを習慣化する重要性に気がつけば、歯周病予防にもなり、人々の健康に資することができるはずだ。

「今後はさらに共創を見据えたパートナー作りやこれまでの基準にこだわらない、スキルのある人材の採用や登用も重要になってきます。まだ少数精鋭ですが、DX推進部が旗振り役となり、ライオンの組織風土を変えるところまでDXを浸透させたい」と黒川氏は意気込む。

日本を代表する消費財メーカーは、健康に資するものすべてを扱う「習慣を科学する」ルーティンテック企業へと進化すべく、その大きな一歩を踏み出している。


ライオンのDX推進に関する取り組みへのお問い合わせは dx-team@lion.co.jp まで。

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