記者団の取材を受ける日本銀行(日銀)の黒田東彦総裁(2020年2月撮影)。
REUTERS/Nael Shyoukhi
6月18日に開かれた日銀金融政策決定会合は、気候変動対応にかかる金融機関の投融資を後押しする、新たな資金供給策を検討していることを明らかにした。例えば、脱炭素を目的とする企業の設備投資をサポートすることなどが想定される。
日銀が(脱炭素のように)資金使途をあらかじめ想定してオペレーション(公開市場操作=買い入れによる資金提供)を組むこと自体に目新しさはない。
例えば、成長する期待の高い分野に対するオペ(成長基盤オペ)がそうだし、震災やパンデミックからの復興を支えるオペも広義にはそれにあたる。
今回はそれが気候変動対応という壮大な大義に置き換わっただけで、注目を浴びているのは「世界的な潮流に乗った」からと言えるだろう。
今後、7月に予定されている次の金融政策決定会合で骨子を公表し、年内にも投融資が始まるという。
こうした決定に踏み込めること自体が、コロナ禍の落ち着きを感じさせるものだ。1年前の中央銀行には、地球環境を考えて動く余裕などなかった。
環境対応は「欧米」というより「欧州」の潮流
今回の日銀の動きをどう評価すべきか。
報道を見ていると、中央銀行による気候変動への対応は「欧米」の潮流かのように指摘されているが、実際は「欧州」に端を発した動きという印象が強い。
例えば、欧州中央銀行(ECB)は、総裁が現在のラガルド氏に交代してから気候変動問題についてたびたび言及するようになり、年内発表予定の新たな金融政策戦略には義務として気候変動対応が盛り込まれるとみられる。
また、イングランド銀行(BOE)は2021年3月、2%という既存の物価安定目標に加えて、温室効果ガス排出量を実質ゼロにする政府目標を支援することを中央銀行の責務と位置づけた。こうした環境対応を公式の目標とした中央銀行は、世界でもBOEが初めてだ。
かたや、アメリカの中央銀行制度の最高意思決定機関にあたる連邦準備制度理事会(FRB)は、ECBやBOEほど極端な動きを見せていない。
まったく兆候がないというわけではなく、バイデン政権への移行にともない、中央銀行も格差問題や環境問題に関与すべきとの雰囲気は確かに強まってきている。2021年3月には、気候変動対応を銀行監督の柱に位置づける計画が、ブレイナードFRB理事によって明らかにされた。
ただし、それはあくまで銀行をどう規制するかという話で、アメリカの金融政策とは別次元の話だ。
そうした実態を踏まえると、今回の日銀の決定は「欧米」というより「欧州」の潮流に合わせたとみるのが正確だろう。
ドイツ連邦銀行総裁の「変節」
ドイツ連邦銀行のバイトマン総裁(2021年2月撮影)。国際決済銀行(BIS)の議長も兼務する。
REUTERS/Michele Tantussi
「欧州」の潮流は、目を引く動きを示している。
すでに一部メディアも報じている通り、国際決済銀行(BIS)などの主催でオンライン開催された「グリーンスワン会議」(6月2〜4日)で、ドイツ連邦銀行(ブンデスバンク)のバイトマン総裁(BIS議長も兼務)の「変節」が注目された。
バイトマン総裁はかつて、「気候変動問題への対策を打ち出すのは選挙民によって選ばれた政府の仕事で、中央銀行が環境政策を推進する民主的な正当性はない」などと述べ、中央銀行は環境対応と距離をとるべきという論陣の代表的な人物だった。
グリーンスワン会議での講演は、「中央銀行と政治の責任の所在に関し、境界線をあいまいにすべきではない。中央銀行ができることできないことを明確にする必要がある」と従来通りのバイトマン節で始まった。
ところが、今回それは前口上にすぎなかった。続いて総裁は「しかし、気候変動はインフレ・経済・金利に影響をおよぼす」と口火を切り、その後も総じて「中央銀行としてできることもある」という主張を貫いた。
専門家の間では、ブンデスバンク総裁は主張を曲げることがほとんどない印象が定着しており、ここまでの変節は率直に言って、珍しい。
少し長くなるが、ここでバイトマン総裁の講演内容をできるだけたっぷりと紹介してみたい(筆者による抄訳)。
「中央銀行は(気候変動が持つ)物価安定や金融政策への含意を理解すべきであり、それに合わせて分析ツールも拡大すべきだ。そうすることで、金融システムのグリーン化支援において重要な役割を果たせる。金融システム安定の庇護(ひご)者として、金融機関が気候変動関連のリスクを適切に織り込む一助となれる」
「それだけでは不十分だ。民間金融機関と同じように、中央銀行が保有する資産にも気候変動関連のリスクが影響する。物価安定のために使われるバランスシート(=中央銀行の保有する総資産)が毀損するかもしれない。ゆえに、中央銀行もそのリスクを適切に織り込むべきだ。社債購入などに起因するリスクを懸念する」
「ユーロシステム(=ECBとユーロ圏の中央銀行)としては、気候変動関連のリスクに関して透明度を高める行為が『正当な利益』をもたらすと考える。将来的には、ユーロシステムとして購入したり、担保として受け容れたりする有価証券は、一定水準の気候変動関連の報告義務を負っている発行体に限定することなどを推奨したい。また、気候変動に関する金融リスクを適切かつ透明に反映する格付けを使うべきだ」
「そうした対応は金融政策の構成を変えることになるが、すぐに導入されるものではない。発行体も格付け機関も準備のために相応の時間が必要とする。とりわけ、気候変動のような数十年におよぶ時間軸を加味することについて、格付け機関は苦心するだろう」
「十分な解決策が見つからない場合、ユーロシステムとして別のリスク管理手法を検討しなければならない。例えば、特定産業ないし発行体の社債について、保有量や保有年限について制限するやり方も考えられる。そうした手法(の導入)によって、企業や金融機関が政治的理由で操作されていると誤解されることがあってはならない。適切かつ透明性の高い尺度が必要だ」
これまでのバイトマン総裁の言動に比べると、「変節」と呼ぶにふさわしいスタンスの変化を感じる発言ばかりだ。
日銀の気候変動対応に関する冒頭の決定にも、このブンデスバンク総裁の変節が、影響あるいは後押ししたのではないかとの見方も出ている。
コロナ関連オペの期限切れなどを見据え、その後継スキームを金融機関向けに用意する必要があったという別の見方も出ているものの、上記のバイトマン発言などから、日銀が「欧州の潮流」の熱量をくみ取り、気候変動対応の必要性を悟ったという見方には、十分な説得力がある。
「グリーンスワン会議」主催者としての立場もあって……
欧州中央銀行(ECB)のラガルド総裁。気候変動対応に前向きなスタンスで、ドイツ連銀のバイトマン総裁とはまた異なる立場。
Olivier Matthys/Pool via REUTERS
ただし、バイトマン総裁は依然として疑問を抱いているように、筆者には感じられた。
同総裁は、講演の最後を「気候変動関連のリスクに関し、(中央銀行は)透明性を高めるためのカタリスト(触媒)であるという姿勢を持つことで、ユーロシステムの責務を過剰に拡大せずに気候変動と戦うことができる。この姿勢は、政治家や規制当局の積極的な行動と何ら変わるものではない」と締めた。
中央銀行は変化を促進する「触媒」であって、主体にはならないという立場を強調したわけだ。
また、わざわざ「責務を過剰に拡大せずに」と述べていることから、おそらく欧州中央銀行(ECB)の内部でいま行われている金融政策戦略の見直し議論において、気候変動対応を明記することにバイトマン総裁は反対なのではないかと察する(一方、ラガルドECB総裁はやる気満々だが)。
講演の引用にもある通り、バイトマン総裁は「企業や金融機関が政治的理由で操作されていると誤解されることがあってはならない」ともクギを刺し、適切性や透明性を確保する手段について、現時点では確証を持っていないように感じられる。
筆者はそうした発言の端々から、バイトマン総裁が「深く踏み込むのは危険」という警戒心を相変わらず抱いているとみている。
講演の抄訳には含めなかったが、経済・金融情勢が正常化に向かえば、「中央銀行としての資産購入(オペ)は縮小に向かうが、政治としての気候変動対応は当然続く」といった趣旨の発言もあった。
気候変動対応に普遍的価値を認めるなら、試算購入の終了とともに中央銀行の(気候変動に対する)貢献までなくなるというのは、どう考えてもおかしな話だ。
冷静に考えれば、中央銀行のサロンとも言うべき国際決済銀行(BIS)主催で、しかも環境がメインテーマの(グリーンスワン)会議なのに、その議長の責務を担うバイトマン総裁が率先して「中央銀行が(気候変動問題について)できることはない」などと発言するわけにもいくまい。
苦心の末、「ブンデスバンク総裁ではなく、BIS議長として言えることを言った」という部分もあるだろうから、そのあたりを割り引いて考える必要もあるのではないか。
それにしても、日銀もこの講演の影響か気候変動対応に乗り出すことを決めたのは事実だ。中央銀行が気候変動問題にどう向き合うべきか、という本質的な議論については、後日、稿を改めて検討したい。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
(文・唐鎌大輔)
唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。