無料のメールマガジンに登録

平日17時にBusiness Insider Japanのメルマガをお届け。利用規約を確認


あの日、東京から“伝説の寄席”が消えた。芸歴50年超の落語家は語る、歴史が断たれる寂しさを。

「人形町末廣」跡地に飾られている往時を描いた絵画(左)と石碑。客席は全て畳敷き。マイク無しでも芸人の声が聞こえる造りで、「伝説の寄席」と呼ばれる。1867(慶応3)年〜1970年(昭和45)年まで存在した。

「人形町末廣」跡地に飾られている往時を描いた絵画(左)と石碑。客席は全て畳敷き。マイク無しでも芸人の声が聞こえる造りで、「伝説の寄席」と呼ばれる。1867(慶応3)年〜1970年(昭和45)年まで存在した。

撮影:吉川慧

落語や講談など、江戸から続く「芸」の息遣いを目の前で味わえる「寄席」がコロナ禍で存続の危機にある。ピンチを乗り越えようと「落語協会」と「落語芸術協会(芸協)」が協力。6月末まで、都内の寄席への支援を呼びかけるクラウドファンディングに挑戦している。

明治維新、関東大震災、太平洋戦争——。江戸の頃から令和に至るまで、寄席は歴史の荒波にさらされながら、私たちに「笑い」を届けてきた。

若手・ベテランを問わず、寄席という空間は「かけがえのない修行の場」だと、落語家の柳家さん喬さん(72)・桂米助さん(73)・瀧川鯉斗さん(37)・紙切り芸人の林家正楽さん(73)は語る。

特に1967年入門のさん喬さんと米助さんは、1970年に惜しまれつつ閉館した「人形町末廣」(東京・中央区)の最期を目撃している。戦後、娯楽が多様化する中で消えていった“伝説の寄席”だった。二人はコロナ禍で寄席のピンチを再び目の当たりにし、改めて寄席の大切さを痛感している。

ともすれば大声で笑うことがはばかられる今、師匠たちは何を思うのか。そこには、困難な時代にあっても客の心に思いを馳せ、「笑い」を追い求め続ける「寄席芸人」としての心意気があった。

さん喬・米助が語る「“伝説の寄席”が消えた日」

桂米助さん(左)と柳家さん喬さん。ともに芸歴50年超。落語界の重鎮ながら、精力的に寄席の高座にあがり続けている。

桂米助さん(左)と柳家さん喬さん。ともに芸歴50年超。落語界の重鎮ながら、精力的に寄席の高座にあがり続けている。

撮影:伊藤圭

——寄席の歴史を見ると、戦前は都内に100軒あまりの寄席がありました。しかし戦後は娯楽が多様化する中で次第に減り、今ある定席はたった数軒となりました。

さん喬:思い出深いのは今はなき「人形町末廣」ですね。

——さん喬師匠は、初高座が人形町末廣でした。そして米助師匠は人形町末廣の最後の前座だったと伺いました。

米助:僕は最後の10日間を務めた後に「末廣」の提灯を梯子(はしご)に乗って、取ったのよ。「記念に持って行ってどうぞ」って言われてさ。

あとは談志師匠が来て、全部持っていっちゃった(笑)

さん喬:そうだった。将棋盤から何から持っていっちゃった(笑)僕も師匠(故・五代目柳家小さん)の「めくり」(出演する演者名を記した紙)を頂いた。

米助:客席は全部畳敷きでね。人形町は寒かったよねぇ。

さん喬:人形町は本当に寒くてダメだった(笑)あの頃はね、新聞紙を2つ折りにして真ん中に穴開けて、ポンチョみたいにスッポリ被って。その上から着物を着ていたんですよ。

そうすると暖が取れるんです。でも、風邪ひく人も大勢いたねぇ。

米助:でも、前座時代の寄席って楽しかったよね。お客さんがいない時代もあったけど、それぞれに思い入れがありますよ。

さん喬:前座で「働く」っていうのは責任があるようでないんですよね。

高座でお客さんを喜ばせるのは先輩たちであって、前座は楽屋で師匠方の世話とか「働く」ことが第一条件ですから。高座とかお客様に対する責任がないから、純粋に勉強になった。

当時は志ん生、文楽とか昭和の名人がキラ星の如くいらした。それを楽屋で働きながら聞いていた。着物を畳みながら、傍で聞いてププッと笑ったりして…。

それがやっぱり、楽しかったですね。

——実際に寄席が消えた瞬間を、お二人は目の当たりにしている。

さん喬:寂しいですよ……。いまある新宿末廣亭、浅草演芸ホールも戦後にできた寄席ですが、ほかにも目黒の権之助坂に「目黒名人会」とか新しい寄席がいくつかあったんですよ。

でも、経営不振とかでなくなったり。なくなってから寄席があったところを通ると「ああ、昔ここに寄席あったよなぁ」って。

米助:権之助坂とか通ると特にね……。

さん喬:前座時代の楽屋の風景とか、師匠方とのやり取りとか、ふと思い出すよなあ。

鈴本演芸場も今はビルになっているけど、昔は木造家屋。門構えがあって中庭があってさ。門をくぐると飛び石があって、そこに打ち水がしてあった。今でも思い出すなぁ。

もうね、寄席には人々の色々な思い出が詰まっているんです。そういう歴史が断ち切られちゃうと本当に寂しいなぁ。

東京・人形町にあった寄席「人形町末廣」の跡地。いまでは近代的なビルが建ち、当時の面影はない。

東京・人形町にあった寄席「人形町末廣」の跡地。いまでは近代的なビルが建ち、当時の面影はない。

撮影:吉川慧

——協会は違っても、寄席への思いは同じ。みなさん「良きライバル」なんですね。

米助:協会は違うけど戦友だもの。同じころに前座をやっていた「友」だからね。

さん喬:そう、同じ時代を生きてきた。

鯉斗:私たちの年代でも、同期や年齢の近い先輩・後輩はやっぱり仲が良いですね。

米助:もし寄席が無くなっちゃったらそういうのなくなっちゃうもんね。

さん喬:所属する協会が違うと「背中合わせだ」と誤解されがちですが、そんなことはない。噺家(はなしか)になった以上は仲間なんですよ。芸の研鑽はしても、人間同士の争いはないよね。

正楽:寄席では別々ですけど、地方の仕事や落語会では一緒に高座に上がりますもの。

「寄席は空気」コロナ禍で痛感した価値と意義

雲田はるこさん作『昭和元禄落語心中』は落語ファンの裾野を広げた。寄席では同作をテーマにした興行も。

雲田はるこさん作『昭和元禄落語心中』は落語ファンの裾野を広げた。寄席では同作をテーマにした興行も。

撮影:吉川慧

——近年、寄席の裾野も広がっています。最近ではアニメ・ドラマ化された雲田はるこ先生の漫画「昭和元禄落語心中」の影響もあり、若いお客さんが増えたように思います。

正楽:若い人はもちろん、この頃は海外からのお客様も増えましたね。国境関係なく一緒になって笑える空間なんですね。

米助:今回で3回目なんですが、東急プラザで若い人や留学生に落語文化を伝える企画をやっています。

前座さんや二ツ目さんと一緒にやるんですが、その際に「外国の方にも分かるようにやってみてね」って。そこで寄席に興味を持ってくださる人もいますね。

もちろん全ての言葉は伝わらないかもしれない。それでも寄席の雰囲気を味わったりしてくれている。嬉しいことですよ。

——そんな中で、コロナ禍での寄席の危機……。それは大衆演芸の未来への危機でもある。

さん喬:コロナ禍になったことで、我々も寄席の価値や意義を再認識させていただきました。

そしてコロナで噺家とかいわゆる寄席芸人がどんな影響を受けてきたか……。もちろん入場者が少ない、つまりいただける割り(給金)が少なくなったというのはあります。

ですが、それ以上に寄席という場所が「お客様が芸を見てくださる、聞いてくださることが大前提の稀有(けう)な場所」ということです。それを改めて、このコロナ禍の長い期間で感じましたね。

やっぱり、寄席のお客様が芸人を育ててくださる。その「育つ」ことをコロナが圧してるというか、止めてしまっている。

我々がいかにそれを乗り越えて、お客様に接していけるかが一番大事なこと。ですが、寄席がなければそういう策や足元が無くなってしまう。それはあまりにつらいなと思って。

米助:寄席ってのを、僕らは空気みたいに感じていたんだね。コロナで気づいたよ。

——「寄席は空気」ですか。

米助:そこにあるのが当たり前。空気だと思っていた。でも、コロナ禍で「寄席が無くなるかもしれない」と聞いて「あぁ、苦しい……!」って思った。

俺たちはここで育ってきたし、後輩もそこから育っていく。そういう寄席の有り難さってのが改めて分かったなあ。

鯉斗:寄席での高座は一人おおよそ15分ぐらいですけど「それが僕らの体内時計の基準だ」と師匠方に教わっているんですね。

寄席を守っていくことが、演芸を後世に伝えていくためにも大事なんだと思います。

米助:俺たちの代で無くなったら恥だよね。先輩たちが、ずっとずっとここまで繋げてくれたんだもの。

ポストコロナを見据えて…「お客様を裏切らないよう、今こそ勉強を」

上野・鈴本演芸場。江戸時代の講釈場をルーツに持つ都内最古の寄席だ。

上野・鈴本演芸場。江戸時代の講釈場をルーツに持つ都内最古の寄席だ。

撮影:伊藤圭

——受け継いできたバトンをつなげないと…という意識もある。

さん喬:コロナ禍の影響で無くなってほしくないのはもちろんです。僕たちには寄席を残していかなきゃいけない義務、責任がある。

それだけじゃない。コロナ禍でお客様が少なくなっていますが、我々はコロナ禍が収束したときにお客様が寄席に戻っていただけるよう、今こそ勉強していかないと。

「お客さんが来なくなった。少なくなった」「お客さん少ねぇし、まあいいか……」と、芸がおざなりになっては絶対にいけない。

どんなに少なくても、この時期に高座を見てくださるお客様を裏切ってはいけない。

「こんな時世だけど、楽しく笑えてよかったなぁ」「短い時間だけどよかったなぁ」「元気になったらまた行こうね」って思ってもらいたい。今こそ、その努力をしないと。

正楽:今回のクラウドファンディングのご支援も、皆さんからの「頑張れよ」というお声だと思います。我々もお客様も、寄席が好きなんだもん。僕達が生きてる限りは、いやその後も……。

さん喬:でも、寄席の経営は最悪な状態のわけですよ。本当に逼迫している。赤字を出して毎日興行を打っているわけですから。お客様もそれを知ってくだすっている。

「芸人を守りたい」というお声をいただき、それも非常にありがたい限りです。寄席を守ること、それが芸人を守ることにもなります。「芸人を守ることが、寄席を守ること」ではないんですね。

芸人は寄席を守る戦士みたいなもの。その戦士達を育てる場所でもあります。寄席と芸人、その両方が噛み合っているわけですね。

その「育てる場所」が崩れようとしているところを「みんなで支えてやろうよ」とクラウドファンディングでご支援いただいているんですね。

正楽:それに応えなきゃいけないわけよ。私は応えてるけどね(笑)

さん喬:え、俺達3人は応えられてない!?(笑)

落語家の瀧川鯉斗さん(37)・桂米助さん(73)・柳家さん喬さん(72)・紙切り芸人の林家正楽さん(73)。年齢やキャリアは違っても、寄席への思いは一つだ。

落語家の瀧川鯉斗さん(37)・桂米助さん(73)・柳家さん喬さん(72)・紙切り芸人の林家正楽さん(73)。年齢やキャリアは違っても、寄席への思いは一つだ。

撮影:伊藤圭

米助:だけどさ、寄席って波があるよね。僕らが入った昭和42年(1967年)は、もう平日でも2階まで満員でした。本当に連日満員でしたよ。俺たちが真打になった時は下火だった。

さん喬:でも、うちの師匠が言ってたよ。「寄席は30年周期で波があるよ」って。

——「30年」という時間が、一世代の感覚なのでしょうね。

米助:それならコロナが終われば、また良くなってくる。その時のためにも寄席を残さなきゃ。

——寄席の外で入門志望の方がいらっしゃったりするのをたまに見かけたりもします。

正楽:弟子になりたい人が、実際に師匠の目の前に立ったら絶対に震えるはずですよ。

俺が先代の正楽師匠(故・二代目林家正楽)のもとに行ったときもそうだった。弟子入りを志願したら「鈴本に出てるから、おいで」って言われて。上野の喫茶店でお会いしたんですよ。

コーヒーが出てきて、砂糖を入れるでしょ?俺、緊張しちゃってずっとカップの外に砂糖を入れてたもの(笑)

「寄席がなければ、生きてこられなかった」

林家正楽さんの作品。お題は「春風亭一之輔師匠」(2019年、鈴本演芸場で)

林家正楽さんの作品。お題は「春風亭一之輔師匠」(2019年、鈴本演芸場で)

撮影:吉川慧

——師匠方にとって「寄席」とは。

鯉斗:僕にとってはもう、先輩や師匠方に「教わる場」だと思っています。そしてプレイヤーとして、芸を磨く場所でもあります。

それが途切れてしまうというのは深刻。そこでしか教われないものがある。

僕らは楽屋で、他の人とのお付き合いの作法の基本、つまり「気を遣う」ことを学びます。

前座さんであれば、出番前に師匠方にお茶を出したり、師匠方の着物も元の状態に畳んでお返しする。そういう一つ一つの仕事が噺家を育てると思うんです。

師匠方が交わす他愛もない話も「他愛もない」とは思いません。楽屋での会話を聞いて、僕らは育ちます。そういう空間がなくなるというのは、噺家にとって危機的なことなんだろうなと。

米助:私にとって寄席は家庭、家族だね。私の家庭・家族ですね。それしかない。

さん喬:私にとっては、寄席というところは……毎日、違う生き方をさせてくれるところ……ですかね。

——「毎日、違う生き方をさせてくれる」ですか。

さん喬:毎日同じ場所で、同じような喋り方をしていますが、自分としては同じことをやっているつもりじゃないんですよ。毎日、どこか違うんですね。

お客様と寄席という特別な雰囲気の中で、いつも自分を生かしてくれる。寄席は、毎日の自分を変えてくれる。そういう場所な気がしますね。

同じネタでも、高座の上で「あれ?こんなことが出来ちゃった!」とかという日もある。毎日毎日、違う生き方をさせてくれる場所。それが寄席のような気がする。

何よりも毎日違うお客様が来てくださっている。それが、自分の生き方を変えてくれているという気がします。だからもし生き方を探す場所が無くなったら、つらいですね……。

正楽:僕は、寄席があるからいま生きているんだと思うんですよ。寄席が無かったらね、ただのおじさんだもの。

米助:おじさんじゃない、おじいさんでしょ(笑)

正楽:そうだった(笑)でもね、寄席が無ければ僕は今日まで生きてこれませんでした。

寄席は10日間が一興行。もし二日なり三日なり寄席を休んで他の仕事して、それからまた寄席に入ると怖いのね。

寄席は楽しい、だけど怖い。それでも、毎日毎日寄席に行きたくなる。

私が今こうやって紙切り芸人として生活している、生きているというのは、寄席があるからこそ。だから寄席が無くなることなんて考えられないし、ご支援いただいていることは本当に感謝です。

そして、こっちも頑張らなきゃいけない。それを痛切に思っていますね。

「寄席が残ってよかった」と思ってもらえる芸を見せたい

210614_004-1

撮影:伊藤圭

——「寄席を残したい」「寄席演芸をこれからも見続けたい」という気持ちが、今回クラウドファンディングの金額の数字にも表れたのだと思います。寄せられた応援にどう応えていきますか。

鯉斗:全力で高座に上がって、お客様に自分の落語を伝えていけたらなと。稽古場で師匠方に稽古をして貰うのがすごく楽しみですね。それしか僕には無いので。忠実に、師匠方の教えを守りたいなと思っています。

上の先輩方は当然、明治・大正・昭和の名人たちをご覧になって、その教えを教わっている。そして、そうやって受け継がれた教えを、いま僕らが教わっている。その信念は曲げてはいけない。そこに尽きると思います。

米助:心配なく寄席へ来ていただいて「あぁ…。今日はいっぱい笑ったな」って、そういう世界に早くなってほしいよね。

寄席に来て、マスク無しで思い切り笑えるような時代が来てほしい。そして目いっぱい、お客さんを笑わせるしかないです。それだけです。

正楽:自分が楽しく、来ていただいたお客様も楽しく。それがずっと続くと良いと思います。

さん喬:寄席の中でいかに頑張って「あぁ、やっぱり寄席があって良かった」と思っていただけること。

そして、応援いただいた方に「支援して良かったなぁ」って思ってくださることが、お返しできる恩だと思います。

一日も早く、あらゆる芸能で皆さんに喜んでいただける世界に戻ってほしい。寄席に来てくださる全ての方々に笑っていただける。それが全てへのお返しかなと思いますね。

そしていつの日か「あのクラファンのお陰で、俺たちこうやって寄席に出ることができるんだよなぁ」「寄席が無くならなくてよかったなぁ…」と、思い出話ができることを願っています。

(聞き手:吉川慧滝川麻衣子 文・構成:吉川慧)

前編はこちら▼


クラウドファンディングでの支援は鈴本演芸場・新宿末廣亭・浅草演芸ホール・池袋演芸場・上野広小路亭の計5軒の寄席興行運営費として活用する。

支援金の申し込みは6月30日(水)まで。クラウドファンディングサービス「READYFOR」のほか、現金書留でも可能。詳細は公式サイト、落語芸術協会(03-5909-3080)まで。

  • Twitter
  • Facebook
  • LINE
  • LinkedIn
  • クリップボードにコピー
  • ×
  • …

Popular

あわせて読みたい

新着記事

ジャック・マーの言葉

ジャック・マー、「マネジメント能力の高い人は毒がある」「公正無私の必要はない」と考える理由

  • 浦上 早苗 [経済ジャーナリスト/法政大学IM研究科兼任教員]
  • Dec. 03, 2021, 06:45 AM

有料会員限定

BUSINESS INSIDER JAPAN PRESS RELEASE - 取材の依頼などはこちらから送付して下さい

広告のお問い合わせ・媒体資料のお申し込み