撮影:今村拓馬
政府が重点政策に位置付け、にわかに注目を浴びる「選択的週休3日制」。なぜ今「休む」話なのか。本当の目的とは。
週休3日制を含む「ヒューマン・ニューディール政策」を政府に提言した委員の一人、東京大学大学院経済学研究科の柳川範之教授にその真意を聞いた。そこには日本型雇用崩壊の時代、どう生きるかのヒントがある。
1. 変化の時代、動くためのスキルアップ必要
選択的週休3日制の背景には、能力開発やスキルアップを社会全体としてやっていくことの必然性があります。
世の中は今、大きく変化しています。求められるスキルや能力も当然、変わっていくわけです。
その一方で、定年は延長され、働く期間は長くなっています。
55歳でリタイアする社会であれば、20歳から働いたとして35年。高校や大学ぐらいまでの、学校生活で身につけたスキルでどうにかなったのが、かつての時代だったと思います。
でも、50年働く社会になると、学校時代に身につけたことで無理やり走りきるには長過ぎます。やっぱり社会に出てから必要な能力を獲得する、スキルアップする機会を増やしていく必要がある。
そのための時間が欲しい人には、できるだけ時間が確保できるように、というのが選択的週休3日制です。
もう一つの理由は「動ける社会」をつくることです。例えば東京で働いていた人が地元に戻って働くとか、転職で別の産業に行く、違う国で働くというのもあるでしょう。
その人がより輝ける場所、適材適所は、環境や時代と共に移り変わる。そうであれば移り変わった適材適所へ、人が適切に動けたほうが、本人にとっても社会にとってもいいでしょう。
じゃあどうやったら動けるんですか?というとやはり「スキルアップ」です。
2.「会社」で身につけたスキルだって通用する
選択的週休3日の目的は①その時間を使って能力を高めてもらうことで②より動きたいと思うところに人が動けるようにすること。
撮影:今村拓馬
特に日本では、スキルアップとか能力開発というとすごく高度な、今の時代で言うとプログラミングだったりAIの知識だったり、そういう話をイメージされがちですね。
けれど実は、企業の中で身につけた会社固有の能力や文化もけっこう、他の会社に行っても通用すると思っています。ただしそこには多少、頭の整理みたいなものが必要で、個別の知識を汎用的な知識に切り替える。(別の場所で)役に立つような形で整理し直す必要がある。多くの人には、そういうタイプの「スキルアップ」が求められています。
つまり選択的週休3日の目的は(1)その時間を使って能力を高めてもらうことで(2)より動きたいと思うところに人が動けるようにする——ということ。本人が望むならできるだけそれを可能にするのが、本人にとっても経済にとってもプラスになるということです。
3. 学び直しの重要な機会に兼業・副業
コロナをきっかけにDXの重要性が叫ばれるようになり、産業構造の変化、働き方の変化が一気に進んだ。
撮影:今村拓馬
※ヒューマン・ニューディール政策とは:人材への投資と労働移動を大胆に進めることを目指す政府の人材制度改革。人材育成を企業に依存するのではなく、国が人材投資と関連制度の見直しを掲げる。成長性の高い分野への人材移動を促進するためのスキルアップや再就職支援、生活困難者支援などを盛り込む。経済財政諮問会議で民間委員より政策提言として提出された。
ヒューマン・ニューディール政策が今の時代に必要だったのは、一つには(日本人の)長寿命化があります。ただ少子高齢化はずっと言われてきたことで、2021年に特に影響したのは技術革新です。
コロナをきっかけにDXの重要性が叫ばれるようになり、ポテンシャルとして起こるだろうと言われていた産業構造の変化、働き方の変化の話が一気に進んだことが大きいです。
ヒューマン・ニューディール政策の要である「学び直し」の重要な機会のひとつは、兼業・副業だと思っています。
お試しで働いてみる、経験を積んでみることが、学び直しや新たな能力開発になる。
ただ、フルで働いている仕事に上乗せして兼業・副業となるとやっぱりそれはオーバーワークになりがち。そういう中で、兼業・副業の時間が確保しやすくなる週休3日という案が浮上したのです。
しかし社員の立場からすると、5日分の仕事を4日でやれと言われて残業がものすごく増えたり、給与を減らして週休3日という企業側の都合にされたりしては、こんなひどい話はない。なので、大前提として「週休3日という選択肢」を働く側が「自分の意志で選べること」。
それをどう担保するのか。ここは肝になります。
4. お金配るより「稼げる人材」になるサポート必要
コロナの影響で職を失った人たちが稼げるようにすることこそが重要な社会保障だと柳川教授は語る。
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例えばコロナで打撃を受けた飲食や宿泊などサービス業からIT業界のような成長産業へ転職しようにも、お試し兼業すら難しいのはその通りです。
そこに対しすぐできる政策というのは、お金を配ることで、特にこのコロナ禍においては必要なことでした。ただしずっとお金を配り続けることはできない。
だとすると、職を失った人たちが、できるだけしっかり稼げるようにしていく必要があると思います。これこそが重要な社会保障なのです。お金を単純に配るのではなく、自分で稼げる人材になる「トレーニング」に(行政は)お金を使うことが重要です。
こうした人材育成は、これまで企業がOJTで担ってきた面がありました。それがバブル崩壊以降、短期的な業績回復にひたすらまい進した結果、本来は日本が大事にしてきたはずの、「人を大事にする」という人材投資がやっぱり不足してきたんじゃないかな。
もう一点、今の時代の人材投資で難しくなっているのは、かつての社員は自社にずっといてくれたのが、今は社員教育に投資しても、転職してしまうかもしれないこと。
この問題については、企業は短期的な利害に囚われずに、もう少し長期的な視点で見る必要があります。
ちゃんと人材投資を行う企業であれば、「働き手のスキルアップにつながる企業」という評判になるかもしれない。そうなると、ある人は他の企業に行ってしまうかもしれないけれど、長い目で見れば、その評判から、より多くの人材がその企業に集まってくることも十分あるわけです。
5.「何をしたらいいのか分からない」なら自分に正直に
今は自分が本当にやりたいこと、興味を持てることは何かが重要になる時代だという。
撮影:今村拓馬
「週休3日で学び直しをするにしても、これから何を身につけていいか分からない」という大きな問題もありますね。
この先どの分野が伸びるかは、実は誰にも分かりません。経済学者だってこの先5年、10年「どんなふうに生きていったら安泰ですか」と言われても、正直言って分からない。
「このスキルを身につけるべき」などいろいろ言う人はいますが、本当に真摯に考えるとそんなものはない。「分からない」が答えです。
では、分からない中でやることとは何か。
今は自分が本当にやりたいこと、自分が興味を持てることは何かが、より重要になる時代だと思っています。自分が1番関心を持って、自分が熱意を持ってやれることでスキルアップする以外、ないのです。
この発想は極めてナチュラルだと思うのですが、日本社会においては自分がやりたいことをやるのは「ご法度(はっと)」だと、子どものときから教えられている。
だから好きなことや情熱を傾けられるものではなくて、あからさまには言わなくても偏差値が1番高いところへ行きなさい、ということになる。「ニーズ」ばかり考えることになる。
本当に好きならば、たとえ斜陽でもその産業でやっていく道は十分ある。
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けれど今「何が衰退する産業か」だとかは、あまり考えない方がいいのではないか。本当に好きならば、たとえ斜陽でもその産業でやっていく道は十分あります。
実は、AIだとか、プログラマーだとか、今さら目指すのはあんまりお勧めはしません。もちろん、すごくその分野で能力があればいいですよ。でもそこってみんなが行くんです。だから競争も厳しいですし、極端に言えばこの先、AI需要がどのぐらい長続きするかですら、正直、分からない。
世界中で誰にもこの先が分からない時代には、結局は、自分の感情に正直になったほうがいいのです。
(聞き手・滝川麻衣子、横山耕太郎、文・滝川麻衣子)
柳川範之:1963年生まれ。経済学博士。専門分野は金融契約、法と経済学。父親の海外赴任をきっかけに高校には行かず独学生活を送る。慶應義塾大学経済学部を通信教育課程で卒業。1993年東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。独学で東大経済学部教授になった異色のキャリアで知られる。『東大教授が教える独学勉強法』『東大教授が考えるあたらしい教養』など著書多数。