「思考のコンパスを手に入れる」ために、山口周さんによるさまざまな知見を持つ人との対話。
前回に引き続き、対談相手は『ビジネスと人生の「見え方」が一変する 生命科学的思考』で生命原則と人生の相関関係を示した高橋祥子さん。後編では、個人の主観を活かして生きていくために、カオスな環境に身を置くことがいかに重要性であるかを解説します。
山口周氏(以下、山口):一定確率でエラーを発生させることが中長期的には組織の利益になる。これは個人にとっても同じではないでしょうか。
やりたいことが見つからない人にアドバイスするとしたら「カオスな環境に身を置くべきだ」と書かれていました。
高橋祥子氏(以下、高橋):好きなことや夢というのは、生物学的には説明できないんです。例えば私がなぜ遺伝子を好きでたまらないのか、生命科学では説明がつかない。
私たちの会社でも、いろいろな社会課題に取り組んでいます。例えばSDGsには「貧困をなくそう」というゴールがありますが、貧困や栄養失調に苦しむ人が1人もいなかったことは人類が誕生してからただの一度もありません。
むしろ栄養失調の人口は減少しつつあります。数字だけで客観的に見れば、「現在」はこれまでよりも改善されてきた最も良い世界とも言うこともできます。
それでも貧困や栄養失調を課題として認識するのは、飢えに苦しむ人がいない未来を思い描くからです。私たちが頭の中で想像したより良い世界との比較によって初めて、「現在」が改善されるべき世界になるということです。
それは個人の主観ですが、主観があって初めて課題が明確になり、そこに自分の意志が生まれます。
個人のキャリア、人生においても同じだと思います。よく学生の方などから「好きなこと、やりたいことを見つけるためにはどうしたらいいのですか」と聞かれますが、いま存在する世界が理想の世界なら、何の課題もありません。
でも大災害を経験したり、病気で死にそうな目に遭ったりした人は、往々にして自分の強い軸を持っています。
想定外のこと、想像できないこと、不確実なことを経験することによって初めて自分の主観的な命題が浮き彫りになってくるのだと思います。
大災害や大病は滅多にあることはないですが、留学や転職でもいい、カオスな環境、言い換えるなら、なるべく想像可能性が低いところに身を置いた方が自分の課題は見つかりやすい。
何か新しいことを始める時、どんなものか想像できてしまうと、課題は見つかりにくい。自分の知っていること、経験したことのあることは想像しやすい。自分ができるかどうかわからないことに取り組んだ方が発見は大きいはずです。
山口:高橋さんは、子どもの頃から遺伝子に興味があったんですか?
高橋:もともと医者家系で、自分も医者になるのかなと思っていました。中学生の頃、病院に見学に行くと、当然ながら病気の人しかいない。強烈な違和感を感じました。
病気の人を治すのも大事ですが、そもそも人間はなぜ病気になるのか、病気になる前になんとかできないのかと。もう少し幅広い視点で生命の仕組みを研究して、予防につながることをやりたいと思って、分子生物学の領域に入りました。
勇気がないから、起業するという選択
生命科学者でありジーンクエスト代表取締役の高橋祥子さん。
提供:高橋祥子
山口:僕は「勇気の問題に逃げない」ことが大事だと思っています。人と違うことをやる時、勇気がないと言う人がいます。
例えば目の前に2本の道があって、みんなはなんとなく右に行こうとしている。でも調べてみると、右の道は先の方で橋が落ちているらしい。
左の道は眺めも良く、美味しいお団子屋さんもあるらしいとわかれば、みんながどうでも、迷わず左に行きますよね。それは勇気の問題ではない。
高橋:すごくわかります。「勇気がない」ことのせいにして思考停止してしまう。
山口:「6対3対1」ルールもそうですよね。何に関係するかまったくわからない研究に1割のリソースを割くと、「無駄なことをやるな」という常識に染まった人は、とんでもない、そんな勇気はないと言うかもしれません。
でも高橋さんは勉強して、生命の進化過程も踏まえた上で、組織や個人を当てはめて、それが中長期的に有効な時間の使い方だと確信を持ってなさっているはず。
世間一般の常識から外れると「自分にはそんな勇気はありません」と言う人が少なからずいますが、それを勇気の問題にするのは、逃げずに偉業を成し遂げた人の努力や才能を軽んじることだと思います。
高橋:実は私も起業した時、起業する方がリスクが少ないと考えました。
もともと研究者としてずっと大学で研究するつもりでしたが、大学に残ると、このくらい研究を頑張って、論文を何本書いたら助教だな、それには何年かかるなという将来が見えます。
それが自分の努力で縮まることはあまりなく、たまたまポストが空いていたなどの外部要因に依るところが大きい。リスキーだなと。
でも自分で起業すれば、研究も続けられるし、事業化もできます。失敗しても、ロジカルに考えれば、その方がリスクが少ないと思って起業しました。勇気の話ではなかったですね。
山口:むしろ勇気がないからこそ、ちゃんと考えて起業したとも言えますね。
それから、情熱があるから行動できるのではなく、行動することで情熱が湧いてくるものだとして、東京大学・池谷裕二教授の「人間は、行動を起こすから『やる気』が出てくる生き物」「面倒なときほどあれこれ考えずに、さっさと始めてしまえばいい」という言葉を引用されていました。これもいい言葉だなと。
高橋:よくインタビューで「生命科学に情熱が芽生えたきっかけは何ですか」などと聞かれますが、ある日突然、情熱が湧いて始めたわけではありません。
最初は自分に何が向いているかもわからないまま、ちょっとしたきっかけから研究を始めて、どんどんのめり込んで、これをもっと深掘りしたい、研究を続けながら、社会実装もしてみたい、その両輪を回していく仕組みをつくりたいと思って起業して、事業化してきただけです。
何かの本を読んで、いきなり情熱が芽生えたということはあり得ない。
情熱が湧くとは、生物学的にはドーパミンが放出されている状態だと思いますが、体を動かすことでドーパミンは放出されます。情熱があって動くのではなく、まず体を動かして、行動してみて、初めて情熱が芽生えるのだと思います。
セレンディピティを能動的に設計できるか
アルゴリズムに基づいて表示されるAmazonの「オススメ」のみを購入するのではなく、店頭で買い物をすることによって「セレンディピティ」が生まれる。
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山口:やりたいことが見つからない人は、移動距離が短いのだと思います。物理的な移動距離と精神的な物理距離の両方ありますが、喜怒哀楽の感情が駆動して、初めてセレンディピティが生まれる。
中学生だった高橋さんが病院で違和感もそうですし、何か得体の知れない主観に突き動かされた人にきっかけを聞くと、大抵は人生のある時点で目にしたもの、出合ったものだと言う。
じゃあ、それが見られると思ってそこに行ったのですかと聞くと、偶然だと言います。
移動距離の総和が短いと、きっかけに出合うことも少なくなってしまう。
慣れ親しんだ環境から飛び出して、馴染みのない存在に出合う機会をつくり続けることで、結果的にやりたいことに巡り会うのだと思います。
高橋:これがほしいとわかっている本はAmazonで買いますが、アルゴリズムが学習して、私の好きそうな本ばかりリコメンドしますよね。だから時々、敢えて本屋に行くようにしています。
たまたま目に入った百人一首の本が読みたくなったり。本に限らず、どんな行動でも同じだと思います。便利になったためにセレンディピティが起こりにくくなっていますから、能動的に設計する必要がある。
山口:日本、特に都市部にいても課題はなかなか見えてこない。でも海外に行くと、先進国であっても日本とずいぶん状況が違います。
フィレンツェでは、国籍のない中国人たちの移民コミュニティがあり、バスに無賃乗車していますが、コミュニティの人々は仕方ないと許容しています。先進国でもそうした課題がありますが、日本の中にいると気づきにくい。
新型コロナによってセレンディピティが起こりにくい世界が生まれていることは、危険な状況だと思います。
バーチャル空間の中でも交流はできますが、似たような趣味や価値観の人ばかり集まるので、偶発性は生まれづらい。今後、ランダムネスをもたらしてくれるSNSが出てくるかもしれません。
予防医学研究者の石川善樹くんは、巣鴨のとげぬき地蔵に行ったそうです。予定が突然キャンセルになってポカンと時間ができた時、一番自分と縁遠い場所に行こうと。巣鴨には喫茶店がたくさんあって「マルチと宗教お断り」と書いてある。店内はマルチと宗教の勧誘ばかりで、おじいちゃんおばあちゃんが楽しそうだったと聞きました。
石川くんも「イノベーションを起こせる脳にはカオスが必要」と言っていますね。
高橋:私にとっては今、子育てがカオスです。
山口:まさに馴染みのない存在ですね。これまでの常識が通じない。赤ちゃんを見ると、人間の脆弱性ってすごいな、これほど脆弱なのに、よくこれまで進化してきたなと思います。
高橋:脆弱性を集団生活でカバーしてきたからこそ、脳の発達に時間をかけられたと考えると、シングルマザーなど孤立して子育てを誰かに頼れない状況は、遺伝子の仕組み的に無理があるので、コミュニティや社会全体で子育てを支える必要があると感じます。
「人類は全員レアで、全員が少数派」
ゲノムデータを解析すると、「多様性」について新たな視座が得られる、と高橋さんは語る。(イメージ画像)
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山口:本を読んで、僕が一番心に刺さったのは、ゲノムデータ解析を通じて「人類は全員レアで、全員が少数派」と実感したというくだりです。
僕は「不思議ちゃん」という言葉が嫌いです。安易に使われていますが、いわば理解の放棄宣言で、危険性を孕んだ言葉だと思います。
でも人類は全員少数派という視点に立つと、わかり合えないこともある上で、お互いを理解する努力をすることがあたりまえだとわかります。
高橋:ゲノムデータを扱っていると、多様性とはそういうことだなと実感します。DNA配列は99.9%同じですが、0.1%は違います。
ジーンクエストでは、遺伝子の中で一塩基多型を解析対象にしていますが、この組み合わせだけでも膨大な数に上り、一卵性双生児でない限り、遺伝子レベルで同一人物は存在し得ません。
さらにレアバリアント(希少な遺伝子型の違い)と呼ばれるレアな配列をほとんどの人が持っています。そのレアバリアントの中でも、ある遺伝性疾患に関わっていることが判明しているものもありますが、ほとんどは何の形質に関わっているかわかっていません。
でも、そのレアバリアントを持っていることがすごく価値あることかもしれない。そういう意味では、マジョリティという概念で括ること自体が無意味です。
生物にとっては、失敗や成功を含む累積探索量を増やせるか、つまり、どれだけ多様性をつくり出せたか生物としての堅牢性につながります。
LGBTをはじめとする性差別や人種差別がいかにナンセンスか、ゲノムデータに触れるとよくわかります。
山口:抽象概念ではなく、具体的なデータとしてそれがわかると。
高橋:自分が純粋な白人であることを証明したいと考えた白人至上主義者が遺伝子を調べたら、実は黒人の遺伝子が混じっていて愕然としたという話もあります。
ほとんどの人が混じっていますから、純血なんてあり得ません。生命の仕組みに対して科学的なアプローチをとることで、差別などの問題に対しても、違った視点がもたらされるのではないでしょうか。
VUCAの時代こそ、生命科学的思考が必要になる
山口:僕たちは道具をつくり、畑を耕し、文明を進歩させてきました。その結果、ライオンに食べられてしまう心配はほぼ無くなった。
進化は止まったという考え方もあれば、食べたいだけ食べられる世の中になった時、抑制できる人間と抑制できない人間がいて、後者の人間は早死にしまう。
つまり、進化で淘汰されていく最中にいると考えることもできます。これから僕たちはどのように進化していくのでしょうか。
高橋:いま2つの大きな変化が起こりつつあります。1つは、テクノロジーによって、人間が環境にもたらす影響力が巨大になりすぎていることです。
もう1つは我々自身、つまり人類に対する影響力です。私たち人類は、もはや遺伝子も操作できてしまう。2018年には、中国でゲノム編集による赤ちゃんが誕生しました。遺伝子を操作できるなら、そもそも進化とは何かという話になります。
私たち人間は視野が狭いので、1億年後に人間が絶滅しても、他の種が生き残ればいいと考える人はほとんどいません。自分や家族、せいぜい数十年や数百年の視点でしか考えられない。
そうした狭い視野のまま、近視眼的な介入を行なった結果、人間自身のもたらした環境に耐えられなくなる可能性もあります。
山口:最後に読者へのメッセージをお願いします。
高橋:冒頭で山口さんから、コロナ禍をどう見るかという問いをいただきました。地球規模の問題が起こった時、人類は一致団結するはずという人もいましたが、実際に起こったことは、格差の拡大であり断絶でした。
人間には、生物として本能的・直感的に情報を捉える側面と、科学的に捉える側面がありますが、危機の時ほど本能や直感に走る人が多く、そのために格差が拡大したり、分断が深まったりしたように感じます。
BLM(Black Lives Matter)運動再燃のきっかけとなった事件もそうですし、新型コロナウイルスにまつわるさまざまな陰謀説も流布しています。ワクチンを接種すると遺伝子が変わってしまうといったものまであります。
そうした面を認識した上で、危機の時こそ冷静に、自分という生命を科学的に見る視点が大事だと思います。
山口:より生命科学的思考が求められるということですね。
VUCAの時代と言われるように、我々を取り巻く環境が不確実で曖昧さを増しているからこそ、原理原則に則って考えることが大事であり、生命科学という普遍的な領域の知見を学ぶことを通じて、そうした思考が可能になるのだと思います。
(構成・渡辺裕子、山口氏写真・伊藤圭、編集・浜田敬子、小倉宏弥、デザイン・星野美緒)
高橋祥子:1988年、大阪府生まれ。2010年京都大学農学部卒業。2013年東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程在籍中に、遺伝子解析の研究を推進し、正しい活用を広めることを目指すジーンクエストを起業。2015年同学博士課程修了。2018年ユーグレナ執行役員就任。著書に『ビジネスと人生の「見え方」が一変する 生命科学的思考』『ゲノム解析は「私」の世界をどう変えるのか?』。
山口周:1970年生まれ。独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。World Economic Forum Global Future Council メンバー。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了後、電通、ボストン・コンサルティング・グループなどで経営戦略策定、組織開発に従事した。著書に『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』『ビジネスの未来』など。